第9話
卒園式が終わり、裕太は10日間の春休みを満喫していた。今まではリビングで過ごすことが多かったのだが、小学校に入るということで子供部屋を与えられ、そこには新品の学習机や制服、そしてもちろん、数週間前にメーカーから届いた青色のランドセルが置かれていた。春休みの前半は北海道へ家族旅行をしたのだが、あと2日で春休みも終わるという今日は両親ともに仕事で、家で退屈そうにしている弟を見た翔太は、裕太を連れてショッピングモールへ向かっていた。
「にいちゃん、みて、うみ!うみ!」
高架上を走る電車が駅に近づくと目の前に海が広がる。今日は快晴で春の陽気に包まれ、海面がきらきらと日の光を反射していた。
「うん、海だな。でも、電車の中だから静かにな。」
そう言って翔太は裕太のかぶるハンチング帽にぽんと手を載せる。旅行中に買ってもらったばかりのその帽子の下の瞳は、海の輝きを映して、同じように輝いていた。
「すごいきれ~…あっ、たんかーいるよ!」
「あー裕太、座席に足乗せるな、ちゃんと座ってろ。」
裕太は窓のほうに向いていた身体を戻し、席にもう一度座りなおす。ひざの上にはネイビーのショルダーバッグ。蓋にはこれも北海道の土産屋で見つけたピンバッジがいくつか付いている。
裕太はよく動くし、好奇心旺盛だから、電車に一緒に乗っていると注意することが多く、正直疲れてしまう。でも兄として弟のことを見守るのは当然の役目だと思っていたし、時にはきつい言い方をしてしまうこともあるけれども、その役割を負担に感じたことは一度も無かった。今も、上機嫌に足をぶらぶらさせる裕太に、向かいの席に座った老夫婦が手を振って微笑みかけていて、翔太にとっても心地のよい時間だった。
ここは製鉄所の跡地に作られた複合商業施設で、駅が直結しているアクセスのよさから去年のオープン以来、週末は人であふれていた。海岸の余裕のある敷地を活かして作られているため、その中にはアウトレット的な屋外に有名ブランド店が立ち並ぶエリアもあり、果てはこの施設のランドマークとなっている観覧車のある遊園地まで併設していた。
本屋、おもちゃ屋、ゲームソフト屋…入り口から適当にモール内を歩き回り、裕太が興味を持った順に数件ショップを回ってきた。本当は翔太も途中で見つけた靴屋で少し部活用のスポーツシューズを見ようと思い立ち寄ったのだが、裕太が退屈そうにしているのと、靴を選んでいる間に裕太がどこかに行ってしまう可能性があったため、あきらめて早々に店を出たのだった。自由奔放な弟に振り回され少し疲労が溜まってきたため、どこか休憩できる場所は無いか辺りを見渡す。
「裕太、あそこのカフェでちょっと休…」
そう翔太は提案しようとするが、全く疲れを感じていないかのように裕太はまた面白そうな店を見つけてしまう。
「あっ、タイムレンジャーいる!あそこいこ、にいちゃん!」
裕太が指差した先には、毎週欠かさず見ているヒーロー番組のグッズを集めたテレビ局の直営ショップが有った。
「いや…ちょっと疲れてきたから…。っていうかさっきもおもちゃ屋寄っただろ。」
「やだーいまいく、さっきのはタイムレンジャーなかった」
「はぁ…わかった。じゃああそこ見たら次カフェな。」
翔太がそう言い終わらない内に、裕太はショップに向けて走り出してしまう。やれやれという表情で翔太も歩き出した。
店内はさすが直営店なだけあって、普通のおもちゃ屋では見ないレアなグッズや、大人でも楽しめそうな値段の高いフィギュアが所狭しと並べられている。店内に流れる番組のテーマに、一緒に歌いだす裕太を見ながら、正直翔太も品物に興味を引かれていた。
「わぁ」
急に裕太が歓声を上げる。見ると、劇中で主人公が使う銃を模したおもちゃの箱を持ち上げて、目をいっそうきらめかせていた。
「にいちゃん、これほしい!」
「え…欲しいって、お前そもそもそんなお金持ってきてないだろ。」
おそらく音が出たり変形したりといろいろな機能が付いているのだろう。タグにはとても今の手持ちの現金では買えない金額が表示されていた。
「じゃあにいちゃんかって」
屈託の無い笑顔で翔太をまっすぐと見つめる裕太。
「いやいや、俺もそんな持ってないし…帰ったら母さんに言っとくから…」
と、そこで翔太はその商品に見覚えがあることに気づく。
「…これ、お前もう持ってるだろ。そうだ、誕生日に買ってもらってた。ここ押すと先端が光るやつだろ、リビングに置いてある。」
「ちがう~あれは、ハカセのかいりょうまえのやつ!これはかいりょうご!」
わかっていないという風に、裕太は少し不機嫌になって声を大きくして答える。
「いや、色が違うだけだろ…。とにかく今は買えないから諦めな。」
翔太は少しずつ自分の機嫌も悪くなっていることに気づく。いつもだったら適当に興味をそらしてなだめられるのだが、歩き疲れもあって、裕太の言うこと一つ一つに反応してしまっていた。
「やだ、ほしい~!ともだちにもってるこいたよっ、にんきで、うりきれるから、ここでかわなきゃだめ!」
だんだんと裕太は意地になって駄々をこね始める。振り回した箱が周りの商品に当たり、近くにあった展示棚を揺らしてしまう。
「おい、暴れるなって…」
「ほしい~!きょうほしい~!」
もう完全に言うことを聞かなくなった裕太に、翔太はつい声を荒げる。
「お前なぁ…我侭過ぎだぞ、この前の誕生日のときも、あれもこれも欲しいって言って2つも買ってもらって、結局片方はすぐに飽きて放置してるじゃないか。だいたいこういうのは、父さんと母さんが働いてそのお金で買ってもらえるんだ。裕太が欲しいから何でも買えるわけじゃないんだよ。」
ちょっと裕太の年では難しいことかもしれないが、わかって欲しいから、きっと成長する上で必要なことだから、言う。でも、裕太はもう殆ど泣き顔で、「買わないと家に帰らない」と叫ぶ。
こんな時、父さんや母さんはどうしてたっけ…。いや、二人とも優しいから、一度は叱るのだけれど、結局は裕太の欲しい物を買ってあげるのだ。そうやって甘やかされているから裕太はこうすれば何でも思い通りになると思ってしまうのだ。今、自分が厳しくしなければ、小学校で裕太はきっと困る。
翔太は少しだけ間をおいてから、わざと険しい表情になる。
「わかった、じゃあ俺だけ帰るよ。こんな我侭で落ち着きの無い奴、小学校行ってもみんなに嫌われるだけだろうな。もう家にも帰ってこなくていいからな、父さんも母さんもお前に迷惑してるんだよ。」
声にならない声を出しながら、肩を震わせて俯く裕太。それを見て翔太は一瞬決意が鈍りかけたが、すぐに目をそらし、店の出口のほうへ早足で歩いていく。後には裕太がぽつんと一人立っていた。
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