第二章 少年は時をかける⑥

 祭りは日にちを回っても行われており、既に時刻は一時を過ぎていた。児童福祉なんとかという法律に引っかかりそうな案件だが、公的機関も流石に伝統ある神事には手を出せないという事だろう。誰だって下手に手を出して祟られたくはない。特に、この辺りはそういうのに対する畏れが強いらしいから。

 だけど、俺はそれをこれから無茶苦茶にしに行くんだ。神様は許してくれるだろうか。

 いや、許してくれなくたって構うものか。ああ、そうとも。祟られたって構わない。瑞葉が無事でいれるなら、俺は神様にだって逆らってやる!

 街中は深夜のためか、人の気配が全く無かった。神事に参加している人は神社に、そうでない者は皆寝床に入っているのだろう。何せ、ここは夜の娯楽とは無縁の場所のようだから。

 なるべく音を立てないように走る事十数分。遂に俺は神社の近くまで辿り着いた。

 神社付近では、提灯の灯りなどが爛々らんらんと夜を照らしていた。

 俺はそれを尻目に、人の気配が無くなるまで道を行き続けた。神社の後ろは山である。恐らく、山全体が神社の境内なのであろう。

 本来の神社の入口から数百メートル程離れた場所まで来た。ここなら人目につくこともないだろう。俺は神社の内と外を分けている柵を越えて神社の中へと入っていった。

 走り続ける事数分、神社の中は外から見るより随分広いという事を思い知らされた。多分、施設の集まっている中心地区は小ぢんまりとしているのだろうが、森林地区とでも言えばいいのだろうか、木々や草木の生い茂っている場所は果てが分からない程の広大さを持っていた。

 俺は携帯を取り出した。さほど町から離れたわけでもないのに携帯は圏外を示している。

「神様、ね」

 俺は呟いた。圏外なのはこの辺りの電波か何かが特殊だからなのか、それとも、もっと別の特別な力でも働いているのか。

 迷子にならないように、しかし誰かに見られないように施設の近くを移動しながら、俺は本殿の奥を目指した。岡辺から聞いた話によれば、神事は本殿の奥にある山の頂上付近で行われるという事だ。山へ行くのはいつきの宮と呼ばれる神官のみ。つまり、瑞葉だけだ。そして山へ行く理由は神様に会いに行くためだという。その意味については殊更詮索するつもりはない。神道というのはそういう面もあるのだと聞いた事があるからだ。

 だが、それは俺にとっては好都合だった。誰もいないなら、瑞葉を連れて帰るのも容易だからだ。

 途中まで整備されてない山道を歩いていったが、麓が見えなくなった所で軌道変更し、整備されている山道へと降り立った。なだらかな坂道の先を見上げるが、まだ瑞葉の姿は見えない。

 ひょっとして、もう。

「なわけあるか!」

 俺は自分に言い聞かせ、一心不乱に山道を駆け続けた。帰る時の事は後で考えよう。今は兎に角、瑞葉を止めないと。

 道を行く事数十分、山にしては比較的なだらかな道を登りきると、やがて開けた場所に出てきた。

 目の前に広がっていたのは湖だった。それは静かに波打つ湖面の中に、すべてが逆さの世界を映し出しており、僅かばかりの自然音を伴って何処までも静寂な世界を作り出していた。

 柔らかな風が頬を撫で、疲れをも吹き飛ばしていくように感じる。ふと上を見上げると、やけに月明りが強い事に気付いた。そのお陰もあり、深夜だというのに周りに何があるかを十分に見渡す事が出来た。

 まるでいつぞやの夜みたいだ。俺はそんな感傷に浸っていたが、すぐにハッとして周りを見回した。

「瑞葉、何処だ!」

 俺は叫んで辺りを見回した。俺は別に景勝地に物見遊山に来たわけではない。何度も周りを見回し、湖に突き出た小島に建物がある事に目がいった。

「そこか」

 俺は一目散に小島へと至る橋を渡り、神社建築らしいその建物の中へと入っていった。中は赤と白を基調とした拝殿のようになっており、所々に灯りが灯っているお陰で、視界は明瞭だった。

「瑞葉!」

 俺は呼びかける。しかし、なんの反応もない。

 俺は瑞葉が何処かに隠れている可能性を疑った。よくよく考えてみたら、いる筈のない所に不審な人影が見えたら、警戒するに決まっている。

「おーい、俺だ、真琴だ」

「真琴?」

 俺が拝殿の奥の方へ呼びかけていると、突然後ろから声が聞こえた。

 なんだ、先を越してしまってたのか。俺は振り返った。

 やはり、と言えばいいのか。そこには巫女装束姿の瑞葉が立っていた。

「瑞葉、良かった。無事だったんだな」

「真琴、なんでここに」

 ポカンとした顔で瑞葉が尋ねる。

「降りよう。神事を中断しないと」

「え、いきなり何を」

「後で訳は話すから、行こう」

 俺は瑞葉の腕を掴もうとした。しかし、

「駄目!」

 俺の手は跳ね除けられた。

「なんで」

「これは大事な神事なの。それを真琴の一言で、はいそうですか、って止めるわけにはいかないんだって」

「頼む! 意味分からない事を言ってるのは百も承知だ。俺が同じ立場だったら、俺はおかしくなったんじゃないかって思うよ。でも、駄目なんだ。神様が、お前を連れていってしまうんだ」

「神様が? どういう事? これは神事だけど、別にそういうものじゃ」

「このままだと、お前は、死んでしまう」

「え?」

 瑞葉の顔は、訳が分からない事による困惑で満たされていた。

「何もなかったら、俺を百発、いや先発殴ってもくれてもいい。だから今は、俺を信じてくれ」

 瑞葉を真っ直ぐに見つめる。そういえば、こんなに瑞葉の顔を見た事はなかったような気がするな、と他愛の無い事が頭に浮かんだ。

 瑞葉は始めは困惑したままであったが、やがて一秒くらい瞼を閉じて再び開けると、そこには決意を固めた顔がそこにあった。

「神事を無茶苦茶にするのですから、後でちゃんと説明してもらいます。いいですね、真琴」

「あ、ああ」

 それは、俺が初めて見た瑞葉の大人の表情だった。俺が少したじろいでいると、瑞葉はいつもの人懐っこい表情に戻る。

「ありがと、真琴」

「うん。行こう」

 俺は瑞葉の手を取って屋外へと出た。

「麓まで行けば安全だ。ちょっと走りにくいだろうけど、少しだけ我慢して」

「分かった」

 安全だ、と言ったが別に瑞葉を安心させるために言った方便ではない。麓には人がいる。そして、あの災害で死亡した人間はおろか、怪我をした人間もいなかった。つまり、その事から考えると麓は安全だと考えられるのだ。

 俺は瑞葉の手を取って走っていたが、突如、視界が青白い光に包まれた。恐らく雷が落ちたのであろう、耳をつんざく轟音の中で俺は瑞葉を咄嗟に抱き寄せ、彼女を守るようにその場に伏せた。

「大丈夫か」

「う、うん」

 光が収まると、俺は自分の体を起こしつつ瑞葉の体を起した。しかし、瑞葉は俺から見て後方やや上を向いたまま、ポカンとした面持ちでそこに立っていた。

「何、あれ」

 瑞葉は唖然あぜんとしたような声をあげた。一体何を見たのかが気になり、俺も彼女の視線の先にあるものを確かめるために振り返り、頭を上に向けた。

 そしてわが目を疑った。

 何故ならそこには、まるでダイヤモンドダストのように踊り狂いながら花びらが舞っていたからだ。

「綺麗」

 瑞葉は感嘆したように言った。気が付けば、彼女の足は完全に止まっていた。

 かく言う俺も、不覚にもその幻想的な光景に一瞬目を奪われてしまった。SNSにでも上げようものならすぐさま話題になって承認欲求とやらを満たせるであろう、などと下らない事が頭によぎった後、すぐに我に帰った。

「駄目だ。瑞葉ここにいてはいけない」

「え、でも」

「毒なんだ、これは」

「う、うん」

 俺は強引に瑞葉の手を引いて湖を後にする。

 ふと、後ろから何かが迫って来ているのが分かった。さっきの花びらかもしれない。あれが自然現象なのかなんなのか分からない。だが、あれは明確な意思を持っているかのようにこちらへと迫って来ていた。

 きっと、瑞葉を連れて行こうとしているんだ。そこまで思い至った時、ようやく真実を理解した。

 瑞葉は火災で死んだのではない。この後ろに迫る訳の分からないものに連れて行かれたんだ。

 きっと火災自体は作り話だ。実際、ニュース映像などで火災の後を示す映像が流れた事はない。町の人間が何処まで知っているのかは分からないが、少なくとも、外の人間に瑞葉の失踪を説明するには火災は都合が良かったのだろう。実際に、雷も起きたのだから。

 やはり俺の選択は間違っていなかった。俺のいた時間では三十日の日に火災が起きたとされている。だが、これが明確な意思を持った者の仕業ならば日付なんてものは関係なく、瑞葉が神事で山の上の湖へと至る日が重要だったのだ。

 今の俺は何も知らなかったあの時の俺じゃない。神だか魔物だか知らないが、絶対に瑞葉は渡さない! 

 瑞葉を連れ脇目も振らずに山道を駆け下りていく。そうして先程の気配が遠くなったところで俺は振り返り瑞葉を見た。やはり、瑞葉は疲労しているようだった。

「瑞葉」

「だ、大丈夫」

「そうは見えない。よし、俺に任せてくれ」

 俺はその場にしゃがむ。

「ちょ、ちょっと」

「今はそれどころじゃないだろ。ほら、早く乗った」

 瑞葉はすぐに分かってくれたらしく、彼女が俺の背中に体を預け、しっかりとしがみついているのを感じた。

 瑞葉の重みと、服越しに微かに伝わってくる鼓動。それは、彼女が確かに今ここに生きているという証であった。

 俺は足を踏み出しそのまま山を降りていく。正直なところ自分も疲弊してはいたが、そんな泣き言を言っても始まらない。兎に角、今は降りるんだ。

 後ろに微かに気配を感じるが、それもまだ距離は離れているようだから、問題ないだろう。

 更に駆ける事数分。ようやく建物らしきものが見えてきた。

「瑞葉、見えてきた」

「うん」

「ここで下ろすけど、大丈夫か?」

「大丈夫、ありがとう」

 俺はそっと瑞葉を下ろす。ここまで来れば大丈夫だろう、そう思うとどっと疲れが意識の中に入ってきた。その場に寝たら十秒もしない内に眠れそうだ。

「悪いけど俺は脇道に逸れる」

「なんで?」

「部外者がここに居たって分かったら問題だろ?」

「あっ、それもそうね」

 俺は後ろを振り返る。

「さっきのが近付いてきてる。さあ、早く」

「うん。あ、真琴」

 瑞葉は上着の中から何かを取り出した。それは、御守りのようだった。

「受け取って」

 そう言って瑞葉は御守りを差し出した。

「だけどこれ」

「いいから、早く」

 瑞葉は照れたようにそれを俺の胸に押し付けた。

「分かった。ありがとう、瑞葉」

「どういたしまして。ほら、早く行きんしゃい」

「ああ。じゃあまたな」

 俺は横道に逸れて走り出した。境内の外までまだ幾分か距離はあるが、まだ体力はもつ。

 走る事数分、その時、ふと、背後に気配を感じた。世の中の童話には見てはならぬという掟があるが、それは必ず破られるものである。俺もそのご多分に漏れず後ろを振り返った。

 花吹雪だ。だが、今度は間違いない。そいつは明確な意思を持って俺の方を追って来ていた。

「腹いせのつもりか、くそ」

 俺は力の限り走った。多分、瑞葉がもう捕まらないと分かったのだろう。大方、瑞葉を捕まえる邪魔をした俺に牙を向いてきたのだ。

 追い付かれたらきっと俺は助からない。兎に角走るんだ。

 地面を踏む音が忙しなく、しばしばリズムを崩しながら耳に響いてきた。風に揺られた木々がまるで俺の居場所をそいつに伝えるかのように大きな音を発し、時折、アクセントを付けるように鳥の声が辺りに木霊した。

 これではまるで音楽だ。自然の作り出した音楽。そんな事を考えながら俺はひたすら走った。

 そしてようやく、境内の内と外を分ける柵が見えてきた。後少しだ、俺は少しだけ安堵あんどしつつ背後を振り返り、目を見張った。

 花びらの一群はまるで腕を形作るように目まぐるしく舞いながら、俺の体へと迫ってきていたのだ。

 先程よりも心臓の鼓動は急激に、かつ一層速く激しくなった。今まで以上に足をむち打ち駆けた、駆け続けた。

 最早目前は境内の内と外を隔てる柵であった。そして、僅かばかり数センチ程に奴の腕が迫ってきているのを直観で悟った。

 頼む、間に合ってくれ! 地面を思い切りった。

 途端、足先が変な感覚に襲われた。それは如何とも形容しがたかったが、ただ、不愉快な感覚ではなかった。

 だが多分それは、足先にさっきの花びらが触れたせいだ。気持ちいいのに騙されてはいけない。きっと酒みたいなものなんだ。気持ち良くして、あっち側に連れて行くんだ。

「いてっ!」

 肩に激痛が走る。どうやら地面に激突したらしい。だが、この硬い感触は間違いない。アスファルトだ。

 俺は痛みも忘れて急いで立ち上がる。

 ああ、間違いない。ここは境内の外だ。そして、あいつの姿はない。

「ざまあみやがれ」

 俺は呟いた。やはり、さっきの花吹雪の怪異は境内の外には出られないんだ。

「さて」

 どうしたものかと、俺は周りを見回す。中と違って外は平和そのものだった。秋の虫の声が聞こえてくる。それは疲れ果てた俺にはとても心地良く響いてきた。

 ここに突っ立っていてもしょうがない。神社の入り口前経由で旅館に戻ろう。そう決めると、俺は疲れ果てた足に再び鞭を打ちながら歩き出した。


       〇


 こっそりと旅館の窓から部屋に戻ってきた俺は、その場に倒れるように座り込んだ。

 一応、瑞葉の無事を確認しておきたかったから帰り道で神社の入り口まで近付いては見た。しかし、結局彼女の姿を確認する事は出来なかった。只、何やら人がざわついていたようなので聞き耳を立ててみると、瑞葉が戻ってきた事で少し混乱しているらしい事が分かった。つまり、瑞葉は無事に戻ってこれたのだという事だ。

 そうはいうものの、俺はやはり悶々としていた。間接的に大丈夫だったと確認が取れた筈なのに、どうしても彼女の事が気になってしまうのだ。

 やはり、直に無事を確認したい。

 と、その時携帯が振動した。俺は半ば反射的に携帯をポケットから取り出し、画面を確認した。

 それは、瑞葉からの電話着信だった。俺は有無を言わずにそれに出た。

『マコト、起きてる?』

「ああ。凄い眠いし全身筋肉痛なりそうだけど大丈夫だ」

『そっかよかった、って全然大丈夫じゃないじゃん』

「細かい事は気にせんでいい。そんな事より、お前の方こそ大丈夫だったか?」

『うん。この通り無事』

「この通りって見えないんだが」

『あはは、ホンマや』

「なんでもいいや。お前が無事なら」

『まあいきなり山を降りてきた事で怒られたけどね』

 瑞葉は笑いながら言った。

『ねえ、真琴』

「ん、なんだ?」

『助けてくれてありがとね』

「ああ」

『ああもう騒がしいな。ごめんね、真琴。また学校で』

「うん、お互い遅刻しないようにな」

『何言ってんの。日曜日あるし大丈夫やって。んじゃね』

 瑞葉からの電話が切れた。

 よかった。瑞葉は無事だったんだ。

「これから、どうしよう」

 俺は小さな声で呟いた。

 ここは過去だ。可能ならば、元の時間に戻りたい。

 だが、元の時間に戻ったとして瑞葉がいるとは限らない。確かにタイムトラベルものは過去の改変が現在に影響を及ぼすというのがお約束、定番だ。理由は簡単だ。そうしないと、そもそも物語が展開しないからだ。

 しかし、これは現実だ。過去で瑞葉を助けたからといって、未来で瑞葉がいるという事に直結するとは限らない。

 眠い。もうそろそろ考えるのは限界だ。瞼が俺の意思に関わらずに強制的に閉じようとしている。

 後はまた明日以降考えよう。限界に達していた俺は遂に眠りについた。

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