第二章 少年は時をかける②
授業が始まっても俺は一向に集中する事が出来なかった。案外思考は思い通りに動かせないものだと思う。何故なら、今は授業に集中すべき時だというのに、気が付けば瑞葉の事に意識がいっていたからだ。そうして俺は鉄砲の伝来について先生に尋ねられた。もう中学時代の記憶が曖昧なのか
「おい、大丈夫か」
昼休みになるや、岡辺は俺をからかうような、それでいて心配するような表情で俺に尋ねてきた。
「何がだ?」
「何がって、お前の事だよ」
「え? 俺?」
「今日なんか様子が変だぞ。二時限目に海野先生に当てられた時なんかうわの空状態だったし」
「そうだったか。まあ確かに答えられなかったけど、それは単に忘れてしまってただけで」
「橘がどうかしたのか?」
唐突に岡辺が尋ねてきた。橘? 俺は一瞬キョトンとしたが、すぐにそれは瑞葉の名字だと思い出した。そうだ、瑞葉の事はいつも下の名前で呼んでいたし、岡辺は岡辺であの出来事以来、瑞葉の事を口に出す事はなくなっていたからすぐに頭に出てこなかった。
「まさか、そういう事か」
岡辺はにやりと笑う。
「おい、絶対変な想像してるだろ」
「そうでもないだろう。特にお前の場合、分かりやすいからな」
「勝手に言ってろ。それはそうと、瑞葉は何処に行ったんだ?」
「橘なら昼休みになるなり教室から出ていったよ。多分、朝日奈辺りと雑談でもしてるんだろう。残念だったな」
「そうか」
蒸し返そうとする岡辺に対し、俺は適当に興味なさそうな返事をした。
〇
家に帰ってきた俺はシャワーを浴びて夕食を食べた後、いつものように二階の部屋へと登っていこうとする。
「真琴。プリンあるんだけど食べる?」
リビングを出る時にお袋がそんな事を言ってきた。無論、俺はついリビングを出る足を止め、有名ブランドのものらしいその洋菓子に舌鼓を打ってしまった。
「まだ子供よねえ」
「旨いに子供も大人もないだろ。大きなお世話だ」
ふふ、と何が可笑しいのかお袋は笑ってテレビの方へと視線を転じた。そんなお袋を尻目に、俺はプリンを食べ終わると今度こそ二階へと上がった。
結局、学校では瑞葉とあまり会話をする事は出来なかった。仕方がないといえば仕方がない。瑞葉には瑞葉の付き合いがあるのだから、それを乱してまで話をしにいくのも迷惑だろう。
只、呑気にしてもいられない。これが過去の時間だというのなら、あの災害も再現されるという事だ。何故過去の時間に跳ばされたのかは分からないが、今やるべき事はハッキリしている。
やはり、聞いておかねばなるまい。
俺はベッドに寝転がりながら、チャットアプリで今から会えないかと瑞葉にメッセージを送った。それから数分は適当にネットニュースの記事を見ながら時間を潰していたが、やがて瑞葉から『いいよ』と返信が返ってきた。
早速俺は返信を返すと、瑞葉から再び返信が返ってきた。
『じゃあ、川辺のベンチで待ってる』
〇
「どしたの? こんな急に呼び出して」
「ん、ああ。ちょっとな、無性に人恋しくなったんだ」
「人恋しくなったって、じゃあおじさんやおばさんは人じゃないんかい」
「いや、そういうわけじゃないけど。まあ、あるだろ、親以外に会いたいって事」
「まあ、それは分かる」
「ちょっとだけ話さないか」
俺が言うと、どちらからともなく、川辺に設置してあるベンチに座った。
「久しぶりね」
「何が?」
「いんや、こうして話すの」
「そういえばそうだな。中学一年以来か?」
俺は高校生の途中まで経験しているから、久しぶりといっても彼女より更に久しぶりという事になるが。
「いんや、中学二年上がってすぐの時もあったでしょうが」
「あれ、そうだっけ」
「もう忘れたんだ。薄情やの〜」
「仕方ないだろう。ほら、これやるから」
そう言って俺は手に持っていたビニール袋から板チョコを取り出して、水葉に差し出した。瑞葉はそれを見るなりすぐに喜色を浮かべ「いいと?」と尋ねる。
「ああ、わざわざこんな時間に来てくれたからな。安い見返りだけど、許してくれ」
「いやいや、全然いいって」
チョコゲット、と呟きながら嬉々として板チョコの包装を破り、それにかぶりつく瑞葉。
ふと、瑞葉は俺の方を向いて眉をひそめる。
「ジロジロ見んといて。恥ずかしいっちゃけど」
「あ、ああ、済まん」
「ねえ、真琴はさ、将来どうするかとか決めとるん?」
「うーん、漫画家とか?」
「それって小学校の時に書かされた夢でしょ。私的には、今真面目にどう考えてるか知りたいんよ」
「夢、って言われても、まあイラストレーターとかになれたらな、とかは思ってる位で、あんま小学校と変わってないかな」
「そっか。美希とか他の子も曖昧な事言ってたし、皆そんなもんなんかね」
美希、と聞いて少しの間の後、それが朝日奈の下の名前だと思い出した。朝日奈としか呼ばないから、どうしてもすぐにピンと来ない。
「そんなもんなんじゃないか。いくらネットが普及したからといって、まだ中学生なんだし」
もっとも、俺の場合は高校生なのだから、結局高校生になってもそんなに変わっていないという事になるのだが。
「そういうお前は何か考えてるのか?」
「考えてるっていうか、殆ど将来決まりなんよね」
「え?」
「なんか前に言わんかったっけ。私の母方の実家って神社なんよ。やけんってわけじゃないけど、色々あって、私その後を継がないかんのよね」
「そうなんだ。じゃあ、舞とか琴の稽古もそれ関係か?」
「そゆ事。神事で使うからやらんといかんってわけ。でもね、今いち夢が無いんよね。父さんはさ、成長すれば良さが分かるなんて言うけど、じゃあ後を継ぐかなんて成長してから決めればいいじゃんって思わない?」
「うーん、済まん。その辺の事情はなんとも言えないからな」
「ちぇっ。お世辞でもいいから共感してくれっての」
膨れっ面をする瑞葉。
「瑞葉はじゃあ、何かなりたい職業とかあるのか?」
俺が尋ねると、瑞葉は髪をいじりながら言った。
「まあそう言われると、これなりたいー、っていうやつはないんやけどね」
「なんだ。そこまで言うのならなんかあるのかと思ってた」
「悪かったな、頭お花畑で」
「いや、そこまで言ってないが」
「まあ、自分が恵まれてるのは分かってるよ。うちの神社はそれなりの規模だから、他所みたいに兼業する必要もないし。でもね、頭では分かっとるんやけどさ、なんっかもやもやするんよね」
瑞葉は自分の髪をもしゃもしゃとさせる。
「あー、どうせ神職やるんだったら、いっそ神様になりてえなー」
「神様だって大変なんだぞ」
「どんな所が? 掃除とか神事の段取りとか何もしなくていいじゃん。ただ鎮座ましましてるだけでしょ?」
「それはお前、皆の願い事を聞いてやったりしなきゃならんから大変なんだよ」
「えー、
「さいですかね」
そこで会話が途切れた。澄んだ川のせせらぎが聞こえる。無風ではあったが、その音を聞いているだけで体感すら涼しくなってくるように俺は感じられた。
「ねえ、真琴」
「なんだ」
「真面目な話さ、時間の流れってちょっと怖いんだよね。いつかこうやって話す事も無くなって、大人にならなきゃいけないし。ずっとこんな感じの日々が続けばいいのに、って思うのにね」
「まあな。俺も将来なんて、漠然とした不安があるし。無茶苦茶贅沢な事言うと、季節は巡るけど年は取らず、でもそれでいて絵とかは上達していきたいな、って俺は思う」
「何それ、もう贅沢ってレベル突き抜けとるやん」
瑞葉は笑う。本当に、いつまでもこうして彼女と話が出来ればいいのに。
突然、瑞葉が心配そうな表情で俺を見てきた。
「どうしたん。やっぱなんか辛い事あったと?」
「え?」
「だって真琴、涙出てる」
言われて、俺は目の下の辺りを触った。確かにそこには、生暖かいものが流れ落ちていた。別に、泣く事なんかなかった筈なのに。
「瑞葉」
「どした? 言ってみな」
「何かあっても、お前は俺が守るから」
「え、どしたんよ急に。お、落ち着け少年。ほら、ハンカチ貸すからーってハンカチ無かったわ、ごめん」
「瑞葉、ありがとう」
「いや、別に何もしとらんし」
顔を背ける瑞葉。ふと視線を落とすと、透き通った川の中の水草が楽しそうに揺れていた。
そうして、何分経っただろうか。俺は半ば意を決して口を開いた。
「なあ、瑞葉」
「ん?」
「ちょっと話変わるんだけど、ここ最近で高瀬町に行く予定はあるか?」
「え、高瀬町? うん、まああるっちゃあるけど。え、なに? なんで真琴知ってるの? エスパー?」
怪訝な顔をする瑞葉、俺は慌てて否定する。
「いやなんていうか、最近あの町に興味があって言ってみただけなんだ。特に深い意味はない」
「ほんとに? 心とか読んでないよね」
「読めるか。読めてたらもっと人生が、なんかこう、面白可笑しくなってるわ」
「あはは、そこは普通悩むとこでしょ。心が読めるが故の悩みってやつ」
「そうかもしれんが、読めるなら有効活用したい」
「いいんじゃない、真琴らしいし」
「ああ。じゃなくて、念押しとくけど俺は心は読めないからな」
「分かってるよ。言ってみただけやけん。それにしても、高瀬町なんて良く知ってたね。しかも興味があるときましたか」
「そんなにおかしな事か?」
そういえば俺があの町を知ったきっかけは瑞葉の件があったからだと、俺は思い出した。
「おかしくはないけど、マイナーな町だから知っててびっくりだよ」
瑞葉は言った。だが実際のところ、名前は知っていても高瀬町の事を殆ど知らない。地理に興味が無いわけではないが、どうしても瑞葉に繋がる町だったから、町の事を調べようとすると、心が痛くなるからだ。トラウマ、というやつなのかもしれない。兎に角、わざわざ自身の傷口を開いてまで町の事を知りたいとは思わなかった。
「なあ、瑞葉」
「何?」
「そこに何しに行くんだ?」
「へへ、当てて御覧なさい」
「んー、ひょっとして、お前の母方の実家が高瀬町にあるのか?」
「そうそう」
「じゃあ高瀬町には神事をやりにいくんだな」
「そうそう。って、あれ、なんで分かったの?」
「いや、さっき瑞葉が神社の跡を継ぐとか言ってたし」
「あー、そういう事か」
「なあ、それっていつやるんだ?」
「え、ひょっとして見に来るん?」
ちょっと困惑したように瑞葉は言った。その顔はなんだか嫌がってるように見えるし、照れてるようにも見える。
「なんだ、嫌なのか?」
俺は一体何を言っているのかと思ったが、言ってしまった以上後戻りは出来ない。これはもう勢いだ。結果的に瑞葉がいつ行くのかが分かればいい。
「別に嫌じゃ、ないけど」
「まあ予定が合えば行くってだけだ。そんな気にしないでくれ」
「……だよ」
「え? 済まん、聞こえなかった」
「だから二十三日だって、馬鹿野郎」
二十三日。それは、瑞葉が災害に巻き込まれた三十日ではない。
つまり、瑞葉は災害に遭わない。瑞葉は助かる。
「良かった。教えてくれてありがとう」
「別に見に来てもいいけど、後でからかったりしないでよね」
「分かってるって。じゃ、今日はこんな夜分に付き合ってくれてありがとう」
「いんや、ええよ。チョコもらったし」
俺は立ち上がるが、瑞葉はベンチに座ったまま俺を見上げた。
「あ、私もう少しここにいる」
「ああ。だけど変な奴がいるかもしれないから周りには気を付けろよ」
「心配症ね。家すぐそこだし、いざとなったら助けを呼ぶわよ。やけんさ、すぐに駆けつけてね、ないとさま」
「はいはい分かったよ。じゃあな。お前の晴れ姿、ちゃんと見といてやるよ」
そう言い残して、俺はその場を後にした。
何故瑞葉が高瀬町に行く日にちが変わったのか。
それは多分、自分が過去にやってきた事で本来起きるべきだった事象に変化が生じているからだ。確かバタフライ・エフェクトとかいう理論だったか。いや、そんな事はいい。もし瑞葉が予定通り三十日に高瀬町で神事を行うという事なのであれば、なんとかして止めないといけないと思っていたが、未来からやってきた俺の存在自体が瑞葉の喪失を防いでいたのなら、敢えて何かする必要は無いのだろう。
しかし、だとしたら俺はこれからどうするべきなのだろう。このまま瑞葉のいるこの過去の世界で生きていくのか。それとも、その内元の時間軸に戻る時がやってくるのであろうか。
果たして元の時間軸に戻った時、瑞葉がいてくれないなら俺は。
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