第29話 無理

 既に夏に入ってきているというのに、まったく俺は遊びやどこかに行くということとは無縁だった。


 それもそのはずで、実際今は期末テスト期間中である。実は既に里奈には近くの図書館で勉強を教えた。


 その時は特に何も言われなかった。いつもどおりの無邪気な里奈で、留奈に関することも何も言ってこなかった。だが、逆にそれが怖いのだが。


 問題は……留奈だった。俺は留奈にまだ会えていない。別に会うのが嫌だとかそういうわけではなく、単純に中々会えていないのである。


 今日くらいは会えるといいと思いながら電車に乗って帰宅している……ちょうどその時だった。


 電車が止まると同時に、人が乗り込んでくる。短い金髪、留奈だった。その隣には茶髪の女の子の望海もいる。


「あ」


 と、先に俺に気づいたのは留奈だった。その留奈の反応を見て望海も俺のことを見る。


「……あ~。留奈、ウチ、ちょっと用事思い出しちゃった」


 俺の座っている席からも聞こえる声で望海がそう言っていた。


「え? な、何言ってんの、いきなり」


「悪いんだけど、先帰ってて。じゃあね」


 そう言って望海は電車から降りる。降りる際、望海は俺のことを見て、小さくウィンクしていた。一体なんなのだろう……


 結局、電車には留奈だけが取り残されてしまった。留奈は気まずそうに俺のことを見ている。そして、観念したかのようにゆっくりと俺の方に歩いてきた。


「……久しぶり」


 少し恥ずかしそうな声でそう言って、留奈は俺の隣に座った。


「あぁ。確かにね」


「……ごめん」


 と、何故か急に留奈は謝ってきた。


「え? なんで謝るの?」


 俺が訊ねると留奈は小さくため息をつく。


「……里奈ちゃんから、色々聞いたんだ。というか、里奈ちゃんが私にはっきり言ってきたんだよね。昭彦と色々話したんだ、って」


 色々……俺は先日の留奈との会話を思い出す。それを思い出すと同時に、里奈が言っていた留奈が俺自身のことを好きだという話を思い出し、少し恥ずかしくなる。


「あ……あぁ……それで?」


「……だから、昭彦に会わないようにしてたんだ」


「え? 会わないように?」


 いきなりそう言われて俺は驚いてしまった。しかし、留奈は否定すること無く頷いた。


「……だって、里奈ちゃんの話を聞いてわかったんだ……里奈ちゃんも……きっと昭彦のこと、好きなんだって」


「……へ? 里奈が?」


 留奈は少し考え込んでから俺の方を見る。


「……ちょっと違うかも。里奈ちゃんは好きというより、昭彦が欲しいのかも」


「俺を……欲しい?」


 その言葉を聞いてまたしても里奈の言葉を思い出す。俺はその言葉を聞いても何も言うことが出来なかった。


「……うん。確証はないけど、たぶん、そうなんじゃないかな、って思う」


「それは、好きとは違うの?」


「……ちょっと違うかも。でも、里奈ちゃんはそう思っているんじゃないかな、って思う」


 留奈がそう言い終わると、俺達は黙ってしまった。電車が走行する音、そして、窓の外を景色がただ、流れていく。


「……留奈は、どうなんだ?」


 先に口を開いたのは、俺だった。留奈は目を丸くして俺を見る。


「そもそも、留奈、この前、俺に話があるって言ってたけど、話、ってなんだったの?」


 留奈はそれを聞いて困ったように視線を反らす。そして、それから申し訳無さそうに俯いてしまった。


 それと同時に電車が停車する。車内アナウンスで、すでに終点に着いたことがわかる。


 すると、留奈はいきなり立ち上がり、悲しそうな顔で俺を見た。


「……ごめん。やっぱり、私じゃ……無理」


 留奈はそう言って電車を降りてしまった。俺は声をかけることもできず、ただ、その後姿を見送ることしか出来なかった。


「……無理、か」


 その言葉を聞いて、留奈がなぜ、里奈のフリをしていたのか、そして、なぜ自身のアイデンティティに拘っているのか……なんとなく少し理解できたような気がしたのだった。

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