第8話終わりのカウントダウン

 近くのお店でサンドウィッチを食べてから街を歩いた。

 宏はまだ鍵が開いている事を知らずに眠っているだろうか。

 胸がチクりと痛んだ。


 休日の街を行き交う人々は皆楽しそうに見える。

 それなのに今、私はどうして一人で歩いているのだろう。

 どこにいても落ち着かずに居場所が分からなかった。

 「孤独」なんだと思った。


 寂しかったから誰かと一緒にいたかった。

 家族や友人といても埋められない心の隙間。

 宏と出会ってから一人じゃないと思えた。

 これからは2人でやっていけると希望があった。 

 それなのに、いつのまにか私は忘れていた。

 もう一度、信じてみようか。

 



 部屋に戻れば宏がいる。

 やっぱり声を掛けずに出かけて、鍵をかけなかったことは悪いことだ。

 もしも宏の身に何かあったらどうしよう。

 急に罪悪感に襲われた。

 私は居ても立ってもいられなくなり、雑踏の中を早歩きでアパートに向かった。

 歩きながら、いつもこんなに距離が長かったのだろうか、と気づく。

 見慣れた風景も冷たい感じがした。



 宏のアパートの部屋の窓が見えた。

 さっきまで同じベッドで寝ていたのに、長い別れのような気がした。

 やっと宏に会える……。

 そう思うと嬉しさが込み上げた。

 こんな感覚は少し変だと思ったけれど、そんな事はどうでもよかった。



 会いたい! 今すぐ抱きしめてほしい。

 ドアを開けたら眠っている宏を起こして抱きついて……それからキスがしたい。

 何処へ行ってたんだよと叱ってほしい。

 心配かけたことを謝りたい!

 アパートのエレベーターを待っている事さえ惜しいくらいで、部屋がある階に到着すると私は飛び出した。


 部屋のドアに手を掛けて開けてみたけれど鍵がかかっている。

 ガチャガチャと何度がノブを回しても、ドアは開かない。


 

 宏は部屋にいるはずなのに……。

 私がいないことに気が付いて鍵を閉めたのかな?

 チャイムを押してみた。

 けれども呼び出し音がピンポーンと虚しく響いただけだった。


 「宏! いるんでしょ?!」

 私はドアを叩きながら中の様子を伺う。

 耳をドアにくっつけて中の音を注意深く聞くけれど、人が動く気配はない。

 宏はいるはずなのに、ひょっとして無視してるのかも……。

 ドアを叩きながら名前を呼ぶ。

 もう一度インターフォンを鳴らす……そしてドアノブを回した。

 それを繰り返しながら、次第に涙が出てきた。

 締め出された子供のような気分だった。


 音に気が付いて隣人が気づいて出てきたらどうしようと思って、これ以上ドアを叩く手を止めた。

 もしかしたら数分間の出来事だったかもしれないけれど、私にはとても長く感じた。


 どの位時間が経ったのか。

 人の気配がして見上げるとそこには宏がいた。

 私を見下ろしたその様子は、ギョッとしているような呆気にとられていた。

 片手にはコンビニの袋を持っている。

 それを見て私は安堵した。


「なんだ、戻ってきたんだ…よかった。」


 さっきまでの私は、宏から嫌われて拒絶されたとばかり思っていた。

 完全に冷静さを欠いていて、悪い思考だけに囚われていた。

 近所のコンビニに行っていたなんて、勘ぐった自分が恥ずかしい。 

 結局は宏が私のすぐそばにいればそれでいいんだ。

 私は泣きながらその胸に飛び込もうとしたけれど、宏はその瞬間身を引いた。


「宏…?」


 それは今まで見たことがない硬い表情だった。

 私は違和感を覚える。

 そして拒絶されているとすぐわかってグサリと何かが刺さった気がした。

 怖くなって私は反射的に言葉を発する。


「戻ってきたら宏がいなかったから心配したんだよ!」


 上擦った声は虚しく響いた。

 締め出されたと早とちりをして醜態をさらして馬鹿みたいだ。

 自分の情けない行動が恥ずかしくなって、必死に正当化しようとする。


「宏はいつも寝てばかりいるから、隣で付き合って眠るのも疲れるよ。

 私だって外に行きたい。普通の生活がしたいよ。」


 私は沈黙が怖くなって、ひとりでに喋り続けた。


「宏が最近ずっと機嫌が悪いみたいで怖かったんだよ。だから言いたい事も話せなかった!」


 気持ちが一方通行のようか気がした。

 興奮して喋っている私とは違い、宏の声が冷たく響いた。


「あのさぁ……もう勘弁してほしいんだけど。いつも勝手に出て行くのはそっちだろ? 

 それなのに戻ってきて不機嫌そうなのは理帆じゃないか。」


 宏は付き合いきれないとでも言うように、呆れた様子で言った。 

 そうだ、私はいつも宏の顔色を伺ってばかりいた。

 言いたいことを我慢して、気が付かないうちに不満が溜まっていたのかもしれない。


 でもさ、と宏は静かに続けた。


「部屋に入れているのは、そういうことなんじゃないのか?」




 沈黙が流れる。

 宏はそこから動こうとしない。

 たまりかねた私が懇願する。


「いつもみたいに部屋に入れてよ。」


 やっとのことで言えた声は掠れていた。


「今は駄目だ。」

 と、宏は首を横に振る。

 背中に冷たい水を掛けられた気がした。


「なんで……! どうして駄目なの?」


 私は泣きながら詰め寄った。


「いい加減にしてくれよ!!」


 ──初めて聞いた宏の怒鳴り声。

 その場に泣き崩れる私。

 差し出される手はなかった。

 私はよろよろと立ち上がってその場を後にした。


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