第三章 修正された世界⑥
家は、当然だがいつも通りであった。俺は玄関でさっさと靴を脱ぎ、明かりの付いている居間のドアを開けると、そこには居間のソファで静かな寝息を立てていたお袋がいた。テレビが点いており、政府の文書改ざんについてのニュースが流れている。
「なあ、母さん」
俺が問いかけると、お袋はハッと起き上がって俺を見た。
「真琴、今何時?」
「え、七時前だけど」
俺が言うとお袋は、はあ、と安堵の息を漏らした。
「はあ良かった。まだ八時九時じゃないのね」
「なあ、母さん。安心したところちょっと聞いてみるんだけど、瑞葉って分かるよな」
俺が聞くと、母は怪訝そうな顔で俺を見る。
「ええ、瑞葉ちゃんね。それは分かるけど、それが一体どうしたの?」
「いや、最近瑞葉を見たのっていつだったか覚えてる?」
「ねえ、真琴あんた大丈夫?」
「大丈夫って、別に疲れてはないよ」
「そういう事じゃなくて。ねえ、真琴。母さん、いつでも相談に乗ってあげるからね。辛い時は言いなさいよ、貴方はまだ高校生なんだから」
「もうそんな子供じゃないって。じゃなくて話を逸らさないでくれ。俺が聞きたいのは、最近いつ瑞葉をみたのかって事だ」
俺が再度尋ねると、お袋は一瞬目を見開いた後、眉根を寄せてこう言った。
「本当に覚えてないの?」
「そりゃそうだ。お袋が何処で誰と会ったかなんて俺が知る訳ないって」
何か会話が噛み合ってない。どういう事だと思っていると、お袋がすぐにその答えを告げた。
「瑞葉ちゃんと最後に会ったのは葬儀の時よ。真琴、貴方も確かに一緒にいたわ」
「え、誰の」
「ねえ、真琴。私も辛いんだからあまり言わせないで頂戴。瑞葉ちゃんのに決まってるじゃない」
お袋は低く静かな声で、そう俺に告げた。
うそだ。
そんな筈はない。
だって、俺には記憶があるんだ。
先週の土曜だ、確かに俺は瑞葉と会ってるんだ。
だから、瑞葉が居ない訳がない。
そうだ。お袋が思い込んでるだけなんだ。多分そうだ。過去で瑞葉を助けた事で瑞葉は助かった。だけど、その事実が皆に共有されてるとは限らない。
瑞葉は同じ高校に進学した。明日、学校で聞いてみよう。岡辺は知ってるだろう。もし岡辺が知らなくても、あいつのいたクラスにでも聞けば、必ず知っている奴がいる筈だ。
〇
その夜は碌に寝る事も出来なかった。夜中に何度も起きては、漠然とした非生産的な考えを何度も頭の中で繰り返した。しかしそれらは俺の心を落ち着かせる事などなく、むしろもやもやを頭の中で増幅させるだけの結果となった。
夜が明けると、俺は体を起こして布団から抜け出した。いつもなら寒くて少しの間布団に籠るのに、今日に限ってはそんな気分には到底なれなかった。
やっと朝がきたんだ。いつもは憂鬱な平日の朝が、この時ばっかりは待ち遠しくてたまらなかった。
俺は朝の支度をさっさと済ませると、すぐに家を出て学校に向かった。本当は家を出る時間はもう二十分位は遅いのだが、家にいても仕方がない。そんな事より早く確かめたかった。
電車に乗り、最寄り駅で降りて少し早歩きで学校に向かう。道を行き交う人はまだまばらで、学生も少なかった。丁度朝練がある学生とない学生の通学時間帯の間なのだろう。少しだけ浮いてる気分になりながら、俺はひたすら学校へと歩を進めていった。
〇
教室に入ると、すぐに岡辺が目に入った。俺は今すぐにでも聞きたい衝動を抑えて、なんでもないような風で自分の席まで歩いていき、ゆっくりと座った。
「どうした? 今日はいつもより早いじゃないか」
俺が席に着くなり、岡辺は振り返ってそう尋ねてきた。
「早いって言っても十五分くらいだろ」
「だが、朝の十五分はでかいだろう」
「まあな」
見ると、岡辺の目元にはやっぱり隈があった。ここ一、二週間位か、最早岡辺の目元の疲れはスタイルになりつつあったし、悲しい事に、この状態の岡辺に違和感がなくなってきたのだ。
「ゲームのやり過ぎなんじゃないか。そろそろ本気で考えた方がいいぞ。成績にも響くし」
「その心配ならもういらないよ。一旦一区切りついたからさ」
「本当か? そう言ってまた別のゲームに手を出して、成績がガクンとさがったら目も当てられないぞ」
「ああ、確かに最近思い知ったよ。僕はあまりゲームとかしない方がいい人種だって。何せ熱中したら辞められなくなる。皆、良く時間を決めてやれるもんだ」
感心したように岡辺は言った。だが実際には守れてない、守ってない奴の方が多いだろう。
いや、今はそんな事はいい。
「なあ、岡辺」
「なんだ?」
「瑞葉の事知ってるよな?」
「ん、あ、ああ。勿論。いきなりどうした」
「いや。あのな岡辺、瑞葉って、その、この学校に通ってるよな」
一瞬、世界が止まったかのような錯覚に陥った。何故なら、そう感じる程までにその時の岡辺の顔は驚きに満ちていたからだ。
「なあ、岡辺」
突然、岡辺は俺の両肩を掴んだ。その動作の意味を理解してしまい、俺は背筋が凍り付いた。
「なんだよ」
止めてくれ。絶対にそれは言わないでくれ。
「いいかよく聞け吉屋。橘は、もうこの世界にはいない」
岡辺はその言葉を、俺が予想していた、だけど期待はしていなかったその言葉を、重々しく、そしてあっさりと告げた。
「うそだ。そんな筈ない」
そんな馬鹿な筈はない。だって俺は、確かにあいつと一緒に!
「落ち着け吉屋」
「なあ岡辺。俺はここ最近まで瑞葉と一緒にいたんだ。あいつと会話もした。記憶もある。お前も、先週の金曜日まで!」
「吉屋」
岡辺は俺の言葉を遮るように、ゆっくりと首を横に振った。
「きっと夢を見ていたんだ。お前も葬儀に行っただろう。覚えてないか?」
「覚えていない筈が」
ない、そう言おうとしたが、止めた。それを認めてしまったら、俺は、瑞葉のこの世界からの消失を認めなければならない。
「吉屋、済まん。無理に言わなくてもいいから」
間違っている。こんなの。瑞葉は助けたんだ。だから、彼女の居ないこの世界は間違っている。
誰か。誰か知っている筈だ。誰に聞けばいい? そうだ、クラスメイトだ。あいつのいたクラスの誰かがちゃんと瑞葉の事を記憶している筈だ。
まだ諦めちゃ駄目だ。
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