摩天楼に現れた獅子。

 俺たちはあの後、すぐに森のそばを離れた。獣人たちを治療しなければならなかったから、昼食を食べる間もなく慌ただしくリベリナに帰ったのだ。



「考えてみれば俺たちが急ぐ必要はなかったよね」



 苦笑いを浮かべて呟いた俺はリベリナを囲む石壁に背を預けた。

 実はまだ門の中には戻っていない。この状況下だから、町中に騒ぎを持ち込むべきではないと獣人自身が決めたのだ。



「……でも、あれからピクニックをするって気分でもありませんでしたから」


「俺もさすがに血の匂いがする場所でご飯は勘弁したいな」


「ええ。ですから、ピクニックはまた今度に致しましょうか」



 その今度がやってくるかは疑問が残る。

 七国会談が終わってしまえば俺たちは遠く離れた祖国に戻ってしまうから、気軽に遊びに行くなんてことは到底かなわなくなるのだ。

 リリィもそれを考えてか、言い終えたときの表情にはかげり、、、が混じっていた。



「さっきは悪いことをしたな」



 そう言ったのは、レギルタス同盟が元帥イグ・カーナイトだ。

 もう俺たちに対する敵意が完全にないのか、口の端がきつく結ばれているようなことはなかった。



「俺だけじゃない。明日の夜は陛下も二人に礼をするはずだ」


「明日の夜、ですか?」


「おう? ……ああそうだな、すまない。決まったのがつい先ほどだったことを思いだした」



 小首を傾げた俺と眉をピクっとゆらしたリリィがつづきを待つ。



「午前中の会談にてリジェル殿が提案してな。明日の夜は皆でリベリナを出て、近くの湖畔へ行くことになった」



 説明してもらったが、俺には何一つ分からない。

 なんで急に湖畔に行くことになって、しかもそこに国家元首なんかも同行するというんだ。

 だが、リリィはわかったらしく、俺の隣で頷いて口を開く。



「なるほど。あちらには有名なレストランがございますものね」


「――――ああ」



 イグの返事は硬い。

 俺に対しての話し方と違い、リリィに対してはまだ硬さが残っていた。

 どうも、遠慮しているようにも見える。



「リジェル殿の計らいで、明日の夜はそのレストランを貸し切ったそうだ」



 せっかくだから有名なレストランで食事でも、ということらしい。

 ただ、さすがに七国会談に参加した国々の全員が行けるというわけではないそうだ。あくまでも、各国の代表級やその傍付に護衛のみが参加するそう。



 なお遠乗りと言っても整備された街道を馬で三十分も進めばつくらしい。

 重鎮ぞろいの遠乗りであっても、警備体制は問題ないそうだ。



(ロータス家の当主がそんなへまするわけないし)



 それが歓迎の一環であることは言わずもがな。来たる最終日に開かれる夜会の前に、有名なレストランで食事をするなんて粋じゃないか。



「俺たちは行きませんよ」



 だがこれに尽きる。俺とリリィは参加しないのだ。

 いや、リリィに限って言えば参加する可能性はまだあるけど、俺はほぼ確実に参加しない。ハミルトン家からは父上が参加するだけだろう。



「なぜだ? ハミルトン家の者ならば――――」


「俺はあくまでもおまけですよ。公務に関わることならミステ――――第三皇女殿下の傍にいますけど、そうでないなら宿で留守番です。リリィ、これって多分、会談の延長みたいなもんだよね?」


「…………」


「リリィ?」


「ッ……え、ええ、そうですわね」



 どうしてかぼーっとしていたリリィがハッとした表情を浮かべ、コホンと咳払いを挟む。



「お兄様から斯様な話は聞いておりませんが、食事をしながら会談の話も交えようということではないかと」


「ああ。その通りなのだ」


「……であれば、私とグレン様は不要でしょう」



 不要な理由は俺もリリィも、互いの保護者からもう仕事をしなくていいと言われているからだ。更に言えば、そもそも俺は会談に参加する立場にない。

 あくまでもあの二人のパートナーとしてきただけで、護衛の任は父上にある。

 だから実のところ、最終日の夜会を除けば割と部外者なのだ。



(アリスは……どうなんだろ)



 一応、あの駄猫にはミスティの傍仕えという仕事がないわけじゃない。

 だったら、明日の夜はともに湖畔のレストランでこじゃれた食事でも楽しむのだろう。……別に文句なんてないさ。俺だって宿で美味しい食事を楽しめばいいだけだし。



「不要という言葉の意味は分からんが、国の事情があるからな。無理強いはせんが、陛下は俺たちが帰る前に絶対に礼をするだろう」


「別にいいですよ」


「駄目だ。同胞を救ってもらったというのに礼をしないなど、陛下も忌み嫌う恩知らずの振る舞いだ」


「…………はい。では楽しみに待ってます」



 有無を言わさぬ強い態度で言ったイグだったが、俺が諦めて頷くと頬をくしゃっと綻ばせた。

 すると彼は、大きく逞しい手を振り上げ、俺の肩をポン――――いやこれドンッ! って感じだ。軽く叩いたつもりなのだろうが、強い衝撃で友誼を示された気がする。



「ああ! ではまた会おう!」



 そして俺たちの下を離れていく。

 肩が痺れてる。力強すぎるだろアイツ。



「リリィ」


「…………」


「なんであの人、俺には普通だったのにリリィには硬かったんだろうね」


「…………」


「あのー、リリィ?」



 まただ。なんで急に黙ってしまうんだろう。

 隣を見れば、リリィは壁に背を預けたままじっと俯いていた。俺が顔を覗き込もうとしてみると、ぷいっ、と顔を反らされてしまう。

 急な拒絶には俺もびっくりだ。



「――――、ですの?」



 彼女はそのままの姿勢で口を開いた。

 足元を見れば、つま先を不満げに揺らしている。



「えっと、なに?」


「…………だから、誰ですの?」


「グレン・ハミルトンですけど……」


「そうじゃありませんわっ! だから! 先ほど言いかけていた名前は誰のことなんです!?」


「ああ、言ったと思うけど第三皇女のことだよ」


「ッ~~! ええ! ようやく理解できましたわ! ミスティア・エル・シエスタ殿下のことですわね……っ!?」



 さすがリリィだ。他国の皇族の名前をちゃんと分かっている。

 しかしそんなに詰め寄らないでくれ。

 あ、ほら、目立っちゃってるから……。



「それで」



 彼女は潤んだ瞳で俺を見上げた。

 頬は若干上気していて艶っぽい。



「どうして皇族の方を名前で呼ぼうとしたんですの?」


「色々あって、名前で呼ぶことを許してもらってるんだ」



 きっとその色々、、が重要だったようで、リリィは深く深く溜息を漏らした。

 そのリリィは俺から数歩離れると、口元に手を当てて何かつぶやきはじめる。



「あのお方がグレン様に惹かれる…………ないとも言い切れませんわね…………」



 彼女は呟き終えると、仕方なそうな顔を浮かべて俺の傍に戻ってきた。



「第三皇女殿下とは仲が良いのですか?」


「……あっちがどう思ってくれてるかは分からないけど、悪いことはないと思う」


「はぁ……そうですか。分かりました」


「急に落ち着いてくれたみたいだけど、どうしたのさ」


「お気になさらず。醜いところをお見せして嫌われたくありませんから、無理やり自分を律してる最中なだけですから」


「嫌われるって、俺に?」


「ええ」


「大丈夫でしょ。ってか、殺されそうになった相手と仲良くできてる時点で、よっぽどのことがない限り嫌いにはならないと思うよ」



 我ながら妙なことを口走ったもんだ。

 前世での経験も思い出すが、暗殺者と暗殺対象が仲良くなった話なんて聞いたことがない。あってもファンタジーの話くらいだ。



「――――グレン様って、ズルいって言われたこととかありませんか?」



 何度かある覚えがしたからすぐに「ある」とだけ返す。



「それも女性からでしょう?」


「…………」



 何で分かったんだ、と不満な表情をしていたら笑われた。さっきの逆で俺がそっぽを向けば、リリィは軽快な足取りで回り込み、俺の頬をツン、ツンと突いた。



「ふふっ。私、こんなに可愛らしい殿方を見るのは生まれてはじめてですわ」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌日、やはりと言うべきか俺は宿に居た。

 目を覚ましたのは昼過ぎで、それはもう惰眠を貪らせていただいた所存である。

 例によって誰かが俺を起こしに来ることはなかった。



「腹減った……」



 腹が空腹を訴える音を奏でて止まない。

 今日はどうしよう。これまでと同じくレストラン? それともルームサービスを頼みだらけ切った昼食としゃれこもうか。



 迷っていたら、部屋に備え付けられたベルが鳴り響いた。

 俺の記憶が確かなら、シエスタから同行していた誰かではないはずだ。

 皆は朝から七国会談に参加している。夜にはリジェル提案の食事の場が設けられるそうだから、皆が帰ってくるのは夜遅くと聞いている。



 それなら、宿の従業員?

 俺は疑問に思いながら気だるい身体に鞭を打ち、寝室を出て外へつづく扉へ向かった。

 ここに来て気が付いたのだが、なんて締まりのない服装だろう。ズボンこそ履いているものの、上なんてボタンを数個しか止めていないシャツ姿である。



「ま……いいや……」



 油断しきったままドアノブに手を掛ける。扉越しに用件を聞けばよかったということに気が付くのは、俺が扉を開け切ってからのことだった。



「御機嫌よう、グレン様。よろしければ一緒に昼しょ…………く…………」



 部屋の番号は教えていた気がする。教えてなかったところで彼女なら調べが付いただろうが、現状、そんなことはどうでもよかろう。そう、よかろうなのだ。

 今は油断しきっていた自分に後悔するとともに、どう謝罪すべきか考えるべきなのだ。



「――――やぁ」



 だから、開き直ってそれらしく挨拶をするべきでもない。

 ああ…………半裸というほどではないが、知人がこんな服装で出てきたらどう思うだろう。俺だったら正気を疑うところだが。



「…………こほん」



 彼女は――――リリィはやってのけた。

 冷静に気が付かなかったことにして。



「良かった。お食事はまだのようですわね」



 そう言ったリリィはツルを編み込んだバッグを持っていた。彼女は傾城の笑みを浮かべ、俺に部屋に入る許可を求めることなく歩きはじめたのである。



(逆に助かった)



 この隙……隙なのか分からないが、俺はこの時間を使ってシャツのボタンを留めはじめる。上の二つ以外すべて手早く止め終えたところで、リリィは見計らったかのように振り向いた。

 既に手にしていたバッグはテーブルに置かれており、彼女が振り向くと同時に良い香りが漂ってきた。



「私の好みのメニューをお持ちしましたから、グレン様も美味しいと言ってくださるはずですわ」



 俺の足はその言葉につられて前に押し出された。

 誘われるままにソファに近づき、最近は定位置と化したところに腰を下ろす。

 リリィは俺の対面に座って、持ってきたバッグを開いて料理を広げはじめた。



 良い香りがしてきた時点で間違いないと思っていたが、こうして料理を目の当たりにすると、空腹だった俺の腹がまた元気よく声を上げてしまう。



「どうぞ、召し上がれ」


「い、いただきます」



 腹の音を聞かれたことに若干の羞恥心を覚えて止まない。

 しかし出会い頭の服装を思えば大したことじゃない。きっとそうだ。



(それにしても――――)



 リリィの訪問をごく当たり前のように受け入れていることに今更気が付いて、しかも、こうして一緒にいることに微塵も違和感を覚えない事実もあって不思議な気分に陥ってしまう。

 嫌な感情は皆無だ。

 ただ単に、こうして静かな時間を過ごせるに至るまでが早すぎる――――というだけのことだ。



「美味しかった。ご馳走様」



 少し経ってから食事を終え、ふぅ、と息をつきはじめたところでリリィと目があった。

 僅かに下がった目じりは穏やかさを感じさせて、色艶のいい唇は吸い寄せられそうなほど婀娜っぽい。その佇まいは周りに第三者がいるときと違い、年長者特有の余裕を漂わせていた。



(同い年だけどさ)



 もしかしたら、彼女の方が誕生日が若干早いのかも。

 だから何かあるのかという話なので、尋ねることはしなかった。



「あのさ、リリィって弟さんとか妹さんが居たりする?」


「私には兄しかおりませんが、急にどうされたのですか?」


「うーん……何となくちょっと年上っぽかったっていうか……少しお姉さんっぽかったって言うか……」


「あら。それですとグレン様が私の弟ですわね」



 リリィが姉……。

 そこはかとなく甘やかしてくれそうな感じと、身内だからこそ厳しくされそうな感じがする。いずれにせよ良い姉になりそうだ。

 姉弟喧嘩になったとき、ナイフを持ち出さないかだけが不安要素だ



「姉としては甘えさせてあげるべきかしら」


「そりゃ、実際に姉だったら甘やかしてくれる方が俺は好きだけど」



 実際には姉じゃない。

 それどころか血縁ですらないのだ。



「では従姉――――とか」



 リリィはこれまでと一変して悪戯を思い付いた様子で言った。



「また非現実的なことを言って」


「そうでしょうか? お互いにガルディア人の血を引いているのですから、ゼロとは限らないと思いますわよ?」


「あのさ……リリィはだって……」


「私の母がガルディアの王族だったから、ですか?」



 さすがに言い辛くて詰まっていたのに、リリィは気にすることなく口走った。



「でも、確かにそうですわね。母が王妹だったのですから、私たちが親戚同士になるとグレン様も王族の血を引くことになりますもの」


「ほら、非現実的だ」


「いいえ。案外そうとも限りません。可能性はゼロではないとさっき言ったではありませんか」



 諦めの悪い彼女へと、俺は肩をすくめていう。



「俺も父上に拾ってもらった――――らしい身だから分からないけど、どんな国でも、王族の血を引く人間が拾われるのって考えにくいけどね」


「もう…………なんですのさっきから! まるで私が従姉だと嫌みたいではありませんか!」


「すっごい誤解だから否定しとくよ」


「それなら、妄想するくらい楽しんでくださってもいいのに……」



 唇を尖らせてしまった彼女の機嫌をどう取るべきか。苦笑いを浮かべた俺はそれらしき言葉を考えていたのだが、不意に部屋の扉がノックされた。

 するとリリィは、これまでしたことのない大きな溜息を吐いて立ち上がる。



「勿論、逃がしませんわよ?」


「…………勘弁して」



 情けない声を出せばリリィは楽しそうに唇を緩めた。

 そんな彼女は扉の前に立つと、「どなたですか?」と言葉を発する。

 外からは、昨日助けた獣人と同じ声が届く。



『な、なぜ貴女の声が……?』


「お気になさらず。それで、貴方たちが何の御用ですの?」


『ッ――――そ、そうだ! 急な訪問で失礼した! 実は元帥閣下から言伝を預かっておりまして』



 曰く、イグが夜になったら足を運びたいのだとか。国王・白獅子は来れないが、代わりに自分が礼をする場を用意したとのことだ。



『我らレギルタス同盟が大使館にて、お二人をもてなしたいとのことです』



 話の途中でソファを立っていた俺はリリの傍に立ち、彼女の耳元で言う。



「無理だ」


「私も同意見です」



 レギルタス同盟に不審な動きがある今、その大使館に行くなんてとんでもない。

 だから俺は、迷うことなく断りの言葉を口にする。



「申し訳ないが、ラドラム様からこの宿にいるよう言われてるんだ」



 ローゼンタール公爵家の言葉に従わなければならないと言い、相手の面子をつぶさぬよう心掛けた。あのラドラムの悪評はレギルタス同盟二も届いていることだろうから、相手も理解してくれるはず。



『な、なるほど……かのローゼンタール公爵のお言葉でしたか……』



 ほらみたことか。



『承知した。ではこの宿の中でなら……ということでよろしいでしょうか』


「ああ。それなら構わないよ」



 それを拒否できる理由は探さないとない。

 体調不良と言ってもいいのだが、それはそれで見舞いとか言われそうで面倒だったし、宿の中でなら仰々しいことはしないだろう。

 礼をすると言うのなら、その席は宿のレストランだ。

 大陸中の、しかも不特定多数の人々に見られていれば特に目立つことはしないはず。



『助かりました! ではそのように元帥閣下にお伝えしますので、私はまた参りますッ!』



 扉の外で獣人の気配が遠ざかっていく。

 俺は「ふぅ」と軽く息を吐き、ソファに戻るため扉に背を向けた。



「話は終わっておりませんからね?」


「――――え」


「ですから、私が従姉だと嫌なのかどうかという話です」


「い、いやいやいや! だから別に嫌だとかじゃなくて……っ!」


「別に……ですか?」


「言葉の綾だから。深い意味はないから」


「かしこまりましたわ。本当に深い意味がないのかも含めて、ゆっくりお聞かせくださいまし。幸い、夜まではたくさん時間がございますわ」



 リリィの顔がまだ笑ったままだったから、本気で怒っていないことは知っていた。

 でも新たに知ることが出来た。オヴェリア・ロータスと言う少女は、意外にも人懐っこくじゃれついてくるのだということを。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 獣人は昼過ぎにもう一度やってきて、夜になったらイグが来ると言い残して立ち去った。

 そして、その時間がやってくる。

 だが時間と言っても、イグは正確な時間を俺たちに告げたわけではない。あくまでも夜になったらとのことだったのだが、彼は日が傾くと同時に俺の部屋の扉をノックした。



「こんばんは」


「ああ。――――しかし、本当に一緒にいたとはな」


「私たちが一緒に居たら問題がありますの?」


「い、いや……そうではないのだが……」


「どうせ私がガルディア人嫌いなのを知って驚いていたのでしょうけど、この方は別ですわ」


「別……というのはわからんが、そうだったのか」



 イグは戸惑いながらも俺たちを先導しはじめる。

 向かう先は最上層のレストランだそうだ。



「ねぇ、昨日は聞きそびれたけど、なんで元帥さんってリリィに対して硬いんだろ」



 彼女の耳元で尋ねた。



「グレン様と壁越しに話した後、偶然出会った私たちはちょっと言い合いをしてしまいましたの。その際、中々の侮辱をしてくださったからではないでしょうか」


「お、おお……道理で……」



 しかしそれでも礼をしなければならない。

 獣人にとって、同胞を救われるのはそれほどの意味を成すようだ。



「すまない。陛下も本当は参りたいと思っていたのだが」


「昨日も言いましたが、そんなに気にしないでください。元帥閣下にもお礼をしていただきましたし、俺たちはもうそれで十分ですよ」



 今一度こう口にしてみるが、獣人としてのプライドがあるからなのか、やはりイグは納得しきれていない様子だ。



「……ん? あれは……」



 イグの足が唐突に止まった。

 ここは最上層へつづく階段の踊り場だ。俺たちに先んじて踊り場に到着した彼は、その上につづく階層をみて目を見開いて驚いていた。



「へ、陛下!? なぜこちらに!?」



 驚きの声は俺とリリィをも驚かせる。



「一気に帰りたくなってきたんだけど」


「私もですわ。いかがですか? 今から私と二人で夕食ということでは」


「うん、俺もそうしたい」



 しかしそうも言ってられない。

 イグが陛下と言う人物は間違いなく白獅子だ。父上曰く、ガルディア戦争時は共に戦ったこともある強者であるとか。

 人となりは気持ちのいい男であり、裏表のない人物だと聞いている。

 だが、ラドラムとリジェルが話していた事柄もあって素直に受け入れられない。



「――――そなたがアルバートの息子であるか。うむ。いい顔をしている」



 謁見した経験なんて自国ですらないというのに、こんな急に他国の国王が出てくるなんてどうしたものか。

 一通りの礼儀作法自体は婆やに仕込まれてるから何とかなるだろうが、予定にない来訪には俺も眉根を吊り上げかけてしまう。

 イグはすでに踊り場で膝を付いてしまっているから、俺もそうするべきなのだろう。



 と――――思って足を進めると同時に。



「だがすまない。予定が変わってしまっ、、、、、、、、、、たのだ、、、


「陛下! 予定が変わったと言うのは……!? 陛下は皆さま方とリベリナを出ていたはずでは……っ!」


「すべてだ。余のすべての予定が変わってしまった。リバーヴェルでは何もしないつもりだったのだが、そうも言ってられなくなってしまってな」


「すべて……? リバーヴェルでは何もしない……?」


「うむ。すべて後で話そう。その前に見よ、イグの傍にいる二人のことを」


「は、はぁ……二人をですか……?」



 イグは何も分かっていなかった。

 恐らく、白獅子が口にした何もかもを。

 俺とリリィだってそうだった。だが俺たちは本能で悟っていた。今日と言う日まで積み重ねた汚れ仕事で培われた、第六感で。



「お二人を見ても――――」



 俺たちの方を向いたイグの背後に疾風が迫る。

 その刹那、俺は飛竜の鱗を複製して彼ごと守ろうと試みたのだが、一歩遅く叶わない。



 筋骨隆々な巨躯を誇るイグ・カーナイトが宙を舞う。彼は彼が敬愛する国王の拳に殴られたのだ。その巨躯は踊り場の壁に衝突して、あっさりと大穴を開けて夜風を引き入れた。



「リリィッ!」



 俺は彼女の名を呼ぶや否や、その身体を強引に抱き寄せる。押し寄せた疾風の正体である白獅子には飛竜の鱗を投げ飛ばして牽制し、何とか距離を稼いだ。

 それからリリィが何も言わずに頷いたのを見て、俺はそのまま大穴に向けて身体を投げ出したのだ。



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