初日の夜に、色々な話を。

 皆が宿に帰って来たのは夕方を過ぎて、夜になる直前の頃だった。



「――――それで」



 俺は目の前のソファに座り、つまらなそうに頬杖をついて目を閉じたラドラムを見て頬を引き攣らせた。

 ついでに、面倒だけどその理由を尋ねようとしていたところだ。



「どうしたんです? その顔?」


「……僕の目的の人、あっさり退場しちゃったんだよね」



 それを聞いた俺が小首を傾げると、俺の隣に腰を下ろしたミスティが「あのね」と

 前置きをして喋りだす。



「ロータス家の当主がすぐに居なくなってしまったの。会場に来たのも遅れてだったのに、十分もしたら何処かへ行ってしまったのよ」


「あー……ラドラム様の目的の人って、その人のことか」



 聞いたらラドラムの不服っぷりも理解できる。

 その人物は、七国会談に参加することを渋ったラドラムが、足を運ぶ価値があると考えていたほどの貴族だ。

 ちょっかいを出せなかったことが気に入らないのだろう。



「そんなすぐに居なくなったんだ」


「ええ。本当に自然に居なくなっちゃったから、私たちもすぐには気が付かなかったぐらいよ」


「自然にって。俺の部屋に来て、何も言わずに座った二人みたいに?」



 ラドラムが俺の面前に、そしてミスティが俺の隣に。

 二人はノックはしたものの、この部屋に来てすぐソファに座るよう俺に言い、二人も直ぐに腰を下ろしたのだ。

 それはもう、ごく当たり前のように。



「べ、別にいいじゃない! 私が隣に座ったらイヤなの!?」


「いや俺は二人って言ったんだけど……。ミスティだけがどうって話じゃなくて、二人が俺の部屋に来てからの話だよ」


「ッ~~!」


「だからイヤとかって話じゃないよ。だから、俺の肩を叩かないように。照れ臭かったのは分かるけど、若干冷気も漂ってる気がするから」



 実際、やめてくれなくても構わなかったりもする。

 夏にはぴったりの、心地良い冷気だった。

 きっとミスティが気を利かせてくれたのだと思う。彼女が俺の部屋に来た際、まだ暑いねって俺が言ったからだろう。多分。



「…………寒すぎない?」


「ありがと。ちょうど良いよ」



 ほら、やっぱり。

 幸いにも、最後は照れくささが収まったらしく、ミスティは足を組み替えて胸の下で腕を組んでいた。



「ラドラム様」


「んー……なんだい?」


「ものすごく不本意な展開だったことは分かりましたけど、ミスティを一緒に俺の部屋に来た理由はどうしてです? というか、父上とアリスはどちらに?」


「アルバート殿なら自分のお部屋に。猫かぶりな妹は先に湯を浴びたいって自分の部屋だよ」


「猫って水が嫌いだった気がしますけど」


「僕もそう思う。だから被ってたのは猫じゃないのかも。その正体が分かったら僕に教えてくれるかい?」


「分かりました」


「二人とも、話が全然進んでないわ」



 だってこんなラドラムを相手に進められる気がしないし。

 どうせ気だるく返されるだけなんだから、適度にテンションを合わせて満足させた方がいい。間違いなく。



「ガルディア戦争の英雄もわんさか登場した贅沢な場だったけどね。出鼻をくじかれると、どうしても気分が下がる一方さ。しかもみんな当たり障りのない挨拶ばっかりだし、剣呑な雰囲気にもならず、穏やかなもんだったよ。やれやれ……利口ぶってるけど、どうせ腹の中は一物どころか、二物、三物と汚いものを隠し持ってるくせにさ……」



 恐らく、周りの者たちもラドラムを見て同じことを考えたことだろう。



「はぁ……そうですか……」


「これは食事と似ているね。せっかく目当てのステーキを食べるべく高級店に足を運んだってのに、食材が切れてしまったって謝られたときと似た気分だ」



 すっげぇどうでもいい。

 だったら別の肉を食えよ。――――とか思っていたら、俺は昼間のことを思い出した。

 ミスティが同席してるけど、まぁ……大丈夫だろう。



「確かロータス家と言えば――――」「言えばなんだい!?」「――――食いつきがよすぎませんか」


「まぁまぁ! それで、なにかあったのかい!?」



 俺は質問の意図を口にした。

 昼間、気になる出会いがあったことを。その相手がオヴェリア・ロータスではないかと疑っていることを。



 それを聞いたミスティが唇を尖らせる。

 しかし驚いた様子はない。

 俺の正体がどうのという話は今更だし、以前、俺の正体がミスティにバレた際、ラドラムが色々話しておくと言っていたこともあるからだろう。



「どうして内緒にしていたの」


「ごめん。ラドラム様と話したのも今朝だからさ」


「…………そう」



 するとミスティは黙ってしまった。

 彼女はソファの上で膝を抱き、顔を俺の反対側に向けてしまう。

 一方でラドラムはそれを見て笑っていた。いつもの邪悪なそれではなく、年長者としての、穏やかなそれだった。



 ラドラムの笑みにつづきを促された気がした俺は、軽く咳払いをして気を改める。



「先にオヴェリア・ロータスについて聞いておきたいんですが」


「ほう! なにかな!」


「彼女の口調とかって、ご存じですか?」


「――――あんまり詳しくないなー。何度か国外のパーティで見たことはあるけど、言葉を交わすことはなかったからね。あくまでも、彼女が壇上で言葉を述べたときぐらいしか分からないんだ」


「へぇ……ラドラム様にしては珍しいですね」


「彼女、結構大事にされてるんだよ。男性が近づくのは割と難しくてね。――――本国では色々と蔑まれることがあるっていうのに、妙に過保護だった記憶があるよ」


「蔑まれる――――」



 言葉の真意を量り損ね、反芻するように呟いた。

 ラドラムは訳知り顔で俺を見ている。どうやら蔑まれている理由を知っているようだ。



 また、俺の隣でミスティも反応を見せた。

 彼女は僅かに身体を震わせてから、恐る恐る俺に手を伸ばし、指先で俺のシャツの裾をつまんだ。



 ミスティにどうしたのかと尋ねることは止した。

 急に不安そうに振舞われたことに驚いたけど、俺は彼女の指先に自分の手を重ねるに留めた。

 すると、間を置かず手を握られたのである。



「ふぅ……」



 一方でラドラムは仕方なそうに溜息を漏らして間を置いた。

 この男にしては珍しく、他人の機微に対し優しさを見せているように見える。



「それで、どうしてオヴェリア嬢の口調を僕に聞いたのかな」


「俺がちゃんと知る情報が声と口調だけだからです。声を聞いたところで主観が含まれるので、口調だけでもと思ってお尋ねしました」


「なるほど。理に適っている」



 頷いたラドラムがうーん、と言って悩みはじめた。

 珍しく目も伏せている。

 先ほど言ったようにあまり覚えがないようで苦慮していたが、彼は「そういえば……」と、思い出した様子で目を開けた。



「アリスよりお嬢様らしい口調だったかな!」


「どういう時のアリスだと思えばいいでしょうか」


「それはもう、グレン君とか第三皇女殿下を除いた、いわば外面を求められる相手と話すときのアリスさ」


「ああ、なるほど」



 つまりコテコテ、、、、のお嬢様という感じだろう。

 アリスでさえ、初対面のときはお嬢様然としすぎていた印象だったのだ。それが更にと聞けば、昼間の相手はほぼ間違いなくオヴェリア・ロータスだ。



「…………どうせ、綺麗な声だったって思ったんでしょ」


「そうだったけど――――それがどうかした?」


「…………別に」



 冷たい声と共にそっぽを向かれてしまった。



「綺麗な声の女性と知り合えて、しかも趣味が合うなんて素敵じゃない。それに、似顔絵で顔立ちも知ってるものね」


「そっちを向いて小さく言われると聞き辛いよ。俺の方を向いてくれた方がミスティの声を聞きやすいから、とりあえず、こっちを向いてほしいかなって」


「私の声より、オヴェリア・ロータスの声の方がいいんじゃない?」


「なんで唐突に比較したのか分からないけど、俺はミスティの声、好きだよ」



 すると、ミスティは慌てて俺の方を向いた。目を点にしてまばたきを繰り返している。



「っ…………好きって言ったの?」



 素直にうんと返したら微妙に御幣を生みそうだった。



「ね、ねぇ! 私の声が好きって言ったの……!?」



 二度目の問いかけが声に限定されていたことに助けられた。

 助けられなかったらどうしたんだろう、という疑問は飲み込んだ。



「うん、そう言った」



 返事を聞いたミスティは、先ほどまでの不機嫌そうな様子が瞬く間に鳴りを潜めた。

 それから妙に忙しない様子でソファの上で動きはじめ、無作法にも両足をソファの上で抱いた。



「――――こほん。つづけていいわよ」



 そして、打って変わって冷静に言うのだ。

 頬が若干緩んでいるが、声だけは凛としている。

 どうやら機嫌を直してくれたらしい。



「第三皇女殿下。私から一つよろしいですか?」


「ええ。何かしら」


「もしかして、グレン君に声が好きと言われて機嫌が直ったんですか? さっきまでと態度が全然違いますよ?」



 …………色々と恐れ入る。

 すごいよ、お前。

 ただ、俺にも飛び火するから出来ればやめてほしい。

 他人事と一蹴できないもどかしさが募る。



「な、ななな……っ!?」


「図星のご様子で」


「っ――――ダメだっていうの!? 別にいいじゃない!」


「当然、一つも駄目なんてことはございませんよ! あくまでも興味本位ですので、お気になさらず!」


「どうせ分かってたんでしょ! だったらわざわざ聞かなくていいじゃない! 少しぐらい女心を分かったらどうなの!」



 ミスティ、違うんだ。この男は女心を理解したうえでちょっかいを出してるだけだ。そうやって反応してくれるから楽しんでるだけなんだ。



「グレンもなんで黙ってるのよっ! 自分だけ逃げようと思ってるんじゃないでしょうね!?」


「バレた……」


「逃がさないんだからね! わ、私だってグレンの声が好きだから、同じなんだもんっ!」



 本当に嬉しいんだ。ストレートにそう言われた俺の心が躍ったのが分かる。だけど、駄目なんだよ。

 普段の冷静なミスティなら分かったはずだよ。それは自爆に他ならないということを。



 ほら、見てみるといい。目の前の狸貴族の顔を。

 喜劇を嗜む金持ちみたいな顔をしてるだろ?



「いや~……グレン君が紅潮するのってはじめてみるねぇ!」


「このぐらいにしてもらえませんか?」


「どぉーしよっかなぁー……二人のこんな姿はあんまり見れないだろうし……悩みどころだよねー」


「早く止めていただけないと、オヴェリア嬢の話を忘れてしまいそうです」


「――――そういえば話が途中だったね。グレン君、話のつづきをはじめようか」



 俺はこの言葉をきっかけにソファのクッションを手に取る。

 それをミスティの顔を見ないで手渡すと、彼女は胸元で抱いて顔を埋めた。

 そうだ。少しの間そうしていてくれ。

 俺とミスティの為にも。是非。

 とかなんとか思っていたら、俺の部屋の扉がノックされた。



『私です。入ってもよろしいですか?』



 ラドラムが居ることを知ってか、令嬢然とした態度でアリスが言った。

 俺がいいよと答えると、アリスは部屋に入ってきてすぐにミスティを見る。

 そして俺の顔を見て、俺にしか顔が見えない角度から、怪訝そうな面持ちを浮かべて小首を傾げた。



「ごめん。もう少し話をしなきゃいけないから、アリスの部屋で待っててもらってもいいかな」



 ラドラムが居るからこう提案したのだが、アリスは首を横に振り奥の部屋を指さした。

 ……あっちは寝室なのだが。



「私、アリスとあっちで待ってるから」



 ここでミスティが声を挟んでアリスを呼び寄せる。



「……りょーかい」



 やがて、アリスに手を差し出されたミスティがクッションを抱いたまま立ち上がり、俺の寝室の方へ向かっていった。

 寝室にも椅子とかはあるし、歓談はできるだろうけど……まぁ、二人が気にしないのなら俺も気にしないさ。



 ハミルトンの屋敷でもお付きの人から気にされてなかったし、こうなってくると

 俺も強くは言わないさ。

 だが、今回は俺の寝室だから逆だ。

 となると駄目なのではなかろうか……。



「ラドラム様」


「もう今更だし、別に誰か見てるわけじゃないからいいんじゃない?」



 かっる。



「看破されっぱなしで少し悔しいです」


「なにせ僕とグレン君の仲だからね」


「…………ですね。残念ながら」


「最後の言葉は聞き捨てならないが、おいておこう。あと今のうちに聞いておきたいんだけど、アリスの声はどう? 好き? 嫌い?」


「なんですか急に」


「アリスの兄として聞いておかないとって思ってね。心配は要らないよ。ここだけの話にしておくから」



 で、どうなの?

 性格の悪い笑みが俺を追い詰める。



「そりゃ、好きですよ」



 だから照れることなく素直に言った。

 しかし、特定の女性の声を、しかも別の女性で立て続けに好きというなんて、自分の気が多いみたいで少し違和感がある。

 これは僅かに残された前世の価値観ゆえだろうか。



「ふむふむ。思っていたより順調でなによりだね」


「順調?」


「こっちの話だよ。それで、オヴェリア嬢についての話だけど」



 こうなるとミスティがアリスと奥の部屋に行ったのは都合が良い。うぬぼれでなければ、俺はミスティに少なからず近しい者として気に入ってもらえているはず。都合が良いのはそのためだ。



「昼間の女性は十中八九、オヴェリア・ロータスです」


「うん。僕もそう思うよ」


「そして、この前の夜に出会った法衣の女性も、オヴェリア・ロータスであると俺は考えています。理由は彼女と話して、声を聞いてそう感じたからです」


「…………なるほど」



 こうした前提の元、俺は彼女との賭けを思い出す。



「そのオヴェリア・ロータスと一つの約束を交わしました。それは、再会できたら一緒に踊るというものです。舞台は夜会の場にて、明日の夜に」



 ラドラムは今日一番の笑顔を浮かべた。とても愉快そうに笑い、指先を口元に運び、端正な顔立ちを悩まし気に緩ませる。



「本当に踊りでもしたら、その時からグレン君は時の人だよ」


「どうしてです?」


「相手がオヴェリア・ロータスだからさ。彼女はどんな相手が来ても一緒に踊ったことはない。いつも誘われているけど、必ず断られるんだ」


「では、やめておいた方が良さそうに思えますね」


「悪いがそれは僕にとって都合が悪――――じゃなくて、面白くな――――でもなくて、情報を得るために、グレン君には少し我慢してほしいって思ってるんだ!」


「本音が漏れすぎじゃないですか」


「失敬失敬。楽しくてたまらないんだよ、今の僕はね」



 この男はグレン君も気になっているんだろう? とつづけた。



「リバーヴェルを経由してケイオス入りした連中について。それと、聖石についてもね。時堕が何故嵌められたのか、情報は大いに越したことはないだろ?」


「……分かりました。多少目立つことは我慢します。情報のためにも接触は欠かせませんから」


「割り切ってくれて助かるよ。それじゃ、お礼に時堕に異変をもたらした聖石がどんなものか、僕が知る限りの話を教えよう」



 俺は身構えた。



「あれはガルディア戦争の終戦を祝って聖地が配った宝石だ。七国会談に参加する国々はシエスタ以外、すべての国が一つずつ保有している」


「ッ…………へぇ」


「ところで、ケイオスに贈られた聖石はケイオス城内にあった。しかしそれは、アンガルダの騒動の前に盗まれていたそうだよ、、、、、、、、、、。これが本当の話かは知らないが、犯人は不明らしい」



 第五皇子が引き起こした騒動の後、一度ケイオスと話をする席が設けられるとラドラムが言っていた。

 今の話は、その場で耳にしたことだと彼は言う。

 俺がシエスタを離れている間に、使節団がシエスタを訪れていたそうだ。



「シエスタがやったのかって勘繰られたけど、するわけないよね。だって皇帝陛下が聖地嫌いで有名だし、盗むぐらいならぶっ壊せって命令するし。って説明したら相手方も納得してた」


「でしょうね。ちなみに、第五皇子と結託した者についてはなんと?」


「調べておくってさ。どうせポーズだよ、ポーズ」


「圧力をかけるに留まったってわけですか」


「そういうことになるね。さて――――話を戻そう。ケイオスは聖石について話してくれたけど、時堕には触れなかった」


「重要な戦力を失ったと知られたくないからでしょうね」



 俺の言葉を聞いてラドラムが頷いた。



「聖石、時堕を貶めた者たち、そして、時堕が気が付いてしまったということ。どれもこれも気になって仕方ないね」


「最後のは、クリストフ様が時堕から聞いたという話ですね」


「そ。だから確かめておこう。情報が多ければ何かあっても動けるからね。……これも自衛ってやつさ!」



 火の粉が降りかからないに越したことはない。

 だが何か起きてから後手に回るのはもっと嫌だと思いつつ、俺はラドラムと視線を交わすことで目的を共有した。



「ちなみに、明日は何をしていればいいですか?」



 話は変わるが、俺が会談に同席する予定はない。父上はあるけど、俺は所詮、ただの子爵家令息だからだ。

 基本的にはアリスとミスティのパートナーを務めるために同行しているだけで、それ以上に重要な仕事はない。だからラドラムに新たな仕事を頼まれたのだ。



「個人的にはアリスのお目付け役も頼みたいところだね」


「いつもと変わりませんね」


「せっかくだから、一緒に町を見て来ても構わないよ」



 ああ、それもよさそうだ。

 俺はおもむろに立ち上がり窓の傍に向かうと。



「出店巡りも悪くなさそうですね」



 こう口にしながら、眼下に広がる町の賑わいを視界に収めた。

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