飛竜

王族と皇族が混じっている点をご指摘いただいていたので、最新話までのすべてのお話にて単語を調整しております。王族に関する言葉が基本的に皇族になったり、皇帝もろもろに合わせているだけなので、特に見直す必要はありません。


恐れ入りますが、ご容赦いただけますと幸いです。




◇ ◇ ◇ ◇



 湯上りの俺は調理場に向かっていた。

 小腹が空いたから、何か食べ物でも――――と考えながら、まだ火照った身体を冷やすように手で扇ぎながら。



 そして扉を開けてすぐ、偶然にも父上と鉢合わせた。



「どうした、グレンも腹が減ったのか?」


「そんな感じです。それと父上、さすがに調理場に甲冑姿で来るのはどうかと思いますが」



 相変わらずと言えば相変わらずでも、どうだろうか。

 父上はただ笑うばかりで、すれ違いざまに俺の頭に手を乗せる。わしゃわしゃと手を動かして、まだ湿り気のある俺の髪を乱れさせた。



「ついでにここで伝えておこう。私と婆やは来週、一日だけ屋敷を空けることになった」


「急にどうしたんです? 旅行ですか?」


「こんな時期に旅行をする馬鹿が何処におるか……そうではなくて、例の織物やらなんやらの事件について、話を聞けそうな機会があっただけだ。シエスタ魔法学園の教職員もろもろが帝都に足を運ぶ日があったろう? その日は色々な専門家も来るからな、ついでにと思ったのだ」


「…………父上、結構協力的ですね」


「何度も言っているが、私が力を貸すのはグレンにだけだぞ」



 何とも素直ではない言葉だが、ありがたい話である。

 俺は父上と別れて軽食を手にすると、自室へつづく階段に向かった。

 歩き心地のいい絨毯の上を進みながら、思う。本当に何が原因で織物などの品質が低下しているのかが分からない、その方法はいったい、と頭を働かせていた。



 ――――分からん。



 正直言って、八方ふさがりと言っても過言ではない。

 既にエルタリア島での調査はしているという前提のもで進んだ調査だが、かと言って、この港町フォリナーに届いてから入れ替えられた形跡もないのだ。

 更に言うならば、沖で入れ替えられた様子もないという。

 ……それで品質だけ低下させるなんて、本当に魔法じゃないか。



「魔法、か」



 考えてみれば、魔法というのがそう遠からぬ答えなのかもしれない。

 前世にはなかった魔法の概念があれば多くのことが可能になる。進んだ科学は魔法のようなものという言葉を聞いたこともあるが、やはり限界はあるだろう。



 となれば……たとえば固有魔法の線が……。



「やめてくれ、余計に調査が難しくなるだけだ」



 それこそ犯人探しなんて夢のまた夢な気がする。

 見知らぬ場所で魔法を使って危害を加えていたら、こんなの考えるだけでも面倒なことこの上なかった。



「あらら、グレン君が独り言なんて珍しいですね」



 と、踊り場で会ったアリスが言った。

 どうやらアリスも湯上りのようで、火照った頬と首筋には普段と違った艶がある。

 俺と同じで、部屋に備え付けられたものではない浴室を使ったらしい。



「どうかしたんです?」


「面倒な予想をして、辟易してた感じ」


「ほうほう……このアリスちゃんにご相談してみてくださいな」


「えー」


「ちょっ! えーってなんですか、えーって!」



 何処となく気が進まないだけで、アリスの知恵を疑っているわけではない。

 ……ふと、アリスが踊り場の窓を開けた。

 夜の少し冷たい風が俺たちの頬を冷ましてくる。



「何かヒントが見つかるかもしれませんよ?」


「……かもね」



 俺はアリスの隣に立ち、壁に背を預けた。

 一方でアリスは窓枠に身体を預け、風に髪を靡かせる。



「織物とかが船上で劣化しているとして、その手段を考えてみたんだ」


「それが面倒ってやつですね!」


「そ。ようは固有魔法の使い手とかにそうさせられてたらって思って、だとしたら犯人探しは諦めたくなりそうだなって話」


「むぅ…………そうですね、それはもう難儀な気がします」



 アリスは「たはは」と力なく笑った。



「エルタリア島でもこっちの港でも調べてますしねー。あ、あとは海上でも皇族の船をはじめとする多くの船が見張ってるんでしたっけ」



 そう、その影響もあって隙があるように思えない。

 聞くところによると、夜の暗闇であっても他の船によるすり替えは難しいという。



「ってわけで船上で劣化させるなんて」「あの海域は魔物の数も少ないですし、魔力の吸収による害も少なそうですもんねー」「――――え、何それ?」



 魔力の吸収による害と聞き、俺は思わず目を見開いた。



「はえ、どれがです? 魔物が少ないってことですか?」


「その後の、魔力の吸収による害ってやつ」


「偶にあるそうですよ。エルタリア島の特産みたいに魔物から出る素材を使っていると、宿した魔力が勢いよく吸収されてしまうことにより、品物自体が劣化してしまうそうです」


「ッ――――ちょっと詳しく教えて」



 俺がアリスの両肩に手を置くと、アリスはハッとした顔で俺を見た。

 頬を一瞬で真っ赤に染めてしまい、視線がおぼつかない。



「近いですよ!?」


「ここで話すのもなんだし、つづきは俺の部屋にしよう。お茶ぐらい出すから付き合ってほしい」


「グググッ、グレン君のお部屋ですか!?」


「…………話を聞くだけの意味だから、あんまり慌てないで」



 それから。

 俺はまだ慌てたアリスを強引に自室へ連れ込んだ。知識を聞きだし終えたのは、日が変わって一時間後のことである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 数日後、朝にアリスを見送ってから数十分後のことである。帝都へ向かう父上と婆やを見送るため、俺は庭に停まった馬車の前に居た。



「では行ってくる」


「気を付けて行ってきてくださいね、今度は捕まらないように」


「次は自力で逃げて来るさ、だから留守を頼んだぞ」



 逃げてきたら留守を守るどころではないが、まぁ冗談だ。

 俺は父上を見送ってから、青々とした空を見上げて思う。

 故郷、辺境都市ハミルトンを思い返して穏やかさを取り戻してから懐を漁り、ここ数日の間に考えたことをまとめたメモ用紙を取り出した。



「吸収は急激に行われないと劣化しない」



 それは先日アリスから聞いた情報の件である。

 アリス曰く、魔力が混じった素材が劣化する条件として急激な吸収であることが必要だという。いわゆる経年劣化に近く、日頃の生活で魔力が抜けていく場合にはその限りではないと。



 また、魔力を吸うという概念についてだ。

 蚊が針を刺して吸うのとは違い、魔物が呼吸をすることで微量に吸い込まれるのだそう――――だが、たとえ魔物の大軍であろうと劣化に至らせるほど吸収されることはないらしい。



 つまり、何か、、を人為的に仕込まない限りは劣化しないのだ。



 今日はその何かについて考えるつもりで、夕方、ミスティアが来たらこの考えを共有するつもりであった。



『クルルルルルルル…………ゥ…………ッ』



 不意に聞こえてきた鳥の声。

 町中に響き渡るように木霊して、どこまでも届きそうな通りのいい声だった。



「シエスタ魔法学園からか」



 声のした方角は正にその通りである。

 じっと見つめ、一体何だったのだろうと思いつつすぐに気が付いた。コールバードという魔物の実習という話があったではないか、と。



「こりゃ仲間を呼ぶのに重宝しそうだ」



 その声は数分に渡って響き渡り、俺が自室に戻っても耳に届いていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「以上です。本日の実験に関するレポートは各自でまとめ、帰宅前に提出していくように」



 学園に残った数少ない教員がそう言って、学園が誇る華美な庭園を去って行く。

 残された多くの生徒の視線はいまだに檻の中、さっきまで鳴き声を上げていたコールバードに向けられていたが、ミスティアは違った。



 彼女は国を出て賊を討伐したことがあれば、それこそ魔物と戦った経験だってある。

 故に戦姫――――そう呼ばれることがあるほどで、コールバードを目の当たりにしたところで特に思うことはない。



「アリス、今日も一緒にご飯にしましょ」


「どうしましょう……ミスティに誘ってもらえるなんて珍しすぎて、雨でも降りそうです」


「な、何よ! 私だってたまには――――」


「冗談ですってば、ほら、行きましょっか!」



 二人は密集した生徒の傍を離れて、屋上へ向かう前に教室へ向かう。

 ペンやノートは置いてきた方が楽だし、そもそも昼食を買いに行かなくてはならないからだ。



「……あ」



 学園内に戻ってすぐ、アリスが不意に足を止めた。

 彼女は何かを見つけて苦笑。

 ミスティアの制服の裾を掴んで、唇を動かして「あっちに行きましょう」と言った。

 何かと思ってミスティアもその視線の先を見てみると、そこにいたのはいつにも増して強気なクライトの姿と、彼に壁際に押し寄せられた第五皇子の姿があった。



『ですから! それでは甘いのですッ!』


『今さら何を言う! それにクライト! 最近の貴様の振る舞いは何だ! この私に異を唱えるばかりかこのような……不敬であろう!』


『承知の上です! ですがこれは第五皇子殿下のためなのです!』


『ッ――――もういい。貴様は今日限りで私の騎士ではない。どこへなりとも行け、二度と私に話しかけるんじゃないぞ』



 遂に完全なる仲違い。

 その様子を見ていたアリスとミスティは別の道を通りながらも、疑問符を浮かべていた。



「すごかったですね、さっきの」


「ええ、まさかって感じだけど、本当に何があったのかしら」


「意見の違いって感じですね。……あの二人のことなんで、私は特に興味ないですけど」



 やがてクライトが壁を強く叩いてヒビを入れた。

 ずん、と重い音が響き渡り、つづけて。



『私がやらなくては……たとえ一人でも、第五皇子殿下のために』



 という、何か決意した声がミスティアの耳にだけと届いたのである。



「ミスティ? どうかしました?」


「ううん、何でもないわ」



 立ち止ったミスティアは気に掛けた様子を見せるも、すぐに頭を振って歩き出す。

 城に帰ったら誰かから聞いておこう。

 これだけを心に決めて、親友との語らいを楽しんだ。





 ――――さて、昼食は取り留めのない話と共に楽しめた。

 場所は先日と同じ屋上で他には誰もいない。



 腕時計を見てから、そろそろ教室に戻ろうと話をしていたところでだ。



「あれ…………何でしょう、あの黒い雲」



 アリスが遠くの空を見て言ったのだ。

 彼女の声に倣ってミスティが空を見上げると、海の方の空から何か来る。…………黒い影が港町フォリナーを目指してくる姿に気が付いた。

 鳥にしては大きすぎて、速度が速すぎる。……では何だ? じっと目を凝らしていたミスティアがその正体に気が付いたのは、黒い影から声が聞こえてきたときのことだ。



「――――飛竜」



 そっと、呟く。

 飛竜は純粋な龍種には劣るものの、強力な魔物である。

 堅牢な鱗が全身を覆い、長い首の先に掲げた咢から吐くブレスは鉄をも溶かす。一頭いるだけでも多くの騎士や魔法使いを動員するほどの魔物なのに、それが群れを成す。

 ミスティアの胸が不快に早鐘を打った。



「アリス、急いで避難を」


「もう無理だと思いますよ。あの飛竜の群れを見てください。この町を襲うというよりは、この学園に向かってるように見えませんか?」



 言われてみれば、そうした進行経路である。

 どうして飛竜が来たのか。

 どうしてこの学園に向かってるのか。

 何もかも考えることを放棄したミスティアは、自身の頬を強く叩いた。



「ミスティ、私は皆に伝えてきます。私がここに居たら邪魔になりますよね?」


「…………ごめんなさい」


「気にしないでくださいってば! 私は戦えませんからね!」



 冷静に自信がするべきことを述べたアリスはすぐにその場を離れ、学園の中に駆けていく。ただアリスだって戦えないわけではない。

 昨年までは帝都をにぎわす大怪盗だったし、軽業には自身があった。

 けれど、魔物と戦った経験はない。

 相手が人間であれば――――という話に過ぎないのだ。



「偶然なはずがないわね」



 ミスティアの呟きには誰もが同意するはずだ。

 教員の多くが学園を空けている今、こうして学園を目指す飛竜の群れなんて誰かが仕組んだに決まっている。

 しかしだ。



「後にしましょう」



 考えるのは後だ。

 彼女は懐から杖を取り出して、もう数十秒後にはやってくる群れに目を向けた。



 …………やがてミスティアは唖然とする。

 群れは学園上空近くまでやってくるも、他のすべてに目もくれず、自分へと勢いよくブレスを放ってきたからだ。



「ッ――――氷華」



 天にかざした杖から放たれた、氷のバラ。

 幾重にも合わさった絶対零度の氷は学園上部を囲む大きな花びらを広げて、学園ごと、ミスティアを灼熱の炎から守り切る。



 正直、かなりの余裕があった。

 飛竜はミスティアからすれば特別強い魔物ではなく、やはり群れを成してもそれほどではない。

 炎との相性の悪さは好ましくないが、十分に防ぎきれる程度だ。

 だから、この戦いもすぐに終わるはずだった。



『ガァッ!』



 群れのうち、何頭かが勢いよく滑空して距離を詰める。

 でもミスティアに襲い掛かるわけでもなく、屋上の床へと衝突した。

 すると。



「ッ……不思議ね、そういう戦いをする魔物じゃないはずなのに」



 ミスティアの足場を軽々と崩し、彼女の身体が宙へと投げ出されてしまう。

 しかし彼女はその間も屋上の様子を伺い、学園が崩落するような大きな被害がなかったことに安堵した。

 しばらくは屋上に立ち入り禁止だろうとも、それぐらいだ。



『ァァアアッ!』


『グゥァッ!』


『ガァアアアッ!』



 一斉に襲い掛かる飛竜たちが宙に投げ出されたミスティアに近づいた。

 牙をむき、ブレスを吐いて、爪で引き裂こうと試みた。だがいずれもミスティアの氷に阻まれるか、宙に現れた氷の刃に頭部を切り裂かれてこと切れる。



 一頭、また一頭と地面へと落下していく。

 尚も空中で飛竜を足蹴に、あるいは生み出した氷を足場に戦っていたミスティアだが。



「ッ……ほんっとに飛竜らしくないわね!」



 捨て身の特攻を繰り返し、生き残った仲間にミスティアを襲わせるという陣形。

 飛竜の群れが命を捨てて作り出した一瞬の隙は、遂にミスティアの身体にブレスを浴びせられるだけの時間を生み出した。

 ただ、この程度ではミスティアを倒せない。

 咄嗟に生み出した氷を貫通するかもしれないが、だとしても軽く火傷を負うぐらいだ。



 やってごらんなさい。

 火との相性が悪いミスティアは火傷なんて大っ嫌いだが、多少の火傷なら致し方ないと思い、ため息をついた。



 だが、そこで。

 トンッ、と身体が押されてずれた。



 自分が居たはずの場所に放たれた灼熱のブレスに誰かがが覆われて、ミスティアはつい呆気にとられた。

 けれど次の瞬間、周囲を飛んでいた飛竜の身体が次々と落下していく。何か鋭利な刃に切り裂かれたような、そんな傷跡と共に。



 同じように重力に逆らわず落ちていくミスティアの身体は落下しつつも、何者かに抱きかかえられた。



バルバトスアイツの炎の方が熱かったな」



 見上げるが陽光に混じって顔が見えない。

 でも、誰なのかは分かった。

 …………彼の声はここ最近、毎日のように聞いていたから。


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