腹黒男が頼もしかったりする
またこの屋敷に足を運ぶなんて、今朝までの俺は考えたこともなかった。
でも今はアリスが居候――――と言うのが正しいのかはわからないが、何にせよ我が家に住んでいるわけだから、いずれその機会があるのは当然だった。
それでもこうした状況で足を運ぶなんて、考えたこともない。
「グレン様、どうぞ中へ」
そう言って屋敷の玄関を開けたのは爺やさんである。
さすがと言うか何というか、ラドラムは俺の動きを察知していたようで、俺とミスティが手を組むと話をして間もなく、ローゼンタール家の馬車が屋敷にやってきたのだ。
一足先に足を運んでいるはずの父上の居場所は分からないが、事後承諾で構わないだろう。
俺は
「ご家令様、私の荷物の確認は――――」
「いいえ、結構でございます。グレン様とお連れ様に限ってはその必要はない、と旦那様より承っておりますので」
「…………あのローゼンタール公爵が、それほど坊ちゃんを信用なさっているなんて」
「旦那様はグレン様のことを大変気にかけておいでです。その心を慮るのは私にも難しいことではありますが、恐らく、グレン様のお優しいお人柄に惹かれているのではないかと」
爺やさんは自分の口でそういうが、無茶だとは思わなかったのだろうか。
あの腹黒男が優しいからって人を気に入るか? 本性を知る者が百人いれば百人が疑うはずだ。
その後は特に会話らしい会話は少しもなくて、爺やさんの先導についてラドラムの執務室を目指した。
やがて、たどり着いた先の扉の前で。
立ち止った爺やさんが扉に手をかけて言う。
「お連れ様は私と共にこちらでお待ちくださいませ。グレン様はどうぞ中へ、旦那様がお待ちです」
「分かりました。……じゃあ婆や、ちょっとだけ待っててね」
「ええ、畏まりました」
爺やさんが扉を開け、俺に中へ入るように促す。
顔を覗かせると中は以前と変わらず。
そして、最奥の机で待っているラドラムの笑みもまた、以前とまったく同じで辟易としてしまう。
「ラドラム様、驚きましたよ」
「驚いた? どうかしたのかい?」
「馬車を送ってくれたことがです。俺が帝都に来ると思っていたんですか?」
「ああ、勿論さ! 僕が良く知るグレン君ならすぐにでも帝都に来るだろうって思っていたよ! そして、僕の下に来て面白い話をしてくれるんじゃないかなって期待もしてた! さぁ、楽しい話を立ってするのはもったいない。前みたいにそこに座って、僕と一緒にお話しようじゃないか」
饒舌なラドラムが俺にソファへ座るよう指を向け、彼は一足先に深く腰を下ろす。
既にあたたかな紅茶が二つ用意されており、ティーカップの上に漂う蒸気は淹れたててであることの証明。
……頃合いまで見計らっていたとは、相変わらず恐れ入る。
「それにしても、アリスはいないのかい?」
「アリスは留守番です」
「ははっ、僕と会うのがそんなに嫌だったなんてね」
「そうじゃありません。俺の仕事を手伝ってくれているってだけですよ」
「グレン君の仕事――――か。そうか、やっぱりグレン君は僕が思い描いていた通り、楽しい話をしに来てくれたんだね」
「どうでしょうか。楽しいと思っていただければ何よりですが」
さて、いくらこの男が俺を気に入っているとはいえ、舐めてはいけない。
隙を見せれば骨の髄までしゃぶられて、気が付くと手中に収められていることは必定。それも、気が付くと戸籍すらローゼンタール家に差し替えられていそうで怖い。
「そういえば、僕もグレン君に話があってね。良い話と悪い話があるんだけど、どっちから聞きたい? 僕のおすすめは良い話なんだけど」
「では悪い話からお願いします」
「本当に連れないね、グレン君らしくて嫌いじゃないよ」
すると、ラドラムは懐から数枚つづりの紙の束を取り出した。
俺にそれを手渡し「まずは読んでくれ」と言う。
「準備が良すぎませんか」
「どうしてだと思う? 答えはグレン君だってすぐに分かると思うけど」
「そんなの、ラドラム様が知らない場所で起きていた件そのものの手際が良すぎたからに決まっています」
「大正解。さすがに今回の一件は僕も驚いたんだ。まさかこれほどとはね」
やり取りはここまでに、俺は紙に目を向けた。
一枚目に書かれていたのは表題「帝都議会:第三皇女ミスティア・エル・シエスタ殿下への、国家反逆罪の疑惑に関する資料」と記載がある。
紙をめくると多くの貴族の名前が連なり、そこに賛成、反対の文字が羅列する。中でも審議という文字が過半数を占めていた。
「ローゼンタール家は『審議』と書いてありますが、これは?」
「それは賛成も反対もしていないことを意味するんだ。いずれどちらかに変更することが義務付けられているけど、形骸化している。昨今は帝都議会で議題にされた問題の中にも、『審議』のまま話を終える貴族だっているよ」
「つまり、ラドラム様以外の『審議』とある貴族たちは、まだ判断をしていないというわけですね」
「そういうことさ。それで、どう思う? 面白い資料だと思わないかい?」
現状ではあまりそうは思えない。
賛成の数が反対より多いのは分かるし、その賛成の中にいる貴族の爵位が平均して高めなことも分かったが、それだけだ。
(何が面白いんだ)
紙をめくると、罪状に関する内容がつらつらと並ぶ。
賛成と反対はその罪に対しての断罪を執行するか否かであるが、見る限り、断罪の内容自体は思っていたよりも大きくない。
というのも、皇族からの追放、のみだからだ。
「思っていたよりも罰が弱いんですね」
「そりゃそうさ。皇族なんて普通なら罰することすらおこがましい存在だからね。だから先に皇族としての籍を抜き、平民にしてしまう。それから首を刎ねるなり投獄するなりってわけさ」
「趣味の悪い話ですね。元辺境貴族の俺には良く分からない価値観です」
「僕もそう思うよ。どうせ断罪されるならさっさとやればいいのにって、父上に教えてもらったときから考えていた。ところで、この資料を面白いって思わなかったかい?」
「残念ですが良く分かっていません」
「ふむ、それなら僕が説明してあげるとしよう。賛成の貴族を見てご覧よ」
俺はラドラムの指示に従ってそれを見る。
やはり爵位が高い連中ばかりだが、それだけのことだ。
いったい何が面白いのだろうか。
「グレン君はあまり興味がなかったから分からなかったんだと思う。けどね、その賛成の貴族たちの領地は面白いことに偏っていて、我が国の西方の貴族ばかりなんだ」
「分かりません、どうして西方に偏ったんですか?」
「ここで僕は面白い話を思い出したんだ。西方に位置する王国、ケイオスって言うんだけどね。かの国は我らシエスタと共にガルディアを滅ぼした盟友だ。僕らとの仲は良かったし、いい関係を築けていたわけだけど、ここ最近は少し違う。鉱山資源の取り合いとか、賊の引き渡しやらなんやらで、ここ数年はギクシャクしてる」
でも、とラドラムがつづける。
「特に西方でこれらが顕著でね。互いに権利の主張が激しくて仕事もままらないってことらしい。しかも西方の鉱山は本当に金の出る泉とあって、どちらとしてもその権利が欲しいんだ」
「聞く限りでは、もう戦って奪い合うしか道がないように思えますが」
「そうだね。しかしケイオスも大きな国ではあるが、シエスタには劣る。シエスタに恭順は望まなくとも、自分たちにも利がある共存の道を探っていたわけだ。シエスタもシエスタで、そこで小競り合いをすることは望んでいないし、ここで周辺諸国への隙を作りたくもない。だが、権利を譲ったという負けも避けたいわけだ」
「ああ…………何かキナ臭いって話ですか」
「そういうことさ。ところでこれは独り言で、まだまだ公表されるはずじゃない情報なんだけどね。ケイオス王家は王女を一人、我が国に嫁がせることを検討しているそうだよ」
俺はため息をついて、冷めつつあった紅茶を口に含んだ。
落ち着く香りと丁度いい渋みに舌鼓を打ちながら、面倒な話に耳を傾ける。
「話は変わるけど、他国の王女を娶るとなれば、次期皇帝への道も近づくはずだ。考えてみればその欲求がひときわ強い皇族が居た気がするね。まぁ、僕には関係のない話だけど」
「関係ないとは言えないと思いますが」
「いいのいいの、どうせ些末事にすぎないし。さて、話が前後するけど、ここで第三皇女殿下が狙われた理由だ。彼女は魔法の実力はもちろんのこと、人望が伴っている。そうすれば、次期皇帝となるためには邪魔な存在だろうね。次期皇帝への欲求が強い皇族からすれば、彼女ほど邪魔な存在は居ないと思うよ」
「――――もしかして」
「ああ、すべてはそのために仕組まれていたんだ」
ラドラムの言葉を聞いて、俺は腕を組んで目を伏せた。
すべてが仕組まれていた……つまりそれは……。
「その皇族はケイオスとの間にあった問題を利用した……?」
俺の声を、ラドラムは楽しそうに聞いている。
「西方にいる爵位の高い貴族の同意を得るためには、相応の理由が必要になる。そこで鉱山の一件を解決することで、自身の派閥に引き入れた。ケイオスとしても、仮にこんな提案がされてたとしたら、悪い印象じゃない」
「…………それで?」
「ラドラム様が言ったように、他国の姫に嫁いでもらえば更に良い。大きな問題を解決したという手柄も出来るし、彼はすべて得をすることになる。鉱山の権利もろもろに関しては、近隣の町同士で保有することにすれば、シエスタの対外的な顔も立つ。権利を譲ったという負けじゃないからだ」
顔を上げてラドラムを見るに、どうやら俺の予想があっているようだ。
彼の満面の笑みを見るのは何となく微妙な気分になるが、多くの問題の答えが分かってきたような気がして、早期分は悪くない。
「婚姻なさった暁には、明確な国交が出来たからその祝いとしてって感じですかね。鉱山周りが落ち着くなら、そりゃ貴族も派閥に入るでしょうね」
しかしわからないことがある。
「重要な戦力にもなるのに、ここでミスティア様を皇族から追放するのはどうかと思いますが。体面も悪くないですか?」
「だからきっとされないはずさ。第五皇子――――じゃなかった、第三皇女殿下を嵌めた例の皇族は恐らく、彼女へと皇位継承権の放棄を宣言させるはずだし、ついでに言うと、例の皇族の派閥に入るように言われるんじゃないかな」
「手元に置いておく、ってわけですね」
「そういうこと。城の給仕から聞いたことがあるんだけど、彼は第三皇女殿下をいたく気に入っているそうだし、情婦としてそばに置きたいのかもね。第三皇女殿下を救う代わりに、って交換条件を強いようとしてるのかも」
なんとも胸糞悪い話だが、俺はここで第五皇子が口にしていた話を思い出す。
ミスティアを娶ろうと思う者は居ない、という例の話だ。
ここでラドラムに尋ねようとは思わなかった。誰にでも隠したいこと、聞かれたくないことはあるだろうし、そもそも、ここで聞く話じゃない。
「――――第三皇女殿下は今、ご自室に軟禁されているらしい。外には近衛騎士団長に加え、皇帝陛下付きの魔法師団が番をしているとか」
「どうしてそれを俺に?」
「どうもしないよ。ただ忍び込むことは難しい、って話なだけかな」
ちなみに、と。
「いままでのが悪い話であることの際たる理由なんだけど、実は余裕があまりないんだ。帝都議会でこの一件が取り上げられるのは、明後日の朝になる」
「ちょっ……急すぎませんか!?」
「だから手回しが良すぎるんだよね。僕が少しも耳に入れる前にこの流れだったから、正直恐れ入るってのが一番の感想だよ」
「…………ラドラム様のお言葉で遅らせたりは」
「難しいな。議長がどうにも苦手でね、正直快諾は出来ない話なんだ」
少し意地の悪い返事にも聞こえるが、よく考えなければならない。
ラドラムは快諾は出来ないと言ったものの、出来ないとは口にしなかった。
つまり、もう取引がはじまっているのだ。
「ここまでが悪い話ですか」
「そうなるね。ちなみに良い話だけど――――」
俺はここで席を立ち、無作法にもラドラムへ背を向けた。
もう、ゆっくりしている余裕はないからだ。
「僕も帝都議会で取り上げたい議題があってね。とある皇族の皇位継承剥奪についてなんだけど、まだ情報が足りていないんだ。グレン君、手伝ってくれないかな?」
「構いませんよ。代わりにミスティア様の一件で口添えをいただければ」
「ははっ、頼もしいよ。さすがはグレン君だ」
俺が扉に手を掛けたところで、腹黒男がもう一度口を開く。
「ケイオスとしては、自分たちの利が確約されたらそれで十分だと思う。だから例の皇族にこだわっているわけじゃないから、あまり心配しないで構わないよ。面倒な話に関しては、すべて僕に任せてくれて構わない。いざとなったら僕が何とかしてあげるからさ」
つまり、俺は。
やるべきことは、ラドラムが欲しているであろう情報を集めるだけでいい。
彼が今のように口にしたのなら、お言葉に甘えて気にしないことにした。
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