アリスの部屋で。
――――あの日の夜、俺は確かに成し遂げた。
数万人に一人と称される才能の持ち主を、確かにこの手で葬り去ったんだ。それからどうしたのかと言うと、彼女を背負ってローゼンタール公爵邸へ帰った。
血まみれで、いつの間にか気を失っていた彼女を背負ってだ。
「……あれ、ここ」
「やっと起きたのか――アリス」
ベッドの上、ようやく起きたアリスは困惑している。
「時刻は夕方四時。場所は見ての通りアリスの寝室で、部屋に居るのは俺だけ。というわけで、アリスが確認しておきたいことは?」
「…………私、半日以上気を失ってたんですね」
「馬鹿なこと言うな。二日と半日だよ」
「うっ、嘘!?」
「いやほんとだけど。付け加えておくと、俺はこの二日間も泊めてもらってた」
はぁ、大きく息を吐いて話をつづける。
「先に水でも水飲む?」
「い、いただきます……」
俺からコップを受け取って、素直にコクコクと水を飲む。
ゆっくりと、それでいて喉を潤すために深く嚥下していた。
飲み終わったところで、力の抜けた瞳で俺を見てくる。
「そろそろ聞いてもいい?」
「んふふー。スリーサイズなら、上から8――」
「別に教えてくれてもいいけど、他の事も聞くから」
「……つれないですね」
軽口を叩けるぐらいには元気らしい。
服を脱がすと腹部には痛々しく包帯が巻かれているのだが、強い痛みはないようだ。
「実は怪盗だったアリス様は、どうやって声と体格を変えてたんでしょうか?」
「う、うぐぅ…………やっぱりそれですかぁ……」
むしろ他に何があるんだよ。
「まだあるぞ。どうして怪盗なんてしてたのかとか、あの身体能力についてとかな」
「もう、分かりました。分かりましたってば! ちゃんと話しますからぁ!」
「分かればいいんだ。それで、どうやって変えてたの?」
「……私の固有魔法です。っていうのが、任意の姿と声に変装できるってものでして」
「え」
「え?」
すげえ。
何それ最高に欲しい力じゃないか、暗殺的に考えて。
「あ、でも何故か一つだけなんです。私が変装できるのってあの怪盗の姿と声だけですから。ふっふー、すごいでしょ」
ふふん、アリスは何故か偉そうに胸を張った。
胸元がぷるんと揺れたが、同時に寝間着の隙間から包帯が見え隠れしている。痛ましい。
「都落ちというか、微妙に残念なとこがアリスらしくていいと思う」
「うわぁー……唐突に貶してくれちゃいますね」
「でも固有魔法だったってのは分かった。それで、どうして怪盗なんてしてたんだ?」
アリスの目的は何だったのか。公爵家の令嬢として生まれたのに、どうして犯罪に手を染めていたのか気になって仕方ない。
「大した理由なんてありませんよ。お兄様の考えが気に入らなかっただけです。……お兄様がバルバトスの件について、あまり行動的じゃなかったのは知ってますよね? お兄様は日和見主義と言うか、知っていても口を出さない事が多いんです」
「それはでも、法務大臣として軽率な行動をしないためだったんじゃ」
「ううん、違うの」
違う? 俺は小首をかしげてアリスの言葉を待った。
「お兄様が大事なのはローゼンタールだけ。皇家でもシエスタでも帝国民でもなくて、ローゼンタール公爵家って言う存在だけです」
「悪いけど、あまり意味が……」
「ふふっ、難しいことじゃないですよ」
アリスはそう言って、人差し指を立てて俺の唇にそっと当てる。
静かに聞いてね? と窘められたようだ。
「お兄様は何でも高水準にこなしますけど、特定の何かに愛情を持つことはありません。必要以上の仕事はしないので、仮に耳に入っていた不正であっても、場合によっては聞かなったことにする人です。例え賊が仇成す相手が皇家であっても、頼まれなければ動かないんです」
「なるほど、あの人らしい」
それがいいか悪いかは置いといて、確かにラドラムはそう言う男だ。
「だから怪盗が生まれたんです。不正をした貴族や富豪の屋敷に忍び込み、その金をばら撒く義賊気取りの小悪党が」
「経緯は分かった。アリスって意外と正義感が強いんだ」
「ふっふっふー。私はこのシエスタの事が好きですもん。だから我慢できなかったってことです」
下手に何か理由があるより理解できた。
貴族の不正を許せなかったアリスの断罪だったわけだ。簡単に別の貴族を頼ることも出来なかったろうし、怪盗なんて大胆なことをしでかしたのは分からないでもない。
人間なんて、何がきっかけで行動するのか予想できないものだから。
「ちなみに、怪盗としての軽業はどうやって?」
「ふぇ? 私が努力したに決まってるじゃないですか。怪盗としての技も全部、頑張って勉強しましたもん」
素直に称賛するつもりは無いけど、やっぱりアリスも凄い人間だ。
あのラドラムが素直にすごいと言うだけあって、体技の才能まで持っていたらしい。
「今度は私に教えてください。どうしてわかったんですか?」
怪盗の正体を、と省略された言葉。
「正直に言うと、バルバトスの屋敷では確信ってほどじゃなかったよ。けど怪盗の情報を整理してたら、もしかしてアリスかもって思っただけ。まず将軍の家の造りをよく知る人物は限られる。ついでに思い返した二つの事で、もしかしてって思ったんだ」
「えぇー、何かありましたっけ」
「アリスさ、俺に切られた次の日に手を捻ったって言ってただろ。あの日は気にならなかったけど、一つ目はこれ。でその日のうちに、深夜に怪盗の情報が届いて眠れなかったとか言ってたけど、あれ間違いじゃん」
俺はそう言ってからアリスの手を取る。
右手、いつもは手袋に隠されていた白磁を思わせる肌。
しかし今は、俺に付けられた一筋の切り傷がある。
「どうせなら痛みも隠しとけば、特にアリスだなんて思わなかっただろうけどさ」
ようは小さなことの積み重ねだった。
一つ一つでは大した情報じゃないけど、合わさればアリスと言う人物が浮かび上がる。
「な、ななな――っ!? 女の子の手を急に握るのはどうかと思います! 素肌ですよ、コレ! 男性に触らせたことないんですからね!? いわば私の裸体に触れてるんですよ!?」
「と言うことで、何か隠してるなって思って疑った。結果、大当たりだったってわけだよ」
「無視ですか? 手を握ったまま風情も何もありませんけど、私のドキドキはどうしてくれるんです?」
ぶー垂れたアリスに苦笑してから、俺はそっと手を離す。
最後にごめん、と心の中で呟いて傷跡をなぞった。
「……くすぐったいですってば」
しかし目じりを下げて笑う仕草からは、意外と喜んでるのが分かる。
「念のために最後に言っとくと、バルバトスが死んだのを確認してから、俺はアリスを背負ってこの屋敷まで帰って来た」
「柔らかかったです?」
「――――は?」
「色々と密着してたんですよね? ならそれはもう堪能していただけたかなー……って」
「ハハッ」
何言ってんだこの女、そんなのを楽しむ余裕なんてあったはずないだろ。
思わず乾いた笑いを漏らして、アリスの頭を鷲掴む。
「野良猫でも拾った気分だったよ」
「あぅ……あぁー……頭揺らさないでくださいよぉ!」
目を細め、不満げに唇を尖らせたアリスを堪能してから俺は立ち上がった。
アリスは立ち上がった俺に名残惜しそうに手を伸ばしたが、俺は休んでおけと言って制する。
「一応怪我人なんだし、ちゃんと休んでくれると助かる」
するとアリスは俯く。
「あの、お兄様は私とグレン君を……帰ってきた私たちを見て何か言ってましたか?」
「言ってないし、詳しくは聞かないってさ。残念だけど、俺にもあの人の考えは良く分からないよ」
「そう……ですか」
けど、そろそろ話をする機会が設けられる気がしてる。なんでもバルバトスの屋敷の捜査も終わったそうで、色々と話せることが増えるらしいのだ。
何を語られるのか戦々恐々としてきたが、避けては通れない。
「また後で様子を見に来るから、もう少し休んでて」
「ほんと、こういう時に優しくするのってズルいですよね」
「俺は優しいんだよ。じゃ、また後で」
最後に彼女と笑みを交わして部屋を出る――つもりだった。
「あの、離してくれないと歩けないんだけど……俺の服をつまむその指はなんなのさ」
「――私たちって、結構仲良くなったと思いませんか?」
「え、うん?」
「ほぼ初対面のときに私の性格を看破して、一緒に遊びに行ったりもして、いきなり抱き上げられて、昨日なんて私の感触を楽しんじゃったわけですよね?」
「人聞きが悪いし語弊があるけど、全部が全部間違いではないと思う」
「だからそのぉー……ほら! すごく濃い時間を過ごしてきたわけです!」
アリスはそう言ってはにかみ、照れくさそうに頬を掻いて視線を逸らした。最後に首をころんと斜めに倒すと、目を細めて頬を紅く上気させ。
「少しだけ心細いんで、もう少し話し相手をしてくれないかなぁーって……思うんですけど……」
そう言われては、俺としても断る理由はない。
俺は座りなおして答えとし、頬杖をついてアリスを眺めた。
「俺が帝都に居るのはもう少しだし、今のうちに話しておこうか」
「あっ、そっか…………グレン君って帝都の人じゃないから、ハミルトンまで帰っちゃうんですもんね」
「丸二日かけてね。帰るのが億劫になる距離だよ」
「じゃ、じゃあ! それなら帝都に住んじゃえばいいんです! うちにも部屋が余ってますし!」
「それが無茶なのは分かってるはず。俺だって、帝都は帝都で魅力的に思ってる。けど俺一人だけ住むことは出来ないし、父上はハミルトンの領主だからさ」
アリスが別れを惜しんでくれてることが、実は嬉しかった。
俺としても濃い時間を共に過ごした自覚があるし、正直なところ、こちらとしても別れを惜しんでいるぐらいだ。
「私を傷物にしたくせに、あっさりと遠くに逃げるんですね」
「間違ってないけど、アリスそれ絶対外で言うなよ」
「んーどうしましょう。私がハミルトンに遊びに行った時、無視しないでくれるなら約束してあげます」
なるほど、ただじゃれつきたいだけか。
けど悪い気はしない。
「あんな何もない町に来たら、アリスなんて目立ちすぎて無視できないって」
「ふふーん、約束ですよ? 破ったら剣一万本飲ませますからね!」
申し訳ないが、危険人物過ぎて無視したくなってきた。
◇ ◇ ◇ ◇
俺がアリスの部屋を出たのは、引き留められてから一時間ほどあとのことだ。
その頃合いを見計らっていたのか、それとも最初から外に居たのか。少しだけ廊下を進んだところ、壁に背を預け、薄っすらと笑みを浮かべて立つラドラムの姿があった。
「やぁ、グレン君」
「そろそろだと思ってましたよ」
「ん? 何がだい? 僕はただ、今日の夕刊を見せてあげようと思ってるだけだよ」
「…………夕刊?」
ラドラムは俺に近づいてきて、トンッ、と折りたたまれた夕刊を手渡してくる。
「グレン君からは何も聞く気はないよ。だって聞いてしまったら、僕はグレン君を罰する必要があるかもしれないんだし。それはつまらないじゃないか」
「アリス様が大怪我を負って帰って来たのに、ですか?」
「はははっ! アリスは真夜中に一人で外に出て、賊か何かに襲われた。グレン君はそのアリスを助けて来ただけなんだから、他に何をしてきたのかなんて興味はないんだ」
やっぱり食えない男だ。
アリスの正体なんて、どうせ最初から知っていたんだろう。
これほど頭の切れる男なんだ。妹の本性も含め、知らないはずがない。
「教えてください。アリス様をどうするつもりですか?」
「ああ、一人で出歩いて怪我をしたこと。おいたをしたことかな?」
どうしても怪盗とは口にしないようだ。
そもそも俺がこの屋敷に帰って来たときに、ラドラムと爺やさんはアリスの服装を見ている。
目撃情報が多々あった怪盗の姿、そして怪我。
当日のバルバトスが殺された事件もあるわけで、バルバトスの屋敷に俺とアリスが居たことなんて、推理できない方がどうかしてるんだ。
「何かしら罰は与えないとね。考えておくよ」
ラドラムは言い終えると踵を返す。
もう、今は語る気が無いようだ。
「その夕刊をしっかり読んでおくといい。面白い情報がたくさんあるよ。――――それと、アルバート殿の釈放が確定したんだ。明後日の朝、僕と一緒に迎えに行こうか」
「……アリス様には、どうか厳しい罰をお与えにならないようお願いします」
「ん。心の片隅にでも置いておこうかな」
俺は去っていくラドラムを眺めてから、受け取った夕刊を開いた。
「あ、そう言えばアリスに聞き忘れてた。なんでバルバトスの屋敷に忍び込んだんだ」
もしかしたら俺のため、なんて勝手な想像が脳を掠めた。
可能性としては捨てきれないが、何はともあれ、後で理由を尋ねることにしよう。
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