四章 時間跳躍の果てで
第四章 時間跳躍の果てで①
目を開けると、そこは暗がりの中だった。
取り敢えず状況を把握するために暗がりの中を見回す。すると、そこは俺の部屋の中だと分かった。
戻ってきたんだ、俺は。
ふと、右手に何か握っている事に気が付いた。それを目の前まで持ってくると、それは瑞葉から渡された鏡であった。
俺はその鏡を持ったまま、ベッドから起き上がって携帯を手に取る。表示されていたのは二十三日。前と変わっていなければ神事のある日付だ。恐らく、日司がこの場所を指定して飛ばしてくれたのだろう。
俺は部屋の電気を点けてから一度深呼吸をする。それにしても、随分と早い時間に起きたものだと思う。まだ六時になったばかりだ。普段の休日より三時間くらい早い起床じゃないか。
携帯の中にあるスケジュールを確認すると、やはり高瀬町行きのバスの時間や、今夜泊まる予定の宿の名前が記載されていた。
基本的には前に過去に跳んだ時の俺の行動と変わらなかった。高速バスは九時半頃。バスの出る市内中心部の駅までは三十分くらいだから、余裕をもって八時半くらいに出れば先ず問題はない。
まだ家を出るまでには時間があるが、二度寝をするわけにもいくまい。流石の日司も俺の怠惰までは面倒を見切れないだろう。
俺は鏡を旅行用のリュックサックの中に入れると、部屋から出ていつものように顔を洗い、歯磨きをし、寝ぐせの髪などを直した。今日の準備は昨日済ませてあるようだから、適当に時間を潰そう。もどかしくても、今やるべき事はない。
腹の空いた俺は電子レンジの上に置いてあったバナナの川を剥いて頬張りながら、適当にテレビを点けて時間を潰した。ニュースに飽きてきてチャンネルを変えると、浦島太郎に関する小ネタや豆知識など、昔話を特番したバラエティー番組をやっていた。
早く出発時間が来てほしいと思う反面、時間が来ないでほしいとも思ってしまう。時間が来るとはつまり、瑞葉と会えるという事を意味する一方で、彼女との別れの時間が迫ってきているという事でもあるからだ。
だが俺が何を思おうにも、世界は時間を早めてはくれないし、また、止まってもくれない。そうしている内に母が起き出して朝の用意をし始める中、俺は最後のチェックをして玄関を出た。
〇
「よっと」
三時間近く拘束されたバスから解放されて大きく伸びをした。こういう時の空気は格別美味しいし、体を動かす事の出来るという有難みを再確認出来る。
取り敢えず宿に向かおう。そう思って俺は歩き出した。
「あっと、すみません」
バス停からいくらか進んだところの角で俺は人にぶつかり、咄嗟に頭を下げた。ふと前にも同じような事があったなと思いつつ頭を上げてみると、そこにいたのは法被を着た岡辺だった。そうだ、以前時間跳躍した時も同じような感じで岡辺と会ったのだった。
「吉屋、なんでここに?」
前と同じように岡辺は驚き、その顔はまるで夢や幽霊でも見ているかのような面持ちであった。
「まあ、なんていうか、神楽を見に来たんだよ」
俺が言うと、岡辺はぷっ、と笑った。
「な、なんだよ」
「お前、中学生の癖に
「うるせえ、大きなお世話だ。っていうかお前も関わってる神事だろ。いいのかよ、そんな事言って」
「とは言っても、半ば義務的なものだからな。正直なところ、駄賃が出るからやってるのもある」
「世知辛いな」
「そう言うな。今流行りのウィンウィンの関係ってやつだ」
「今流行ってないだろ」
俺が言うと岡辺は、はは、と何故だか笑う。
その時、お兄ちゃん、と呼ぶ声がした。俺が振り向くと、そこにはショートカットで少し日焼けした女の子が歩いてきていた。岡辺凛、岡辺の妹だ。
岡辺妹はパッチリした目で俺の方を一瞥すると、岡辺にこう言った。
「あ、私凛って言います。真琴さん、ですよね?」
「ああ、そうだけど。よく分かったね」
「いえいえ、愚兄の数少ない友人ですから」
「おい、愚兄とはなんだ」
「いいじゃん、別に。そんなだから愚兄って言われるんだよ」
「仲いいんだな」
なわけない! と岡辺兄妹はほぼ同時に言った。
「あ、真琴さん。ここで出会った記念に兄貴の趣味を教えてあげましょうか」
やたらとにやけた表情で岡辺妹は言ったが、すぐさま岡辺に制止させられた。
「おいやめろ。分かった。アイス買ってやるから」
「え、ほんと! じゃあハーゲンね。あの高いの」
「ああ。分かったよ、全く」
俺がちらと岡辺妹を見ると、彼女は白い歯を見せ少女らしい笑みを浮かべながら、何故か人差し指と中指とでVサインを作っていた。ひょっとして俺はアイスを買うために利用されたのだろうか。まあ、それで岡辺妹が幸せならそれでいいか。
「岡辺」
俺が言うと岡辺と岡辺妹が「え」と二人とも反応した。前と同じ反応だ。しかし、前も思ったが、こういう時、苗字が被ってると厄介だな。
「優希」
「僕か。なんだ?」
「いや、良い妹さんだなって思って。大事にしろよ」
「あ、ああ」
岡辺が怪訝な顔をする一方で、岡辺妹は「ですってよ、駄兄」と嬉しそうに岡辺を小突く。
「調子に乗るな、この愚妹」
「そう言われる程成績悪くないですよ~だ」
「あのな、成績が良いってのは勉強する技術が高いってだけだ。お前はもっと根本的な――いてっ」
岡辺は蹴られたらしい、その場に座り込んで優しく
「小賢しいわ。このがり勉マッチョデブ」
「おい。矛盾してるぞ、その言葉」
「知らんがな。語感が良かっただけだもん」
そう吐き捨てると、岡辺妹は俺の方を向いて白い歯を見せ見た目相応の少女らしい笑みを浮かべる。
「ま、こんな奴ですけど、どうかこれからも仲良くしてやってください」
「あ、ああ」
「では」
そう言い残すと、岡辺妹は快活な足取りで去っていった。
岡辺は軽い溜息をつく。
「あいつめ、あんなにがさつじゃ、嫁の貰い手に困るぞ」
「良い子だよな。正直羨ましいぞ」
「僕の有様を見てみろ。お前は本気で言ってるのか」
「いいじゃないか。俺は一人っ子だからかもしれんが、それでも羨ましい」
「じゃあいっそやるよ。まあ一か月と経たずに音を上げるだろうがな」
まるで妹に対する負け惜しみのように岡辺は言った。
〇
宿に着いてチェックインをした俺は、部屋に入れるという事だったので早速部屋に入る事にした。
部屋は前と違い角部屋だった。白を基調とした部屋は手入れが隅々まで行き届いていており、リラックス出来る空間ながらも何処となく非日常さを感じさせた。
取り敢えず背負ってきた旅行用のリュックサックやショルダーバッグを置き、俺は深呼吸をした。
瑞葉に会って、別れを言う。そのために俺は来た。
「好きな人、ね」
幼馴染を好きになるだなんて、ベタ過ぎて三文芝居にすらならない展開だとは自分でも思ったが、しかし俺にとって橘瑞葉は特別だった。
だけど俺は、彼女にこれから別れを言わなければならない。日司は正しい。いつまでも未練がましくしている自分に、いい加減目を覚ませと水をかけなければならない。そしてそれは、あくまで俺が前を見れるようにするためのけじめみたいなもので、何から何まで俺の為にやる事だ。それは結局、瑞葉を思っての事ではない。
彼女の気持ちなどは、一切お構いなしの別れ。
「なんか自分勝手だな」
ポツリと俺は呟いた。
きっと瑞葉は、自分がこれからどうなるかを知っても、それを俺が知っていると知ったとしても、別れを告げに来た俺を恨みもしないだろう。彼女はそういう人間だ。
でも俺は、そんな自分勝手な自分を許せるだろうか。
「ん?」
内ポケットに入れていた携帯が振動したので、俺はポケットから携帯を取り出してその画面を見た。
『神楽が終わってから休憩時間があるけん、その時でいい?』
それは瑞葉からのメッセージだった。俺は高瀬町に向かう高速バスの中で、何処かで会えないかと瑞葉にメッセージを送っていたが、それを見てくれていたらしい。
俺はすぐさま返信をし、瑞葉と落ち合う場所や時間などを決めた。
一連のやり取りを終えると、瑞葉から『じゃまた後で』というメッセージが来た。俺はホッとため息をついた。どうやら、また境内に侵入して無理やり会うという非常識な事をしなくて済むらしい。
手持無沙汰だったので、携帯を元の内ポケットに仕舞わずに適当にネットのニュースに目を走らせていると、岡辺からチャットアプリでメッセージが飛んできた。内容は、要するに一緒に神事を見ないかという事だった。今回の本当の目的は違うものの、今断るのも不審がられるので、俺は行くとメッセージを返した。
これで最後なんだ。ならもう一回位瑞葉の舞を見るのも悪くはないだろう。
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