第4話 能のない獅子は詰めを忘れる 1
「なんだろ? 門のところにあんなに人だかりが……」
ムツミは眼鏡の奥の大きな目を
キャンパスの正門に大勢の学生達が群れている。
大半は女学生だが、中には男子学生も混じっていた。皆一様に同じ方向をみて囁き合い、中には端末のカメラで写真や動画を取るものも多い。
芸能人がロケにでも来ているのかな?
その方面には興味がなかったムツミは、大きな正門の脇にある通路から皆の邪魔をしないように、こっそりと外に出ようとした。華やかな催しがあるのだとしたら、自分程相応しくない者はいないだろう。
だから別に勿体無い気はしない。それに早くバイトに行かないといけない。なんと言っても、今日は給料日なのだ。
ムツミは<ジャパネスク・シティの道・百選>にも選ばれた、紅葉並木が美しいカレッジ通りを浮き浮きと歩きかけたのだが――
ヴオン!
突然、猛獣の吠え声のような重低音が真後で響いた。
な、何?
仰天して振り向くと、そこには悪魔が乗るような黒いマシンが――いや、実際には悪魔など旧世界のおとぎ話だし、マシンと言う物も実はよく分からないのだが――バイクと呼ぶには余りに大き過ぎる二輪車が、急旋回して自分の目前で停止した。
「ひわぁっ!」
腰を抜かしそうになってムツミは叫ぶ。もしかして命の危険が差し迫っているのか!?
黒く光る車体には銀色の禍々しい装飾。
物騒に曲がったハンドルは、資料で見た旧世界のバイソンの角のようだ。
それに威風堂々と跨る騎手は――
ああ、これこそ悪魔のようだった。自身に纏う豪華な色彩を引き立てる、黒いレザーに包まれた巨体。
黄金に輝く瞳がムツミを見とめると、すっと細められる。
「待っていた、ムツミ。迎えに来た」
「え!?」
大きいくせに猫のようにしなやかな動作で、男はバイクから降りた。その優雅な所作に一瞬見蕩れる。彼はつかつかとやってくると、ムツミの前にどっしりと
「な……ななな? な?」
もはや人語を話すゆとりすら失ったムツミに、大きな手を差し出す金色のライオン。
「迎えに来た……トモダチとは、一緒に帰るものなのだろう?」
ライオンは友だちと言う単語を、実に言いにくそうに発音した。心なしかうつむき加減なのはどうしてだろう。
「ああああの、えっと……?」
トモダチ?
って、友だち?
お友達の事ですか!?
ムツミは人生初のパニックに陥っていた。
この男は知っている。
昨日カフェで会った。
と言うか、一度見たら誰だって忘れられないだろう。金色のたてがみのような髪は、形の良い頭蓋をたっぷりと包んで背中に流れる。髪より少し薄めの瞳は、琥珀と呼ばれる宝石よりも美しく澄んで、あろうことか、自分を熱く見つめていた。
「えーっとぉ、あの……」
「レオ。俺はレオニダス・ライオンハートと言う。昨日は名乗る暇もなく、あんたが逃げ出してしまったから」
ムツミがあうあう言う意味を彼は正確に理解して名乗った。この男を表すのに、これほどぴったりな名前もあるまい。
「レオニダス……さん」
ムツミはおそるおそる差し出されたグローブのような手を取った。びっくりするほど熱い。見上げると、男の瞳は少し潤んで、吹き出す様な色気がだだ漏れである。
「レオだ。トモダチなら敬称はいらない」
レオは蕾のような唇が自分の名を呼んだ事に、思わず胸を熱くした。無論、ぐっと押しこめて何食わぬ顔を装っている。
「友だちって、でも……」
「昨日、俺が頼んだら頷いてくれた。あれは了承ではなかったのか?」
「あの……」
ムツミは、背中に突き刺さる好奇の視線を感じて怯えた。
これまでの二十二年の人生の中で目立った事は一度もない。目立とうと思った事もない。
唯一の例外は、少し前に仄かな思いを寄せていた同じカレッジの男に声を掛けられて、勢いで「好きです」と言った事くらいだが、それも二週間ほどで飽きられて捨てられた。
その時は悲しかったが、ああやっぱりと言う心境だったのだが、その悲しみも引かぬ間に、目の前の男が突如として現れたのだ。
それがつい昨日の出来事。
男は突如として現れ、ムツミを捨てた恋人を何故か吹っ飛ばした。
そして何がなんだか分からないでいる間に
現状から察するに、いつの間にかムツミは、この派手な美丈夫の友だちになっていたらしい。おそらく訳も分からずに頷いてしまったのに違いない。
その後の事は良く覚えていないが、色々一杯一杯だった自分が、後も見ずにその場を飛び出した事はかろうじて記憶していた。
な、なんで? なんで? なんで?
美しい男は期待を満面に浮かべて自分を見つめている。
彼は名前すら名乗らなかった自分の居場所を、どうやって突きとめたのだろうか? そもそもなんで自分などに、友だちになってくれと頼んだのだろうか? この男ならどんな人間でも付いてくるだろうに。
それともこれは、新手のからかいか、もっと悪くて何かの番組なのだろうか?
世の中、一体何が起きているの?
頭の上に疑問符を幾つも浮かべたムツミである。
「トモダチにしてくれたんじゃなかったのか……」
ムツミがギョッとした事に、男は酷く悲しそうな顔をしたかと思うと、子どものように項垂れてしまったのだ。
「えっ!? あのっ……わ、わぁああ」
どうしよう……この人泣きそうだ。
怖そうに見えるかけど、悪い人ではないと思うし……話くらい聞いた方がいいのかな? でも、私バイトがあるし……
背後からは、圧し掛かるような視線の束。
しかもそこには、確かに自分に対する殺意まで含まれていると感じたムツミは、取りあえず、この場を何とか収めないといけないと思った。普段のおっとり具合から考えると、この数秒でものすごく頭を使った様な気がする。
「あ、あのっ! 申し訳ないんですけども、私、これから直ぐにアルバイトに行かなくちゃならないんです。すみませんが、お話はそれが終わってからでもいいですか? ちゃんと……きっとちゃんと伺いますので!」
「アルバイト? どこかに行くのか?」
「はい。隣のブロックのキヨミズ通りのお花さんで売り子を……」
「じゃあ俺が連れて行ってやる」
「は!?」
それからの事は思い出しても身が竦む。
バイクの後部座席にひょいと乗っけられたかと思うと、ものすごい高速で移動させられたのだ。
あまりの恐ろしさに、必然的に両腕で男の腰に必死でしがみつく。上半身が大変発達しているのに、腰は案外細く、ムツミの短い腕でもまきつける事ができたのは幸いだった。
バイクはあっという間に古風な店が立ち並ぶキヨミズ通りに入った。黒い獣のようなバイクは、しっとりした風景の中で、それ自体が異空間だ。――乗り手も含めて。
「ここか?」
「は……はい」
「働いているのか? 学生なんだろう?」
「苦学生なんです。事情があって学費を自分で稼がないと。送っていただいてありがとうございました!」
それからの二時間はムツミにとっても、花屋の主にとっても、花屋の客にとっても、生涯忘れられない風景だった。
獅子のようなたてがみを持つ美丈夫が、店先にちんまりと腰を下ろしている。
最初は巨大なバイクも傍らでお供していたのだが、店に迷惑がかかるとムツミが訴えると、男は素直にどこかに置きに入った。しかし、自分は頑として店先から動こうとしなかった。
幸い、彼の見てくれに興味を持った女性客が、途切れる事なく店を訪れたので、花屋は一日の売り上げ記録を大幅に更新し、店主は大いに気をよくして、ムツミにあんな彼氏だったら毎日連れてきてもいいと言ってくれた。
「終わったのか?」
仕事を終えて出て来たムツミを待ち構えて男は話しかけた。すっかり夕刻になっている。
「はい……お待たせしました」
別に待てと言った覚えはない。
しかし、そう言わないといけない様な気になる程、男は嬉しそうだった。もし尻尾があったら確実に千切れるほど振っているだろう。そんな様子でムツミに駆け寄って来たのだ。
「は……腹は減ってないか?」
「あ……はい。これから買い物をして、家でご飯にします」
「買い物……そうか。なら荷物を持ってやる」
「え? そんな……いいですよ……て言うか、何か私にお話があるんじゃ……」
「ある……けど……まぁ、その……」
男は明らかに照れまくっていた。体質なのか、顔が赤くはなっていないが、視線が泳いでいる。ムツミは、突然、この男が自分を騙しているのではないと直感した。
「私なんかで良いんですか?」
「え?」
「友だちに……っておっしゃってたでしょう? ホントに私なんかで良いんですか?」
「いい! ……ていうか、俺には他にトモ……友だちなんか、いねぇから……」
さっきより発音が滑らかになっている。言い慣れてきたらしい。
「ええっ! 凄く人気がありそうなのに……」
「……いない。欲しいとも思わなかった……その、ムツミに会うまでは」
「でも、私なんか、冴えないし、ドンくさいし、話題も貧弱で友だちになっても、あんまり楽しくは無いと思うんですけど……」
「ムツミがいい……」
「遊びとかもあんまり付き合えないですよ。苦学生だし」
「遊びなんかじゃない。ムツミと一緒にいられればいい」
「ふふ……変わった人ですねぇ、レオニダスさんは」
「レオ」
「レオ?」
「友だちは愛称で呼び合うものなんだろう?」
「……じゃあ、レオ君」
「……」
眼鏡の奥の瞳がにっこり笑う。
それを見て、またしてもレオのきかん気の分身が自己主張を始めた。しかし、主の意向は「待て」である。
「じゃあ、友だち記念に一緒にご飯食べます? あんまり上手じゃないし、豪華なものも作れないですけど」
「いいのか!?」
レオは己の幸運が信じられず、立ち止まって金色の目を見張った。突っ立っていると膝が震えだしそうだったので、かっこつけたポーズでごまかす。ムツミは気にもしていなかった。
「家はボロアパートなんで、がっかりすると思いますけど。それと、安普請だから騒いだら床が抜けるかもですよ。それでもいいな……」
「いい! 大人しくする! 絶対!」
天にも昇るような気持ちでレオは叫んだ。
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