第9話 無邪気さと理由

 その日も俺は、電車に揺られて本を読んでいた。


 本を読んでいるのだが、どうにも頭に入らない。今読んでいる本ではなく、どうにも以前失くしたあの二人の女神の本のことが気になっているのだ。


 結局、主人公はあの後どうしたのか、正しさを司る女神を選択したのだろうか……そんなことがなんとなく気になってしまうのだ。


 そして、もう一つは……留奈のことだ。


 どうして留奈はあんなにも怒っていたのだろう。あそこまで怒っているのには理由があるだろうし、なんだか、俺が悪かったのではないかと段々思えるようになってきてしまったのだ。


 だから、なんとなくもやもやとした気持ちが俺の中にとどまっている。無論、あれから留奈には会えていない。


 そんな事を考えながら本を読んでいる……というか、文字に目を通しているだけの時間を俺は過ごしていた。


 ちょうど、その時だった。電車の扉が開いた見覚えのある姿の少女が乗り込んでくる。


「あ! 昭彦くん!」


 里奈は俺を見つけると手を振っている。俺は本をカバンの中にしまって、小さく頭を下げた。


 里奈は嬉しそうに笑いながら、俺の隣に腰掛けてくる。


「今帰り? また図書館にいたの?」


「まぁ……そんな感じ。そっちは?」


「私? それはもちろん練習だよ。はぁ~、今日も疲れたなぁ~」


「……今日はこの前の友達はいないよね?」


「え? あぁ~、夏樹は今日はいないよ~。ごめんね、この前はさ」


 申し訳なさそうにそういう里奈。留奈と違って、あっさりとした感じで謝ってくるなと感じる。無論、俺は気にしてないのだが。


 それから、大きく腕を前方に伸ばす里奈。なんとなく、汗の匂いというか……清涼スプレーのような匂いがした。不快ではなく、むしろ、爽やかな匂いだった。


「あ! そういえばさ、昭彦くんって勉強、できる?」


「え……あぁ。いや、できるっていうか……まぁ、それなりに……」


「ホント? だったらさ、今度、勉強教えてよ!」


 目を輝かせながらそういう里奈。割と本気で俺に勉強を教わりたいようである。


「あ……いいけど。俺、ホントにそこまで勉強できるわけじゃないよ」


「いいって! 私、たぶんもっと勉強できないからさ、あはは……」


 恥ずかしそうにそういう里奈。なんというか……里奈の印象は小さい頃とまったく、違う感じがする。俺の記憶の中ではもっとおとなしくて、引っ込み思案だった気がするのだ。


 無論、あれから何年経ったんだという話だし、里奈がこんな漢字で快活な女の子になっていることは良いことなのだろうが。


「じゃあ……まぁ、そのうちね」


「うん! ホント、マジで頼むよ」


 懇願するようにそういう里奈。学校ではこんなふうに女の子に頼られたことはないのでそれはそれで俺は嬉しかった。


 そうこうしている間に、いつのまにか次の駅が終点だった。俺と里奈は同時に立ち上がり、そのまま電車を出た。


 駅のホームに立った瞬間、俺はこの前の留奈のことを今一度思い出す。


「……そういえば、その……大村さん」


 留奈に「ちゃん付け」したことを怒られたことを思い出し、俺は思わずおかしな呼び方で里奈を呼んでしまう。


 里奈の方もキョトンとした顔で俺のことを見ている。


「え? 何? 大村さんって……フフッ。変な呼び方」


「えっと……いつもどおり、里奈ちゃんでいいの?」


 俺がそう言うと里奈は不思議そうな顔で俺のことを見る。


「当たり前じゃん。なんでそんなこと聞くの?」


「そっか……いや、実はこの前、その……」


 と、そこまで言いかけてから俺は口籠る。よく考えたら、里奈に留奈のことを話していいのだろうか。


 以前、明らかに留奈の話をしたときに、留奈の表情が曇っていた。だとすると、ここで里奈にこの前の留奈の話をするのはあまり好ましくなんじゃないだろうか……


「この前……どうしたの?」


「あ……えっと、留奈ちゃんと、会ったんだけど……」


 とりあえず、俺は留奈に会ったことを話してみた。それでまずは里奈の反応を見てみる。


 すると、やはり、明らかに悲しそうな顔で里奈は俺のことを見る。


「そっか……留奈ちゃん、何か言ってた?」


「え……あ、あぁ……まぁ、挨拶しただけで、別に……」


「……ホントに?」


 里奈は不安そうにそう尋ねる。明らかにこれは心配している表情だ。もし、この前あったことを里奈に話すのはさすがに酷なような気がした。


「あ、あぁ……ホント」


「……そっか。なら……良かった」


 先程までの元気が嘘のように里奈は元気がなくなっている。今度は俺が心配になってくる。


「あ……里奈ちゃん」


「ん? どうしたの?」


「その……留奈ちゃんと、何かあったの?」


 俺がそう言うと里奈は少し困った顔をする。そして、その後、苦笑いしながら俺のことを見た。


「あはは……ううん。大丈夫。なんでもないよ」


 里奈はそう言ったが、明らかに何かある感じだった。しかし、そう言っている以上、俺もそれ以上は踏み込めなかった。


 と、そうこうしている間に、電車は終点に到着していた。


「あ……じゃあ、今度、勉強教えてね。きっとだよ!」


 そういって、里奈は立ち上がると行ってしまった。俺もその後少し経ってからゆっくりと立ち上がる。


「……とりあえず、何かあるってことはわかったな」


 いつのまにか俺はいつも一人だった帰宅途中の各駅停車が、双子姉妹との出会いの場所になっていることに気づくと同時に、その双子姉妹が何かを抱えていることを理解し始めたのだった。

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