聖石【前】

 俺が宿を出るにあたって大前提がある。



 1・クリストフに見つかってはならないということ。

 2・当たり前だが、死んではならないということ。



 この二点を何が何でも順守しなければいけない。

 けど、自分で考えていて笑ってしまうし、この二つを再確認したことに対しての苛立ちも僅かに生じていた。



 伝説の暗殺者と言われていた俺が、たかが一人に見つからないように仕事が出来ない?

 馬鹿げた話だし、イラッとしてしまう。



「…………まぁ」



 こんなのは、一度も任務を失敗したことがない男が考えるべきだろう。

 俺のように下手をこいて死んだ男が苛立っていい話じゃない。たとえ、伝説の暗殺者と謳われていた過去があろうとも、今となっては関係ないから。



 夜の町を駆ける俺は闇に潜み、溶け込みながらこんなことを考えていた。



 大時計台を見上げると、空中で戦う雷帝。

 数が増え、更に膂力が増しているであろう飛龍を前に、堂々とした戦いを繰り広げている彼は、どこからどう見ても異常な実力者だった。



 …………逃げろッ! 早く逃げるんだッ!

 …………おい! 何が起こってるんだよ……ッ!

 …………早くしろッ! 急いで離れるんだ!



 住民の悲鳴交じりの声を聞きながら、やっぱりかと再確認。

 彼らは逃げまどうにも関わらず、決してこのアンガルダの外に行こうとしていない。頭の中からその選択肢だけがすっかり抜けているように、傍から見れば不思議なほどに。



 これが、時堕の魔法が消え去ったときにどうなるのか。

 性格には、彼の魔法だけでなく何か別の要因――――催眠のような何かもあるとクリストフは言っていたし、想像も付かないが……。

 間違いなく、今よりは状況が良くなるはずだ。



『ガァッ!』


『ハッ……ハッ……ガァアアアッ!』



 天高い場所から降り注ぐ飛龍たちの声を耳に入れながら、ようやくたどり着いた大時計台の下で息をひそめる。



 出入り口は……無事だ。

 クリストフの魔法でどうにかなっていると思ったが、少なくとも、時堕の影響下にあるうちはそう簡単に崩れないようだ。



 ただ、真正面から侵入するのもどうかしてる。

 だから路地裏に回って裏口を探り、それを見つけた俺は迷うことなく足を進めた。



 人の気配はないし、誰かが近づいてくる気配もない。

 皆が皆、天球を覆う異常とクリストフの雷に恐れおののき、命からがら逃げる最中にあったからだ。



 ――――大時計台の中は、文字盤の高さから入ったときとほぼ変わらない。



 頭上一杯に広がる吹き抜けと、歯車の数々。

 鉄で造られた武骨な階段と、その間に響き渡る空洞音。

 最上層付近に見える、時堕が拘束されたあの部屋の光。



 昨日までと違うのは、俺がこの空間を自分の足で駆けあがらなければならないことだった。



 でも、それだって今の俺には障害じゃない。磨き上げた身体強化の魔法の前では、たかが階段にすぎない。

 無限につづくようにも見える階段を前にして、少しも辟易せずに足を動かす。

 そうしている間に、この後するべきことを再確認する。



(忘れるな。この仕事の絶対目標は暗殺じゃない)



 クリストフは時堕を殺すことも視野に入れていると言っていたが、あくまでも視野に入れているだけで、最善ではないことは言わずもがな。

 現状の最善はただ一つ。時堕を止めること。

 その手段として暗殺は有用だが、別の方法を探ることを諦めることは許されないのだ。



 たとえば――――。

 気を失わせて自由を奪う。

 殺さずとも、小さくない傷を負わせることも考えねばならない。

 後のことはいずれ、クリストフがどうとでもするだろう。



 だから、俺がするべきことは変わらない。

 何とかして、時堕をどうにかして先頭不能に陥らせることだ。



 暗殺した後の国家間の面倒ごとを思えば、暗殺は最後の手段とするべきだろう。



 一つ、そして二つとあの男が待つ場所へ向けて足を進める。

 時折、クリストフの雷で崩れた境目から外を見た。

 宙を舞い槍を翻し、銀の髪を靡かせた彼は幻想的ですらあった。

 見惚れてしまいそうになる強さを目の当たりにして、思わず止まりそうになった足を慌てて動かす。



 日付が変わるまでの時間はあと僅か。

 時間にして十数分。長くとも三十分はない。



「はぁっ……はぁっ……」



 やっと、遂に。

 俺は文字盤の高さまでたどり着き、上を見上げると巨大な歯車に鎮座する例の部屋が。

 周囲には誰も居ないし、飛龍がやってくる様子もない。

 けど、慌てず。

 あくまでも潜むようにすることを忘れず、上ったその先で――――。



 ああ……想像通りだった。時堕は弱っているらしい。覗き込むと、鎖に繋がれた時堕の身体はぐったりして、力ない。

 時間の経過により、何者かの仕掛けが進むごとに彼の魔力が枯渇に向かったせいで、彼自身の周囲にある領域が薄らいで、扉は最初から開かれていた。



 ……でも、時堕を取り囲む数人の男たちはいったい?

 彼らの服装はアンガルダに来た時の俺と似た旅人のそれだが、男の中でも一人、他の数人と違いリーダー格の男らしきものが居た。



『聖石を持ちなさい』



 その男の声を聞き、周囲にいる部下らしき者が。



『はっ』


『こちらに。司教よりお預かりした物です』



 すると、その声を聞いて。

 これまで力なく吊るされていた時堕が――――。

 ゆったりと顔を上げ、口の端を綻ばせる。



『――――聖石とは驚いたなっ! ああ! 驚いたとも……ッ!』


『ッ……まだ動けるのですか……ッ!?』


『クヒヒッ――――俺を誰だと思ってんだ、ああ? てめぇら糞神官が拝む紛い物なんかより崇高な存在、カールハイツ様……だぞ……ッ……!』



 息も絶え絶えな時堕が白い歯を見せて笑った。

 部屋に漂う光の玉が一つ、リーダー格の男を囲って肌を灼く。

 慌てた部下たちは怯んだものの。



『胸にナイフをッ! はやく聖石を埋め込むんだッ!』



 皆、自分の身体に危険が押し寄せるより先に。

 怖れを抱きながらも、先ほどの声に応じて時堕の胸に何かを埋め込んだ。

 けれど、すぐに身体が光の玉に包み込まれ、肌が灼けた。

 瞬く間に焦げ付いた身体が横たわり、対照的に時堕が楽しげに言う。



『おい、そこにいる鼠』



 俺のことか? 黙っていると。



『聞こえてんだろ。さっさと来いよ』



 明らかに俺に声を掛けているようだった。

 どうやって知ったのかは分からない。俺はほんの一瞬しか中を覗き込まなかったし、その後からは息を潜めて耳を傾けていただけだ。

 しかし、無視をするわけにもいかない……だろう。



 出て行かず、というのもなんだ。

 影から潜んで戦いに持ち込めればよかったのだが、こうなってしまうと今更にもほどがある。

 俺は時堕の消耗が激しいことに加え、胸から血を流しているのを見て姿を見せた。



「んだよ、勿体ぶりやがって」


「…………」


「なに黙ってんだ。殺すぞ」



 また、随分とストレートな脅し文句だ。

 それができる力の持ち主ではあるが、分かりやすくて逆に清々しい。



「魔法を解いてくれ」


「あん?」


「あんたの魔法で、このアンガルダは同じ時間を繰り返してる。解いてくれたら助ける。約束しよう」



 不思議と、初対面の頃より彼は冷静な気がしていた。

 あの時と違って言葉を交わせているのがその証拠だろう。

 ただ、時堕は記憶を失っている。

 俺からすれば初対面ではないが、彼からすれば初対面なのだ。



「いいぜ。俺を殺してくれたらな」


「な、な――――ッ!?」


「どうして俺とお前は初対面なんだ? 答えは簡単だ。てめぇはてめぇの口で、俺の魔法のせいでアンガルダが時間を繰り返してると言った。が、俺はそれを知らない。逆にてめぇは知ってる」



 なんて頭の回転が速い男なんだろう。

 まさか、それだけの情報から――――。



「ってことは、この後で俺の身体に何かが起こる。俺はそのことに抵抗して時間を巻き戻す。……俺が本来、使えないはずの力を使ってな」


「…………驚いた」


「ついでに、てめぇが俺の前に来てさっきの言葉を言ったってことは、てめぇは何度か別の手段を試して、ようやく今の俺の前に来れたってことだ。さしずめ……俺が消耗してる時間でも探ってたってところか」



 すべて、この男は俺たちの計画をすぐに看破した。

 もう何も言うまい。

 彼はすべて理解に至った、そう考えて相対するべきだろう。



「だから、俺を殺せって言ったんだ。悪いが、魔法を止めてやろうとしても止まらねぇんだ。こいつは、俺が生きてるうちはどうしようもない」



 こいつらのせいでな、と横たわる黒焦げの男たちを。



「それは――――」


「出来ないとでも言うか? なら、てめぇはケイオスの民か、俺らと敵対することを望まない隣国の人間だ。ま、どうせ隣国ってとこだろ。俺にさっきみたいな口調で話しかけたんだからな。残念だが、俺はここ十数年はため口で話しかけられたことがねぇ」



 それも正解だ。

 俺の頬に乾いた笑みが浮かびはじめる。



「それも、俺を俺と知って足を運んだのなら……関係者も限られる」



 少しずつ近づく俺へと、陽気な声で。

 脂汗を額や首筋に流しながら。



「てめぇは、シエスタの人間だ」


「…………」


「クヒヒッ……黙るなよ、ボウヤ。さっさと俺を殺せばいいだけだ」


「お前みたいな男とは、できればゆっくり話してみたかった」


「お、見る目あるじゃねえか。仕方ねぇ、顔を覚えてやるから見せてみろよ」



 俺は迷った。見せるべきじゃないと思ったから。



「いいから見せろよ。見せねぇと殺すぞ。黙って殺されてほしかったら顔ぐらい見せろ。でないと、てめぇも一緒に死んでもらうからな」



 でも、その言葉を聞いて俺は頷いた。

 ハッキリ言うと、この男が言うようにもう殺すしかないのかもしれない。

 少なくとも、嘘を言うような男には見えないし、思えない。

 後は彼と真正面から戦うことは避けたいのもあった。



「ああン……? 別に隠すような醜さじゃ――――」


「……人の顔を見て黙るんじゃない」



 面前に立った俺を見るは、眼帯に覆われた眼である。

 だというのに、鮮明に見えているかのように俺をじっと見つめていた。

 気になったのは、彼が絶句していたことだ。



 だが。

 カシャン、と。

 これまで面倒くさそうに力を抜いた身体に力を込めて、僅かに残された力を振り絞って俺に腕を伸ばした時堕。

 俺は対照的に事前に複製していた剣を手にした。

 すると、時堕は「やれ」と一言。

 迷うことなく刃を突き立てた俺は、その胸元をあっさりと貫いた。





「――――ククッ。あの女、、、にそっくりだぜ、その顔」





 すると、俺の耳元にだらんと首を垂らした時堕が言った。



「ッ――――ま、待て! 誰のことを言ってるんだ!」


「さぁな。こうして殺させてやったんだ。もう十分優しくしてやったろ?」


「いいからッ! 俺の顔が誰に似てるのか教えてくれ!」


「ク……フフッ……さぁ、誰だったろうな……」



 更に聞き返すも、今度は返事が返ってくることがなかった。

 呼吸も聞こえなければ、脈もなかった。

 俺の身体に倒れ込んできた時堕の身体から、そっと鎖を外して横たわらせる。

 ……駄目だ、もう絶命している。



「この……最期に気になることを言い残すなよッ!」



 色々と思うところはあるが、こうしちゃいられない。

 時堕は確かに死んだ。

 もう、魔法だって解けるはず。

 辺りを見渡すと、この部屋の中の光がいつしか消えていた。



 アンガルダを囲む異変もこれで終わり。時間が元の流れに戻るのだろう。

 急いでここを離れないと。

 宿に戻り、俺は何もしていないという体で。



 そう思って振り向いた俺が、部屋の外に出るために歩き出した――――その時だった。

 背後から、波のようにやってきた強烈な圧が。

 波及した圧が過ぎ去ったところから、世界が灰色に染まっていく。

 僅かに見えた外の景色も、そこを飛んでいた飛竜もその姿のままに、灰色に染まった場所から凍り付いたかのように動きを止めた。



 何が起こっているんだ。

 でも、俺の身体だけは灰色に染まっていない。

 灰色の世界の中で、たった一人俺だけが……いや。

 もう一人、染まっていない者が居た。



「……時堕!」



 しかし、様子がおかしい。

 背後にいた、倒れていたはずの時堕は胸元から鮮烈な光りを上げ、その身体を宙に浮かべた。

 光に目を背けた俺が、やがて息を呑む。

 そして、目を開けたときに思い出す。



 天使のようなそれに姿を変えた時堕を見て、黒焦げにされた男たちが『聖石』という言葉を口にしていたことを。




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