第二章 少年は時をかける⑤

 当初は時間を持て余す事になるだろうと思っていたが、そんな事はなかった。

 町から少し外れた高地にある温泉に浸かった後、寄り道をしながら旅館に戻り携帯などをいじっている内に夜になったのである。

 今夜行われる神事というのはおおよそ八時から始まり、明け方の日の出まで続くというものだ。要するに徹夜するわけだが、俺のような部外者が見れるのは神社境内の能舞台で行われる神楽まで。後の儀式は部外者立ち入り禁止だ。見たかったら氏子になれという話だろうが、内容を見た感じ、失礼ながら別に見ても楽しいものでもないようだった。もっとも、見て楽しむものでもないから非公開にしているのだろうが。

 俺は旅館を出て神社へと向かう。途中、同じように観光客らしき人達を見かけた。多分、自分と同じで神楽を観に行くのであろうが、その比率は明らかに年配の人が多かった。若い人は僅かで、その殆ども一人か二人組の大人と思しき女性だった。

 多分地元にゆかりのある人間を除いてここに観光に来た中学生ーー中身的には高校生だがーーは、俺一人だ。少し躊躇はしたが、今更行かないわけにもいかないだろう。自身を奮い立たせて土色の鳥居をくぐった。

 境内の中に入ってみると、一体町の何処にそんなに人がいたのかという程、神社の能舞台の前に人が集っていた。能舞台の前には茣蓙ござが敷かれており、そこで地元の人間と思しき五十、六十代の男性達が談笑にふけっているかと思えば、隣では旅行客と思しき二十代の女性二人が何やら話しては時折くすくすと笑っていた。また、座っていない人間も多数いて、あるいはビールを片手に、あるいはおつまみを片手に、舞台の事など知らんとでもいうように立ち話に夢中になっていた。

 人々の話し声が幾重にも折り重なり雑音となって耳に届いてくる中、俺は人込みの間をすり抜けるようにしながら、なるべく前の方へと席を求めた。なんといっても背丈には自信がないし、どうせ見るなら前の方だと思ったからだ。

 やっと空いてる席を見つけた。そう思った時、肩をぽんと叩かれた。俺が振り向くと、そこには岡辺が立っていた。

「よっ」

 と岡辺は軽い調子で挨拶をした。

「なんだ岡辺か。ビックリさせるなよ」

「済まん」

「しかし岡辺、もう手伝いは済んだのか?」

「ああ済んだとも。そんなわけで僕も今は只の観客ってわけだ」

「そうか」

「実は僕もこれを観るのは初めてだ。ま、あまり期待せずに楽しみにしてるよ」

「どっちだよ」

「どっちもだ」

 岡辺は大人びてきた顔に少年らしい笑みを浮かべた。

 他の観客と同じく、岡辺と下らない話で盛り上がっていると、やがて舞台上の上に進行役と思しき年配の男性が立ち、これから披露される神楽の由来や粗筋あらすじ等を語り始めた。

 神楽の演目はセシハカノカミによるユミチハカワツの退治だ。演目は合計で約二時間に及ぶためいくつかのパートに分けられており、合間合間に休憩時間があった。

 流れはこうだ。


 一、里の平和な日常を描いた第一幕。いわゆる導入部。

 二、ユミチハカワツと呼ばれる魔物が里に現れ好き放題する第二幕。いわゆる展開部。

 三、セシハカノカミによるユミチハカワツの退治が行われる第三幕。いわゆる山場。

 四、ユミチハカワツを退治し、再び里に平和が戻る第三幕。いわゆる結論部。


 瑞葉が出てくるのは三のセシハカノカミが登場する時である。何故彼女の登場がそんなに遅いのかというと、それは彼女が真打であるセシハカノカミ役だからである。何故彼女が男性であろうセシハカノカミ役なのか。

 嘘か真かは知らないが、宿で聞いた話によると、瑞葉の母方の血筋を辿ればセシハカノカミに辿り着くのだという。そして高瀬神社はセシハカノカミを祀る神社だ。瑞葉が神事の主役であるセシハカノカ役を務めるのはそうした経緯からなのだという。

 とはいうものの、それだけではセシハカノカミ役を務める理由としては十分ではない。それなら親戚筋に一人くらいはいるであろう男の子が務めればいいのだ。何故なら、セシハカノカミというのは男だと考えられているからである。であるにも関わらず瑞葉がセシハカノカミ役を務めるのは、高瀬神社の宮司は代々女性神官が務めるものだかららしい。何故神官が女性なのか? 理由は簡単だ。

 セシハカノカミの子が娘だったからだ。娘は父であるセシハカノカミを湛えるために祝詞のりとを唱える施設を作った。それが高瀬神社の起源だ。つまりそれが示すのは、高瀬神社の起源は女性神官だったという事。それは時代を超えて継承されてきており、今に続く伝統となっていた。

「始まったぞ」

 岡辺が小さな声で隣にいる俺に呟いた。

 自然界の音ではない人工的な音、しかしそれでいて自然と溶け込むような音色が辺りを包み込んだ。俺には音楽の事は良く分からない。ましてや和楽器の知識等は皆無に等しいが、それは何故だか懐かしさを感じるリズムと音色であった。音を構成する一部に笛の音があった。円を感じる柔らかな笛の音が体に入っていくというのに、体は全く検閲を通さず、そっくりそのままその音色を全身に受け入れていく。きっとこの笛の音に毒でも混ぜられたのなら、如何なる要人でも簡単に暗殺出来てしまうであろうと、俺はそんな馬鹿げた感想を抱いた。

 見ると、舞台に中学一年あるいは小学六年位の女の子が二人上がってきていた。巫女装束らしき和装の彼女らの内、日焼けした一人に俺は見覚えがあった。

「ほお、馬子にも衣裳だな」

 岡辺は感心したように呟いた。そう、巫女装束を着た二人の内一人は岡辺妹だったのだ。

 彼女達は音に合わせて舞を始めた。現代的なダンスと違い兎に角動作は緩慢かんまんだったし、動きも最小限なので見る人が見れば強い眠気を誘われてしまうだろう。もっとも、あの衣装で激しく動き回ったらこけてしまうだろうし、そもそも場違い感が甚だしいだろうから、これで合ってるのだろうが。

 全く退屈というわけではない。だが、面白い、という感じでもなかった。なんとも言えない感覚を抱きながら舞を見ていたが、やがて巫女舞は終わり、二人の巫女は舞台から殆ど音を立てずに退場していった。

 今のが導入部だろうか。俺はそんな疑問を持ちながら横をチラと見ると、岡辺が口元を抑えていた。隠しているつもりだろうが、目が笑っているぞと俺は心の中で突っ込んだ。

 岡辺妹が粛々と神楽を行っているのが彼には余程奇妙に思えたらしい。後でからかうつもりなのかもしれないが、酷い目に遭っても知らんぞ、友よ。


       〇


 残念ながら俺は小さい頃から神楽に慣れ親しんだ人間ではない。それ故に神楽を百パーセント楽しめていたわけではないし、正直なところ、動きの激しくなった第二幕後半以外は少々退屈というか冗長だと思う事もあった。それでも、隣でしばしばウトウトして「眠い」などと本音を漏らしていた岡辺よりはマシであろう。もっとも、横の男は手伝いで疲れていたから仕方がない部分もあるのだろうが。

 神楽はとどこおりなく過ぎ、遂に真打役である瑞葉の登場する山場となった。

 束の間の静寂の後、再び和楽が鳴り出す。その音に聞き入っていると、そっと舞台袖から登場する者がいた。それは、鬼の様な形相の面をかぶった演者であった。

「瑞葉」

 俺はポツリと言葉に出した。鬼の様に見える面はその人物が勇者である事を示すものだという。俺にはどちらかというと退治される役にしか思えないが、兎に角、それが瑞葉である事に間違いはなかった。

 舞が始まった。これまでと同様に多くが静で構成された動作である。本来であれば、先程までと同じような態度で俺はそれを見ていた事であろう。だが人は現金というか、文脈効果というやつの賜物か、親しい人物、つまり瑞葉がそれを演じているという点で、その動き一つ一つに自然と目を奪われてしまった。

「へえ、流石は跡継ぎといったところか」

 横でいつの間にか覚醒していた岡辺がポツリと呟いた。何故か玄人ぶってるが、お前は先程「眠い」などとのたまっていたのを覚えていないのか。

「吉屋、この後が見物だ」

 岡辺は顔を近づけると、小さな声でそう言った。見物? 魔物との立ち合いのシーンの事か?

 里に到着したセシハカノカミ。しかし里の様子はおかしく、それを不審に思った彼は里の長に話を聞く。すると、里は数年前からユミチハカワツと呼ばれる魔物に支配されていると聞かされた。それを憂えたセシハカノカミはユミチハカワツを退治すると宣言した。

 そして、牧歌的な雰囲気を演出していた音色は徐々に不穏な曲調へと移り変わっていった。

 山の上、湖のある草原地帯でセシハカノカミはユミチハカワツを待ち受ける。そこへ、ユミチハカワツはノコノコとやってくる。私に奇策は通じないとユミチハカワツ。しかし、セシハカノカミは異形のユミチハカワツに一切怯む事なく、只腰に提げていた剣を以てお前を打ち滅ぼしてみせると高らかに宣言した。

 そうして、劇は一番の山場を迎えた。


 それはまるで昔見た時代劇の殺陣のようであった。神楽というイメージからはおよそかけ離れたそれは、しかし、一瞬にして場の雰囲気を緊迫したものに変えてしまった。環境に溶け込んでいた筈の音が自己を主張するように激しさを増していく。この光景は人によっては娯楽的で媚びすぎていると感じるかもしれない。だがそれは多分、英雄と魔物との戦いがどれだけ激しかったのかを物語るために必要な事なのだろうと、それを見て納得させられた。怪我を辞さない程の激しい動きで彩られる演武。剣と剣とがせめぎ合い、しのぎを削り、互いを屈服させんとぶつかり合う。面の隙間より這い出た汗が空中で照明に照らされて玉のような輝きを放った。舞台の床が足の動きに応えて小気味の良い音を鳴らす。激しい暴力的なまでの音にさえかき消されず、いやむしろその音の上に乗って聞こえてくる衣擦きぬずれ、澄みきったけがれを知らぬかのような金属音。

 それはまるで、過去へとタイムスリップしたかのようであった。


       〇


「おい」

 こめかみ辺りを小突かれて、俺はハッと我に返った。横を見ると、見慣れた岡辺の顔がそこにあった。

「ようやく戻ってきたか」

「え、あ、ああ」

 ふと周りを見渡すと既に人は少なくなっており、関係者と思しき法被はっぴを着ている者以外は十人を切っているようだった。

「凄いだろ。正直な所僕は伝統芸能にあまり興味はないが、これだけは別だ」

「そういや前も見た事あるような口ぶりだったな。これ、毎年やってるのか?」

「いいや、特別な時にしかやらない。この前見た時は五年前位の遷宮せんぐうかなんかの時だったかな」

「へえ。でも五年前って、じゃあ瑞葉はそんな昔からやってたのか?」

「まさか。その前は前代の神主がやってたんだよ。だが最近逝去してしまってな、今は代理の神主が運営している」

「そこで瑞葉に白羽の矢が立ったのか」

「そうだな。彼女がどう思ってるか知らんが、もう周りの連中は後継者にしようと画策中だ」

 そう言って岡辺は俺を意味ありげに見た。

「なんだよ」

「駆け落ちするなら今だぞ」

「馬鹿か、ドラマじゃあるまいし。そんな事やったら大目玉じゃ済まんぞ」

「そうか。それは残念だ」

「あのなあ」

 不意を突いて岡辺は俺の頭にデコピンをする。別に大した威力じゃなかったが、唐突なものなので、俺は「いてっ」と反射的に言ってしまった。

「さて、と」

 岡辺は立ち上がり、大欠伸をする。

「ぼちぼち爺さんちに帰るとしようかね」

「ん、もう手伝い終わりなのか?」

「そりゃそうだ。僕はまだ子供だぞ」

「そういやそうだったな」

「そういやとはなんだ。まあいい。まあ、今はじどうなんたらとかあるからな。子供を夜まで働かせるのはご法度だ」

「その割に、瑞葉はまだ神事だろ」

「まあな。彼女だけは特別だ。外部の人間もそう簡単に手は出せんのだろ。何せ神様の子孫だからな」

 言って朝比奈は肩を竦めた。それは冗談で言っているのか、真面目に言っているのか分からない、そんな口調だった。

「吉屋も帰るだろう」

「ああ」

「宿何処だ?」

「国民宿舎だ」

「あれか。じゃあ途中まで送るよ」


       〇


 岡辺と宿の前で別れた後、俺はもう一度風呂に入り直してから床に就いた。

「眠れん」

 俺は思わず呟いた。それもそうだ。風呂に入ったとはいえ、まだ体が興奮状態にあるのだから。

 いや、それだけじゃない。妙に心がざわつくのだ。多分それは、瑞葉が遠い存在になった気がしたからだろう。平凡な自分とは違う、特別な少女。

 ああもう。なんでそんな気持ちにならなくちゃいけないんだ。瑞葉は凄く綺麗で立派だった。それだけでいいじゃないか。なんで、こんな複雑な気持ちにならなくちゃいけないんだ。俺は気を紛らわす意図も込めて今夜の神事の事を振り返った。

 今回の神事の目的は二つだ。一つはセシハカノカミへの感謝。身を危険にさらしてまで自分達を守ってくれた勇敢な英雄への感謝を伝えるための儀式。そしてもう一つは結界の張り直しだ。結界を張ったのはセシハカノカミ、つまり、彼への信仰を高める事によって彼の神威を高め、結界を維持してもらおうという事だ。実際には自然災害か獣の仕業なのだろうから、そんな事をしてもあまり効果は見込めないだろうし、氏子さん達だってあくまで伝統文化としてやっているのだろう。確かに今から見れば馬鹿げた事なのかもしれない。だが、その神事はかつての人々が必死に考え、編み出してきた知恵の名残なのだ。そんな営みをどうして馬鹿に出来るだろうか。たとえ神様も魔物も居なくとも。

 いなくとも?

 いや、待て。神様、だって?

「いたじゃないか」

 それらしい人物が。

 日司ミト。そうだ、彼女は自分の事を神様だと言った。恐らく彼女が原因で、俺は過去に跳んだ。それは、彼女が神様かそれに近い存在だと示すのには十分な証拠だ。

「いや、待て。それじゃあ」

 思わず呟いていた。この神事は、只の伝統行事じゃないのか。かつて本当にセシハカノカミ、あるいはそれに準ずる英雄がいて、ユミチハカワツと呼ばれる魔物がいたとしたら。今回の神事は只単に伝統行事を継承していくためではなく、本当に結界を張り直すために行っているのだとしたら。

 瑞葉がいなくなった原因が単なる自然災害ではなく、意思を持った者の仕業だとしたら。

 胸騒ぎがする。

 そもそも、何故俺はここに来た? 何故この時間に戻って来た?

 ひょっとするとそれは、瑞葉を助けるためではないのか? ベタ過ぎるが、時間が舞い戻る時は決まって何か覆さなければいけない事象がある時だ。それを踏まえると、俺がこの時間に戻ったのはきっと瑞葉を助けるためなんだと思われた。

 全ては只の偶然かもしれない。だけど、行かないで後悔する位なら、行って後悔してやろう。

 俺は静かに身支度をし、誰もいないのを確認するとそっと夜の宿を抜け出した。非常識かもしれないがどうか許してほしい。

 それでも、行かなければならない理由があるからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る