アンガルダへの旅のエピローグ【後】
クリストフから正式に申し立てを取り下げる旨と、その手続きのため帝城に来る旨が書かれていた手紙が届いたのはいたのは翌々日のことだった。
だから、俺はたったいま帝都の門をくぐったばかり。
隣の席には、同じく用事があるとのことで馬車に乗り込んだアリスが居て、貴族街が近づいたところで降りる支度を進めている。
父上は御者を務める爺やさんの隣にいる。
「聞きたかったことがあったんです」
「ん、なに?」
「
間違いなく、俺が寝落ちした後のことだろう。
「私が知らない坊ちゃんを見た気がしますって笑われたよ」
眠くなかったはずのアリスとミスティも、気が付いたら寝てしまっていたらしい。元凶たる俺は何も言えないが、俺はおろか、二人も返事をしなかったことを不思議に思った婆やが様子を見に来たのは、あの日の夜のことだった。
そりゃ、婆やも様子を見に来るさ。
アリスは一緒に住んでいるから構わないとしても、ミスティは王女だから気を遣うべきだ。
帰る時間が遅くなれば問題になるだろうから、確かめに来てくれて助かった。
……でなければ、三人ともそのままぐっすりだったろう。
「たはは…………今思うと、ちょろっとだけ恥ずかしいですね」
「ああ。お互いに忘れた方がいいのかもね」
「それは無理ってもんですよー、だ。逆に聞きますけど、簡単に忘れられます?」
「――――もうすぐローゼンタール公爵邸だよ」
「グレン君って、割と誤魔化しますよね。あ、別にダメってわけじゃありませんよ。意外と照れ屋さんな一面があるなって。可愛いと思いますし」
もっと早く馬車が進みますようにと祈ったところで、こんな町中……それも既に貴族街入りしているからあり得ない。
だが幸いなことに、アリスから話題を変えてくれるのだ。
「はぁー、帰りたいです。お屋敷でグレン君とぐーたらしたいです」
「俺もだらけるのは嫌いじゃないけど。そういや、帝都に来た理由って?」
「私もお兄様に早く来るようにって言われただけなんですが、時期的に『七国会談』に関係してるに決まってます…………」
「ん、聞いたことある。確か――――」
「カッコつけた言い方ですが、中身は近隣六か国とのお話会です!」
お話会というには大規模すぎるが、言わば首脳会談だ。
国家元首が参加する国があれば、シエスタのような大国となれば名代が足を運ぶ場合もある。当然、その国の重鎮なども参加する、重要な場であると聞いたことがある。
辺境都市ハミルトンに居た頃は意にも介さなかったものの、今では事情が違う。
「お兄様も参加しますし、私に同行しろって話かもしれません」
俺が参加するような直接的な影響はなくとも、深いかかわりのあるアリスにはそれがあるのだ。
「そうだ! グレン君も一緒に来ちゃえばいいんですよ!」
「え」
「今年は
「…………」
「駄目なら、私が不参加になれるようお兄様に働きかけてください。お願いします」
「アリスが困ってるなら手伝うけど、後者の方が全員幸せになれる気がしない?」
「ですよねー。お屋敷でゆっくりしてた方が幸せです。年齢的に
話が一段落したところで、爺やさんが。
『お嬢様、到着致しました。私はお二方を帝城までお送りして参ります』
そう言われ、アリスが馬車を下りて行く。
「ふふーん……私を手伝うのはやぶさかじゃないんですね」
俺はため息を吐く。
ここは素直に言った方がいい。
「ああ、勿論」
「む、むむっ……真っすぐ言われるとさすがのアリスちゃんも照れ――――こ、こほん! 考えてみれば中立都市って、辺境都市ハミルトンと近かったはずですよ! 馬車で一日ぐらいだった気がします!」
「そう言えば、何個か都市があったかも」
「にゅふふー……グレン君に勉強を教えてくれてた方って、中立都市の先生かもしれませんね」
前に父上が言っていた、
『ハミルトンに居た頃の話だが、無理を言って近隣都市の学園の者に足を運んでもらっていた。古い制度なのだが、一般的な学園の卒業資格であれば、それこそ貴族家の者ならば必要な知識量があれば手に入るのだ』
この言葉のことだろうか。
気になるし、後で聞いてみてもいいな。
「確認しとくよ」
「りょーかいです! ――――ではでは、アリスちゃんは少しだけ里帰りしてきますね!」
最後にはいつもの笑みを向けたアリスへと、俺はなるべく力になろうと心の内で呟く。
大貴族の令嬢と言うのは、俺が知らない苦労もあるのだろう……と、先ほどの、七国会談の一件を思い出して。
◇ ◇ ◇ ◇
「ようこそお越しくださいました」
城に付くと、城門でクリストフが待っていた。
間違いなく異例らしい。
彼の姿を見て、騎士や通行人、その他もろもろの者たちが皆々驚いていた。
しかも、そこへやってきたのは父上だ。
各所から、何が起こるんだ? という驚きの声まで聞こえてくる。
「グレン少年も、お久しぶりです」
「え、ええ……数日ぶりです」
「結構。では立ち話もなんですから、城の中へ参りましょう」
「――――グレン、何かあったら大声で叫ぶんだぞ」
「父上は来ないんですか?」
「うむ…………私はここで待っている。その男は既に私と約束を交わしているから、不測の事態は心配しなくていいぞ。どうせ、書状のやり取りで終わらなかった理由もその約束ゆえだろう」
その約束ゆえだろう、と言われても何が何だかさっぱりだ。
俺が居ない間に何か話が進んでいたのだろうが、説明は皆無。
ただ、父上が城に入ろうとしない理由は察しが付く。
父上は以前、帝都を離れた理由を隠していたし、将軍を辞したこともある。それらを踏まえて、何かな関係があることは自明の理だ。
加えて、以前のように拘束されていたときと違い、今の父上は自分で入城するか否かを判断できる。
どうやら、クリストフが約束をしたことに全幅の信頼を置いているらしく、俺と別れて城門で待つことに決めたようであった。
また、今日はパーティのように半ば強制的に足を運ばなければいけない理由もない。
だからこそ、なのだろう。
「行って参ります」
ここで立ち止っていても話は進まないし。
俺は結局、二人の言葉に応じて帝城の中に足を踏み入れた。
向かった先は遥か上層、なんでも、クリストフの執務室があるという特別な階層である。
何度も何度も階段を上らせられたが、新鮮な景色は悪くなかった。
窓の外に広がる城下町の景色は壮観で、さっきまで居たローゼンタール公爵邸を見ることだって出来るのだ。
――――やがて。
豪奢な絨毯を進み、それに劣らぬ調度品や美術品が並ぶ廊下を進み。
たどり着いたその先で、クリストフが立ち止る。
「さぁ、中へお入りなさい」
言われるがまま、開かれた扉の中へ入る。
ここもやはり、外の空間に劣らぬ一室であった。
「お座りください。書類をいくつかお持ちします」
「分かりました……えっと」
「そちらのソファへ。硬くなる必要はありませんよ、私とグレン少年しかいませんから、馬車で移動していたときのようにして構いません」
だったら、遠慮なく。
あまりへりくだらず腰を下ろせば、クリストフが満足げに頷く。
以前にも増して、表情が柔らかく感じるようになったのは、俺も彼の機微に気が付けるようになってきたからだ。
あの旅を経て、彼の感情の揺らぎが分かりやすくなっていた。
「先にこちらを確認ください」
体面に座った彼が差し出したのは、議会やらなんやら……小難しい文言が綴られた一枚の紙。
面倒くさがらず目を通せば、要約すると『私は申し立てを取り下げます』という意図の内容であることが分かる。
もう、その文言だけ書けばいいのにと思ったことは秘密だ。
「署名をお願いします。これにて私からグレン少年への申し立ては完全に消滅し、以後、同じ申し立てをするには多くの手続きが必要となります」
「…………これでいいでしょうか?」
「構いません。こちらは私が議会に提出致します」
意外にもあっさりと終わった手続きに、俺はふっと息を吐く。
最初から用意されていた冷たい飲み物に手を伸ばし、さっと呷って喉を潤した。
すると、そこへ。
「つづいてこちらの書類を」
油断していたところへ渡された書類を見て、俺はつい呆気にとられた。
「なんですか、コレ」
さっきの紙とは違う、妙に高級感溢れた一枚の羊皮紙。
「入城許可証です」
「や、それは書いてあるのでわかりますが……」
「それがなくては、城で魔法を教えることが出来ませんので。アルバート殿にも許可はとってありますし、ご安心を」
「――――んん!?」
「約束したでしょう。帰ったらしっかり魔法を教えると」
確かに約束しているが、まさか、本当に教えてくれるとは。
ありがたいのは間違いない。
けど、仰々しい入城許可証まで用意してくれるなんて思わなかった。
「私が今から言う言葉は、過去の偉人を貶していると取る者も居るでしょう。ですが、私とアルバート殿という存在が居ることにより、真実とも取れるはずです」
静かに耳を傾ける俺へ言い聞かせる。
「属性を重ねられるものは
「それは」
「ご存じのように私は雷だけを。アルバート殿も身体強化しか魔法を扱えないのですから」
「初耳です。クリストフ様が
「おや、言ったことがなかったでしょうか。お恥ずかしながら、私は雷以外の適性はございません」
アンガルダで見せつけた、あのでたらめな魔法の数々。
これらがすべて、
あの冴えを見せつけられて、唸らないはずがなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
あれから、仕事があるとのことで俺はクリストフの執務室を後にした。
帰りは給仕の案内に従い外に向かう――――そのはずだったのだが。
「ッ――――グレン!?」
階段に差し掛かったところで、上の階から降りてくるところだったミスティと鉢合わせた。
どうにも焦っているように見えたミスティを見て、俺は驚き交じりにその名を呼ぶ。
「ミステ――――第三皇女殿下?」
俺がそう言うと、ミスティはすぐさま眉をひそめた。
僅かに唇を尖らせると、俺の前までやってきて俺を見上げる。
「不敬罪」
「あの」
「だから、次は不敬罪にするから」
傍で給仕が呆気に取られていた。
やがて目を見開いて驚いていた。
「お父様の前とかでなら仕方ないけど、そうじゃないのならいつも通りでいいの」
そう言う問題じゃない、と思った。
ここは城だし、相手は第三皇女だし。
でも、ミスティも譲ろうとしない。
「貴女。何か問題があると思う?」
「滅相もない。第三皇女殿下のお心のままに。我ら使用人としましても、特に思うところはございません」
「ふふっ、ありがとう」
言葉を交わす二人の間に剣呑なそれはない。
ミスティは使用人たちから評判がいいと聞くし、使用人もミスティの様子を見て楽し気な一面すら垣間見えた。
「私は下がっておりますね」
「いやいやいや! 王女と男を二人にするのは色々と……ッ!」
「ご安心くださいませ。第三皇女殿下が……いいえ、ミスティ様もそのほうがよろしいようにお見受け致しますし」
「ふ、含みのある言い方をしないの! 何かあったら呼ぶから!」
こうして、二人だけに。
「驚いた。どうしてここに?」
「クリストフ様に呼ばれて、色々と書類のやり取りとか」
「…………平気だった?」
「大丈夫。おかげさまで無罪放免らしい」
ミスティはほっと胸を撫で下ろしていた。
「本当によかった。私のせいでグレンが投獄なんてされたら、どうやって牢を破壊するか考えないといけなかったもの」
「危ない発言は聞かなかったことにしとく」
「別に冗談じゃないのに……」
「余計に危ない感じがしてきたから、その辺で」
「もう……分かったわよ」
「てか、何かあった? さっきから焦ってるように見えるんだけど」
「――――大丈夫。別に大したことじゃないから」
「気になるから教えてくれると助かる。大したことじゃないか、俺も判断してみたい」
いつもより押して尋ねれば、ミスティは小首を傾げながら微笑んだ。
困ったように、でも安堵の吐息を漏らしながら。
「
吐露するようにして口にした。
その顔は、何処か切ない。
尋ねられた俺の胸がチクッと痛んだ。
「子爵家の長男が、第三皇女殿下の頼りになれるかは分からないけどさ」
「ふふっ。グレンったら、不敬罪よ」
「前科持ちにはなりたくないから、手助けをすることでなかったことにしてくれない?」
「…………本当に口が上手いんだから。そういうの、ズルいんだからね」
言い終えたミスティが深呼吸を繰り返した。
旨の前で両手を重ね、心を落ち着かせはじめる。
目を伏せ、緊張をほぐそうと。
「あの、ね」
遂に目を開け、俺を上目遣いで見上げながら。
「わ…………
頬を真っ赤に染めたミスティの上目遣いは、それはもう
そして、俺は唖然としていた。
ついでに、
何にせよ、である。
――――この時の俺たちを傍から見れば、それはもう初心な男女に見えたに違いない。
◇ ◇ ◇ ◇
あとがき的な何か。
いつもたくさんのアクセスやコメントをありがとうございます!
今回の章は楽しんでいただけたでしょうか?
さて、次回から次章に入るため、少しだけ【 準備期間 】を頂戴します! 更新予定などはTwitterで先に告知したりするので、是非チェックしてみてください!
【 カクヨムコン 】の追い込み的な連続更新でしたが、これからも『暗躍無双』はつづきますので、引き続き、楽しんでいただけますと幸いです!
――――では、また次の章でお会いできますように。
いつも応援、本当にありがとうございます。
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