第12話 獅子の耳に念仏 3
「君、タカトウさんのこと好きなんだろう? しかも片想い」
タツミはこともなげにそう言って、自分より余程大きなレオに笑いかけた。特徴のない顔立ちながら、グラスの奥の瞳には邪念の影はない。レオは嫌そうに目を逸らせた。
「……」
「だから、僕に焼きもち妬いて追っ払おうとしたんだろう? でも大丈夫だよ。僕たちは友だちだ。僕にとっては数少ない……と言うか、たった一人の貴重な女友だちだけど」
「お前はいらない。ムツミの友だちは俺だ」
女友だちと言う言葉に感応して、レオはぎちりと歯を剥いた。しかしタツミに臆した風はない。
「ダメダメ。そんなこと言ってたら、タカトウさんに余計に嫌われちゃうよ。彼女、大人し
「……うう」
ユイガドクソンが何だかは見当もつかないが、なんだか非常に悪い感じのする言葉のようにレオは思った。もしも自分の態度がそれで、それをムツミが嫌うと言うのなら、不本意だが、もう少し慎重にこの男の話を聞いた方がいいのかもしれない。
万が一にでもつがいに嫌われたら、野人の雄の精神はズタズタなる。レオはタツミに掴みかかりたくなる衝動を、拳を握りしめて堪えた。
「僕とタカトウさんは夢や境遇が一緒なんだ。二人とも貧乏だし、身寄りも友達も少ない、苦労もしてる。だから、ちゃんとした教師になって、子どもたちに未来を与えてやりたいんだ。そう意味ではお互いを尊重し合って仲良くしてる。けど、友だちは友だち。恋人じゃない。でも君は違うんだろ? 君は本当はタカトウさんの友だちじゃなくて、恋人になりたいんだろ?」
「こいびと……違う」
レオは低く答えた。
「あれ? 違うの? あんだけ熱視線垂れ流しておいて?」
「ねっし……? ムツミは……俺の……」
レオは口籠った。説明するのはいつだって苦手なのだ。
「君の?」
「……」
この男は何を言おうとするのだろうか? 先ほどの獰猛な雰囲気から一転、非常に言いにくそうにもじもじしている。タツミは好奇心を持って答えを待った。
「……つがい……だ」
「へ? ツガイ?」
タツミの問いに野人は、くんと顎を引いた。
「つがい? って、もしかして
「ああ……お前たちの言葉では夫婦……とか言うのか? だが、俺たちの世界じゃ、もっとこう……魂が求めるっていうのか……ああ、うまくいえねぇっ!」
レオは苛立たしそうに、しばらくその見事な金髪をガシガシと掻き回していたが、やがてぐっと顔を上げた。それは猛々しい野人の顔だった。
「ムツミは誰にも渡さない。触れることも許さない。つがいってな、つまりそう言う事だ」
「俺たちの世界……? 君は、もしかして……」
タツミは初めてほんの少しだけ畏怖を感じて言った。それは人間の遺伝子に刷り込まれた防御機能である。
圧倒的な強者に対する本能的な怖れ――
「俺は野人だ」
「野人……」
あっと腑に落ちたようにタツミは頷く。
ジャポネスク・シティでは、野人はほとんど見かけないから、今まであまり意識にもぼることはなかったが、野人と言う、人間の亜種がこの世界に存在することは知っている。
彼らは古代の種の末裔だとも、人間の突然変異だとも言われているが、絶対数が少ないのと、あまり表社会に出てこないので、タツミも実際には見たことはなかった。だが、彼らが優れた感覚や能力を持っていたり、並はずれて美しいものがいるという事は聞いている。ごく稀にだが、世界を震撼させた犯罪者がいることも。
「そうか……野人だったんだ……」
タツミは繰り返した。
「だから君はそんなに大きいんだね」
「……」
「で、君はタカトウさんがその……つがいという存在だって言うの?」
「そうだ」
「間違いないの?」
「間違うことはない」
「へぇ……野人って今までほとんど知らなかったけど、すごいな」
「ちっともすごくねぇ」
感心したようなタツミに、レオはぶっすりと答えた。
「すごいよ。こんなに大きくてきれいで……」
男として貧弱な体格のタツミは憧れをこめてレオを見上げた。ただ単に大柄と言うのではなく、均整の取れた肢体から伸びる長い手足、見事な金髪。その動きは見かけほどガサツではなく、ネコ科の動物のように優美だ。これでは異性が放っておくまい。
「さっきだって女の子たちに囲まれていたじゃないか」
「分からねぇ……」
野人にとっては異性とはつがいだけだから、どんな美女が大勢隣にいようとも意味はない。人間の女の視線が執拗に絡みつくことは日常だが、レオは意識もしていなかった。
野人にとっては、ただ一人のつがいだけが、心を預けられる存在なのだ。
なのにレオは、つがいを喜ばすことも、助けることもできない。ばかりか、さっきは嫌いと言われてしまったのだ。せっかく友だちに漕ぎつけたものの、もうどうしていいのか分からなかった。
「ムツミは怒っているんだろうか?」
「ちゃんと話せばわかると思う」
「俺は馬鹿だから……」
「タカトウさんは君の事、馬鹿だなんて一言も言ってなかったよ。優しくていい人だって僕に言ったよ。それからさっき女の子に囲まれてたからもう私は要らないかなって、少し寂しそうだった」
「要る!」
レオはばっとムツミを振り返った。
ムツミは背後に樹にもたれて二人を心配そうに見ている。レオの視線に少し首を傾けたので、太い三つ編みが肩で揺れた。
それはとても愛しい風景――
「待って!」
思わず駆け寄ろうとしたレオの肩をタツミが掴んだ。
「だから僕らも友だちになろう」
「嫌だ」
レオの応えはにべもない。
「君なんでさっき、タカトウさんが怒ったのか全然分かってないだろ?」
「?」
「あ……馬鹿って意味じゃないよ。そうじゃなくてね。彼女は僕と同じ教師志望なんだ。だから無意味な暴力を嫌うのさ」
「無意味じゃねぇ。他の
「野人の理屈は今のところ彼女には通らないよ」
レオの言葉を遮ってタツミは首を振った。
「彼女は僕より真面目なくらいだからね」
「……どうすりゃいいんだ?」
野人にしては神妙にレオは尋ねた。
「言ったろ? 僕らがケンカしないで友だちになればいいんだよ。男は男同士ってやつだ。そしたら彼女も考え直すよ」
「……そうなのか?」
若い野人のレオに人間の道理はよく分からない。だが、ムツミの気持ちが変わるなら、それがすべてに優先する。レオはまだムツミにつがいとして認めてもらっていないのだから。
「分かった」
レオはすぐに決断した。
「(不愉快だが)お前と友だちになる」
……不思議な人だ
タツミは長身の男を見た。
男の彼から見ても恵まれた風貌体格。さっき自分を片手で投げた|膂力(りょりょく)を見ても、腕っぷしも相当なものがあると思われる。この男が望めばどんな女でも選べるだろうし、目立つ仕事にもつける筈だった。
なのに、つがいと言う、伴侶(なのか?)の動向ばかりを気にして、片手で吹っ飛ばされるような自分の言いなりになっているのだ。
野人。
それはどのような生き物なのだろう。
タツミは急に目の前の男に興味がわいてきた。
「ありがとう。これからよろしく!」
「……」
「さ。じゃあ、戻ろうぜ。さっきからタカトウさんが心配そうに僕らを見てるよ」
大きく頷いたレオは、ものも言わずにムツミの元へすっ飛んで行った。
「……で、もういいの? レオ君謝ったの?」
ムツミはそれだけが気がかりそうにレオに尋ねた。そして実は、きちんとした謝罪をした覚えのないレオである。
「……う」
「いやいや、もうすっかりいいんだよ。元々悪気があった訳じゃないし」
いや、悪気の塊だったが。
「ちょっとした行き違いがあっただけなんだ。ね?」
タツミの取りなしにレオは頷くばかりである。
「そう……なの? レオ君」
「……ああ」
「もう、乱暴はしないでね」
「誓う」
これは厳密にいうと嘘だ。レオはハンターなのだ。依頼を遂行する上で、暴力沙汰は日常茶飯事である。もっと悪い事だってあるのだ。しかし、ムツミはハンターの仕事を良く知らないし、知らせるつもりもない。だが、ムツミに危険と、雄の手が伸びない限り、無闇に力は振るわない。だからレオの誓いはとりあえずは嘘ではなかった。
「良かった」
「ムツミ……済まん。もうしない……許して」
心から済まなそうに背中を丸めたレオに、ムツミの母性本能が炸裂する。
「(うわぁ……なに? この可愛い生き物)い、いいよいいよ。もう怒ってないし、私こそキライなんて言ってごめんね。それに私も乱暴しちゃったもんね。だって、さっき……レオ君が土を掃ってくれたのを、お尻触ったと思って……」
ぱちん、と。
「だから、私だってレオ君に偉そうに言えなかった……こんな私だけど、これからも友だちでいてくれる?」
「……いいのか?」
「勿論! でもレオ君きっとすぐに人気者になるから、私だけじゃなくて、色んな人と……」
「ムツミがいい! 俺はムツミがいいんだ!」
「うん。ありがと……私もレオ君好きよ」
「……っ!」
明るい陽の元なのに、野人の瞳孔が広がった。敵を前にもしていないのに、心拍数が上がり、呼吸が早くなる。そして皮膚を走る毛細血管が膨張するのが分かった。主として顔の部分の。
スキすき好き――ムツミが俺を……
友だちとしてだけどね!
「さぁ、二人ともそろそろ行こ。ここも人が増えてきたし……」
幸福のあまり黙り込んでしまった男に、タツミは仕方なさそうに声をかけた。行こうと指す方へ野人は素直についてくる。タツミが笑うと、レオも頷いた。
「友だちになったんだね」
ムツミもそんな二人を見てうれしくなる。自分の好きな二人が本当に友だち同士になったのだ。
「ところでレオ君、さっきのお講義、どうだった? 初めてなんでしょ? 随分熱心に聴いていたよね」
「え?」
タツミもうんうんと同意した。
「へぇ……僕もぜひ感想を聞きたいね」
二人に他意はない。無邪気に親切(と好奇心)で尋ねているのだ。
「いやその……そうだな……」
聞いてはいたが聴いていなかったレオは、仕方なく思いついた文句を口にした。
「すごく面白かった……」
もう少し言葉を学ぶべきだとレオは思った。
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