人助けは大事。
不思議なこともあった。
ジルさんから貰った剣の切れ味はすごい。それはもうすごかった。
それなのに、鞘に入れていて鞘がなんてことないのはどうしてだろう? 仮に鞘の方が硬いとすれば分からないでもないが、その線はなさそうだ。
あるいは断つための動きをしなければ――――なんてことも考えにくい。
重さや普段の使い勝手を思うと、どれも疑問が残った。
では、別の線。
魔力を帯びた武器という言葉が肝になるきがした。
(たとえば魔法の一種……みたいな)
切れ味には使用者の力量が関係するという予想だ。
ようは魔法を行使するのと同じだということ。先ほどの切れ味がその証明だ。
「――――っとと」
驚くのはこのくらいにして、足を進めなければ。
ここから先の道はより一層の獣道らしさが漂いだしていた。
いくら小さい森いえど、普段から人の手が入っているわけではないだろうから、このくらいは予想の範疇だった。
だが、進むにつれて気になってきたことがある。
森の奥まった箇所なら当然かもしれないが、木々の合間が狭まっていた。匂いがする方に進むのにつれて、天然の要塞が俺の行く手を阻むように生い茂っていたのだ。
おもむろに足元に目を向ける。
泥交じりの地面の上には、いくつもの靴の跡が残されていた。
いずれも慌ただしく駆け回っているのか、雑踏としている。
それに対して、ハクロウのものと思しき足跡は見受けられない。
俺を襲ったときのように移動しているからだろうか?
(まるで狩りだ)
獲物を天然の要塞に追い詰めるが如く立ち回りだ。
無論、獲物は獣人で狩人はハクロウだ。では獣人は今どうなっているかというと、さっき襲い掛かってきたハクロウから窺うに状況はひっ迫しているはず。
奴らは差し詰め、後衛の見張り役といったとことだろう。
戦力を割く余裕がある、とも言いかえられる。
「嫌らしい魔物だなぁ…………」
俺は嘆息交じりの独り言をつぶやくと、前に動かしていた足を更に急がせた。
◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、昼のリベリナは昨日までと同じく賑わっていた。
大通りには多くの露店たち並び、行商人たちも活気だっている。食べ物を求める観光客へ料理を提供する屋台からは、香ばしい煙が漂いつづけていた。
そんな中、一つ路地に入った片隅に一人の占い師が居た。
彼は自慢の水晶玉を磨きながら町の活気を皮膚で感じ、微笑んだ。
――――そうしていたら、机の向こう側の椅子へ乱暴に乱暴に座った者が居る。
「よォ」
その者は全身を粗末な麻のローブで包んでいて、一見すると貧乏な旅人に見える。
旅人と言えば冒険者であることがほとんどで風来人とも言われるが、目の前に座った男は不思議と気品を漂わせていた。
占い師はその男へと、僅かに眉を潜ませながら言う。
「失礼ですが、どなたでス?」
「寂しいことを言うなよ、
占い師の男は久しく聞いていなかった単語を聞き、驚きのあまり水晶珠から手を放した。幸い、水晶玉は土台に置いてあったから石畳の上に落とすことはなかった。
「ああン? なに黙ってんだよ。殺すぞ」
そして、男の口調からこの男が誰なのか思い出した。
「死んだと聞いておりましたが」
「俺様が死ぬかよ。生きてんだよギリギリ。生意気言ってると殺すぞ」
「試したければ好きになさいませ。でスが、私と貴方が戦えば最後、このリベリナは十数分で瓦礫の山と化しまスよ」
「あン? ……言うじゃねえか。さすがグリフィン峠撤退戦をたった一人で生み出した男だ。そういやてめぇ、あのとき連合国軍の戦士を一瞬で何万人殺したよ? 一万か? 二万か? ああ、確か四万だったな」
「…………昔話をしにいらしたのでス?」
「グリフィン峠と言えば、てめぇらガルディアが誇る大街道へつづく道だったからな。そりゃ待ち構えられて当然だと思ってたぜ。けどよ、待ち構えてたのがてめぇ一人で、ほんの数十分で連合国軍を撤退させたってんだから、当時は驚いたもんだ」
「無視しているところ申し訳ありませんが、私は当時、連合国軍に対し何度も警告しました。引かぬのなら、実力で排除スると」
占い師の言葉に男は高笑いをした。
だが、占い師は依然として楽しそうではない。彼は彼で殺意を抑えることに必死で、唐突に現れた面前の男をどうしたものかと迷っていた。
「世間話をしにきたのならお帰りください。私たちは会わなかった、そういうことにスるべきでス」
「んだよ……ちょっとじゃれただけじゃねえか。聖地の野郎どもがいるのにわざわざ掻い潜って来たってんだから、そう邪見にすんじゃねえよ。殺すぞ」
「では早く。実のところ、貴方と言葉を交わスのは気分が悪いのでス。気を抜くと殺してしまいそうになるほどは」
「…………ハッハァッ! 仕方ねえな! ああ、仕方ねえとも! さっさと話してやるとするか!」
すると、男はフードを下ろして顔を晒した。
その男の顔は、占い師が予想していた通りの顔だった。
「与太話ってやつに気が付いちまった」
「――――ほう」
「おかげで俺は聖地の奴らに愛された。便所のハエが美女に見えるくらい汚ったねぇ奴らにな。――――だから教えろよ。俺が気が付いた与太話ってのが本当なのか、ただの与太話なのかをな」
「知らない、といったらどうしまス?」
占い師がそう口にするや否や、辺りを灰色の半球が覆った。その外側では、行き交う人々がどうしてか凍り付いたかのように動かなくなってしまっている。
「知らない?」
「はい。どうしますか?」
「ナマ言ってると殺すぞ老いぼれが」
「まるで子供でスよ。言葉が悪い」
「うるせえ。黙らねえと殺すぞ。だから正直に話せ。てめぇほどの男がこうして生き永らえてんだ。知らねえわけねえだろ」
「はぁ……黙れと言ったり話せと言ったり。面倒な方でスね」
これまで粗暴に振舞っていた男はここで椅子から立ち上がる。
「俺がてめェを見つけるのにどれほど努力したと思ってんだ。だからよォ――――教えろってんだ」
「話は終わりでス。私から貴方に教えることはありません」
「――――俺があの坊やを見逃してやったって聞いても、てめェはまだ話す気にならねェか?」
占い師の男はピタッと制止した。
これまでも歩き回っていたというわけではないが、僅かに動いていた手元に加え、呼吸するたびに揺れていたローブもまた止まっていたのだ。
「…………貴方は雷帝に敗れただけと思っていましたが」
「違ェよ老いぼれが。……ま、確かに色男の力のせいでほぼ負けてたけどよ。ただ、あの坊やも限界だったんだから殺せたに決まってんだろ。それをしたら俺も死んだがな。だが手を出さなかった、この意味がてめェなら分かんだろ。…………おら、気になってんなら場所を変えるぞ」
「最後に一つ。その口で老いぼれと呼ばれるのはいい気分がしませんね」
「ハッハァッ! だったら、こう呼んでやるよ!」
そう言われ、占い師の男もまた立ち上がる。
彼は机と水晶玉を吸い込むようにローブの中にしまい込むと、おもむろに歩き出した。
男は占い師の背中に向けて。
「ガルディア王国元宰相――――星占術師・ゲオルギウス様よォッ!」
彼の名を口にして、同じように歩き出す。
ゲオルギウスと呼ばれた男が手を伸ばすと同時に、灰色の半球が粉々に砕け散ってしまう。
「ゲオルグで構いません。それで、私から話を聞いてどうしまス?」
「あン? 決まってんだろ。俺様を嘘で動かした連中を一人残らず殺し尽くして、最後にもう一度殺す。ついでにもう一回殺しといて――――念のために、最期にもう一度殺すだけだ」
その声は路地裏に消えていく。
二人の姿は、家々の影へと溶け込んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇
すべてが予想通りだった。
獣人たちはまさに死の間際に立っていて、俺が到着するのがあと数分も遅ければ全滅していたであろうことが想像できる。
――――木の陰に倒れた若い獣人を守る壮年の獣人の前。
三頭のハクロウが迫るその場所に挟まるように。
「間に合ってよかった」
獣人も、そしてハクロウも与り知ることができぬ疾さで強襲し、音もなくハクロウの首を落とす。背後で驚き、そして微かに驚きを露にした獣人を傍目にしながらも、俺は残るハクロウへと剣先を向けた。
ハクロウたちの様子は先ほどの見張り役とは違っていた。
ここに居る個体は獣人たちを相手に優位に戦い、勝敗が付く寸前まで戦えていたからか、同胞が切り伏せられても退く様子がない。
それどころか歯茎を露にするほど牙を剥き、俺への殺意を蓄えている。
「お、お前は……」
獣人は俺の姿を見て、一瞬眉をひそめた。
だが、本当に一瞬のことだ。
意識しなければ気が付ないほどの短い一瞬のあと、仲間を庇っていた獣人が小さな声で言う。
「どなたか存じ上げないが……恩に着る」
素直な謝罪を口にした彼はつづけて言う。
「……仲間は血を流し過ぎている。戦えるのはもう俺だけなのだ」
「見ればわかるよ。大丈夫。すぐに終わらせるから」
「すぐに……? お、お前は――――いや、貴方はいったい……ッ!?」
何を呑気に、と我慢ならず一頭のハクロウが姿を消した。踏み込み、俺を狩るべく動き出したのだ。
毛皮を疾風に靡かせて、その影は俺の真横に現れる。
ハクロウは腕を振り上げるよりも自慢の牙で戦うのが好きらしい。
腕を伸ばせば届きそうなほど近くで、ハクロウが俺の首筋を狙いすまして飛び込んでくる。
(魔物との戦いは新鮮だ)
これまでの戦闘経験の多くは対人ばかりだから。
幼い頃は四ツ腕と。成長してからは帝都で飛竜と、先日は一際大きく強力だったハクロウとも戦うという経験をしたが、どれも人を相手にするのと違って、一つの例外もなく俺の経験値になっている。
――――ただ、このハクロウたちは今までの経験と比べても粗末すぎる。
剣を振り上げながら、素直にそう思った。
身体強化を存分に駆使して振り下ろせば、ハクロウは咢から真っ二つに両断されて、その骸から迸る鮮血で大地を穢していく。
物凄い血の匂いだ。
鼻を刺す濃厚な香りが広がっていく。
『ガァ…………?』
一頭がここで恐れをなしたようだ。その足が僅かに退いてしまう。
けれど、それでは遅すぎる。
「人を傷つけてしまった時点で、共存することはできないんだ」
今度は俺から、ハクロウたちの隙を付くように踏み込んだ。
ハクロウより疾く大地を駆けて、驚き立ち止っていたハクロウの胸元へ入り込む。
じろり、と湿っぽい目線だけを向けてきたハクロウには、これまで狩人として振舞えていたことへのプライドが残っているのか、意外にも恐怖している様子はない。
俺が剣を振り上げれば、ハクロウは身体の反応は追い付かないながらに目を見開く。
刹那の邂逅の中、この辺りの個体は最期まで弱さを見せずに牙をむいた。
「二頭」
そのままの、俺を憎らしそうに睥睨していたハクロウの頭が地面に落ちた。
俺の足は止まらず、残るハクロウへ向けて前に前に押し出される。
「三頭」
辺りのハクロウが動けぬまま……いや、反応しきれぬ刹那のままに動きつづけ、つづく三頭目の首を落とす。それは四頭、五頭とつづけられ、六頭目になってようやく動く。
そのハクロウからしてみれば、味方はほんの一瞬で倒されたようにも見えたのかもしれない。
同胞の首を落とされつづけたことをはっきりと自覚したことで、憤怒に満ちたハクロウがこれまでの個体以上の動きを見せた。
……疾くなった。
……それに、膂力も高まってるのか。
俺の面前で動きはじめたそのハクロウは、近くの木に飛び跳ねると、それを足蹴にして加速した。蹴られた木はそこから折れ曲がり、ゆっくりと倒れはじめる。
ハクロウは跳ねた先に居る俺へと、鋭利な牙を湛えた剛腕を振り上げた。
『グルルァァアアアアアッ!』
空を揺らしかねないほどの咆哮が響き渡った。
これまでの個体と違い腕を使うことを思い付いたのは、首を前に持っていくとその首が落とされると学んだからだろうか。
だとすれば戦い方といい、俺が思うより頭が良いのかもしれない。
それでも、対処できないかどうかは別だ。
「お前で六頭だ」
鋭利な爪は俺の双眸を狙いすましていた。
真っすぐ進めが貫けるというところで、それは宙を切る。俺の頬を掠めることすらできず、胴体から断たれ力なく地面に落ちる。
「な……なんという剣の腕だ……」
「あとは?」
「あ、あとは……とは?」
唖然としていた獣人へと尋ねる。
「ハクロウの残りは何頭?」
ひとまず分かるだけでも討伐しておかないと、後々面倒なことになるのは必定だ。
「ッ――――あ、ああ! それなら――――ッ」
獣人はハッとした様子で残るハクロウの数を口にすると、吹っ切れた様子で仲間たちの様子を診にいった。
俺はそれを確認してから剣を振って鮮血を払う。しゃり……と踏めば湿り気のある地面を歩き、残るハクロウの気配がする方へと足を進めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
森を出るときが一番大変だった。
怪我人を置いていくわけにもいかず、かといって俺や動ける獣人にも限りがある。だが幸いなことに、ハクロウの咆哮を聞いて外から獣人が来たことで、その問題は解消されたのである。
「……大丈夫でしたか?」
森の外で待っていたリリィが俺の傍に駆け寄ってきた。
「うん。割となんてことなかったよ。外の方は?」
「こちらも大丈夫でしたわ。私の制止を聞かずに森に入った方たちはおりましたけど、この様子ですと、それで正解だったみたいですわね」
「今回に限ってはね」
「ええ。グレン様が道中でハクロウを倒してくださってたみたいですもの。そうでなくては、あっさりと餌になっていたことでしょう」
リリィも当たり前のようにわかっていた。
あれらのハクロウが通常の個体と違うということを。
「色々気になることはあったけど――――ん?」
「グレン様? どうしましたの?」
「いや……あっちの方で砂煙が舞ってて……あ、ほら! なんか走ってきてるような……」
砂煙が舞う方角は町の方だ。
俺たちが来たのと同じ方角である。
砂煙を見て、俺は更に目を細めた。
(馬でもない……なんだあれ……)
怪我人の様子を気にしながら、俺とリリィはじっと砂煙を見つめていた。
すると、十数秒も経つとその正体が明らかになってくる。
「…………うわぁ」
俺が気の抜けた声を漏らすと、リリィは隣で首をころんと寝かせて仕方なそうに笑っていた。
「獣人……ですわね」
砂煙を立てていたのは獣人だったのだ。それも、今までにあった獣人たち以上の巨躯を誇る、なんとも雄々しい姿をした獣人である。
やがて表情も見えてくる。
その獣人は鬼気迫る様子でこの森に近づいてきているのだ。
「あれ、元帥ですわよ」
「元帥って……獣人の?」
「いいえ。ただしくはレギルタス同盟の元帥ですわ」
「面倒くさそうだから帰らない?」
「どうしましょう? 私としましては、ここで黙って帰る方が面倒ごとを生みそうな気がいたしますが……」
「うん。実は俺もそんな気がしてた」
でも帰りたかったのだ。
しかしこうしているうちにも、レギルタス同盟の重鎮たる獣人が近づいてくる。
嫌だなぁ……面倒だなぁ……。
頬を歪めると、隣にいるリリィが微笑みかけてくれる。
天球の頂点から注がれる陽光のように、なんとも煌びやかな微笑みだった。
「待っていろッ! もうすぐ俺が――――」
元帥は大きな声でそう言いながら近づいてくる。
しかし、俺とリリィの姿を確認すると鬣を大きく揺らした。
「まさかてめぇらが――――ッ」
何やら面倒な勘違いをしているようだ。
なんというか、色々と考えるべきではなかろうか。リリィはリバーヴェルの大人物で、俺だって……一応、父はそれなりに有名人である。
手を出せば危険だとわかりそうなはずだが。
「あっ……俺の身分自体は大したことないのか」
そもそも、あの男が俺のことを知ってるかどうかという話じゃないか。
「グレン様、そう言う問題ではございませんわ。そもそも、何も聞かずに手を出そうとしてるのが問題なのです」
「なるほど……言われてみれば確かに」
雄々しくも駆け寄ってくる元帥が俺とリリィから数十メイル離れたところで飛び上がった。
馬鹿げた跳躍力だ。
百メイルは飛び上がったのではなかろうか。
それで……その高さから俺たちを見下ろして……。
「逃がさねぇぞ……ガルディア人どもめッ!」
あ、これはもうだめだ。
完全に俺たちの言葉を聞く様子じゃない。
「正直者が馬鹿を見るって言葉があるんだけどさ」
「気持ちはわかりますわ。でも、正しい行いをする方がいいに決まってます」
「ありがと。そう言ってもらえて救われた気がするよ」
元帥が落下しはじめた。
空中で加速して俺たちのもとへ近づいてくる。
「正当防衛って認められるかな」
「ご安心ください。ロータス家の発言権は世界中に影響力がございます」
「……よかった。なら認めて貰えそうだ」
「それで、どう致しますか?」
「俺がするよ。お互いに怪我をしなければいいんだけど……」
剣を抜いて元帥に向ける。
元帥の身体は炎を纏いはじめ、流れ星のようだった。
それが、俺とリリィの真上から舞い降りる。
対する俺は剣を構え、呼吸を整えた。
すると――――。
「あ、あん……?」
これまで俺たちに攻撃しようとしていた元帥が、空中で小首を傾げたのだ。
そうすると、纏っていた炎が消えてしまい……。
「旧式帝国剣術、だと?」
元帥はこれまでの憤怒を抑え、ふわっと着地したのである。
「なんのことですか」
俺はなんとなく気が付かないふりをした。無論、先ほどの意趣返しだ。
「珍しい構えを見た。前にも見たことがある。確かあれは剣鬼が剣を持った時のような……。それにお前、この前も見たな」
「あ、言われてみれば確かに。俺が食事をとりに行く前に見たような気がしますね」
「ああ。その髪と目の色はよく覚えてるぜ。……で、なんでそんなお前がここに居て、しかも旧式帝国剣術の構えを取ったんだ」
素直に説明していいものかと迷った俺はリリィを見た。
リリィは俺に任せるようで、頷いて答える。
そのリリィを見て、元帥はばつの悪そうな顔をしながらも強気に言うのだ。
「答えろよ。勿論、俺の同胞がどうしてるのかもな」
「別にいいですけど――――」
と、俺が答えようとしたところへと。
「元帥! 来てくださったのですか!?」
俺が助けた獣人がやってきて、元帥の前で膝を折ったのだ。
「勿論だッ! 俺たちの大使館に連絡が来たからな! 同胞のためならば、あんな会議に出る必要なんてない!」
「げ、元帥……我らのためにそんな……ッ!」
「それで、大丈夫なのか!? こいつらに何かされたんじゃねえだろうな!?」
「こいつら――――? い、いえ! そ、そのようなことはございませんっ! 我らはお二方に救われて……特に、こちらにいらっしゃる、グレン・ハミルトン殿には命を救われたも同然でして……っ」
「ッ――――い、命を? それにハミルトンだって……?」
そうか。最初からこうすればよかったんだ。
下手に考えなければよかった話じゃないか。
ならば黙ろう。
獣人たちが彼らの元帥に説明をしてくれるだろうから、俺は黙って様子を見守るだけでいい。
ありがたいことに話の流れは一変し、元帥の表情も変わっていった。
彼は獣人の説明を聞き終えると、俺とリリィに顔を向けるや否や膝を付く。
五体投地。
この言葉が思い浮かぶほど、綺麗な土下座をしてみせたのだ。
「すまない。我が同胞を助けてくれた恩人に対し、大変なことをしてしまった」
俺は今一度リリィと顔を見合わせた。
別に構いませんわよ、彼女はそう言っているように見えた。
「いいですよ。まぁ……誤解があったということで」
返事を聞き、元帥はゆっくりと立ち上がった。
「我が名はイグ・カーナイト。栄えあるレギルタス同盟が騎士団の長だ。重ねて詫びさせてくれ。先日の言葉のことも含め、本当にすまないことをした。特にそちらはあの剣鬼殿のご令息だったとは」
彼は真摯な声色で言い、腕を振り上げた。
何をするのかと思っていると、自らの鬣に爪を滑らせたのだ。
次に腰に巻いていた紐飾りを取って、それで鬣を縛った。
「これを」
何だろうと思っていると、リリィが俺の耳元で言う。
「獣人の文化における、最大級のお礼ですわ」
どうやらそういうことらしい。
では断るのもどうかと思うので、素直に受け取るとしよう。
(でも、反応が変わり過ぎやしないだろうか)
先日は俺に侮蔑の視線を送るだけでなく、陰口を叩くように何か言っていたことは知っている。それなのに、種族における最大級の礼をするまでに変わるとは驚きだ。
それがたとえ、俺が彼の同胞を救ったという事実があろうとも。
(仲間意識が強いのかも)
だから見知らぬ俺に対してもあんな視線を送っていた――――と思うと、しっくりくる気がした。
「すまないが、同胞の様子を診に行きたい。後でまた、改めて礼をしよう」
深々と頭を下げること二回、彼はこうして俺とリリィの前から居なくなった。
先ほどの獣人の下に向かっていくその後姿は、これまで俺に抱かせていた感情を払しょくするような、大きくて凛々しい姿であった。
「リリィ」
「はい。なんでしょうか」
「……たとえばなんだけど、粗暴もの男が何を思ったのか、急に捨てられていた子猫を拾ったとするじゃん」
「私、最初から素行が良い人の方が素敵だと思いますわ」
確かにその通りだ。
俺は「間違いない」と呟いて、リリィの言葉に頷いた。
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