第三章 修正された世界④
瑞葉にメールを送った翌日の金曜日は授業も部活も
やけに長く感じられた金曜日も終わり、土曜日がやってきた。最寄りの駅に着いた俺は、瑞葉と約束していた待ち合わせ場所まで歩いていく。
待ち合わせ場所は最寄り駅にある幾何学的図形のモニュメントだ。ここはしばしば待ち合わせ場所に使われているのだが、しかし家が近いのになんでそんな場所で会おうとなったかはもう覚えていない。ひょっとすると少しでも心の準備がしたかったから俺が切り出したのかもしれない。
モニュメントの前に着いた時であった。突然、視界が暗くなった。一瞬、世界が終わったのかとも思ったが、間もなくこんな事をするのは一人しかいないという事に気が付いた。
「誰やと思う?」
「声音変えても騙されんぞ、瑞葉」
「え~、よう分かったね」
手を放しながら少し残念そうな声で視界を塞いだ主は言った。念の為確認しようと振り返ると、やはりというか、当然そこに立っていたのは瑞葉であった。
「おはようさん! 真琴」
瑞葉はいつも通りだった。それを見て、なんだか俺の心も少し落ち着いた。
「ああ、おはよー。しかし、朝からテンション高いな」
「晴れとるからね。そりゃあもうテンションも上がるよ」
満面に喜色を浮かべる瑞葉。
「それで? 今日はエスコートしてくれるのかな」
「ああ、誘ったのはこっちだからな。ちゃんと計画は立ててある」
「へ~」
意地悪そうな笑みを浮かべる瑞葉。
「な、なんだよ」
「真琴の癖にやるじゃない」
「うう、うるさい。俺だって男だ。やる時はちゃんとやるんだ。別に、難しい事でもないし」
「声小さくなってるけどね~」
くそっ、なんて性悪な奴なんだ。もう、誘うんじゃなかった。
「くそっ、なんて性悪な奴なんだ。もう、誘うんじゃなかった。とか思ってるでしょ」
「な」
「顔に出てたよ。真琴は分かりやすいなー」
「ああ、もう。ほら行くぞ」
「へいへい」
〇
俺は瑞葉を連れ、前もって計画していた予定を元に行動を開始した。予定は現代っ子よろしくネットなどで情報収集をして立てた。知り合い等に聞くという手もあったのかもしれないが、俺は岡辺などに聞く勇気はなかった。だってデートするなんて、友人知人に知られたくないじゃないか。
それはそれとして、何処に行くかなどの配慮は意外と難しいものだと俺は間もなく悟った。例えば、デートの道中の一つに動物園を入れてみたのだが、果たしてこれは良かったのだろうかと、今更ながらに気になってきたのだ。デートに水族館は定番だとよく聞く。しかし生憎というかなんというのか、水族館は少し離れていた。そのため、動物園を代わりにチョイスしてみたのだが、これが行ってみると案外動物が不貞腐れていたりするのだ。よくよく考えたら動物だって別に見せ物になりたいわけじゃないのだから彼らに文句を言えようもないのだが、それにしてもこれは初デートとしてチョイスするには考えなければならなかったのかもしれない。もっとも、瑞葉は動物がぶーたれてる感じなのを面白いなどと何故かはしゃいでいたのだが。
昼三時、俗に言われるおやつの時間。俺は瑞葉と動物園近くの喫茶店で休憩をしていた。その喫茶店は今時の開放感のあるお洒落なカフェ系ではなく、むしろその反対、閉鎖的で薄暗い空間だったが、それが却って心地が良かった。何せ席ごとにちゃんと空間が仕切られているので見知らぬ隣人の存在を感じる事がないし、何よりお洒落の圧力、ここに居る以上はお洒落でなければならないというあの圧力を感じないからだ。
「真琴、ひょっとして疲れちゃった?」
俺がアイスコーヒーで水分を補給していると、唐突に瑞葉は尋ねてきた。
「まさか。これくらいでへばる程軟弱じゃない。瑞葉の方こそ、疲れてるんじゃないか」
「多少はね。でもま、これ位の疲れなら慣れっこだし」
「俺に合わせて無理はしなくていいからな。嫌になったら遠慮なく言ってくれよ」
「そっちこそ。私を無理にもてなそうとしてへばる前に言いなよ。真琴は体力がないんだから」
「それは昔の話だ。今は、お前よりは体力あるつもりだ」
「へえ」
瑞葉は意地の悪そうな笑顔を浮かべる。
「じゃあ今度体力比べでもしてみる?」
「な、馬鹿馬鹿しい。流石に俺でも女の子には負けないって」
「それはどうかなー」
不敵な表情の瑞葉。これは俺をからかってるんじゃなくて、本気で勝てると思っているのではなかろうか。確かに瑞葉は昔から体力はあったし、実際、俺は彼女に負けていた時期もないわけではなかった。だが、昔は昔だ。いつまでも女の子に負ける俺じゃない。男らしくとか女らしくとか、今はそんな時代じゃないというのは分かってる。しかしだ、男らしくありたいと自発的に思うのは別にいいだろう。
それにしても、だ。木曜の返信は確実に動揺していた筈なのに、なんで今瑞葉はこんなに平気そうなのだろうか。俺は全身を常時一定以上の緊張が血液のように巡っているというのに。
そこまで考えてふとある事に気付いた。そういえば彼女は次期神社の神主なのだから、精神を落ち着かせる修行とかもやっていたのかもしれない。座禅、は仏教か。まあ兎に角有り得る話だ。折角ならその内教えてほしい。
「どしたの? 上の空みたいだけど」
「いや、なんでもない」
ハッと我に返って俺は答えた。
〇
空が橙色に染まり始めてきた頃、俺は瑞葉を連れて北公園へと向かっていた。何故ここなのかといいうと、端的に言ってこの公園はそこそこ眺めの良い場所だったからだ。加えて、人が少ないという大きな利点があった。普通こういう眺めの良い場所は人が多いのとセットになりがちだが、この公園に限ってはその法則は適用されず、人は常に
「これ桜の木だよね」
瑞葉は北公園へと向かう緩やかな坂道の並木を見上げながら言った。
「ああ、そうだと思う。ここらを画像で検索したけど桜っぽいの咲いてたし」
「へえ、じゃあ春行ってみたいね」
「お前が行きたいなら春に連れてくけど」
「あー行く行く。流石にお一人様で桜並木を愛でに行く勇気ないし」
へへへ、と笑う瑞葉。今は寂しい裸の並木道だというのに、彼女の中では今この瞬間も桜が咲いている情景がありありと浮かんでいるのだろうか。
やがて瑞葉は弾むように歩き出し、俺との距離が数メートル位離れたところで振り返る。
「ほら、さっさせんと日が暮れちゃうよ」
全く、なんて体力だ。俺は彼女のタフさに驚きつつも、負けじと足ペースを速める。
坂道を登り切った場所には神社があり、二人でそこに参拝した。その後脇の道を進み、やがて街を一望出来る広場へと至った。
広場は夕日に照らされて茜色に染まっている。時折吹く風で木々が揺れ、寂しいが透き通った心地の良い音で周囲を満たしていた。
「貸し切り状態だね」
瑞葉が周りを見回しながら言った。
「ああ、まさかここまで人がいないとは思わなかった」
実際、人が一人もいなかったのだ。人気の少ない場所だという事は知っていたが、ここまで人が居ないとは思わなかった。だが、却ってそれが好都合だった。何故なら。
「なあ、瑞葉」
「ん?」
「あんまり気が利かなくて悪かった」
「え、何突然」
「いや、だからその、で、今日一日の事だよ」
「別にそんな事なかったけど。むしろ、真琴にしては凄いなって感心しきりだったよ」
「なんかそれ、あまり褒められてる感じがしないぞ。普段の俺は駄目みたいじゃないか」
「あはは」
「何故そこで笑う」
「なんとなく!」
訳が分からない。そんな事を思っていると、瑞葉は唐突に、まるで骨董品を吟味する鑑定士のような顔付きで俺を見てきた。
「それにしても」
「な、なんだ。やっぱり不満があるのか。よし、もし文句があるなら言ってくれ」
「いやいや違うって! 文句なんかないしむしろ花丸付きの満点だよ。感心したってのもほんとのほんと。おのれ、真琴の癖にちゃんとした計画立てよってからに」
からかってやろうと思ってたのに、そんな言葉が小さく聞こえた。
「瑞葉、さっきから何故顔を逸らす?」
「いや別に逸らしてなんかないんだけど」
「でも明後日の方向向いてるし」
「明後日の方向って何処やねん」
「そう言われると良く分からんな」
「分からんのかい」
「ははあひょっとして瑞葉。急に照れ臭くなったのか。じゃあ仕方ない、な」
不意打ちだった。多分、意地になって俺に自分が平静であると示そうとしたのだろう。
だが。その顔は平静とは真逆のものだった。
紅い。なんだったら、耳の先まで紅い。どうしてこんなにも紅いのかって位、瑞葉はその青々しい名前に反して紅くなっていた。
「ば、ばかやね。紅くなってやんの」
それは瑞葉の精一杯の抵抗だろうか。だが、悔しい事に彼女の指摘はもっともだった。俺は、顔が火照っている事に自分でも気付いていた。だって仕方がないだろう。
こんな瑞葉の顔を見てしまったら、意識してしまうに決まっているじゃないか。
「あ、あたり、前だろ……なんだから」
「え、なんって? 聞こえんよ真琴」
どうしてそんな意地悪を言うのか。
だったら、こっちもお前をもっと困らせてやろうじゃないか。俺は口を開いて、瑞葉に告げた。
「当たり前だろ! だってお前の事が好きなんだから!」
言ってしまった。当初の計画はもっとこう、スマートにこなすつもりだった。なのにだ、瑞葉のお陰で全てが台無しだ。そんな風に奇襲をかけられたら冷静でいられるわけないじゃないか。
「へ?」
ポカンとする瑞葉。聞こえなかったのなら、もう一回言ってやる。何度だって言ってやる。
「お前の事が! 好きなんだ!」
「ちょ、ちょちょちょっと、え? え? え? 待って落ち着こう? え?」
瑞葉は
「ほほんと、と、本当にそうなん?」
「ああ。偽りない。マジだ」
「いやまあ、休日だし、なんかそうなんかもとかそうだと思うけど」
視界の端で瑞葉の手が忙しなく動いている。彼女の目が俺を見たと思ったらすぐに逸らしたりを何度も繰り返す。
「いやいやでもなんていうか、私はあれだしさ」
「瑞葉」
俺が言うと、彼女は体をビクッと震わせる。その顔は今にも泣きだしそうな感じだった。
「ああもう、ちょっと待って。ああもう」
瑞葉はその場に座り込んでしまう。
それからどれくらいの時が経っただろうか。彼女は
「ねえ、本当に私でいいと?」
「あ、ああ。そりゃそうだ、当たり前だ」
「そう」
瑞葉は腕を上げる。俺がわけも分からず首を傾げていると、瑞葉は言った。
「ほら、持ち上げて。恋人なんでしょ」
「え?」
「え、ではない。あんたが言い出した事だ。ほら早くせんね」
言われるまま、俺は瑞葉の両腕を掴み彼女を立たせた。相変わらず瑞葉は俯いていた。
「なんか変な感じ。なんとも言えんし言葉に出来ん」
「まあ、そうだな」
瑞葉が俯いてくれていて正直少しホッとしていた。俺も鼓動が破裂するんじゃないかって位バクバクしていたからだ。
「ちょっと待ってね。今心を落ち着けてるから」
瑞葉は小さな声で言った。微かに、吐息のようなものが聞こえる。深呼吸のつもりだろうか。
「まだ、ハッキリ言ってなかったね」
「え」
「真琴、こっち向いて」
言われるがまま、俺は瑞葉の方を見るために少し視線を落とした。
顔を上げていた瑞葉は、やっぱり赤面していた。
「真琴。私も、あ、あの、ね」
目を伏せる瑞葉。
足がもじもじしてる。
「私も、真琴の事好き」
彼女が何を言うのか分かってはいたが、予想していても、覚悟をしていても、いざ実際に言われると。
「えっ、ちょっと、真琴」
「ごめん、ちょっとだけ」
気が付くと、俺は瑞葉を抱き締めていた。
瑞葉の腕が、自分の体に回されているのが分かった。
瑞葉の心臓の鼓動を感じる。ひょっとして、自分の鼓動も彼女に伝わってしまっているのだろうか。だとしたら相当恥ずかしい。
「俺が瑞葉を守る。絶対だ」
「ありがとう真琴。でも絶対とか言っちゃ駄目だよ」
「そんな事ない」
「あるよ。ほら、言霊ってあるじゃない? そういう事言っちゃうと、真琴がその言葉に縛られるけん」
「瑞葉」
「改めて名前で呼ばれるとこそばゆいね。ほら、そろそろ終わり。暗くなっちゃうから」
「ああ」
俺はゆっくりと瑞葉を離す。
瑞葉は微かな笑みを湛えていた。
「まだ顔真っ赤やね」
「お互い様だろ」
〇
その後、お互い指先でぎこちなく手を繋いだと思ったら離したり、繋いだと思ったらまた離したりを何度か繰り返しながら、殆ど何も話さず電車に乗って最寄りの駅で降りた。駅舎から出た後もそれは変わらず、やっぱり終始ほぼ無言のまま俺と瑞葉は帰途への道を歩いていた。
気が付けば空はもう半分以上が夜であった。
川辺のベンチの傍を通りかかった。どちらともなくそこに立ち止まる。
川は冬日のせいなのか、それとも水位が下がり続けていたせいなのか、水の当たらない所にある水草が枯れかかっているようだった。
「真琴」
不意に瑞葉が俺を呼んだ。
「なんだ」
「今日は誘ってくれてありがとう」
「いやまあ、おう」
「別に自分の事を過大評価してるわけじゃないんやけど、真琴はさ、告白するために無茶苦茶頑張ったんだよね。こんな勇気のいる事、私じゃ踏み出せなかった。真琴は凄いね」
「そんな事ないって。瑞葉はいつも自分から人に積極的に話しかけてさ、俺の出来ない事をいくつもやってのける。だから俺はお前の事尊敬してる」
「はは、ありがとう。お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃねえって」
「うん。ねえ、真琴」
「なんだ」
「ううん、ごめん。やっぱりなんでもない」
瑞葉は繋いでいた俺の手を離し、少しだけ歩いてから振り返り、手を振った。
「じゃあね。今度はこっちから誘うけん」
「ああ」
「倍返ししてやるから覚悟しときなさい」
「楽しみにしてる。でも土下座はしないからな」
あはは、と瑞葉は笑いながら、夜の世界のやってくる東の方へと歩き去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます