再会と。
およそ一時間半後。
俺はどうしたもんかと腕を組んでいた。
「知ってましたー?」
「知るわけがない。まず、知る機会があるわけないじゃん」
「でっすよねぇー…………むしろ、知ってたら嫉妬でどうにかなっちゃいそうでした」
「はい?」
「いえ、こっちの話です。さてさて、どうしましょうかねー…………」
実のところ選択肢はそう残されていない。
ひとまず、眠ってしまったミスティはベッドに運ぼう。
「外にいる人たちに聞いてくる」
「はえ? グレン君が運んであげればいいじゃないですか」
「それはそれで、これまで以上に話が変わってくる」
「これまで、ですか?」
「ただでさえ寝室に来ちゃってるってのに、男が姫の身体を持ち上げたら大問題じゃん」
「今更過ぎますよ。気にするのはやめたほうがいいです。ってなわけで、さぁさぁ! ソファで寝ちゃったら身体が強張っちゃいますし」
「はいはい…………寝つきが良すぎるのも問題なんだなって思ったよ」
「たはは――――ミスティってば、ほんとに寝つきがいい子なんです。私とか、お世話をしてる一部の人しか知らないんですよ」
そうした事実を学ぶことを想像したことはなかったが、早いうちに運んでしまおう。割と考えなくなってきた自覚はあるが、アリスが言うように今更で、ここまでの話を思い出したら気にするのはしつこいぐらいだ。
「軽っ」
「あーもうっ! ダメですよー? 女の子の体重なんですから、思っても口に出さないほうが無難ですっ!」
「あ、ああ…………確かに」
アリスに教えられたことだけが気に入らないが、間違いでは無かろう。
眠ってしまったミスティを抱き上げた俺はベッドに向かっていくが、その最中、どうにもミスティの身体が安定しすぎていることに気が付いた。
まるで、俺が運びやすいよう、体幹に力を込めているような、そんな感じだ。
「むむっ? 急に立ち止まっちゃって、どしたんです?」
「実は起きてる気がして、確かめようかと」
「え、えぇ~。それはそれで許してあげてもいいんじゃ…………」
まぁ、確かにそうだ。
別に狸寝入りしていたところで文句を言うことではないし、不満があるわけじゃない。純粋な好奇心とでも思ってほしい。
「気のせいだったっぽい」
いわゆるお姫様抱っこの体勢だと、顔も近くで呼吸する様子が分かる。規則正しい呼吸に従い、豊かな胸元が柔らかそうに上下する様子には、狸寝入りらしさは感じられない。
心なしか、身体から力も抜けたように思えてきた。
「これからどうします? お話します? それとも外に出てお散歩とか!?」
ミスティをベッドに寝かせたところで急に元気なった駄猫。
「寝る」
「…………えぇ~」
「えー、じゃない。もう遅いんだから寝よう」
「けち」
「どうとでも言っていいよ」
「がんこもの」
「大して間違ってない」
「逆立ちばっかりする奇妙な貴族」
「ふざけたことを言う口は縫い付けないと」
「ちょちょちょ、待ってくださいよぉっ!? どうとでも言っていいっていったじゃないですかぁっ!」
ソファに座ったアリスの前まで歩いていき、頭に手を伸ばす。
色気も情緒の欠片もないが、それでも絹糸を思わせる上質な肌触りと石鹸の香りに脳が溶かされてしまいそう。
必死になってその感情に耐え、軽く左右に頭を揺らす。
「うぁ~……………あうぅ~…………」
「というわけで、アリスもそろそろ寝るように」
「くっ、よかったですね! 仕返しがないのは私が揺れに強くて、しかもちょっとだけ喜んでたからにすぎませんからっ!」
よく分からない強がりをされた。
苦笑して肩をすくめると、アリスは「ふぅ」と息を吐く。
「明日も一緒に遊んでくれますか?」
「うん。この辺りを案内するつもり」
「やたっ! それならぐっすり寝られそうですっ!」
しかし一向に立ち上がろうとしないアリス。
「言い忘れてましたが、私はミスティのお部屋に泊まることになってまして」
「ああ、道理で」
仲の良さは折り紙付きだし、特に違和感はない。
それじゃあ、と俺は声を掛けてアリスに背を向けた。
「じゃ、また明日」
「はーいっ! 楽しみにしてますねっ!」
◇ ◇ ◇ ◇
グレンが部屋を去り、十数秒後。今一度、今度は真面目な様子で呼吸を整えたアリスがミスティの眠るベッドへ近づいた。
「寝つきのいいお姫様は、狸寝入りも得意なんですもんね」
「…………最初は本当に寝てたのよ。抱き上げてもらってから目が覚めて、気が動転してる間に時間が過ぎただけなの」
「ま、そうだと思ってました」
すると、アリスはベッド横に腰を下ろした。
「ねぇ」
「はいはい。どうしましたか?」
「グレンが来る前、私に何を言おうとしてたの?」
「あー、覚えてましたか」
「忘れるわけないじゃない。アリスにしては珍しく真面目な顔をしていたもの」
実はグレンが来る前、アリスはとある話をしようとミスティに語り掛けていた。彼女にしては珍しく、茶化す様子もなかったことをミスティは強く覚えている。
ミスティはベッドの上で身体を起こすと、そのままアリスの隣に座り直した。
部屋の明かりが同時に消える。
ハミルトンの屋敷にある灯りは魔道具ではなく、古臭い油を用いた灯りであった。勝手に切れたのもそのせいだろう。
二人は窓の外に広がる星空を見ながら、少しの間沈黙を交わす。
少しして、口を開いたのはアリスだった。
「罪人を意図的に庇ったら、皇族であっても罪に問われるって本当ですか?」
表情以外はいつもと同じ。ベッドの上で足をぶらつかせ、空を見上げる姿は普段のアリスと変わらない。
「――――急に何のこと?」
「興味本位です。実は私が知らない仕組みがあったりー、とか。陰で取引が交わされてたー、とか。ミスティは第三皇女ですし、特別なことがあったら教えてほしかったわけですよ」
驚きは――――特筆すべきほどではない。
先ほどグレンに抱き上げられた身体は僅かに揺れたが、その程度だ。
また、時を同じくして気が付いた。
隣に座る幼馴染の横顔を。いつになく凛として、しかし反比例して嫣然とした面持ちを見て、彼女が何を思っているのかすぐに分かった。
「罪人との取引は過去にも何例か存在してる。でも、近年でされた例は聞いたことがないわ」
違ったらそれでいい。
だが、もし、違っていたら――――。
「ふぅん…………あ、そういえばミスティを攫ったっていう暗殺者って、今はどこにいるんでしょうね」
何も知らなければ一蹴できた。
でも、知っている。
そして、アリスが今の言葉を口にした意図も。
「大怪盗だって、どこに行ったのかしらね」
グレンのことだ。ただ近しいだけの者に告げるはずがない。特にアルバートが許すはずもないと思っていたから、仮に正体を知るのなら、特別な理由があると考えた。
たとえば、噂話が本当だったとして。
第五皇子が騒動を起こした近辺、例の暗殺者と大怪盗が行動を共にしていたという、与太話に近いことが真実だったとして。
黙ったアリスの横顔を見て、意外にもしっくりくることに気が付いた。大怪盗が貴族の情報をよく知っていたのもそう。グレンの正体を知る理由だって他にないと思えるぐらい。
そもそも、前にも予想したことがある話だ。
だけど予想が当たっても、触れないつもりだった。そうしないと、彼女は大切な二人を投獄しなければならなかったから。
「アリス。私の方を向いて」
「――――うーん、このぐらいにしときましょっか」
ふと、アリスの頬に柔らかな笑みが戻った。
ミスティはそれを見て肩から力を抜き、ベッドに身体を倒してアリスを見上げる。
「アリスって、やっぱりあの狸の家族なのね」
「うっわぁー……喧嘩売ってます?」
「ううん。これはこれで称賛してるわ。よく今まで隠してたなって思うもの」
「相手が嬉しくない誉め言葉って、なーんの意味もありませんよ!! ほら! おしおきしちゃいまーすっ!」
遅れてベッドに倒れ込んだアリスがミスティの脇腹に両手を差し入れ、くすぐりつつ胸元へ。つづけて両腕を背に回し、ぎゅっと抱きしめながら頬をこすりつけた。
くすぐったさから逃れようと身をよじるミスティの首筋へ、今度はそっと顔を近づけて。
「私、覚えてますから」
「なにを――――きゃんっ!?」
首筋に甘噛み。
抵抗できなくなった第三皇女。肌は真っ赤に上気して、耐えるような表情で身体を小刻みに震わせる。
「義賊気取りな自覚はありましたけど、あれはあれで私なりの正義だったんですよーだっ」
色々と明言することは避けたのに、不満たらたらの一言を口ずさむ。
あっ、とミスティが思い出す。グレンと知り合って間もない頃、フォリナーの屋敷で義賊について語ったことがあったことを。
アリスはあの話の後で帰ってきたが、扉の外で聞いていたようだ。
「聞き耳を立てるなんてっ! 公爵令嬢のくせにっ!」
「なーんのことかさーっぱりですぅー! だいたい、公爵令嬢って一括りにするのってどうなんですか!? ミスティだって、皇族っぽくないことばっかりしてくるくせにぃーっ!」
「わ、わかったからくすぐらないでっ! きゃっ――――ちょ、ちょっと! そっちは胸だから…………も、もうっ! いい加減にしないと投獄するわよっ!?」
「やってみりゃいいじゃないですか! その時はグレン君も道連れですよ!?」
「なっ――――」
「あぁー!? 迷った! 迷いましたねー!? 私だったらいいって思ってるってことですかそれってっ!」
「ちっ、違うわよっ! 急に言われたから驚いただけっ!」
じゃれあいは寝付くまでつづき、二人は寝る前にひと汗かいてしまったことを後悔した。軽々しく語るべき話ではなかったが、これも自分たちらしいと思いつつ、同じベッドで寝入った二人の手は自然と繋がれて、朝起きた時もほぼ同時に目を開ける。
もっと慎重になるべきという考えもあったが、自分たちは自分たちらしく。きっかけを作り出したアリスは胸を撫で下ろして、同じくミスティも安堵する。
そして。
「ねぇ、ミスティ」
目を覚まして間もなく、アリスが言う。
「私って、ミスティ以外に仲のいい友達って居ないんですよ」
「知ってる。私だってそうだもん」
「…………ではでは、これからもそういうことで」
「ええ。投獄されるときは、三人で同じ牢屋に入りましょうね」
二人は同時に微笑んで、どちらともなく伸ばした手で互いの身体を抱き寄せた。
その温もりが真夏でも心地よかったことを、二人はきっと忘れない。
◇ ◇ ◇ ◇
帰ってすぐは前と同じと思ったが、よくよく見れば人の数が多かった。度々、行商人が足を運ぶ地域ではあるが、その数が以前の倍以上は居る。
朝からこれなら、昼を過ぎたら更に増えるだろう。
そんな中、俺は日課の訓練とまではいかないが、二人が目を覚ます前に軽く身体を動かしていた。町外れの森近くまで行き、屋敷まで戻るという簡単なコースだ。
今は帰り道で、懐かしの町並みを楽しみながら気持ちよく走っている。時々、俺の姿を見て手を振ってくれる人や声を掛けてくれる人が居て、帝都やフォリナーみたいな都会とは違った、人と人の距離の近さを感じていた。
「よし、っと」
休憩するほど疲れてはいないが、せっかくだからと立ち止る。大通りの一角、裏路地につづく隅の壁に佇んで、活気立ちはじめた朝の様子を眺めることにした。
――――それにしても、人が多い。
いや、本当に多いじゃないか。
何となくだが、昨日の夕方より賑わってる気がする。
「なんでだろ」
と、独り言をつぶやくと。
「七国会談の手前、この町は寄りやすい場所でスから」
背後から、路地の方から声がした。
独り言の真意を悟られた驚きよりも、聞き覚えのある声という事実に思わず振り返る。そこに居たのは、粗末なテーブルに水晶玉を置いた、ローブに身を包んだ男であった。
「お久しぶりでス」
「あなたは確か」
「以前、フォリナーでお会いして以来でス」
最初に出会ったのは俺がフォリナーに住むようになってむようになって間もない頃だ。遅れてきた父上を歓迎するため、アリスと共に街に繰り出した日に出会った占い師だ。
あの日はミスティとも出会った日だから、よく覚えている。
「またお会いできましたね。グレン様」
その男は、近づく俺の名を自然な口調で口にした。
驚く俺を手招いて、面前の椅子に座るよう促したのである。
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