第7話 理(ことわり)とは何か?
「人の理と、ここでの理は異なるって説明していたでしょ?」
明宝桃子は俺が間違っていると言いたげに真顔でそう主張した。
「その『ことわり』とは何だ?」
「言うなれば、世界の仕組みでしょうか? 仕組みが違えば、当然起こる事が違います」
明宝小百合が言葉を選んで説明しようと試みているのが分かるが、十分に説明できていないと言いたげにどこか困ったように目元が歪んでいた。
「……説明しづらい事か」
俺は祭将とまずは話をしなければならないらしい。
この世界の理とやらを知らなければ、あの部屋が愛の巣である事の真意が掴めない。
「明宝桃子。一人でもう歩けるのか?」
だっこしたままではままならない。
俺がそう問いかけると、
「おそらくは大丈夫」
「あのベッドに降ろすから、その後は自分の足で歩いてくれ。俺は祭将と話をしないといけないみたいだ」
俺は抱えている桃子を落とさないようにダブルベッドのところまで急ぎ、ベッドの上に細心の注意を払いながら横たえさせた。
「……ありがと」
桃子はほんのりと頬を赤く染めていた。
どうやら俺にだっこをされて恥ずかしかったようだ。
「……すぅ……」
そして、そのまま目を閉じると、安静へと導かれるように眠りに落ちていったようだった。
「……さて、祭将のところに行ってくる」
誰に言うとも為しにそう呟き、俺はきびすを返して部屋を出た。
「ご主人様、私が付いていきます。そちらの方が話が早いでしょうし」
すると、小百合だけが俺の後を追ってきた。
「話が早いとはどういう意味だ?」
「言葉通りです」
「祭将との対話で分かる事か」
「おそらくは」
俺はホールへと行ってみるも、そこには祭将の姿はなかった。
「どこに行けば会える?」
小百合にそう訊ねると、
「呼びかければ応じてくれますよ、祭将様は」
一点の曇りのない笑顔でそう返してきた。
祭将をそれほどまでに信頼しているのだろうか、小百合は。
「祭将! 祭将! いるんだろう、出て来てくれ!」
ホールに響き渡らんばかりの声を張り上げた。
瞬く間にホール全体の室温がぐっと下がったようにどこからともなく冷気が流れ混んできたような感覚が肌に伝う。
冷気は確実に俺の背後から発生しているかのように、ちくちくとした冷感が衣服を通じて俺の全身をさいなんだ。
「大声できゃんきゃん吠えるでない」
凍て付くような声音に思わず俺は身震いした。
圧倒的な存在感故に、振り向かなくても分かる。
俺の背後に祭将がいる。
幽霊か何かのようにふっと現れ、俺の隙をつこうとしていたと錯覚してしまいそうになる。
「教えてくれ、祭将」
たった数秒、いや、数分の出来事であったのかもしれない。
それなのに、俺は祭将に畏怖を抱いてしまって、後ろを振り返る事ができなくなっていた。
それでも俺は勇気を振り絞り、声をひねり出した。
「この世界の理が知りたいか?」
祭将が皆まで言わなくても良いとばかりに言葉を繋げる。
「……ああ。理とはなんだ?」
「小百合。我慢しろ」
祭将は俺の問いを聞き流したかのように小百合の傍まで足音を立てずに行き、機械的ではなく、思いやるような声でそう言った。
「ご主人様、私を見ていてください」
小百合の声に促されるように俺は小百合に身体を向けて、その言葉の意味を知ろうとする。
「祭将様、どうぞ……」
儚そうな、そよ風にさえかき消されそうな薄幸な微笑を俺に送ってきた。
これが今の私ですと悟りきった気配が小百合にはあった。
「……すまぬ」
風が鳴った。
目の前を何かがよぎった。
それが血だと気づくのに暇はいらなかった。
傷一つなかった小百合の頬やおでこや鼻先などに、かまいたちが切りつけたような傷が浮かび上がり、幾多の血が舞った。
小百合は声さえ上げない。
そのような痛みになれきってしまっているからなのか、それとも、痛覚自体がないからなのかは分からなかった。
「これがこの世界の理です、ご主人様」
幸の薄さは生来のものなのだろうか。
そう自覚している笑顔を小百合は俺に向けていた。
したたり落ちていた血が傷に吸い込まれるように引いていき、頬などに刻まれていた傷などが一斉に傷口を閉じるように戻っていった。
言うなれば、動画が逆再生されたかのように元に戻っていく。
見間違いかと思って瞬きをした時にはもうできたはずの傷が小百合の顔から消滅していた。
「百聞は一見にしかず。荒城利文よ、これがこの世界の理だ。ただし双子姫だけにのしかかっている理ではある」
祭将の声が鼓膜を通じて、俺の脳に響く。
小百合に何が起こったのか。
世界の理とは何か。
それを把握しようと、俺の脳が急速に活動を開始し、目の前で展開された光景を諒解しようと試みていた。
だが、俺の思考回路では答えを導き出す事ができなかった。
俺の知る理とは全く異なる事が起こっていたのだから……。
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