第10話

「えっ、モール、ですか?」

友樹は予想していなかった言葉を聞いて、ハシモトに聞き返す。

「うん、浜音港に新しくできたショッピングモール。」

「シュンさん、なんでまた…」

「う~ん、お洒落したいんじゃないかなぁ。たまに出かけてるよ。あいつ、ちょうど大学生ぐらいの歳だし」

3月もあと少しで終わり。マヨヒガの周りも雪がとけ、少しずつ春の匂いが感じられるようになっていた。久しぶりに聞いたウグイスの声で目を覚ました友樹は、朝からシュンの姿が見えないことを不思議に思ってハシモトに尋ねたのだった。

「どーでもいいことにお金使わなきゃいいけど。去年の手伝いで貰った現金、もう残り少ないんだから。」

薄手のコートを羽織りながらアオイが言う。今日は彼女も浜田さんの手伝いをしに行くということで、朝食を早めに済まして出掛ける支度をしていた。

「じゃ、行ってきます。夕方には戻るわ。」

「行ってらっしゃい」

「気をつけてね~」

玄関から出て行くアオイをテーブルに座ったまま見送り、残された友樹とハシモトはまた朝食を食べ始める。こんがり焼けたベーコンを口にほおばりながら、何気なくハシモトが読んでいる本に目を向ける。ハシモトはいわゆる本の虫で、食事中でも家事をしている時でも、少しでも空いた時間を見つけては本を開いていた。彼が読む本はほとんどが何か実際にあった事件について取材したり分析している類の本で、今読んでいる本もおそらくそうなのだろう。「○○事件から10年~死刑囚が我々に遺した傷」というタイトルと陰鬱なイラストが描かれた表紙が目に入る。リビングの端に目線を移すと、そこには同じようなジャンルの本が本棚に大量に並べられて、一部は入りきらずに横に平積みになっているものもあった。

「読んでみるかい?どれでも貸し出し自由だよ。」

友樹の視線に気づいたハシモトがそう話しかける。

「あっ、いえ…大丈夫です。僕には難しそうで…」

苦笑いを返し友樹は食事に戻る。智樹も読書は好きだったのだが、小説が主で、しかもリビングで異様な雰囲気を放つハシモトのコレクションには、何か近寄りがたいものを感じていた。

「友樹君もここに来て半年経つもんなぁ。生活にも慣れて、そろそろ退屈になってきただろ。何か娯楽を見つけた方がいいんじゃないか。」

去年の夏にマヨヒガに来て、もうそれだけの時間をここで過ごしたのだ。だが、感覚的にはたった1、2ヶ月のように感じる。毎日いろいろなことがあり、全く退屈には感じていなかった。最初は正直、家に帰ろうかとか、ここにいていいのかとか、色々な迷いが心を満たしていたが、今ではマヨヒガこそが、本来自分が居るべき場所だと思っていた。

「そういえば、ハシモトさんはどうしてこういう本が好きなんですか。」

「あー話したことなかったっけ、昔新聞記者やっててさ。」

「え、初耳です。なんだか…」

ハシモトを改めて見る。今までは大柄で大雑把な性格もあって肉体労働のイメージしかなかったのだが、確かに体を張って現場に飛び込む新聞記者と言われれば、そのように見えてくる。

「似合わないだろ?でもその時は背広着て、お堅い場所にも顔出したりしてたんだよ。大手の新聞社で社会部だったから、殺人事件とか物騒な話題を追うことが多くてさ。で、こっちに来てからも、読書のジャンルが偏ったまま、ってわけさ。」


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「橋本さん、おはようございまーす」

「おう、おはよう。」

橋本は挨拶を返しながらジャケットと鞄を机の上に置く。久々のオフィスだが、朝から皆取材に出ていてがらんとしている。

「長野お疲れ様でした、どうでした。」

「いやぁ、どうもなにも…何軒周ってもみんな口堅くてさぁ。ああいう村ってまだ日本に残ってたんだな。あ、これお土産。」

書類の山に埋もれそうな部下の机におかきの袋を投げながら、橋本はどかっと椅子に腰掛ける。

「ありがとうございます…あ、これ、わさびがキツいやつっすね。…まぁ今回のはあれですよ、村八分とかしちゃってたんですよ。で、結果がアレ。」

「だよなぁ。わっ、デスクからメールがわんさか…」

ノートパソコンを開いて受信メールの一覧をざっと眺めていく。同時にタバコに火をつけてゆっくりとふかす。

「あれ、そういえば帰ってきたの一昨日じゃなかったでしたっけ。昨日何してたんすか。」

「昨日は夏美の合唱コンクール。」

「へー、橋本さん、意外とちゃんとパパしてるんですね。」

「意外とって何だよ。まぁ小学校最後だからな。奥さんからも絶対出るようにお達しが出てさ。」

「はは、取材もいつ入るかわからないのに、家庭持っちゃうと大変っすね。」

そうたわいもない会話をしながら、メールの返信を何通か送ると、いつの間にか出発の予定時間を過ぎていることに気づいた。タバコを灰皿に押し付け、慌しくパソコンを鞄に入れる橋本を見て部下が尋ねる。

「今日はどこっすか。」

「東葉刑務所。吉羽がやってた例の事件の引継ぎだよ。」

「うわ、アレキツいっすよね…死刑囚への面会でしょ。デスクもなんで橋本さんにやらせるんだか…」

「まぁ誰かがやらないといけないからな…じゃ、今日はもう戻らんから。」

「いってらっしゃーい」

お土産のおかきを口にしながらひらひらと手を振る部下を後に、橋本はクーラーの効いたオフィスを出る。表通りに出ると、空には梅雨らしく陰鬱な雲がたちこめていた。手に抱えたジャケットがじっとりと肌に張り付く感触に嫌気が差すが、時間に遅れるわけにはいかないため地下鉄の駅へと急ぐ。

白金山地連続少女暴行事件。それが今日取材にいく事件の名だ。東京から電車で2時間、白金山地のふもとに広がる複数の町で、数年にわたり小中学生の少女への強姦事件が相次いだ。逮捕されたのは日雇いで付近を転々としていた20代の男。被害届を出さない家族も多いため正確な数はわからないが、被害者は50人以上と推測され、中には自殺したり心身に一生残る傷を負った者もいた。男は検察の求刑通り死刑が確定し、現在東葉刑務所に収監されている。

事件当時、橋本はまだ新米記者で、そのような大きな事件を扱うことはなかったため、先輩たちが連日徹夜で取材をしているのを遠目で眺めていた以外は、特にこれといった記憶がない。今回もそれまで担当していた記者が突然退職してしまったため、急遽橋本にその役割が回ってきたのだ。社会から事件の記憶も薄れ、犯人も逮捕以来一貫して事件の詳細については沈黙している現状で、正直いまさら何を取材すればよいのかもはっきりしないまま、こうして面会へ向かっている。

「はぁ…これ誰かに代わってもらえないかなぁ…」

地下鉄に揺られながら、無意識のうちに本音を呟く。もちろん、刑事事件専門の記者として、今まで残虐非道な事件はいくらでも見てきている。ほかの事件で死刑囚への面会だって経験がある。しかし、子供、特に少女が犠牲になる犯罪については、被害者の歳が近ければ近いほど、どうしても娘のことが頭にちらついてしまい、冷静な取材ができないのだ。


面会室の作りは基本的にはどこの刑務所でも同じで、分厚いアクリル板を隔てて面会することになっている。橋本は地下鉄の中で手帳に書き始めた質問事項を整理しながら相手の到着を待っていた。

アクリル板の向こう側のドアが開いた音がして頭を上げると、守谷死刑囚が刑務官に連れられて席に座った。逮捕時に撮られた写真しか見たことがなかったが、それとはだいぶ印象が異なる。ぼさぼさだった髪は短く切られ、髭もきれいに剃られて、服装が囚人服でなければ町で出会っても何の違和感もないだろう。

「はじめまして、守谷です。どうぞよろしく。」

礼儀正しく深々と頭を下げられて、橋本は拍子抜けしてしまう。本当に自分が面会しにきた人物なのだろうか、それさえも疑ってしまうような朗らかな表情だった。

「では橋本さん、何かありましたらそちらの通話機でお知らせください。」

そう言って刑務官も退出し、橋本は男と二人きりで対峙する。男は服役態度が良いため通常の面会では録画のみで刑務官の同席が省かれているとのことだった。

「…太陽新聞社の橋本です。本日は取材で来ました。」

「あぁ、吉羽さんのとこの。この前までいろんなお話をさせてもらって、良い方だったのに…辞めてしまったのですか?」

吉羽はこの男に退職することを話していたのだろうか。少し不思議に思いながらも橋本は手帳に視線を移す。

「…すいませんが、社員の個人的なことは話せませんので。いくつか質問しても良いですか。」

そう極めて事務的な答えを返す。正直、早く取材を終わらせてしまいたい。30分の面会時間の終わりまで冷静を保てるよう、橋本は深呼吸をしてから質問を始めた。

「去年の2月に死刑判決がおりましたが、今はどのような気持ちで服役していますか。」

「私は、許されないことをしました。未来のある子供たちを沢山傷つけた。今私がするべきことは、罪を受け入れて、自分のしたことから目をそらさずに、その日まで償い続けることだと思っています。」

まるで前もって用意されたような模範的な回答。今まで面会した死刑囚は、ほとんどが罪を認めていなかったり、自分の生まれ育った環境に責任転嫁をするばかりで、まともな会話にならなかった。雰囲気だけでなく、この男は何か違う。そう感じながらも、まだ橋本は男の本心に迫れてはいないことを自覚していた。

「償う、とは具体的に何をしますか。」

「被害者の子供たちや、その家族の皆さんがどのような気持ちで生きているかを考えながら、彼らの心の傷が一日でも早く癒えるように、祈っています。もし、橋本さんがそういう方々に会ってお話をする機会がありましたら、この気持ちを伝えていただきたい。」

ゆっくりと、穏やかな声でそう答える男。もしかしたら、彼は何か抗うことができない事情があり犯行に及び、今は心の底から反省しているではないか、そんな感情が自分の中で芽吹くのを橋本は感じる。だから、次の質問はこれを選んだ。

「もし、もう一度最初から人生をやり直せるとしたら、どのように生きたいですか。」

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