第二章 少年は時をかける④

 高瀬町は山間に立つ町である。景観が良い事で知られるこの町は観光産業が主要産業の一つとなっており、さほど広い土地というわけでもないのにいくつも旅館やホテルが建っていた。

 しかし、観光が盛んだからといって交通の便が良いというわけでもない。先ず第一に電車が通っていないのだ。かつてここには私鉄もあったらしいが、経営の都合上からか数十年前から廃止されてしまっており、町へと至る交通手段はバスか車に頼るしかないのだ。それでもわざわざ遠方から観光客がここまで来るのは、雲海や渓谷の素晴らしさが他では代え難いものだからなのだろう。

「ふう」

 高速バスを降りた俺は辺りを見回した。これが第一印象というのもどうかと思ったが、人がいなかった。いや、正確には全くいないというわけではなかったのだが、同じく高速バスから降りてきた人を除くと、中高年と思しき通行人が二人しか見当たらなかったのだ。

 まあ、こんなもんか。神話の時代から語り継がれているとはいえ、ここは山の中だ。高校はあるみたいだが、大学や職、娯楽を求める若い人間は町を離れるだろうし、必然的に人口は少なくなっていく。

 いつか、ここも廃墟になってしまうのではなかろうか。そんな事を俺は思った。

 余計なお世話か。俺は取り敢えず今夜予約を取っている宿へ向けて歩き始めた。


       ○


 俺は予約していた宿で荷物だけ預けると、取り敢えず外に出て町中を観光する事にした。高瀬町には小学校と中学校が一つずつある。学生数は二百人いない位だったと思うが、それにしてもここの若者はどうやって暇を潰しているのであろうと思った。しかし、歩いている内に小ぢんまりとした書店と家電量販店、カラオケなど、最低限若者の娯楽となり得そうなものがある事に気付いた。多少施設の規模や数などに差はあれども、案外、この町の学生と、そこそこ発展した都市郊外の学生との生活様式にあまり差はないのかもしれない。

「あっと、すみません」

 つい余所見よそみをしていた時に人にぶつかってしまい、俺は咄嗟に頭を下げた。しかし、頭を上げてみるとそこにいたのは岡辺だった。

「吉屋、なんでここに?」

 驚いたのはあちらも同じようで、岡辺の顔はまるで夢や幽霊でも見ているかのような面持ちであった。

「岡辺、お前こそなんでここにいるんだ」

「手伝いだよ」

「手伝い?」

「ああ。父方の祖父の実家がこっちにあるんだ。で、祭りの準備があるから手伝ってくれってさ。全く、こっちは受験生なのにな」

「へえ、そりゃ大変だな」

「ま、代わりに駄賃は弾んでもらうんだがな。それで、お前はどうしてここにいる?」

「あー、なんていうかな、神事を見に来たんだ」

 俺が言うと、岡辺はキョトンとした顔で首を傾げたが、間もなく、いやににやけた顔で俺を見た。

「な、なんだよ」

「そりゃまた殊勝な心掛けだな、って思ってな」

「悪いかよ」

 その時、お兄ちゃん、と呼ぶ声がした。俺が振り向くと、そこにはショートカットで少し日焼けした女の子が歩いてきていた。

 女の子はパッチリした目で俺の方を一瞥いちべつすると、岡辺にこう言った。

「この人は?」

「吉屋だ。ほら、前に話しただろ?」

 そう言われて女の子は、ああ、と納得したように頷いた。そして俺の方を向くと、ペコリとお辞儀をした。

「真琴さん。りんと言います。愚兄がいつもお世話になってます」

「ああ、これは丁寧にどうも」

「おい、愚兄とはなんだ」

「いいじゃん。実際そんな感じなんだし」

「へえ、家ではだらしないのか」

「吉屋、こいつの言う事を信じるな」

 俺がちらと岡辺妹を見ると、彼女は白い歯を見せ少女らしい笑みを浮かべながら、何故か人差し指と中指とでVサインを作っていた。

「岡辺」

 俺が言うと岡辺と岡辺妹が「え」と二人とも反応した。普段苗字で呼んでいると、こういう時が厄介だな。もっとも、滅多にあるシチュエーションでもないと思うが。

「優希」

「お、僕の方か。で、なんだ」

「まあだらしなくてもいいんじゃないか。お前はあまり隙がないから、そういう所が少し位ある方が好感持てるぞ」

「だから吉屋」

「へえ。兄ちゃん学校じゃ優等生ぶってるんだ。へえー」

「なんだその目は。言っておくが、今更見直しても何も出ないからな」

「期待してないよーだ。調子に乗んな、馬鹿兄貴」

 言われて、岡辺は眉尻を下げる。

「じゃそろそろ行くね。真琴さん」

 岡辺妹を俺の方を振り向くと、静かにお辞儀をする。

「駄目な兄、略して駄兄ですが、これからもよろしくお願いします」

 そう言い残すと、岡辺妹は快活な足取りで去っていった。

 岡辺は軽い溜息ためいきをつく。

「あいつめ、何しに来た?」

「似てるな」

「何がだ?」

「いや、雰囲気というか、漠然とした感覚なんだが、瑞葉にちょっと似てるなって思って」

「おい、まさか妹に惚れたとか言い出すなよ。お前が弟になるのは御免被る」

「いくらなんでも飛躍し過ぎだろ。っていうか、どういう事だよ。瑞葉と似てるって言っただけでなんでお前の妹に惚れた事になるんだ」

「あー、細かい事は気にするな」

「細かい事って、お前」

「僕もそろそろ行かないと」

「ん、そうか」

「まあ楽しんでいけよ。寂れた町だが静かでいいとこだからな。ここじゃ自然が娯楽代わりだ」

 そう言って岡辺は俺の肩をぽんと叩いて神社の方へ行ってしまった。

「さて、どうしたもんかな」

 特にやる事もない俺はチャットアプリで瑞葉にメッセージを送ってみたが、やっぱりというか、瑞葉からは返信は返ってこなかった。まあ主役なのだから忙しいのだろう。

 しかし。

 神事までは時間がある。一体何処で時間を潰せばいいだろうか。

 雲海はこんな昼間にはないだろうし。

 あ、そうだ。

「温泉でも浸かるか」

 言って、俺は自分が急速に年老いてしまったのではないかと不安になった。

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