第13話
大きな音を立てて玄関に誰かが駆け込んできた。二人で夕食の用意をしていた友樹とハシモトは不思議に思いキッチンから顔を覗かせると、そこにはアオイが肩で息を切らしながら立っていた。
「アオイさん、お帰りなさい…どうしたんですか、そんなに慌てて。」
「予定より早かったね。」
最初はのんきにそう尋ねる二人だったが、彼女の様子から何か悪い知らせがあることを察する。
「シュンが…警察に…」
そう今にも泣きそうな声でアオイが答えると、リビングの雰囲気は急に重苦しいものに変わった。
長い間使っていなかったテレビを物置から引っ張り出し、電源を入れる。すぐに画面にあのショッピングモールの赤い観覧車が映し出される。
「春休みの家族連れで賑わうモールで…6歳の男の子が観覧車の中で首を絞めて殺害され…一緒に乗っていた住所不定の男を逮捕…男は供述を拒否していますが、付近で発生していた子供を狙った複数の猥褻事件の目撃情報と一致するとの情報もあり…」
レポーターが淡々と情報を読み上げていくのを、3人はただ黙って聞いていた。
「あいつ…何やってんのよ…」
アオイが俯いたまま呟く。混乱してどうすればよいかわからず、友樹はハシモトを見上げる。
「シュンは、時々、本当はこの生活を受け入れられていないんじゃないかと、思うことがあった。それなのに単独行動を許した、僕の責任だよ。」
「違う、あいつは単純に子供なのよ。外面だけ取り繕って、中身はずっと中学生のまま。今日も私が一緒にいてあげればよかった…」
そう言ってアオイは目元を袖でこする。友樹はハシモトに尋ねた。
「シュンさんは、どうなるんですか。」
「…罪を犯した者は、いつかはその代償を払う。それは勿論、僕らも同じだ。社会は、秩序を乱した者に、特に子供を傷つけた場合には、とても厳しい。」
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時々、階段をバタバタと騒がしく昇り降りする足音が聞こえる。ここは閑静な住宅街、夜中にされるとさすがに近所迷惑だろうから叱らなければ。きっと、ノックもなしに突然部屋のドアを開けて駆け込んでくるのだ。こっちは勉強で集中したいのに。来年、自分の部屋を持ったら、同じことをしてやろうか。「にいちゃん!」ほら、来た…。
はっと我に返る。カーテンを閉め切った暗い部屋の真ん中で、翔太はひざを抱えて座っていた。今何時なのだろうか。カーテンの隙間からは白い光がちらちらと見えるから、まだ遅い時間ではないはずだ。遠くの小学校のグラウンドで子供たちが遊ぶ声がかすかに聞こえる。春休みはとっくに明けて、きっとクラスメイト達は以前のように授業を受けて、休み時間に笑いあっているのだろう。
あのおもちゃ屋で、裕太にぶつけた言葉が頭の中に響く。本当は何と言いたかったのだろう。なぜ裕太は帰ってこないのだろう。答えの出ない問いかけを繰り返していると、自分の身体が奈落に落ちていくような感覚に襲われる。
きぃ、金具が動くような音が廊下から聞こえた気がした。翔太はゆっくりと立ち上がり、自分の部屋のドアを開けて廊下に出る。廊下の反対側にある部屋のドアが少し開いていた。翔太は廊下を力なく歩いていく。その部屋のドアを軽く押すと、まるで翔太を招き入れるようにすっと開いた。部屋の中の空気はあの日のままで、時が止まっていた。学習机やランドセルが綺麗に並べられ、春休みが明けるのを今か今かと待っているようだった。
観覧車の下で、シートに寝かされた裕太に何度も呼びかけた。あんなに声を枯らすほど叫んだのは、初めてだった。大人の制止を振り切って裕太に触ったが、その身体はゴムの塊のように重く、冷たく、救急隊員が運んでいくまで、動くことはなかった。
新品のビニールが被ったままの椅子に腰掛ける。すると、本棚に並べられた教科書の脇に、縄跳びが置いてあるのが見えた。手に取って見ると、もう何回か遊んだのだろう、細かい傷がいくつかついている。
「ちゃんと守ろうって、決めたのにな…」
裕太の首の周りについていた、大人の指の形をした紫色の跡。それが、救急隊員が来るまでの間、少しずつ黒くなっていくのだ。
「父さんや母さんは、違うって言うけど、お前は、許してくれないよな…」
翔太は縄跳びを手にとって、その輪っかから覗くようにして、窓の方を見た。
ハシモトが言ったとおり、社会はシュンをあらゆる手段で排除しようとした。ニュースでは連日のように犯人の生い立ちとして、高校で不登校となり、大学で男児への暴行事件を起こして行方不明になったことが報道された。それに対して様々な分野の専門家がコメントをし、社会不適合者が鬱憤を晴らすために殺人に行き着いたという、もっともらしいストーリーが作られた。
「大人しくて目立たなかった」「無口で何を考えているのかわからなかった」「友達がおらずゲームばかりしている子だった」中学の同級生と名乗る者たちのインタビューでは、まるでその頃からすでに猟奇性の片鱗があったかのような印象を視聴者に与えた。
「とてもいい子で…毎朝家の前で掃除をしていると、元気よく挨拶してくれました。春から小学校に通うのを楽しみにしていて…まさかこんなことに…」
被害者の兄が自殺したとの報道がなされると、極刑を望む声がより一層大きく響き渡った。
「将太君はしっかりした、面倒見の良いお兄さんで…仲のよい兄弟でしたから、きっと裕太君がいなくなったことに耐えられなかったんだと思います…」
報道ではスーツを着たアナウンサーが感情を抑えた声で、理性的な言葉を遣いながら社会の声を代表していたが、ネット上ではそのような抑制は効かなかった。
「裁判無しで死刑台に送れ」「死刑なんて生ぬるい、殺さずに、一生被害者の兄弟の苦しみを味あわせろ」「遺族による私刑を制度化すべき」
そこでは、まるで日常の鬱憤を晴らすように、人々は正義に酔いしれていた。
シュンの罪が次々と明らかになっていく。やがて議論の中心は行方不明の間どこに潜伏していたのか、支援者がいたのではないか、というところに移っていき、マヨヒガの存在に気づかれるのも時間の問題となっていた。
「今日、浜田さんに、挨拶してきたわ。もう町には降りないほうが良いって。隣町では山に捜査隊が入ったみたい。」
大きなリュックサックに食料品を詰めながら、アオイが言う。友樹たち3人は話し合い、警察が近づいたらいつでも逃げられるように、荷物をまとめることにしたのだ。
「ここ、居心地よかったのになぁ…」
ハシモトは棚に積まれた沢山の本を見ながら、残念そうに呟く。シュンのことは心配だが、ここで全員が逮捕されてしまってはマヨヒガという居場所が消えてしまう。浜田さんからの合図があったら、建物の下にある地下道を通って山の東側にある古い観測施設まで行き、そこでしばらく身を隠す計画となった。
「友樹君、本当にいいのかい。今ならまだ、僕たちとは別れて、ここでのことは忘れて、元の生活に戻れるかもしれないよ。」
「…いえ、大丈夫です。皆さんに着いていきますよ。」
少し不安もあるが、友樹はそう答えて微笑む。半年以上行方不明になって、今更帰っても両親が受け入れてくれるか、という心配があった。が、それ以上に、社会のシュンへの拒否反応を見て、もう自分の帰る場所ではないと感じ始めていた。
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