暗殺者の力。【後】

 俺は生存本能に従って後退し、怪盗を抱き上げて駆ける。



「今回は言質はとってないけど、文句言うなよッ! それと、あとでその声の秘密も教えろ! あと体格もだ! 飛び降りるぞッ!」


「えっ、あ……えぇ!?」



 返事を待たずに窓から飛び降りたのと同時に、俺たちが居た部屋が勢いよく爆ぜた。ガラスや砕けた家具が勢いよく飛び散って、屋敷の庭園に降り注いでくる。



 さすがに予想外だ。

 トライアングル、つまりバルバトスは数万人に一人の天才ということ。

 そもそも魔法を使う相手と戦ったことすらない俺には、初戦から随分と厳しい相手となってしまった。

 俺が息を整えている地面へと、バルバトスも静かに降り立った。



「随分と身軽じゃないか、まるで羽虫のようだ」


「……ああ、昔から自信があるんだよ」



 返事をしつつ、怪盗を少し離れたところに寝かせる。

 何か言いたげだったが、気が付かないふりをした。



「だが関係ないな。貴様ら二人の首は、私の勲章のために捧げてもらう」


「いや、俺にもっといい案がある」


「ほう?」



 もう不正の証拠を得るまでもない。

 この男はここで止めないと、一生父上に付きまとう悪だ。



「死んで特進ってのも悪くないぞ――――ッ」



 後手に回れば死ぬ。あの熱波に直撃するとヤバい。

 俺は騎士の剣を作りなおして駆けた。

 バルバトスの懐に向けて、今日一番の踏み込みを見せた。

 しかし。



「所詮は賊か」



 奴の表情には余裕しか浮かんでいない。

 不意に俺の足の下がボコッ、と浮いてくる。



「ッ――!?」


「私の真価、好きなだけ味わってから逝け」



 例えるならば熱波と土の龍だ。

 跳ねた土砂が散弾銃のように俺に襲い掛かり、皮膚を焼く熱波が俺に牙を剥く。

 不敵に笑みを浮かべたバルバトスは、怯んだ俺に飛び掛かってきて、



「どうだ、私を弱いと思うか?」



 俺の目の前で楽し気に呟いた。

 口が裂けても弱いなんて言えるはずがない。けど、俺だって伝説の暗殺者と謳われた男だ。

 作り出した剣で、バルバトスの剣を素直に受け止めた。



「……どうだ? 俺を弱いと思うか?」



 これが本格的な戦いの合図となった。

 バルバトスは若干の苛立ちに眉を顰め、吐き捨てるように「くだらん」と言う。



 次の瞬間、俺の背後から襲い掛かる熱波。



「通常、トライアングルは戦術級の戦力として扱われる。分かるかね? 私は一個人で戦術に値するということだ」


「ああそうか、そりゃ凄いな――ッ」



 真正面からは流暢に語りながら剣を振るバルバトス。

 さすが将軍と言うべきか、奴の力と業は言うまでもなく一流。加えて魔法の力も一流だ。



 躱し、隙を探るが見当たらない。

 なるほど、これが魔法を使う相手との戦いか。



 俺は少しだけ後悔していた。

 自分も魔法を練習しておくべきだったか、と。

 だがすぐにその思いは消え去ってしまう。なぜなら、どうせ魔法を練習していたところで、この戦いに生かせたかと聞かれても頷けないからだ。



 予想を外れ俺を仕留めきれなかったからか、バルバトスは更に力を行使する。



 俺の背中に衝突した銃弾のような感触。

 加えて、ほぼ同時に訪れた言葉に出来ない熱だ。

 身体強化の影響か、痛みはほぼ無かったが。



「属性を重ねてこそのトライアングルだ。そうだろ?」



 背中の熱は広がっていく。

 ……嫌な予感がした。これはもしかして。



「溶が――ッ」



 溶岩のような、地面を溶かした何かが俺の背中にある。

 俺がローブは所詮ただのローブで、熱に強い素材じゃない。

 覚悟を決め、身体を守るためにローブを脱ぎ捨てた。



「ッ……はっはっはっはッ! これは想定外だ! パーティの日以来じゃないか! アルバート様のご子息殿!」



 この寒空の下、俺はついに正体を明かしてしまったわけだ。

 もしかしたら不用心だったかもしれない。でも、すでにこの男を倒さなければ父上は助からないんだ。任務失敗の時は顔を焼くつもりだったけど、俺が失敗したときは、バルバトスは父上を確実に処刑する。

 つまり、正体を明かしたことに後悔はない。



「う……うそ……」



 怪盗の呟きが風に乗って俺に届く。

 ああ、俺も少し前は同じ感想だったよ。どうしてお前が怪盗なんだってな。

 何となく、仕返しが出来たみたいで気分がいい。



「だが悪くない。だから先に君から逝くといい。今の私はとても気分がいいからな。父を救うために我が屋敷にやってきたのは涙を誘うが、幕を下ろすべき時が近づいているようだ」



 バルバトスが本気になった。

 奴の周囲の地面から、いくつもの溶岩の竜巻が生じる。



 風、火、地――三属性を重ねた目を見張る魔法。



 さて、どう戦えばいいだろうな。

 アレを身に浴びたらどうなるだろう? さすがに皮膚が爛れる? 

 普通なら危険な魔法との対峙も、今は少し安心できる。



 父上が言っていたじゃないか。

 身体強化は鍛えれば、五属性魔法にも耐える身体が得られるって。

 俺の練度で父上と同じ効果になるか分からないが……。



「でも、父上は俺の身体強化を認めてた」



 だから戦える、そう信じて踏み込んだ。



「猪突猛進とは情けない」



 バルバトスの軽口に興味はない。

 俺は身体中に魔力を流す。

 今まで以上、そして、訓練でもしたことがない途方もない量の魔力を流した。

 歯をぎゅっと噛みしめて、足の先――いや、髪の毛一本まで意識する。

 漲る力はこれまでにない充実感で、剣を握る手が軋みを上げた。



 溶岩の竜巻がうねり、俺に向けてぐにゃっと曲がった。

 そのうちの一本が螺旋模様を描き、俺を食い殺そうと大口を開けた。

 いきなり真正面から食らうのはまずい、退いた俺の腕に熱い飛沫が付着した。



「ッ――――」



 熱い、もう泣きたくなるぐらい熱い。

 しかし皮膚は爛れてないし、真っ赤に染まった程度でおさまっている。



「これなら戦える。十分だ」



 痛みより、耐えられることへの歓喜が上回ったのだ。

 仕事をするのに支障はない。

 これより俺は、標的の暗殺を遂行する。



「最期だ、バルバトス。神に祈っておくといい」



 俺のように、あらたな人生を得られるかもしれないからな。

 ふっと笑って俺が姿を消すと同時に、バルバトスの周囲が熱で歪み、強烈な熱風が俺の頬を灼く。



「くだらんことを言ってないで燃えてしまえ、直に貴様の父も同じところに逝くことになる」



 勢いよく振り上げた手に倣って、いくつもの竜巻が唸り、翻る。

 俺が立つ場所にすべてが狙いを定め、上下左右、そして前後の全方向で轟いた。

 瞬間、ぶつかり合った竜巻が弾け、轟音を奏でる。



「はは……はっはっはっはッ! あーっはっはっはっはッ! これほど愉快なことは無いぞ!」



 両腕を広げ歓喜に身を震わせたバルバトス。

 そして。



「そんな、嘘…………嘘ですよね……?」



 演技を忘れ、いつもの口調で驚く怪盗の姿。

 それをあざ笑うかのようにバルバトスが言う。



「私は数万人に一人の才能の持ち主だ。そもそも相手になる存在ではなかったというのに。馬鹿な少年だよ」



 一つになった巨大な竜巻を眺めつつ、バルバトスは下卑た笑みを浮かべて怪盗に目を向けた。

 次はお前だ、そう物語る表情には余裕しかない。

 だが当たり前だ。既に怪盗は戦う力が残されていない。



 でも、それは俺が死んでいた場合の話。



「俺が暗殺していたのは数千万、あるいは数億人の頂点に立つ者たちだった。貴様はたかだが数万人、俺に殺せない道理はない――――ッ!」



 鮮血の飛沫が舞い上がる。

 バルバトスの、何も警戒していなかった丸腰の左胸から。

 奴は驚いて胸元を睥睨するも、認識が追い付かない。



「私の胸……? 何故、どうして私の胸から剣が生えている……?」


「俺も死んだ経験は一度しかないが、安心しろ。ずっと苦しみがつづくようなもんじゃない」


「何故、どうして――――ッ」



 俺が剣を引き抜くと、血潮が噴水のように飛び散った。



「俺の方がお前の魔法より疾かった。俺の身体強化がギリギリ耐えられた。だからだよ」



 俺はバルバトスの魔法の横を駆けて、奴の背後をとったんだ。

 躱す方向がなかったとあって、身体は少しだけ焼かれてしまった。

 あの魔法を真正面から長時間食らったら、なんて考えたくもなかった。



 服なんてもう焼き尽くされて上半身は裸だ。

 ところどころ真っ赤に、いや、赤黒く色が変わってるし、気を抜くと意識を失いそうなほど痛い。



「なん…………て……忌々し……ぃ……」



 数分もすれば、バルバトスは完全に息絶えるだろう。

 もはや蘇生も叶わず、ただ死を待つだけの身体である。



 俺はふぅっと息を吐いて、いつの間にか意識を失った怪盗の下に近寄った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る