夜会のはじまりと。
夕方を過ぎてミスティたちと合流した際、ラドラムがひどく楽しそうにしていた。
他の人たちに理由を聞いたが、その理由は誰も知らない。逆に不思議だったそうだ。
というのも、今日もラドラムが目当てだった人物はすぐに居なくなったそう。だったら不機嫌になっているはずなのに、そうでなかったことが皆に疑問を抱かせた。
…………それにしても中々緩い会談だ。
小首を傾げていた俺が思わず上を見上げると、シャンデリアの煌びやかさに目が眩んだ。
いつしか俺はラドラムのことを忘れ、周囲の様子に気を取られていた。
今度は壁の方に目を向けると、壁一面のガラスの外に夜景が広がっている。
ここは俺たちが止まる宿の最上階にある、もっとも高価な店――――らしく、今は七国会談のために貸し切られているそうだ。
そしてここは、兼ねてより話題に上がっていた夜会の会場でもある。
大理石調の床に並べられた数多の丸テーブルは純白のクロスで彩られ、その上に食指をそそる美食が並ぶ。
その周囲で、紳士淑女が集って歓談しているというわけだ。
ちなみに、アリスとミスティは傍にいる。
俺がはじめて二人を見たときと同じドレス姿で、同じテーブルの傍に立って料理を楽しんでいた。
周囲からの視線がきつい。主に男性からの。
「ねぇ、二人は外で何をしていたの?」
尋ねてきたのはミスティだ。
別行動をしていた日中のことが気になるのだろう。
「俺たちはアイスを食べたり、出店を見て回ってたぐらいかな」
「…………ズルい。私も行きたかったのに」
「うっわぁー……こんなにムスッとしたミスティははじめて見ますよ。レアな光景です」
「茶化さないの。私だってほんとに行きたかったんだからね」
「でも、難しいんですよね?」
「難しいというか……無理だと思う」
ミスティはシエスタの代表として来ているわけだし、遊びたいという理由で会談の席を離れることは難しいだろう。というか、ミスティ本人もさすがに気が引けるはずだ。
「私はいいの。……こうなるのが分かっていたから、ハミルトン領で遊んでおいたんだから」
「ぶぅー! ちょっとだけでもダメなんですか?」
「アリスがそう言ってくれるのは嬉しいけど、私の予定を把握してる貴女なら分かるでしょ?」
「わっ、分かりますけどー……っ!」
それでもどうにかならないかと思ったのだろう。
しかし、七国会談ほどの舞台となればそうもいかない。
ロータス家当主の自由っぷりを知った今では、ちょっとぐらいいじゃないかと思わないわけでもない。……あくまでも個人的にだが。
だけどミスティは責任感が強く、頑張り屋な性格に変わりはない。
自分が遊ぶためだけに時間を空けることはないと思う。
というか本気で遊びたいと言っているようにも見えない。遊べるなら遊びたいとしても、きちんと割り切れているように見えた。
日頃の彼女を思うに、ここに居るのが俺たちだけだから言ってみたところだろう。
言い換えればじゃれてるも同然だ。
――――だが、そこへ。
俺たちが歓談を楽しんでいる場所へ、更に楽しそうに笑いながら足を運んだ狸貴族が口を開く。
「グレン君さ、この後暇かな?」
正装に身を包んだ美丈夫――――ラドラムが言う。
彼の凛々しさは夜会の会場でも目立っていた。
「夜会の後ってことでしたら、間違いなく暇ですが」
「違う違う! 夜会の最中にってことさ!」
満面の笑みで言ったラドラムは白い歯を見せて、シャンデリアの光を反射させる。
離れた場所から、黄色い声が聞こえてきたような気がした。
「申し訳ないのですが、真意を測りかねています」
答えた俺はすぐ隣のテーブルに置いていたグラスに手を伸ばす。注がれているのは所詮、果実水だけど。
アリスとミスティの二人は空気を読んで口を挟まず、二人で会話をしてた。
すると、ラドラムは俺に答えずその二人に声を掛ける。
これまで俺と話していたのに、急にだ。
「ところで第三皇女殿下、実は一つ嘆願がございまして」
「イヤ」
「実はですね――――って、あ、あれぇ……? 今なんておっしゃいました?」
「だから、イヤって言ったの。アリスの前で悪いけど、貴方の頼み事なんて耳に入れるのも勘弁願いたいわ」
「なぜですか!? 私ほどシエスタに尽くしてる貴族はおりませんよ!?」
「はぁ……その表現は気に入らないけど、一蹴することもできないわね」
「であれば是非! お耳に入れるだけでも!」
「――――もう。どうしようかしら」
俺は悟った。迷った時点でミスティの負けであると。
本質的にミスティは優しい女の子だ。
そして独善的ではないため、ラドラムの言葉を一蹴できない。
これらを知ったうえで仕掛けてるのだから、本当にラドラムは嫌らしい男だ。
「お耳に入れてくださるだけでも構いませんよ。その際にはお礼として、最終日までに丸一日、会談に出席なさらずとも大丈夫な日をお作り致しましょう!」
ほら見ろ。この男の声に耳を傾けちゃ駄目なんだ。
しかし俺は何も言わない。
横目で見たミスティの心が、既に揺らいでいるのを知ってしまったから。
「な、何よ?」
ラドラムがニヤリとほくそ笑んだ。
俺は額に手を当て、アリスは苦笑してしまう。
「難しいことではありませんよ。明日の会議の場にて、第三皇女殿下にレギルタス同盟の白獅子陛下へ、一つ話しかけてほしいだけでして!」
「何を考えているの?」
「色々なことを。それで、いかがです? ちなみに話しかけてほしい内容ですが、白獅子陛下の遊覧についてです。白獅子陛下は以前と違い、最近は諸国への遊覧をなさっていないそうです。ですのでシエスタへ足を運ぶのはどうか、とお尋ねいただきたいのです」
「は、はぁ……!? どういうことなの……!?」
「大したことではありませんよ。私が白獅子陛下を拝見したのははじめてだったのですが、その貫禄に畏敬の念を抱いてしまったのです。であれば我らが誇る帝都に足を運んでいただきたく!」
「……貴方が畏敬の念を抱いた、ですって?」
「不思議でしょうか?」
「ええ。貴方の口から出たら特にね」
「とはいえ、初対面の方に何を思うと言うのです? 僕と白獅子陛下って、正真正銘の初対面ですし………。そもそも、腹芸を仕掛けるような間柄でもありませんよ?」
ミスティが押し黙ってしまう。
俺もラドラムが何か企てていることと、密かに動こうとしているだろうことは察しが付くが、これだけの情報では何も分からない。
――――白獅子と言うと、レギルタス同盟の君主だったか。
他の国々と違い、君主自ら足を会談の場に運んだことには驚いたが、白獅子という男は豪胆な性格だと父上から聞いている。
豪胆だから会談の場に自ら足を運ぶのか? と思わないわけでもないけど、行動的な君主であると思っておく。
「ミスティ。それぐらいならいいと思うよ」
「……グレン」
「議題が落ち着いたときにでも、世間話みたいな気分で言ってみるといいんじゃないかな」
「でも、彼が妙なことを考えてたら」
「あの――――え? 僕の目の前でそんな相談しちゃうの?」
「ラドラム様。日頃の行いを思い返してください」
「お腹痛くなってきたから、離席してもいい?」
演技で腹に手を当てたラドラムを無視して、ミスティと顔を見合わせる。
常人離れして整った顔立ちには、幾分かの懐疑心が窺える。
加えて俺に判断を委ねるような上目遣いには、一瞬ドキッとさせられた。
「だいたい断ったところでラドラム様は勝手に動くし。だったら、俺たちの目が届く範囲で情報を知れた方がいい」
「言われてみたら確かにそうね……」
まぁ、最大限の譲歩だ。
「あ! ……そういえばお父様も、白獅子陛下をご招待するか考えてるって言っていたわ。去年のことだったと思う」
「じゃあちょうどいいじゃん。皇帝陛下もお考えだったならちょうどいいよ」
「そうね。お父様が言っていたとは口に出来ないけど、だいぶ楽になったわ。ふふっ。ありがと、グレン」
俺がお礼を言われる理由はないが、嬉しそうに微笑んで礼を言われるのは悪くない。思わず見惚れてしまった。
隣でラドラムもふてくされてるから、より一層気分がいい。
「勝手に解決されたようですし、グレン君を少し借りて言ってもいいですかね?」
「ええ。でもちょっとだけよ?」
「承知致しました。代わりにアルバート殿に来ていただきますので、護衛兼露払いはご安心を」
それなら俺も安心してこの場を離れられる。
先に歩き出したラドラムを追う前に、アリスとミスティに行ってくると告げて歩き出す。
すぐに父上とすれ違って、お願いしますと言っておいた。
「グレン君」
「ええ」
「――――もうすぐ、ロータス家の二人がこの会場にやってくるそうだよ」
道理でこういう話運びだったわけだ。
「俺に時間があるかって聞いたのは、それが理由なんですね」
「そうさ。いやー、僕も待つのに飽きちゃってさ。せっかくだし、こっちから行ってやろうと思ったわけだよ」
「夕方頃に楽しそうにしてたのは、あの時からそうするつもりだったからなんですね」
「分かったかい? 実はそうなんだ」
ラドラムが足を止めたのは、バルコニーの席につづくガラス扉の前だ。それに背を預けた彼は、通りすがりのサービス係からグラスを受け取り、一気に呷って夜景に目を向ける。
「パーティや夜会の際、あの兄妹はいつも一緒に会場入りする」
それを聞かされて、理解した。
「では……」
きっと、彼女も。
「俺が約束を交わした女性――――オヴェリア・ロータスも一緒なんですね」
頷いたラドラム。
彼は俺を試すように笑った。
「怒らないでほしいんだけどさ、今まで黙っていた話があってね」
「……なんです?」
間違いなく故意に。何故ならそうした方が楽しいから。
土壇場になってから、この男はいつもの調子で告げてくるのだ。
面倒なことを、看過できない問題を。
「かのご令嬢は決して差別はしない。でも、ふとした瞬間に自らの身体に流れる血を呪うかの如く、ある人種に冷たい目を向けたことがあるらしい」
俺は深々とため息をついた。
この男、本当に食えない男だ。
「流れる血、というのは?」
「ガルディアさ。オヴェリア・ロータスの母はもう亡くなっているが、ガルディアの大物だったんだ。娘のオヴェリア・ロータスは、ガルディア戦争のせいで自分の血を呪ってる……って話だね」
「お母君って、ガルディアの貴族だったとかなんですか?」
「いいや。彼女の母はガルディア国王の妹だったんだ」
俺が想像する遥か上をいく高貴な血だ。
しかしここでその情報を提示された意味はなんだ? 考えてすぐに、オヴェリア・ロータスがある人種に冷たい目を向けるという言葉を反芻した。
もしかしたら、彼女は――――。
「ラドラム様。答え合わせをしたいので、つづきをお願いします」
するとラドラムは意気揚々と告げてくる。
「…………実はね、オヴェリア・ロータスには、ガルディア人嫌いという噂があるんだよ。自分の血と同じように忌み嫌ってる、ってね」
結果はというと、正解だ。
俺の予想は完ぺきに的中したのだ。
意味深に俺に告げた理由もはっきりと分かった。
俺がガルディア人の血を引いているかどうかはおいておくとして、というか分からないから触れないでおくとして。
この黒い髪はガルディア人の特徴の一つなのだ。
獣人たちが俺を侮蔑していたように、オヴェリア・ロータスがどう動くかは分からないということ。
ついでに言うと、その状況をラドラムが敢えて作り出そうとしているということだ。
この男には目的があるというのに、わざわざ場を掻き回そうとしているのだ。
しかし俺にオヴェリア・ロータスと接触しろと言っていたくせに、面倒な話を後から教えてくれたものだ。
本当に接触してほしいのかも疑ってしまう。
「念のために質問しますが、俺を連れてきたってことは、挨拶の場に同席しろって意味ですよね。だから暇かどうか聞いたんでしょう?」
「勿論さ!」
「遠慮しときます。明らかに俺が居ない方がいいじゃないですか。だいたい、俺の髪の色を見たオヴェリア・ロータスが機嫌を損ねるかもしれませんよ。それはラドラム様の本意じゃないはずです」
「うーん…………やっぱり駄目かい?」
「駄目です。というわけで帰りますんで。それでは」
いいも悪いも、面倒な気配しかしないじゃないか。
ということで俺は帰る。さすがに付き合えない。
「あっ! ちょっとグレン君! 待ってくれよグレン君っ!」
背中に声が届くけど関係ない。
無視して歩き出した俺は、まっすぐ元のテーブルを目指して足を進めた。
◇ ◇ ◇ ◇
「つれないなぁ……」
一方で、ラドラムは意外にも気落ちしていない。
グレンの背を見つめる瞳は優しくて、包容力を漂わせる。しかし表情の端々にひそませた愉悦は隠し切れていない。
「でも逃がさないよ。グレン君」
こうなることは予想済みだ。
やりようがないわけじゃない。いくらでもある。
「っと、来たようだね」
会場の扉が開かれて、紳士淑女の興味を一瞬で集めた一組の男女。ロータス家の二人だ。
何人かの護衛や給仕を連れて歩くその二人の容貌は、容姿が優れた貴族も集まるこの場所でも、際立ちすぎている。
皆が声を掛けることを戸惑うほどの大物。
それが大陸中に影響力を持つ中立国家リバーヴェルが大貴族、ロータス家の者たちだ。
しかし、ラドラムは違った。
「爺や」
「こちらに」
彼は近くに控えていた爺やに声を掛けると、ジャケットの襟を正しながら歩き出す。
「バルコニーの席はどうなっていたかな」
「前情報通りです。夜会のような催し事が開かれた際には足を運ぶ者が少ないようで、時には無人なほど静かでございました」
「最高だよ。おかげで何とかなりそうだね」
その言葉を聞いた爺やが下がった。
ラドラムはなおも前に進み、やがて――――。
「……………ん?」
現・ロータス家当主である
「こんばんは。僕はラドラム・ローゼンタールと申します」
そして、その妹であるオヴェリア・ロータスが面前に立つと、億すことなく名乗ったのである。
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