法衣の艶女
幸い、風邪を引いた様子はない。これは俺だけじゃなくてアリスもだったから、俺は密かに胸を撫で下ろしていた。
しばらく時間が過ぎて、夕食を食べた後も変わらなかったから、もう大丈夫だろう。
「――――むぅ」
そう嘆息を漏らしたのは父上だ。
……なんとも、見覚えのある光景である。ここが食堂だからだろうか? 幼い頃、四ツ腕を討伐しに行った日のことを思い出す光景だった。
俺は食べ足りない気がしたから足を運んでみたのだが、何やら面倒なことがあったような気がしてならない。
「父上。どうされたんです?」
声を掛けると、父上は手にしていた分厚い紙の束をテーブルに置いて俺を見る。
「近くの山に賊が出たらしい。昨夜のことだが、闇に紛れて盗みを働いたそうだ。死人は居ないが怪我人は多いらしい」
「……こんなときにですか?」
「こんなときだからこそだ。とはいえ、実のところ想定済みだったのだがな。七国会談の開催地近くは大陸全土から人が押し寄せるとあって、盗人の数も増すのが常だ。それが多少過激になって賊となることぐらい、これまで何度もあった話だ」
「だったら、ため息はつかなくてもよかったんじゃ」
「馬鹿を言うんじゃない。この状況下で面倒ごとがハミルトンに届いてみろ。あの狸男に何を言われるか分かったもんじゃない」
「自分たちが賊に襲われるより面倒ですね」
「だろう? 賊なんぞ息を吐くより容易く葬れるが、あの男はそうもいかんからな」
俺たちはこれを冗談としてではなく、本気の表情と声色で語り合った。
恐れるべき――――というほどではないが、ラドラムに隙を与えることは避けたい。与えたところで何があるか分かったもんじゃないからだ。
「てか、その被害は父上の責任にはならないんですか?」
「ならん。被害を被った者たちの家があったのは、王家直轄地となっている山だからな」
「ああ……道理で。――――ではハミルトン家としては、自分たちの領土内で出来る仕事をするって感じですね」
しかし父上は肩をすくめ、自嘲する。
「都会暮らしで忘れたか? 我がハミルトン領は慢性的な若者不足。ひいては、人材不足であることを。私とて賊の討伐に向かいたいが、ままならぬのだ」
うわぁ……めんどい……。
だけど、俺が知る限りではそれなりの騎士や魔法使いが同行していたはず。すべては二人の美姫のおかげだが、これは重要なのではなかろうか。
「その顔はどうせ、あのお二人のために同行した戦力を当てにしているのだろうが、そうはならんぞ」
「え」
「当たり前だ。同行者の仕事はあくまでお二人の護衛。我らが辺境都市ハミルトンを守るべき戦力ではない。さすがに、力を貸してくれたりは――――」
父上が言い終えるより先に、食堂の扉が開かれる。
顔を覗かせ、中に入って来たのはミスティだった。
「ッ――――こ、これは第三皇女殿下」
「私が行ってくるわ。お父様――――陛下からはこうなるだろうと思って、城を出る前に許可をいただいてるから、気にしないで」
「むぅ……御身は戦姫とも称されるお方ですが、しかし……」
「残念だけど、もう周囲の様子は分かってるの」
ミスティは隠し持っていた地図を取り出し、テーブルに置いた。
その地図には所狭しと赤い文字で何か書かれている。少し目を通すと、いくつもの戦況が予想され、対処すべき作戦が記されていることが分かった。
どうやら、俺たちが話す前から情報を得ていて、既に作戦を立てていたようだ。
「そもそも、ハミルトン子爵が言ったようにこの山は王家直轄地なの。………聞き耳を立ててしまったのは謝るわ。廊下を歩いていたら困っているような声が聞こえたから、ついね」
「父上、この屋敷の防音性能低すぎでは?」
「…………私もこれほどとは思わなんだ」
「ふふっ。というわけだから、私に任せて。ただの賊であることは調べがついてるし、別に心配するほどのことじゃないわ」
父上はまだ物言いたげだったけど、ミスティが「もう一度言うけど、王家直轄地なの」とダメ押しの一言を告げたところで頷いた。
「じゃあ行ってくるわね。夜が明ける前には戻れると思う」
こう言い残して、ミスティはさっさと行ってしまう。
残された俺は父上と顔を見合わせて、頷き合うことでミスティの行動の速さを称賛した。
◇ ◇ ◇ ◇
「で、グレン君も行くわけですね」
「さすがに任せっきりってのも気が引けるし」
また少し夜が更けて、ハミルトンの町がほぼ真っ暗になった頃。
俺がどう動くか悟っていたアリスが俺の部屋に来て、妙に自然な動きで俺が着替えるのを手伝っていた。
「では私も――――」
「留守番」
「んんー? 都合の悪い返事が聞こえた気がしますが……念のため、もう一回言っていただけますか?」
「だから、アリスは留守番」
「……はぁ~~、覚悟しといてくださいね。帰ってきたとき、私がこのお部屋に仕掛けた罠に恐怖することになりますよ」
また微妙な脅し文句だが、帰ったら警戒することを忘れないよう心掛ける。
「で、どうします?」
「どうします、って?」
「アルバート様とか婆やさんがいらっしゃったら、グレン君が居ないことの言い訳をどうしたらいいのかなって話ですね」
協力的な言葉に一瞬呆気にとられたが、すぐに咳払いをして口を開く。
「大丈夫だよ。俺が寝てからは夜に誰も来たことがないから」
「一度もです?」
「そ、一度も」
「じゃあ安心ですね。仕方ないので我慢してまっててあげます」
「……アリスが居たらさすがにバレるんじゃない?」
「元・大怪盗にそんなのは些細な問題です」
じゃあいいや。割と大丈夫そうだから任せておこう。アリスは茶を濁すことはあるが、嘘を言うことは……多分ないはず。
ちょうど身支度を終えたところで、俺は着慣れた漆黒のローブのフードからアリスを覗いた。
「今度、フォリナーの港でする仕事があるから、一緒に行こう」
「はえ? 急にどうしたんです?」
「どこだったか忘れたけど、甘味の輸入があるからその確認にね。質も確かめてほしいそうだからよかったらどうかなって」
ようは味見の仕事があるから一緒にどうかという話だ。
「あっ、知ってますそれっ! すっごくすっごく人気なお品なので、普通に食べるのって貴族でも大変なんです!」
「そりゃよかった」
「にゅふふー。素敵なお礼ですね。けど、急にどうしたんです?」
「……別に。たまにはいいかなってだけだよ」
俺はそう言うと、上機嫌なアリスに背を向けて窓を開く。そのまま枠に足を掛け、振り返ることなく口を開き、「行ってくる」と口にした。
「危なくなったらお姉ちゃんを呼ぶんですよー!」
楽しそうに、でも抑え目の声に送られた俺は、地図にあった山を目指して屋敷を発ったのである。
◇ ◇ ◇ ◇
走りつづけられるだけの体力と膂力のおかげで、一時間もすれば目的の山まで到達した。周囲には灯りが散見される。声を聞くに、ミスティが率いる討伐隊のようだ。
さすがに一緒に行動することはできない。
というか、したらまずい。
互いの立場的に、邂逅することは避けるべきだろう。
「さて」
単独行動をしている俺の方が移動が速いのは当然だ。どうやらミスティたちも到着したばかりのようで、本格的な行動に映っている様子はない。
となれば、俺が動きやすいのは今か。
討伐隊が動き出す前に山に入ってしまった方が、互いにニアミス可能性も低くなろう。
なら、早速行動開始だ。
ミスティは五感が鋭いから、なるべく彼女から距離を空けて山に足を踏み入れた。
山道は――――幾分か動き辛いが、斜面が急ではないから言うほどじゃない。むしろ、夜風に揺れた葉が擦れ合う音に耳を傾けていると、散歩気分に浸れるほど楽な道だ。
それにしても、獣や鳥の声が微かにも聞こえない。
聞こえてきたのが葉が擦れ合う音だけで、何処か不気味だった。
夏の暑さに若干湿気も混じり、殊更だった。
「…………」
十数分も歩いたところで、血の匂いが鼻孔に届いた。
それも、薄くない。
間違いなく何人もの身体がズタズタに貫かれ、臓物を垂れ流している死体がいくつもあることを想像させる濃い匂いだ。
誰かに賊が討伐された? いいや、考えにくい。
父上とミスティの二人が知らない戦力が動くことなんて、あまり現実的ではない。
「――――ああ」
いるな。
俺は更に十数分進んだところで悟った。
それを証明するかのように、奥から声が届く。それは金切り声のようだったが、よくよく聞くと獣の悲鳴のような声だった。
忍び、闇夜に同化して歩くと血の匂いが更に濃くなった。
もうそろそろだ。すぐ傍にいる。
その先から怒号に似た声が響き渡り、何か大きなものを振り回して生じる不規則な風の流れが俺の頬に届いた。
木の陰に隠れた俺は、その先を覗き込む。
――――そこは、木々がなぎ倒された開けた土地だ。
しかし、賊の姿はない。
代わりに辺りは真っ赤な血だまりが散見され、巨大な獣が倒れている。
ここで一人、誰かが生き残った獣と対峙していた。
「…………
甘くて脳まで響く、蠱惑的な声だった。
見れば、その姿も声に負けじと嫣然としていた。男性の情欲を容易に駆り立てられるであろう肢体は細身の法衣に包まれていた。
顔立ちは暗がりに加え、俺と同じで仮面で隠されているせいで伺い知れない。
いずれにせよ、こんな場所が似合うような女性には見えない。
だが、俺は見逃さなかった。彼女が指と指の間に挟んでいた短剣と同じものが、横たわる獣の腹を引き裂いていたことを。
『ハフッ――――ハッ――――ハッ!』
彼女の死角から新たな獣が姿を見せた。
獣を注視すると狼に似ていこることが分かる。
しかし狼と言い切れない理由がある。体毛こそ灰色で見慣れたものだったが、尾が三本、前腕が四本と、俺が知る狼と違う体躯をしていた。
そうなってしまうと、魔物であると断言できる。
魔物と獣の危険度は比べるまでもないが、彼女は振り向くこともせず、短剣を投擲して額を貫いた。
へぇ…………。
同類の香りを感じつつ、技量の高さに唸ってしまう。
こうしている間にも、彼女は新たな獣を労せず横たわらせた。
血の匂いが増す。切り裂かれた腹から漏れだした臓物の香りも鼻を刺した。
やがて横たわる獣の数はすでに十五を超えた。けれど、戦いが止む気配は一向にない。
逆に現れる数と頻度は増していき、遂には――――。
「ごきげんよう。お待ちしておりましたわ」
一際大きな体躯を誇る、白い体毛をした個体がとん、とん……と、静かな足取りでこの開けた場所に現れた。
すると、その個体の額で何かが星の灯りを反射した。
目を凝らすと、額に埋め込まれている小さな石の存在に気が付かされる。
「…………あれは」
自然と時堕との戦いが思い出した。
ただ、魔物の額にある石がガラス片のように小さい。時堕に埋め込まれていた石とは別物に想えるが、無視する気にはなれない。
だけど、見ず知らずの人物……それも、あれほど戦える者を前に警戒せずに姿を晒してよいものかと迷ってしまった。
まだ見守るべき、こう思ったのだが。
「ッ――――!?」
「なっ――――」
法衣を着た女性に加え、俺も目を疑うほど疾く動いた魔物が、あっさりと女性の背後を取って腕を振り上げた。
女性はこれまでのように短剣を投擲しようとしたが、魔物の剛腕が勝り法衣に届く。
鋭利な爪先が法衣を僅かに破り、肩口に僅かな切り傷を与え鮮血を浮かび上がらせる。
女性は流麗な動きでなんとか数歩距離をとったものの、これまでの余裕はなくなっていた。
………手を出すべきか迷っていた俺はそれを見て、ほぼ無意識のうちに身体を動かしていたのだ。
「あ、あなたは――――ッ!?」
女性と魔物の間に割って入ると、背中の方で驚いた声がした。
「俺は帝都の者だ。苦戦しているようだから手を貸そう」
あくまでも身分は明かさず、だけどシエスタの者であるとだけ口にする。
だが、女性は何も言わなかった。
呼吸の音だけが俺の耳に届くだけだ。
「――――感謝します」
次に聞こえてきた声は、さっきまでと違い硬くて別人のようだった。
……恐らく、自分を偽ることが必要な仕事をしているからだろう。いわゆる、前世の俺がしていたような汚れ仕事だ。
では、尋ねたところで口を割らないことも想像がつく。
それならこの魔物を討伐してから、逃がさず話を聞けば……聞けば………いや待て。どういう形にしろ、相手が誰にしろ、ここでの邂逅は都合が悪い。
今の俺も素性を隠してここにいるのだから、お互い様じゃないか。
「詮索は無用です。あなたが帝剣であろうと、ここで面倒な探り合いは命取りでしょう?」
あ、口調もさっきと違って変えてるらしい。当然、俺もいつも通りこの姿の時は変えてるのだが………って、だからそうじゃない。
彼女の素性は気になるが、互いを詮索するのは彼女が言ったように避けておきたい。
しかし、勘違いがあるようだ。
「帝剣だって?」
「……違うの?」
帝剣と言うと、確か皇家に仕える暗部のことだったか。
ああ、俺が帝都の者と言ったからそう思ったのか? だとすれば大いに勘違いだ。逆に彼らとは敵対したぐらいだから、俺もしょっぴかれる側である。
「暗部の名前が出たお前も訳ありなんだろうが、違う」
素直に否定するのもどうかと思ったけど、どうせここだけの出会いだ。互いに探り合いは無しと言ってるんだから、大した問題じゃない。
「俺も訳ありなんだ。お前と同じでな」
「では、提案は受け入れて貰える?」
「そうしてくれ。コイツを倒したらさよならだ」
「素敵。どうせなら名前を聞いておきたかったわ」
絶対に教えたくないし、聞きたくもない。
はぁ、と大きくため息をついた俺は、道中で複製していた剣を構えた。
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