また会う日があったら。
しかし、
あの剣は目立ちすぎる。グレン・ハミルトンの名にたどり着ける可能性がある以上、軽々と使うべきではない気がしていた。
(いざとなったら使わざるを得ないけど)
まだ、その時ではないはずだ。
少なくとも、面前の魔物に対しては必要ない。
――――なぜなら、この素性のしれないこの女性は、さっき見た通り稀有な実力者である。
急に現れた特殊な個体を前に余裕を失っていたが、倒せない様子ではなかった。
お待ちしておりましたわ。彼女がこう口にしたことから思うに、白い狼のような魔物が出現することに加え、その対処が可能であることも理解の上で行動していたように考えられる。
「私が前で。貴方は支えていてください」
気品ある足取りで前に出た彼女を見た俺は、自分の見立てが正しいはずだと強く思った。
「…………ああ。心得た」
それを証明するかのように、彼女は俺の返事を聞いて踏み込んだ。
白い狼に似た魔物の前足に向かい、法衣の中から取り出した短剣を投擲。一投目は躱されたが、二投目がもう一方の前足を貫いた。
『ガァァゥッ――――!?』
残された四本のうち、残る二本の剛腕が振り上げられる。
投擲を終えたばかりの彼女は踏み込んだ姿勢のまま、剛腕を避けるには頼りない体勢だ。
「――――」
しかし、顔だけ俺の方に向けてくる。
剛腕が迫る中、まるで俺を挑発するかのようにだ。
「蛮勇を誇る者を助けるのは趣味じゃないけど、嘘を吐くのはもっと趣味じゃない」
女性が仮面の下で笑った気がする。
両肩が緩やかに上下していた。
「手を貸すと言ってしまったからな」
「っ…………疾い……!?」
「貴女ほどの方にそう言ってもらえるのは光栄だ」
俺は瞬き一回、ほんの一瞬の時間で女性と魔物の間に割って入り、魔物の剛腕に剣を滑らせる。
両手に構えていた二本の剣は容易く分厚い毛皮を裂き、内包された筋肉を断つ。鮮血が飛び散るより早く女性の身体を押し、空いた空間で剣を振りつづけた。
一太刀、二太刀と重なるごとに魔物に刻まれる傷が増え、血潮が舞う。
とはいえ、魔物も抵抗しないわけじゃない。真下の俺を屠ろうと咢を振り、巨躯に似合わず矢のような速さで剣を躱そうとしていた。
――――だが、そんな魔物が不意に身体を弓なりに反らして転がる。
その背は四本の短剣に貫かれていた。
「やっぱり、名前を教えていただきたいです」
血に濡れずに済んでいた彼女が涼し気に言った。
「私が汚れないように気を遣っていただいたみたいですし、お礼でもと思いまして」
「いや、必要ない。短剣を一瞬で投擲するような女性のお礼なんて、過激そうだから好みじゃないな」
「残念。つれないお人ですね」
俺はそう言って魔物の背を見る。
いったい、いつの間に投擲していたんだ? こう驚いていると、四本の短剣が赤い風を纏っていたことに気が付いた。
(少なくとも
恐らく、風と火の二属性を用いた攻撃だ。
惜しげもなく投擲する短剣は、魔力を帯びた武器に違いない。
……なんとも豪勢なことだ。
「帝剣なんて辞めて、私と一緒に仕事をしてほしいぐらいです」
「だから俺は帝剣の所属じゃない」
「では、どちらの?」
「詮索は無用だったんじゃないのか?」
「ふふっ――――気が変わったんです」
彼女は艶笑しているであろう声で言い、蹲ったまま動かなくなった魔物の傍へ歩いていく。その足は魔物の頭の前で止まった。
一本の短剣を取り出すと、俺に何も言わず額の石を貫いたのだ。
すると、魔物は泡を吹きながら息絶えて、身体が他の個体と同じような大きさにしぼんでいった。
「手助けはいらなかったみたいだな」
「あるに越したことはないですよ。一人でもどうにかできましたが、あのように貫くまでは手間でしたから」
今の言葉を聞いた俺は、もう少し観察しておくべきだったと後悔した。
(無駄に共闘しただけか)
いや、こんな女性の存在を間近で知れたことは悪くない。少なくともシエスタの者ではないだろうから、無視しておくのもどうかと思う。
となれば、こうして姿を見せたのがすべて間違いではなかった……かもしれない。
「…………あら?」
彼女が不意に遠くの方を見た。
倣って俺も顔を向けると、足音や声が聞こえてくる。
「残念。お姫様率いる討伐隊がいらっしゃるみたいです」
俺は平静を装っていたけど、この女性が、ミスティが居ることに加え、賊の討伐隊が組織されていたことを知る事実に目を見開いた。
「貴方だって、長居をしてお姫様に見つかっては都合が悪いでしょう? ――――本当に帝剣の所属でないのならね」
「ああ。残念なことにな」
「――――ええ。本当に残念です」
背を向けた女性が俺のそばを離れながら言った。
「共に戦うことに愉悦を見出すなんて、はじめての経験でした。またいずれ。今度は一緒に鮮血を浴びましょうね」
やっぱり、って俺は密かに呟いた。
最初に俺を挑発するようなしぐさを見せたのも、戦いを楽しんでいたからなのだ。ついでに俺という個人を試したようにも思えてならない。
……何にせよ、絶対に忘れられない衝撃的な出会いだった。
『姫! あちらの方角ですッ!』
『こんなにも木が薙ぎ払われて……間違いない。魔物だ』
徐々に近づく騎士たちの声を聞きながら、俺は闇夜に姿を消した。
――――それから。
賊があれらの魔物に食い散らかされていたと聞いたのは、翌朝のことである。
しかし、本来この辺りに生息していない魔物の仕業であったとときいた俺は、あの女性が何かしたのかと思い、どうにかして父上に情報を伝えられないかと考えたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
夜が明けた頃、辺境都市ハミルトン近くの中立都市にて。
この都市で一番の高級宿に戻った一人の令嬢が、たった今、シャワーを終えて浴室を出たばかりであった。
肩口に生じた傷は魔道具により塞がっていたが、傷跡が消えるまで数週間は要するだろう。近くに迫る七国会談の夜会を思えば、傷跡を隠せるドレスを用意しなければならない。
「はぁ…………面倒」
令嬢は辟易した様子で呟き、寝室へ向かった。
もう、寝たかった。昼夜逆転にもほどはあるが、仕事が終わって帰れたのがこんな時間なのだから致し方なかったのだ。
「オヴェリア様。そのようなお姿で歩かれてはなりません」
令嬢の――――オヴェリアの足を止めたのは給仕である。
給仕は一糸纏わぬ姿で歩くオヴェリアの前に足を運ぶと、慣れた様子で下着を付け、ネグリジェを着せた。
「傷が目立つから、見えないドレスを用意してくださるかしら」
「畏まりました。…………それにしても」
「なにかしら」
「いえ、何でもありません」
「言ってごらんなさい。歯切れが悪くて気持ち悪いわ」
「…………随分と、ご機嫌がよろしく見えたものですから」
驚きを孕んだ声を聞いたオヴェリアは何度か瞬きをした。
顔をおもむろに壁にあった鏡に向け、自らの頬が緩んでいた事実を知り、更に瞬きを繰り返す。
「ふふっ、ほんとですのね」
彼女はこう呟いて、濃艶に微笑んだ。
「何かあったのですか?」
「ええ。ありましたわ」
即答したオヴェリアが歩き直した後を給仕が追う。
「退屈な仕事の最中に、面白いお方と会いましたの」
「お、お待ちください! どのような方とお会いに……い、いえ! オヴェリア様の仕事に支障はなかったのですかっ!?」
「ありませんわ。滞りなく、いつも通りに済ませてきましたもの」
給仕はその正体を尋ねたが、オヴェリアは決して答えようとしなかった。
楽しそうにしているだけで黙秘して、それは遂に、寝室の扉の前に立っても変わらずにいた。
「ごきげんよう」
結局、オヴェリアは答えを口にしないまま寝室に入り鍵を閉めた。
扉の反対から給仕の声が届くが、彼女は意にも介すことなくベッドに倒れ込むと、いつもよりいい気分のまま、いつしか寝息を立てはじめたのだった。
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