第四章 時間跳躍の果てで②

 神楽は前に過去に跳んだ時と変わらずといった具合であったが、それでもやっぱり俺は、これをまた見れて良かったと思った。やっぱり若干現代風にアレンジされているのかもしれないが、それにしてもこれは飽きない。願わくば、こんな調子で別の演目も見てみたいものだ。色んなバリエーションがあるなら、俺はもっと見てみたい。

「おい」

 こめかみ辺りを小突かれて、俺はハッと我に返った。横を見ると、見慣れた岡辺の顔がそこにあった。

「のめり込むのはいいが、ちゃんと現実に戻ってこい」

「あ、ああ」

 ふと周りを見渡すと既に人は少なくなっており、関係者と思しき法被を着ている者以外は十人を切っているようだった。前と同じ状況だ。

「これなら何度見ても飽きないだろ」

「ああ、そうだな。何度でも見れる」

「ま、僕としては伝統芸能には興味はないが、これだけは別だ。その点で言えばファンが増えるのは喜ばしい事だ」

 そう言って岡辺は茣蓙からゆっくりと立ち上がり、靴を履いた。

「もう宿に戻るんだろ」

「ああ。でも折角だから、もう少しぶらついてから戻ろうと思う」

「そうか。ああ、ひょっとして瑞葉と」

 言いかけたが、岡辺は止めてしまった。

「なんだ?」

「いいや、なんでもない。水を差しちゃ悪いからな」

「え?」

「ま、ぶらつくのは構わんがあまり山の方とかには行くなよ。都市部や郊外と違って猪とかいたりするからな、なるべく人の気配のする所を動くようにしろ」

「ああ、分かってる」

「じゃあな、子供は本来寝る時間なんだから、あまり夜更しするなよ」

 そう言って、岡辺はその場を去っていった。

「さて、と」

 俺が神社の方に目を向けると、携帯が振動した。間髪を入れずのタイミングだ。だが、このタイミングで良かった。

『今から行く』

 瑞葉からのメッセージ。俺はすぐに「分かった。先に行って待ってる」と返信をした。


       〇


 瑞葉と落ち合う場所は神社から少し離れた川辺だった。指定したのは瑞葉だ。それとなく理由を聞いてみると、条件が一番良いからだと彼女は答えた。

 遠からずではあるが、決して近くはない距離。そこを俺は小走りで向かった。

 冬に入るか入らないかという時期だったが、それでもごく微細な汗が額に浮かんできた。寒い時期の汗はまた夏のそれとは違う不快感がある。だが、今はそんな文句を言っても仕方があるまい。

 人気のない住宅地の角を曲がると、道の先に数メートル程度の小さな橋が見えてきた。

「ここだよな」

 俺は橋の脇を見る。すると、芝生が続いている川辺の道の途中にカジュアルな姿の女の子がちょこんと座っていた。

 女の子は近付いて来る足音に気付いたのか、ゆっくりと振り向いた。

 月明かりに照らされたその女の子は、紛れもなく瑞葉であった。

「瑞葉!」

「しっ、声大きいって」

 瑞葉は口元に手を当てて言った。

「済まん、つい」

「なあに? 私と会えてそんなに嬉しかったわけ」

「馬鹿、そんなわけは……」

 つい言い淀んでしまう。そんな俺を瑞葉はふふ、と笑う。俺はそんなにおかしかっただろうか。

「ここ、家の近くの川辺に似てるでしょ」

「ああ、そういえばそうだな。でも大丈夫だったか?」

「何が?」

「色々とだよ。ここ神社から微妙に遠いし」

「近くまで自転車で来たし」

「神社の人の目とか」

「あるけんちょっと離れたここにした」

「結構考えてるんだな」

「そりゃそれくらいは考える」

 ふと、顔を見合わせてお互いくすくすと笑い出してしまった。

「何が可笑しいのよ」

 忍び笑いをしながら、瑞葉は俺に投げかける。

「そっちこそ、なんでそこで笑うんだよ」

「仕方なかろ。なんか可笑しかったんやけん」

 お互いその後も押し殺したように笑い続け、五秒位経ってようやく収まった頃に瑞葉は目を細めながら口を開いた。

「それでどうしたんよ、話って」

「ああ、なんていうかさ、ちょっと変な事言うかもしれないけど、真面目に聞いてくれないかな」

「ええ~、どうしよっかな。なんかくれたら考えてやってもいいけど」

「分かった。これでどうだ」

 俺が町の商店で買ってきたみたらし団子を差し出すと、瑞葉は目を丸くして「ありがとう」とそれを受け取った。

「どうした、なんか変だったか? 一応神事だから和菓子系がいいかと思ったんだけど」

「いやいや、そういうわけじゃないけど。まさか本当になんか出てくるなんて思ってなかったから」

「まあ忙しいのに夜中に呼び出しして何もないってのも申し訳ないからさ」

「そんな遠慮する仲じゃなかろうに。まいいや、ありがとう。もうこれ貰ったけん、私の物やからね」

「ああ、たんとお食べ」

「犬か私は」

「はは」

 なんていう他愛のないやり取り。それなのに、今はこの時間がとても愛おしい。

 出来る事ならば告げたくはない。だけど。

「なあ、瑞葉。食べながらでいいんだけど」

 この場で早速箱を開けて団子を頬張っている瑞葉。余程お腹が空いていたらしい。

「うんうん。何、変な事って」

「ああ。実はさ、別れを言いにきたんだよ」

 ぽたん、と柔らかい物が地面に落ちる音がした。視線を落とすと、それは瑞葉が半分齧ったらしい団子の欠片だった。

「別れってどういう事?」

「済まん。訳は言えないんだ」

「え、いやいやいやいや、そんな事ないでしょ。引っ越すと?」

「いや」

 俺は何をしているんだろう。別れを言う事が目的なのだから、理由なんて適当に答えればいいのに。

 突如肩を掴まれた。俺が一瞬訳が分からなくなっていると、瑞葉が真剣な面持ちで俺を見ていた。

「真琴。何があったか知らんけど、早まったらいかんよ」

「いや、そういう事でもないって」

「そ、そうなん」

「ああ」

「え~、じゃあなんなん。引っ越しでもないし、切腹でもない。訳が分からん」

「上手く言えないんだけどさ、兎に角、もう会えないんだ」

「本当に?」

「ああ。だから、別れを言いにきた」

 少しの間、沈黙が辺りを支配した。瑞葉は眉を微かに動かしたり、ほんの少しだけ首を傾げたりしていたが、やがて、口を開いて言った。

「分かった。なんか事情があるんやね。じゃあもう聞かん」

「済まん」

「謝んなくていいから。でももしドッキリとかだったら、往復ビンタ百回やけんね」

「百回か。それはきついな」

 冗談であってほしい。ビンタ百回は嫌だけど。

「ねえ、真琴」

「なんだ」

「私からも、変な事言っていい?」

「ああ」

 俺が頷くと、突如、瑞葉が俺の体を抱き寄せてこう耳元で囁いた。

 私ね、真琴の事好きだったよ。

「瑞葉」

「いいよ。返事はせんでもいい。私が言いたかっただけだから」

「瑞葉。でも俺」

「待った」

 瑞葉の手が俺を制止させた。

「別れを言いにきたんでしょ。振るんなら、まあ、辛いけど、ハッキリここで言いんしゃい」

 振る、いっそそうしてしまった方がいいのかもしれない。

 だけど、俺にはそんな事は出来ない。何故好きな人を拒絶しなければならないんだ。

 やがて瑞葉は沈黙した俺の気持ちを察したように微笑を浮かべた。

「それが答えなら、やっぱり言わんでよか。ここで言うには勿体ないからさ、次の機会に取っておきなよ」

 瑞葉は中途半端な態度の俺に怒るでもなく、只そう言った。

 それから少しだけ他愛のない話をした。

 幼い頃の話もあったし、そこから最近起きた下らない出来事の話に飛んだりもした。

 いつまでもこんな時間が続けばいいと、俺はくどい程思った。

 だが、そんな時間はすぐに過ぎていった。

「そろそろ行くね。あんまり離れてると、氏子さん達が心配しちゃうから」

 会話の途切れに、瑞葉はそう切り出した。

「ああ。分かった」

 俺が頷くと、瑞葉は静かに立ち上がった。

「あらざらむ、この世のほかの思ひ出に」

 瑞葉は小さな声でそう呟き、そして、目を細めながら薄っすらと笑った。

「なんだそれ。古文の一節か?」

「和歌。へへ、風流でしょ」

「へえ、お前、和歌なんて詠めたんだな」

「一応神社の関係者やけん」

「関係あるか、それ」

「いいじゃん。細かい事は」

 そう言って瑞葉は歩き出そうとしたが、

「あ、そうだ」

 と言って立ち止まった。

「どうしたんだ?」

 俺が問いかけると、瑞葉はいきなり振り返った。

「えっ」

「まあ、これで手を打つとしますか」

 頬に柔らかい感触があった。多分俺は、顔が赤くなっている事であろう。それくらいは自分でも分かる程、顔が熱を帯びているのを感じ取っていた。

「それじゃあ、今度こそさようなら、真琴」

 そう言うと、瑞葉は小走りでさっさとその場を去っていった。

 瑞葉の歩いていった地面を見る。

 そこにはぽつぽつと、月夜の明かりの中でも分かる程の湿った斑点があった。


       〇


 これでいいんだ。

 これが俺と、彼女の運命なんだ。

 今いち力の入らない足をなんとか鞭打ちながら、俺は宿への道を歩いていた。間もなく元の時間へ戻るつもりではあるが、そうするとこの時間の本来の俺が目を覚ますのであろう。そうした時に変な所で寝てたりしたら申し訳ない。

 やがてやってきた道を戻って宿へと辿り着いた。夜遅く戻って来たにも関わらず、宿の人は快く対応してくれた。多分、神事があるから俺みたいな客がいるのは当然想定済なのだろうが、それにしても仲居さんには感謝しかない。

「あ、そうだ」

 部屋に戻ってきた俺は最後に瑞葉が呟いていた言葉を思い出した。

「あらざらむ、この世のほかのー」

 思い出、だったか。検索エンジンで文字を打ち込むと、検索結果に百人一首という見出しの付いたサイトなどがヒットした。

 俺は取り敢えずそのトップに出てきたサイトを押した。

「和泉式部」

 サイトのトップ辺りに記載されていたその名前に先ず目がいった。確か平安時代の歌人、だったか? 中学の歴史か国語の資料集に載っていた記憶がある。だが、正直和歌に興味は湧かなかったから、それ以上は知らない。

 その名前のすぐ上に、和歌があった。


  あらざらむ この世の外の 思ひ出に

  今ひとたびの 逢ふこともがな


 恐らく、これは瑞葉が呟いていた和歌の全文だろう。

 意味は? 俺は、下に記載されていたその現代誤訳に目を走らせ、

 そして、心臓を突かれたような気分を味わった。

「間もなく私はしん、で……」

 瑞葉が後半を詠まなかったのは、単に忘れていたのか、それとも。

 いや、そんな事はいい。なんで、気付いてたのか。じゃあどうして言わなかったんだ。助けてほしいって。何故!

 お前はそれでいいのか。なんで簡単に受け入れられる。気付いていながら、どうしてあんな平気な顔でいられるんだ。

「死にたくないって言ってくれよ」

 お前が受け入れる必要なんかないのに。世界がお前の存在を潰そうというのなら、お前は意地でも抗ってよかったんだ。ふざけるな! 私はまだ生きたい! って。

 なのに、お前はそうはしなかった。

「お利口過ぎるんだよ、お前は」

 俺は静かに立ち上がった。

「済まん、日司。後で何回でも殴ってくれて構わないから」

 最初は吹っ切るつもりで来た。

 だけど、やっぱり出来そうにない。

 俺は、どうしても目の前にいる大切な人を守りたいんだ。

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