また賑やかだった一日。

 香りに違わぬ見事な甘さは、やはり度を越えてはいないだろうか。

 名門が誇る食堂の品物とあって味は悪くない。

 甘さが際立ちすぎているだけで、パンそのものの柔らかさも味も、一流料理店で出されても何ら違和感のない見事な物だった。

 もう一度言うが、欠点は甘すぎることだけだろう。



「……くすっ」



 俺が甘さに頬を歪めていたのを見て、第三皇女が口角を上げた。

 漂う悲哀は消えていなかったが、少し明るい表情である。



「いただくわ、せっかくだもの」


「ええ、というか残りは全部食べてください」


「いいの?」


「是非ともお願いします」



 理由は言わずもがな。

 俺の声を聞いて紙袋に手を伸ばした第三皇女。パンを手に取り、ソファの上でひざを抱きながら口元に運び、一口、また一口と少しずつ食べていく。



「…………あのね」



 一つ目のパンを食べ終わる直前、彼女は俯きながら口を開く。



「もう、今日までで大丈夫だから」


「今日までとは、いったい?」


「だから、私の手伝いよ。あの腹黒貴族の繋がりだし、彼と何か契約でも交わしてるんでしょ?」


「そんなことは――――」


「隠さなくていいわ、気にしないで」



 第三皇女は俺が気を使っており、尚且つ、ラドラムとの契約があるから手伝っていると思っているようである。

 あながち間違いではない。

 だがそれはあくまでも、最初のころの話だ。

 今となっては、それを抜かしても手伝いたいと思っている自分も居るのだから。



「あの男へは、貴方がしっかり手伝ってくれたって伝えるわ。だからあの男との約束も気にしないで、手伝いは今日でおしまい」


「…………」


「今日はありがとう、貴方からの差し入れはほんとに嬉しかったわ」



 最初の出会いは最悪に近かったが、今はどうだ。

 少しずつ、ほんの少しずつではあるが第三皇女の人となりを知るうちに、彼女が心優しい少女であることが分かってきた。

 何処か孤独に見える彼女は気丈であり、気高さすらある。



「とりあえず、早いうちに本格的な調査を開始したほうがよさそうですね」


「私の話をちゃんと聞いていたの? 別にもう私のことを手伝わなくていいのよ」


「俺は承諾していませんよ」


「承諾も何も……無理する必要は……」


「そもそも前提が違います。俺は無理をしていないですし、あの伯爵がうだうだ言ったところで、手伝うと決めた気持ちに変化はありませんよ」



 俺はそう言ってから、紙袋に手を伸ばした。

 唖然とした第三皇女を傍目に、例の甘すぎるパンを口に運ぶ。

 全部食べてくださいと頼んだにもかかわらず、こんな振る舞いをしたのは、単に第三皇女が食い下がる前に何か動きたかっただけである。

 それにしても……うむ、やっぱり甘すぎやしないだろうか。



「落ちこぼれだった私に媚びを売っても、大した利はないのに」


三属性使いトライアングルの第三皇女が落ちこぼれ、ですか」



 そんなことを言ってしまうと、国中の人々が落ちこぼれではないかと。



「アシュレイ伯爵が私に好き勝手言ってたこと、気にならなかった?」


「なってないと言ったら嘘になります」


「ふふっ、正直ね」



 第三皇女は作ったのものでもなく、そして薄っすらとしたものでもない。

 楽し気で、でもどこか少し自嘲した声で言う。



「私ね、神託によると魔法適性が僅かだったの」



 神託と言うと、俺自身も生まれて間もなくされたというものだ。

 俺の場合はすべての属性に適性があると、ハミルトンの屋敷で自我が芽生えた際に、婆やが口にしていた話である。



「分かりません、第三皇女殿下は――――」


「言ってなかったけど、私、殿下って付けて呼ばれるのは好きじゃないの」



 じゃあ何て呼べばいいんだ、迷っていると彼女はあっさりと。



「ミスティアでいいわ」



 名前で呼ぶことを許可されてしまい、俺は少しばかり戸惑った。

 そんな、簡単に呼んでいい相手ではないのだが、ここで断るのも無粋だろうか。



「ではミスティア様と。ミスティア様は三属性使いトライアングルですから、適性が僅かだったというのは整合性が取れませんが」


「だから僅かなの。適性がないわけじゃなくて、僅かしか属性の力を使えないってこと」


「……なるほど、そういうことでしたか」


「父にも家族にも期待されず、そして事情を知る貴族からもそうだった。私が災厄を運ぶと言われた事件もあって、落ちこぼれと呼ばれるに最高の条件が揃ったわ。影響力が強い第五皇子の派閥に居るアシュレイ家なら、特に私に強く言いやすいってわけ」



 その事件とやらが気になりはしたが、ここで尋ねようとは思えなかった。

 彼女の言葉の終わりに近づくにつれて声色が重苦しそうに、悲哀を孕んでいく。

 やがて数拍の間をおいて、抱いた膝に顔を半分だけうずめてしまう。



「――――だから私には、先生だけだったんだから」



 恨み言のようにも聞こえるその声には、確かな震えがあった。

 ミスティアが先生と呼んだ相手は一人しかいない、間違いなく、婆やのことである。

 そして、ミスティアは婆やのおかげで三属性使いトライアングルまで成長した。

 婆やが何者なのか、これが殊更気になって仕方なかった。



「もっと頑張れば先生が戻ってきてくれるかも……そう思って、ずっとずっと頑張ってきた。でも三属性使いトライアングルになっても、賊を相手に一掃するような活躍を見せても、どうしたって先生は帰って来てくれなかった。お父様に聞いても居場所は聞けなかったし、急に消えてしまった先生のことをずっとずっと探してた」



 彼女は一息、呼吸を挟む。



「でも、また会えた。この港町フォリナーで」


「…………」


「先生は貴方の家の給仕だった。訳が分からなかったけど、もう一度私の場所に帰ってきてほしいって、城を去った理由だって聞いたわ。けど、ダメだった」



 城に帰るという返事を貰うことができず、去った理由も聞けなかったのだろう。

 恐らく、彼女がこの屋敷にはじめて足を運んだ際に聞いていたのだ。

 俺はそれを聞いて、自分が仲立ちをすると口に出来なくなってしまう。



「今回の騒動は天からの贈り物みたいに思えたの。先生がいるこの町で頑張れたら……今までより、もっともっと頑張れたらって」



 そして、顔を上げて俺を見た。



「勘違いしないでね」


「えっと……?」


「だから! 私が今のようになってたのは、あの伯爵の言葉に悲しくなったわけじゃないの! これはその、空回りしちゃってたのかなって、少し気が滅入ってただけだから……っ!」



 婆やに見てもらうために頑張ってたのに、それが無意味だったのか、と心配になったようである。

 特に気合が入っている今、緊張の糸がプツッと切れたようなものだろうか。



 ……婆やの事情が全く分かっていない今、俺はあまり口を出すべきではないのかもしれない。けれど面前のミスティアを見ていると、手を貸したくなってしまう。

 なら、婆やに尋ねず協力できる手段は一体何だろう、あるのだろうか?

 ――――あるじゃないか。

 父上に聞いても教えてくれない今、俺が出来る事はただ一つだ。



「ミスティア様が報われるよう、これからもお手伝いいたします」



 他のことを考えるよりも先に、今の俺が出来ることに取り組もう。

 俺が改まって言うと、ミスティアはまた驚いた。



「変な人。私の瑕疵はちゃんと教えたのに」


「俺はそう思ってないので、お気になさらず」


「……ほんとに変な人なんだから」


「俺が変だとしたら、アリスに影響されてるだけですよ」


「あら、ひどいことをいうのね」



 そう言いつつ、ミスティアは同意するかのように微笑みを浮かべたのだった。

 心なしか昨日よりも距離が近くなった気がして、彼女が見せる笑みも俺に向けていたそれから少し変わって、アリスに見せていた笑みに近づいたような気がした。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜、仕事の最中だった俺の部屋を訪ねたアリス。

 俺が取り込み中と見るや否や、踵を返すと思いきや窓辺に向かった。



「あそこにもまた一組……新学期に現れる魔物が居ます……」


「来て早々、何言ってんの」


「どうせあれなんです……『あ、私たちお付き合いしてるんですの』とか言って肩をこすれ合わせたりするんですよ……」


「いや意味分かんないから、取りあえず座ってくれない?」



 しぶしぶだったが、アリスは俺の声に応じてソファに近づいた。

 俺の面前に腰を下ろすと、むすっとした顔で唇をツンッ、と尖らせる。

 帰宅してしばらく経っているはずなのに何故か制服姿なところにはツッコミを入れたかったが、俺はその欲求を必死に抑えた。



「で、どうしたのさ」


「やはは……道行く人の中に、同級生を見つけたのでつい」


「その同級生を魔物呼ばわりした理由は?」


「――――昨年は付き合う気配が皆無だったんですよ! だってのに、何故か最近になって、隠れて付き合っていることが判明したんですぅっ!」



 別にいいじゃねえか、何が魔物だよ。



「この冬に付き合いだしたのは明らかです……どうせ近いうちに、さっきみたいな台詞を言いにくるに決まってます」


「お帰りはあちらからどうぞ」


「そんなぁっ!? せっかく制服に着替えて来たんですよ!?」



 余計に意味が分からない。

 俺はため息をついてからアリスの顔を見た。



「あ、どぞどぞ」



 アリスは腕を広げて伸ばしながら言った。



「私の制服を貸すって言ってたじゃないですか、なので着替えて来ました」


「…………牢屋にしょっぴいてやりたい」



 貸す貸さないの話はあったけど、着て来いとはいってない。逆にやりづらいことこの上ないじゃないか。

 それに。



「劣化した方の織物が届いてないから、比較のしようがないって」


「ありますよ、さっきお城から届きましたからね」



 まさかの用意周到さに俺は閉口してしまう。



「なんかミスティが急いで送るようにって厳命してたそうです。あの子と何かありました?」


「…………いや?」


「…………ほんとです?」


「…………」


「そっぽを向いてないで、何か言ってくださいよ」


「何もないよ」


「怪しい。怪しすぎて、どうしたもんか迷ってしまいます!」



 すると立ち上がったアリスが俺の隣に座り、顔を見上げてきた。

 宝石に勝る美しい瞳で、距離にして数センチも近くから。



「名前で呼ぶことを許されたって聞きましたが」


「それは――――そうだけど」


「え」



 聞いておきながら、妙に驚いた様子のアリス。



「ほんとに許されたんです!?」



 コイツ、鎌をかけてきたな。

 騙された俺も俺だが、何となく気に入らない。

 俺は何も答えず、アリスに手を伸ばした。

 アリスの制服の袖を掴んだのだ。



「ふぇあっ!?」


「で、劣化してたって言う生地は?」


「こここ、ここにありますけど! ちゃんとしまってますけど!?」


「ありがと、ちょっと動かないで」



 スカートのポケットから取り出した布地を受け取って、正規品の制服と比べてみる。

 なるほど確かに違う。

 見てくれもそうだったが、肌触りは雲泥の差だ。これではシエスタ帝国で品質を保証している特産品として、他国に売り出すのは難しそうだ。



「むぅぅぅぅうう……っ!」



 不満そうなアリスの顔は真っ赤に染まって、首筋も分かりやすく上気した。



「文句があるなら聞いとくよ」


「ありますあります! 唐突に触れるのってどうかと思うんです! さすがのアリスちゃんだって照れることはあるんですよ!」


「それだけならいいや、不埒だって文句言われたら謝ったけど」



 唐突に人の部屋にやってくる相手には、このぐらいで十分だ。

 俺は生地の違いを確認し、その差を理解し終えたところで手を戻した。

 あとは、どこで劣化したか調査をするだけだ。

 ……その調査が問題なのだが、今は疲れてるから深く考えたくない。



「きょ、今日のところは引き分けってことにしといたげます!」


「りょーかい」


「勝ったなんて思わないことですよ! 明日には第二形態の私が姿を見せますからね!」



 真っ赤に染めた肌に加えて、潤んだ瞳。

 可憐さに秘められた美貌が微かに覗いて、匂い立ちそうなほどの魅力があった。

 でも、第二形態のアリスはちょっと遠慮したい。良く分からないし。



「――――それと、ちょっとだけ感謝してます」


「俺に?」


「はい。さっき帰ったミスティの顔が、いつもより明るかったですからね。何があったのか気になりますけど、あの子が元気になったのなら私もうれしいんです」



 何があったのかと聞かれると、あまり複雑な話はない。

 あるとすればむしろ、アシュレイ伯爵の件だろうか。



「話は変わるけど、うちに来てたアシュレイ伯爵って、第五皇子を気に入ってるんだってね」


「ですねー。あのお家のことはグレン君も知ってるかと思いますが、主にその事情からです。ついでに言うと、例のしつこかった男「クライト?」……と第五皇子は、幼い頃からの付き合いですよ。三歳くらいからの付き合いだとか」


「へぇー……道理で忠誠心も高かったわけだ」



 なんでもアシュレイ家は古くからシエスタに仕えてきたことに加えて、騎士としての正義を重んじる家系と評判なのだとか。

 いき過ぎた血統主義で不平を買うことはあっても、皇族からすれば頼もしい存在という側面もある。



「あっ! でもでも、今日はその二人が喧嘩してたそうです」


「また急な。気になるけど」


「理由は良く分かってないんですけどね。それで午後は学園が少しざわついてました」



 理由は明らかになっていないが、第五皇子がひどく憤慨していたそうだ。

 此度の調査の件で何かあったのだろうか。いやそれよりも、父上の助力が得られなかったと報告して、それに苛立ったと考えるのが常道か。



 俺は一日の終わりに気になることが聞けたと思いつつ、苦笑した。

 思えば、今日は色々なことがあり過ぎた。

 そして最近はずっとそうだと気が付いたところで、願っていた静かな暮らしが遠ざかっていたという事実にもう一度苦笑する。


 

 テーブルに置いていたティーカップを手に取ると、すぐ隣で話をつづけるアリスの声に、じっと耳を傾けたのだった。

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