聖なる銀の指輪
「エディット」
兄弟姉妹が食堂としている地下水路窟の倉庫から出たところで、トリ・セルノーはエディット・ヴァルノスを見つけた。湖の水を引き込んだ地下水路は、〈碧翼城〉の地下部にたむろす万象教徒が闇に紛れてひそかに城に出入りするための通用路となっている。暗い水路窟の最奥の舟揚げ場で、エディットは修繕待ちの舟の陰にしゃがんでいた。
「怪我をしたの? 手当てをしないと」
傍らに膝をついたトリからエディットは顔をそむけた。
「大したことはない」
トリは無理矢理その顎を掴んで灯りのほうを向かせた。
「だめよ、ちゃんと見せて。あの方にも怪我をさせたの?」
頬から耳にかけて赤黒い血の線を引く裂き傷は浅く、もう塞がっている。手持ちの巾着から消毒の軟膏を出して、脱脂綿で傷に塗りつけた。トリの巾着に手当て一式が丁度よく入っているのは、乱暴に取扱われて〈碧翼城〉へ到着した皇太子妃の手足の擦り傷にそれを使ったからだ。
エディットは質問に黙っていた。
「あの方に何の罪があるというの」
「罪はある。あの女さえ世嗣ぎの男子を産んでいれば、我々のこうむった幾多の受難はありえず、妹は……」
水路に打ち寄せる水のたゆたいをエディットは光のない眼で眺めている。
続けられなかった言葉の奥で彼の魂が立ちすくんでいるのをトリは見てとった。
いつもそうだ。抵抗活動の実務や指導者の役目を与えられているときはいいけど、何もなくて独りでいるときのエディットはいつもこんなふうに空っぽだ。空っぽの自分を苦しみと痛みで満たすためだけに、虚ろな眼で過去を追いかけはじめる。
いつも、右手の薬指に嵌めた銀の指輪を無意識に触りながら。
その指輪は上級司祭の資格を得た者に与えられる聖具だが、彼の妹が祝福の聖言を刻んだ特別なものだった。
妹の命が失われた日からずっと、一つの光景が彼の心を縛ったままだ。
黒い
トリは彼の頭をひきよせ、胸に抱え込むようにして、その視界を閉ざした。
可哀想なエディット。
「やめろ、トリ。ここは神学院じゃない」
友情の馴れ合いを拒否する声でエディットが言った。
「私たちは変わらないわ」
とっくに学生でも若者でもなくなり、元帝国領教区の残存組織で中核の役割を果たすようになっていたとしても、古い友情は消えない。
辛い思い出と同じように、三人でいた頃の楽しい思い出が心から消えることはない。
「変わってはだめよ、エディット」
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