お使い。
翌朝、俺は父上に呼ばれ、父上の執務室へと足を運んでいた。
「よく来たな」
「婆やから聞いてやってきましたが、何かあったんですか?」
「うむ、まぁ座ってくれ」
ソファに座るように促された俺はその声に従い、腰を下ろした。
すると父上がつづき、机の方から俺の面前へとやってくる。カチャン、と甲冑が擦れる音がした。
「お使いを頼みたい」
「……はい?」
「シエスタ魔法学園まで行き、学園長に私からの手紙を渡してきてほしいのだ」
「別にいいですけど、どうして俺に?」
「私はこれより帝都に向かわねばならんくてな。ちょっとした仕事だから、決して捕まるような話ではないぞ」
その自虐ネタはどうかと思うが、承知した。
「例の騒動について色々と聞いて来ようと思ったのだ」
「あれ、協力なさるんですか」
「特定の一個人にするわけではない。私が何かを知れたところで、それをグレンに伝えるぐらいだがな」
父上は時折、今のように消極的な忠義を見せる。
その理由は定かではないが、将軍職を辞した件と関りがありそうだ。
「手紙はコレだ」
甲冑から取り出された手紙を受け取って、俺はすぐにソファを立った。
「今から行ってきます」
「馬車で行くと良い」
「そんな遠くないですし、歩いていきますよ」
「おお、良い運動であるな!」
こうして扉を出たところで、婆やと鉢合わせる。
もう行くのか? そんな言葉を宿したような視線を受けて、俺は頷いて返した。
そして、手紙を懐にしまい込みながら言う。
「歩いていってくるよ、散歩がてらね」
「はぁ…………相変わらずですね」
貴族として、そして次期後継者として護衛も連れずという事だろう。
とは言え俺と父上にとっては今更で、婆やも諦めた様子である。
「くれぐれもお気を付け下さいませ」
「ん、ありがと」
俺が簡素に返したことで、婆やはますます苦笑した。
彼女が見送る視線を背に受けながらも、俺はシエスタ魔法学園へ向かうため、軽快な足取りで屋敷を出た。
◇ ◇ ◇ ◇
学園に着いたのは昼になる前で、授業中とあって学内は閑散としていた。
むしろうるさい方がどうかしていると思うが、何はともあれ、案内に従って歩を進める。
「学園長室はあちらでございます」
五階建ての学園の最上階、長い長い廊下のその先。
一つ下の四階からつづく大きな両階段の中央に位置するその部屋まであと少し。
これまた値の張りそうな絨毯の上を進み、案内を務める初老の男が部屋の扉を指し示してそう言ったのだが……。
「……失礼」
彼は不意に駆け足になって、俺を置いたまま扉に向かった。
コン、コン。
何度かノックして、それから返事がないことにため息を漏らす。
やがて、返事がないその部屋へと足を踏み入れた。
どうしたのだろうかと疑問に思っていると、彼はすぐさま学園長室を出て、それはもう申し訳なさそうな顔を浮かべ、俺の下へ戻ってくる。
「グレン様、大変申し訳ありません」
「えっと……どうかしましたか?」
「学園長ですが、発作により姿を消しているようでして……」
「――――はい?」
「失礼、発作というのはサボり癖――――といいますか、学園長は自由過ぎるお人柄でして、学園の者に何も告げずに姿を晦ますことがございまして……」
「あ、ああ、分かりました。そういうことですか」
名門の学園長と聞けば一癖二癖あっても不思議ではなかったが、まさか居なかったとは。
戦時を足を運んだ際、約束していないからと俺は同席しなかったが、もしかすると厳格な人柄ゆえなのかと考えていた。
が、どうやらそうではないらしい。
「アルバート様からの手紙は私がお預かりいたします」
「分かりました」
預かっていた手紙を渡したことにより、俺のお使いは終了する。
さて、と不意に窓の外を見た。
すると視界に映ったのは、学園の敷地内の一角、よく整備された庭園の片隅に居た第五皇子たちの姿である。
……たち、というのは他にクライトに加え、見知らぬ生徒。
最後に一人の教師らしき男が居たからだ。
「喧嘩してるのか」
思わず口に出してしまったが、第五皇子とクライトが何やら不穏な雰囲気に包まれていた。
というか、クライトが一人だけ、他の者らと相対しているように見えた。
「……第五皇子派の方々ですか」
俺の声を聞いて、案内の男が窓の外を見て言った。
「困りますね、まだ授業中ですのに」
「何やら不穏な様子のようですが」
「ええ……最近は何かあったらしく、アシュレイ君と第五皇子殿下が以前と違います。理由は分かりませんが、私も一人の教師として、授業をサボっていることには思うところはございます」
学園長もそうだとは言わないで、俺は静かに耳を傾けた。
「それ故に、来週のことを危惧しておりました」
「来週のこととは?」
「当学園の職員のほとんどが学園を出て、帝都にて他学園の方々との交流の場に参加するのですよ」
何でも最低限の人員……つまりは防犯に問題のない範囲で調整するが、それだけを残して帝都に向かうのだそうだ。
「第五皇子殿下は普段、お優しいお人柄です。しかし時と場合によってはその範疇に収まらず、他者を厳しく律する姿もお見受けしますから。制止できる者が少ない状況は少し……と考えていたのですよ」
言い濁しているが、ようは口が悪くなるときがあるのだろう。
雄弁に語る姿は俺も記憶に新しい。
ミスティアを相手に話していた言葉の数々には、隠し切れぬ棘と毒を孕んでいた。
「申し訳ありません、余計な話をしてしまいましたね」
「いえ、興味深い話でした」
「そう言っていただけますと助かります。さて、お手紙のことはご安心くださいませ。いかがでしょう、帰りに当学園で昼食をというのは」
「……考えときます」
俺は先日の経験を踏まえ、即答することを控えたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
彼と別れ、俺は結局家に帰ることにした。
面倒な出会いを鑑みて、同じ面倒に遭わないためにも。
だが学園の一階、外につづく廊下に差し掛かった曲がり角にて。
「っとと……失礼」
すれ違ったのはつい先ほど、第五皇子とひと悶着あったばかりのクライトである。
「なっ、なんで貴様が学園に居るんだ!?」
「仕事だよ、父上の代わりに来ただけだって」
「そ、そうか……道理で……」
しかしこの空気はどうしたもんか。
クライトは以前と違い、屋敷に来たときと比べても遥かに覇気がない。
その巨躯のわりに、何とも言えない弱々しさが漂っていた。
「……一つ聞いてもいいだろうか」
「第五皇子殿下とどうの、って話なら前と同じで断ると思うけど」
「違う! そうではなくて……貴様が、アルバート殿の子である貴様の意見が聞きたいだけなのだ」
「良く分かんないけど、どうしたのさ」
俺は壁に背を預け、クライトの言葉を待った。
一方でクライトは明後日の方向を向いて、重苦しさを内包した声で言う。
「忠心とは、何だと思う」
いきなり何を言ってるんだコイツは。
「そりゃ、主君に対しての心持ちとしか」
「そうではないのだ。私が第五皇子殿下に持つこの考えは、忠心とかけ離れているのだろうか……と気になっていてな」
「で、その考えってのは?」
「言えん」
「……無茶苦茶な」
「だがそうだな、主君の言葉に異を唱えることに近いのかもしれん」
今の言葉を聞いて読めてきた。
クライトは恐らく、第五皇子の不評を買ったのだ。
「だから喧嘩してたのか」
「喧嘩……? まさか貴様、見ていたのか!?」
「偶然見えただけだからそんなに怒らないでよ」
「くっ! だが……ま、まぁいい! それでどう思うのだ!?」
「いや何とも。それで相手が話を聞かないのなら、それまでだと思う」
俺が平然とした様子で言うと、クライトはハッとした顔で俺を見た。
何やらもの言いたげだが、何も言わない。
険しい瞳を俺に向け、つづきを促しているように見えた。
「きっとそのクライトの言葉は余計だったんだ。第五皇子殿下にとってすれば、ご自身の方針と違うことが邪魔で、煩わしいだけなんだと思う」
「…………」
「だから今するべきことは、彼の機嫌を損ねないことだと思うよ」
俺がそう言うと、クライトは失望した様子でため息を吐く。
そして、俺に背を向けて歩き出した。
しかし俺はその背に向け、小さな声で言う。
「っていうのが、世渡り上手な人の振る舞いのはずだ」
俺の声を聞いてクライトが動きを止め、じっと立ち尽くす。
「けど俺は、主君のために意見できるのは確かな忠心だって言い切れる。相手に受け入れられなかったとしても、それ自体が忠義によるものだってことは変わらない」
クライトは微かに肩を震わせて、俯いた。
すると今度は前触れなしに振り向いた。
「受け入れて下さらぬ忠義に価値はない……第五皇子殿下は甘いのだ……ッ!」
そう言って、来ていた方向に戻るように駆けだした。
すれ違う瞬間に俺に身体を強くぶつけ、無抵抗の俺は思わず地面に腰をつく。特に抵抗する気もなかったからの体勢になるが、我ながら、情けない姿だなと感じた。
「何なんだ、急に」
第五皇子は甘いということは、クライトは厳しい言葉を投げかけたようだ。
それが仲違いに関係するのは一目瞭然である。
以前にも増して、クライトという男の忠心が強いということができてしまった。
かと言って、何か役立つというわけではないのだが……。
「…………帰ろ」
こうして腰をついているのもどうかと思うし、と立ちあがろうとした刹那のことだ。
「――――貴方、こんなところで何をしているの?」
「グレン君、グレン君。こんなところで座ってると汚れちゃいますよ?」
聞きなれた声を耳にした俺が後ろに振り向くと、そこには真っ白な太ももが二人分並んでいた。
視線を上げていくと足の付け根、二人の下着が見えそうになったことで目を反らす。
「ッ…………!」
「大丈夫です、見えてませんから」
「はえ? 見えたっていうのは?」
「い、いいの! アリスは気にしないで良いからっ!」
アリスの警戒心の低さにはできれば教育を施したいが、今の出来事を聞かせると、また変なテンションになりそうだからやめておく。
取りあえず第三皇女――――ミスティアに謝罪をした俺は、彼女が頬を真っ赤にしてスカートを抑えていたのを見て、もう一度謝罪の言葉を告げたのである。
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