戦いの後で。

 地上に降り立ち、周囲を見渡す。

 彼の腕に抱かれたまま目にした光景は、一見すれば凄惨である。横たわり、そして首が斬り落とされた飛竜たちの様子は見るに堪えないというのが一般的な感想になるだろう。


 が、しかしミスティアは違っていた。

 そして後者から密かに様子を見ていた生徒たちも同じく、急に現れた少年の振る舞いに言葉を失っていた。



「大丈夫ですか」


「え、ええ…………貴方のおかげで火傷もしなかったから……」


「ならよかったです」



 そう言った彼――――グレンが来ていたシャツは焼け、素肌が所々さらけ出されている。至近距離で目の当たりにした異性の肌に慌てるよりも、磨き上げられた体躯に思わず驚かされた。



「貴方、いったいどうやって飛竜を倒したの」


「別に大したことはしてないですよ」



 と、やり取りをつづけているうちに頭上から現れた一頭の飛竜。

 現況に落ち着きを失ったのか、大口を開けて食らいつこうとしていたのだが……。



「魔物と戦った経験が多いわけじゃないですけど――――何にせよ」



 グレンは落ち着いてミスティアを下ろし、彼女を立たせてから一歩距離を取る。

 飛竜との距離はあと一瞬、まばたき一度の合間にゼロになる。だというのにグレンは呆れるほどに平然と、且つ相手を観察できるほど冷静に。



「四ツ腕の方が、お前らより強い」



 幼き日に討伐した魔物のことを思い返して、剣を構えた。

 ミスティアからしてみればいつの間に剣を? という疑問が浮かぶほど、複製魔法により出現した剣は自然とそこにある。




 目にもとまらぬ神速の剣戟があっさりと、ただすれ違うようにして飛竜の首を切り落とした。



「まぁ、こいつらに四ツ腕ぐらい警戒心があったら話は別だけど」



 そう言ったグレンの面前の石畳に、飛竜の亡骸が勢いよく衝突した。

 切り口は恐ろしいほど端麗。

 分厚いはずの鱗の切断面が陽光を反射するほど、芸術的な剣技が振るわれたことが一目で分かる。



 ――――あいつは誰だ?

 ――――最近よく見るぞ、確か……。

 ――――領主の息子だ! あの二人と一緒にいた男だ!



 学園からかすかに聞こえてきた声は驚きに染まるものばかりだったが、それもすぐに称賛交じりの声に変っていく。



 けれどもグレンは気にすることなくあたりを見て、残る飛竜を数えていた。

 1、2……8……残りは八頭、常識を言うならばこれでも驚異である。

 されど、やはりグレンの様子は変わらない。緊張している様子もなく、怖気づいているようにも見えない。

 生死が掛かっているにもかかわらず、肝の座りようが歴戦の猛者のそれであったのだ。



「その」



 ふと、ミスティアが遠慮がちに口を開く。



「はい?」


「…………と」


「えっと……何ですか?」


「だから! ありがとうって言ったのっ!」


「…………そんな怒って言わなくても」



 決して怒っていたわけではない。グレンも振り向いてミスティアの顔を見ればそれがわかったろうが、彼は飛竜を見上げているためそれが叶わなかった。

 後ろにいるミスティアは若干頬を赤らめて、礼をしたことに照れくささを覚えていたのだ。



 普段であればお礼をすることにも躊躇わないのだが、言うなれば、はじめて先ほどのように守られたことに今更ながら動転して、こんな状況下にもかかわらず落ち着きを欠いていた。



 まさか自分が身体を抱きかかえるようにして守られて……。

 それも、相手が異性であるなんて……。



 ――――と、今日まで抱いた記憶のない焦りと慌てに苛まれていたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 二日後の朝、俺はアリスを見送るため外にいた。

 昨日はあの事件があったからか一日だけ休校となったのだが、帝都に足を運んでいた教職員たちが戻ったこともあり、むしろ学園に居た方が安全であるという話だそう。

 それほどまでにあの学園の教職員たちと、学園長は皆から信用されているのだろう。



 さて、思い出したところで俺は馬車を見た。今まさに乗り込む直前の、鞄を手に急に不満そうな顔を浮かべたアリスと視線を交わした。



「昨日から、女の子たちにグレン君を紹介してって言われてます」


「いや、いきなりすぎるんだけど」


「あんな派手なことをしたらそうなりますよ! たった数日でファンが急増じゃないですか! どうするんです!? 彼ってカッコいいよねって言われまくってる私の気分にもなってくださいよ!」


「どうもしないし、これからもする気はないかな。面倒をかけてるのは申し訳ないって思うけどさ」


「むぅ…………っ!」



 そんな不満そうに唇を尖らせられても困る。

 大体、あんな騒動があったのだから俺が黙って屋敷に居るはずがないだろうに。



「屋敷に連絡が来たときは驚いたけど、放っておくわけにはいかなかったじゃん」



 するとアリスがそっぽを向いた。



「別にグレン君の行いが不満なわけじゃないんです。ただその……色々と複雑な気分になっちゃうことが無きにしも非ずって話だけですよ!」



 そう言って「べー!」っと舌を出したアリス。

 でも最後には居住まいを正し。



「言っておきますけど、一番カッコよかったって思ってるのは私なんですからね!」



 俺に背を向け、馬車に乗り込みながらこう言った。

 風に乗って「ふふん」という何故か得意げな声が聞こえ、それから俺の方を向いて可憐な微笑みを浮かべた。



「行ってきますね、グレン君」


「ん。また何かあったら助けに行くよ」


「……はえ? 先日の件って、私を助けに来てくれたんです?」



 正直なことを言うと、アリスとミスティアが居たからというのは大きい。

 居なかったからと言って現地に向かわなかったとは言わないが、恐らく、先日よりも慎重に事を運んでいたと思う。



(絶対に言わないけど)



 先日、学園が襲撃されているという連絡を受けた際はそれはもう急いで学園に向かったのだ。玄関ホールに居た俺はその連絡を受けてから、何も言わずに屋敷を飛び出したのだから。



「もしかして、もしかしたりしちゃいますか……?」



 くすっと笑み、でも喜色を隠し切れなかったアリスが頬を緩める。

 と同時に弾んだ声で言う。



「今日は学園をお休みして、ゆっくりお話を聞くのはどうでしょう?」


「馬鹿なこと言ってると遅刻するから、早く行った方がいいよ」


「あー! またそうやって誤魔化すんですからー……いいですよーだ、帰って来てから教えてもらいますもん!」



 帝都に出かけてもいいな、たとえば数週間ぐらい。



「ではでは、アリスはそろそろ学園に行って参りますっ!」



 ころころと表情が変わるのはアリスの魅力だと思うが、今朝は最近でも顕著だったと思う。

 俺はアリスを乗せた馬車が見えなくなるまで見送ってから、恒例のように空を見上げてから、屋敷の中へと戻っていく。



 さて、扉を開けて中に入ったところで。



「グレン、帝都住まいの貴族がお前に会いたいと手紙を送ってきた。どうやらご子息がいるそうでな、助けられたから礼をとのことだぞ」



 待ち構えていた父上に告げられ、面倒くささに頬を釣り上げてしまう。



「爵位はどんな感じですか」


「伯爵家だ」


「ハミルトン家より格上とあれば無視できませんね」


「どうしてもいやだったら私が断りを入れるが、どうする?」



 それをして父上の評判を下げるのもどうかと思ったし、俺は大丈夫ですとすぐさま答えた。



「昨日も一昨日も言ったと思うが、グレンの振る舞いは見事だった。普通の貴族であれば軽率だと叱りつけることもあろうが、私はどうにもこうした性分でな」


「おかげ様で伸び伸びと大きくなれました」


「はっはっはっはっはっ! とは言え、無理は禁物だぞ。まさかグレンが飛竜を相手に大立ち回りをするとは思わんかったが……いや、それが出来るだけの訓練はしていたからな。私はお前が誇らしくてたまらない」



 父上が伸ばした手が俺の頭をぐわし、ぐわしと強く撫でる。

 相変わらず逞しい手元で、俺の髪の毛があっさりと乱れ放題に陥った。

 するとそこへ、いつものように呆れた様子の婆やがやってくる。



「はぁ……坊ちゃん、アルバート様は讃えるばかりでしたが、本当に無理はなりませんよ。私も坊ちゃんのことを大変誇らしく思っているとはいえ、何よりも大切なのは坊ちゃんのお命でございますからね」


「ん、分かってる。無茶はしないよ」



 無茶はしないよで終えていい話ではないが、これがハミルトン家なのだ。



「さて、私はこれよりシエスタ魔法学園に行って参ります」


「むむっ? 婆やがだと?」


「ええ。アリス様がお忘れ物をしていったため、すぐに届けて参ろうかと」


「なら俺が行くよ。暇だったしさ」



 婆やは遠慮するそぶりを見せるも、俺はその忘れ物とやらを強引に預かった。

 それは封筒で、触った感じでは中にノートが一冊ぐらい入っていそう。



 …………だが言い終えてから思い出した。先日の一件で少し学園が賑やかだというし、俺が行くべきではなかったのかもしれないと。

 けれど、預かってから止めるのもどうかと思う。



 俺は結局、軽く身支度を整えてから屋敷を発つことにした。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 学園に着いたとき、俺はいつもと様子が違うことに気が付いた。

 何というか、騒々しい。

 学園の外には多くの騎士が居て物々しくもあり、この様子はまるで――――。



(あのときみたいだ)



 父上がバルバトスの奸計により、牢屋に入れられそうになったときのことを回想させてきて止まない。

 聞いてみるか。

 何となく手持ち無沙汰そうな騎士に狙いを定めた俺は距離を詰め、騎士の目の前に立つ。俺を見た騎士が怪訝な面持ちを浮かべたところで嘘八百を並び立てる。



「領主アルバートの息子、グレンだ。何やら騒がしいとの連絡を受けて足を運んだのだが、これはいったいどういう状況なのだ?」


「こ、これは……アルバート殿のご子息でざいましたか。先日のご活躍は帝都にも――――」


「帝都でも評判なのは嬉しいが、どうしてこれほどの騎士が居るのか教えてほしい」


「……失礼した。我らは帝国議会の決定により、第三皇女殿下に事情を尋ねるために参りました」


「ミスティ――――第三皇女殿下に事情を尋ねる?」



 明らかに普通ではない。

 議会を通したということも含め、穏やかじゃなかった。俺はその詳細を訪ねるよりも、急いで学園内に足を踏み入れるべきと悟り、騎士の傍を離れた。

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