第二章 少年は時をかける③

 瑞葉と近所の川辺で会ってからおよそ一週間。当然といえば当然だが、日々は平和そのもので、物騒な話といえばテレビやネットのニュースから流れてくるくらいものだった。そんなこんな日々を過ごしている内に俺が高校生活をしていたのは実は夢だったんじゃないかと思う事もあったが、結局、その度にあれも現実だったのだという結論に落ち着いた。

 俺は瑞葉と会った日以降、暇のある時に簡単に高瀬町についての事を調べていた。

 そんなある日の事だった。

「吉屋君」

 俺が校門を出ようとすると、同じ美術部だった朝日奈が声をかけてきた。

「朝日奈か。なんか久しぶりだな」

「確かにそうね。折角だから途中まで一緒に帰らない?」

「ああ、別に構わないが」

 何故俺はこんなにも罪悪感に駆られているのだろう。只女子と一緒に帰るだけだ。この時の俺は、別に誰とも親密な仲にはなっていない筈なのに。

「吉屋君、最近昼休みによく図書館来てるわよね?」

「ああ。行ってるが、それがどうした?」

「いいえ、熱心に何を調べているのかなと思って」

 彼女はロングの黒髪から覗かせる知性をまとった瞳で俺を見ながら言った。朝日奈は落ち着いていてクールな印象を持っていたが、不思議と瑞葉とは波長が合うらしく、彼女と一緒にいる所を何度も見かけた事があった、というか仲良しのようであった。

「高瀬町の事だよ」

 そういえば彼女は図書委員だったなと思いながら俺は答えた。そうすると、朝日奈は意外そうな顔をして口を開いてこう言った。

「そう。吉屋君って高瀬町の事知ってるんだ?」

「なんか瑞葉も同じような感じで聞いてきたな。そんなにマニアックな町か、高瀬町って」

「マニアックというわけじゃないけど、あまり聞かないところだから」

「まあ確かにそうだけど」

 実際、高瀬町の事はテレビのニュースとかでも殆ど聞いた事は無かった。恐らく、郷土史なり、神社なりに特別興味があって調べたりしない限り、高瀬町に辿り着く事はないのであろう。

「ん? その口ぶりからすると、朝日奈は高瀬町の事を知っているのか?」

「一応知ってるといえば知ってるかしら。でも私が知ってるのは昔の話とか、その辺。何が名産とか、どういう地形なのかとかは分からないわ」

「へえ。じゃあ高瀬町の昔の話とか聞かせてくれないか?」

「そうね。結構色んな話があるからどうしたものかしら」

 朝日奈は言って考え込む。そうして十秒位経過しただろうか。「ああ」と朝日奈は何か思い付いたように声を上げた。

「そうだ。高瀬町初心者のための丁度良い話があった」

「はあ」

「ちなみに、吉屋君は高瀬町の事をどれくらい知ってる? 名前だけ?」

「一応どういう所にあって、名所が何か位は知ってる」

「そっか。じゃあ、高瀬神社の事も知ってるわね」

「ああ、彼処で一番有名な神社だからな」

「私が話そうと思ってるのはそこのお話。セシハカノカミって神様の話なんだけど、知ってるかしら?」

「彼処の祭神の話だよな。よう知らんから、聞かせてくれないか」

「分かったわ。立ち話はきついから、ちょっとそこの公園のベンチでいいかしら」


 昔、まだ神様が身近にいた頃の話。高瀬の里に何処からともなくやってきた魔物が住み着いたの。ユミチハカワツという名のその魔物は、里を守る代わりに三十年おきに里一番の娘を捧げるように里に要求してきた。とても理不尽な要求ではあったものの、魔物はとても強力なので逆らうわけにもいかず、里の人々は代々三十年おきに長者の娘をユミチハカワツに捧げてきたの。でもそんな時、とある精悍せいかんな若者が高瀬の里を訪れた。若者の名をセシハカノカミといった。彼は里に巣食っている魔物の事を聞くと、すぐさまそれを退治するための準備を始め、そしてユミチハカワツに戦いを挑んだ。ユミチハカワツは強力な魔物ではあったけれど、セシハカノカミも負けじと戦い、遂に魔物を山の向こう側へ追い出す事に成功したわ。その後、セシハカノカミはユミチハカワツが再び里へと戻ってこないように、山の向こう側とこちら側を隔てる結界を張ったの。そうしてセシハカノカミは里の者に大層感謝され、里一番の娘と結婚しましたとさ。


「ちなみに、結界を張った所が今の高瀬神社。つまり、神社は結界の役割を果たしているわけね」

 そう、朝日奈は付け加えた。

「そんな話があったのか。ネットで調べてはみたけど、そんな話があるなんて知らなかった」

「多分ネットには上がってないよ。町のサイトには神楽のページでちょっと触れられてるだけだし、百科事典のサイトにも記載はないからね」

「ネットも万能じゃないってわけか」

「吉屋君はさ、なんでまた高瀬町なの?」

「え?」

 聞かれて一瞬、どきりとしてしまった。

「お婆ちゃんちがあっちにあるとか?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「なんか言い辛い事かしら。ならいいけど」

「そういうわけじゃ、ない。なんか今度神事をやるみたいだから、気になったんだ。只、それだけ」

「神事、ね」

 朝日奈は少しの間考え込むように口に手を当てて視線を落としていたが、やがて「ああ」と納得したように顔を上げた。

「そういう事ね。良いんじゃないかしら」

 見ると、朝日奈の口角は小さく上がっていた。朝日奈は瑞葉と仲が良い。故に神事の事を知っていてもなんら不思議ではない。その事に気付くと、俺は途端に恥ずかしくなってきてしまった。

「あ、そうだ。面白い、というとちょっと不謹慎だけど、ちょっと興味深い話があるわよ」

「興味深い話?」

「実はね、過去に何回か高瀬町で失踪騒ぎが起きているの。過去に何回かといっても、起きたのは数百年前だったり千年以上前だったりするのだけれど。それはね、さっき話したユミチハカワツの仕業なんじゃないかって言われてるの」

「そんな馬鹿な、昔話だろ」

「ええ、そうね。でも、昔話には元になった出来事が存在しているものよ」

「じゃあ本当にユミチなんとかっていうのが居たっていうのかよ」

「そこまでは言ってないわ。でも、そんな魔物が生み出されるような何かがあったんじゃないかしら。例えば、山に潜んでいた山賊による仕業とか、獣による被害とか、自然災害とか」

 自然災害という言葉で俺は少し胸を刺されるような思いがした。瑞葉を帰らぬ人にした災害が、昔にも起きていたという事なのだろうか。そしてそれを、ユミチハカワツとかいう魔物の仕業にした。

「どうしたの? そんな深刻そうな顔をして」

 朝日奈が心配そうに聞いてきた。

「ああ、済まん。そんな怖い顔してたか」

「ひょっとして、瑞葉の事心配してる?」

「な、いきなり何を」

 唐突にそんな事を聞いてくるので動揺してしまった。いや、そんなわけでは。

 俺が返答に困っていると、朝日奈は微笑しながら言った。

「昔と違って今は獣や自然に対する対処方法も増えているから、流石に大丈夫だと思うわ」

「ああ、そうだな」

「ごめんなさい。余計な事言っちゃったかも」

「いや、そんな事ない。ありがとう。面白かったよ」

「そう? ならいいけど」

「なあ、それより朝日奈こそなんで高瀬町の事を知ってたんだ?」

「ちょっと高瀬町の神話に興味が惹かれたからかな」

「そうなのか?」

「ええ。高瀬町ってね、実はとっても由緒ある町なんだって。遡ると神話の時代からの土地なんだけど、面白い事にその神話というのが、古事記や日本書紀に登場するようなお話とは異なる神話で成り立ってるって事なの。高瀬町に伝わる神話ではイザナギも出てこないしアマテラスオオミカミも出てこない。スサノオノミコトも、オオクニヌシノミコトも出てこない。代わりに違う神様が出てきて活躍するの。ね、なんかロマンがあるでしょ?」

「成程ね」

 俺は日本神話というのにてんで詳しくはないので、ロマンがあると言われてもいまいちピンと来ない。だが、朝日奈がこうまで熱弁するからには通の人間にとっては心が躍るような事なのだろう。そういえばと俺は思い出したのだが、朝日奈はそういった感じの絵を描いていた気がする。

 朝日奈と駅前のバス停で別れた後、俺は一人駅へ向かって歩き始めた。

 そろそろ高瀬町に行く準備をしなければならないだろう。俺は実質高校生みたいなものだが、それにしても遠方に出向くのにはだいぶ頭を使ったと思う。何せ一人でこんなに計画を立てる事はなかったからだ。バスや宿泊の予約、当地の回り方等々、兎に角慣れない作業は疲れるものだ。

 最寄りの駅で降りて歩く事数分、俺は先日瑞葉と話していた自宅近くの川辺に通りかかった。最近雨が振らなかったせいか水かさが下がっており、水草が水分を求めるように弱々しく揺れていた。

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