第一章 転校生⑤

 星を見に行った日から数日間、あの時の光景が目に焼き付いて頭から離れず、俺は半ば夢現の中生きていた。お陰様で朝は学校に行くのが途轍とてつもなく憂鬱ゆううつになり、お袋に叩き起こされ親父に呆れ顔をされるという情けない事になってしまった。学校ではその事を察せられたのか、日司がなんだか申し訳なさそうな顔をして「ごめんね、ちょっと刺激が強すぎたかも」と謝られたが、別に彼女に落ち度はないと思う。しかし、今回の件で俺はつくづく魅力的なものに耐性がない人間だと思い知らされた。昔から漫画やアニメの影響を受けやすかったが、もう少し現実を見なければ。下手に影響を受けて人生を踏み外しては笑い話にもならない。

「吉屋、飯に行こうぜ」

 ある日の昼休み、岡辺はいつものように軽い調子で俺に言った。

「ミツクニさんも」

「ああ、御免。今日ちょっと先約があるんよ」

 申し訳無さそうに手を合わせながら日司は言った。

「そっか。なら仕方ない。ほら、行くぞ吉屋」

「へいへい」

 俺はやっと終わった授業からの開放をみ締めるように立ち上がって背伸びをした。

「二人共ほんと仲いいね」

 小さな子供でも見るような顔で俺達を視線を向ける日司。それに岡辺は、

「心の友だからな」

などと、訳の分からない返答をした。


       〇


 学食は人で満杯だったので、俺と岡辺は購買で適当に弁当を買って校庭で飯を食う事にした。

「しかし、案外男女二人組って少ないんだな」

 校庭に着くなり、岡辺は感慨深そうにそんな事を言った。

「そりゃそうだ、これ見よがしに付き合ってますなんてアピールする奴はおらんだろ。後でからかわれるに決まってんだから」

「そんなもんかね」

「そんなもんだ」

 二人で校庭の隅にある芝生広場に座り込んで獲得した弁当や飲み物を置く。しかしなんだ、先週などは日司がいたから気にはならなかったのだが、男二人で、こんな所で飯を食うのはあれなんだろうか。

 いや、気にしすぎだ。確かアニメとかでも男二人で飯を食う描写はある筈だから、何もおかしな所はない。具体的にどの作品かと言われると、答えに窮するのだが。

「二人で飯食うの久しぶりだな」

 岡辺は買ってきたメロンパンの袋を広げながら言った。彼の飲料のお供は緑茶だったのだが、しかし、パンに緑茶は合わないのではないか。牛乳に白米よりは幾分かましだが、それにしてもだ。

「そういや生徒会で最近忙しかったよな。昼も会議だとかですぐ出ていって」

「まあな。ちょっとした騒動のせいさ」

「騒動? なんかあったのか?」

「ん? なんだ吉屋、世間知らずだな。結構話題になってたのに」

「ほっとけ。どうせ小さい世間だ。高校卒業と同時に失せるんだからいいだろ」

「それもそうだな」

「で、何があったんだ」

「怪盗騒ぎだ」

「かいとう?」

「ああ、怪盗だ。実際、各部活動から様々なものが盗まれてしまった。もっとも、部の活動に支障に来すようなものは無く、どれも他愛の無いものばかりだったが」

「それなのに、昼休みに何回も会議をしていたのか」

「まあな。平和だなといえば否定は出来ない。だがこちらは随分こけにされたんだ。犯人にその落とし前でも付けてもらわないと割に合わないし、各部活にも示しが付かない。それで会議だ」

「成果は上がったのか」

「いや、さっぱりだ。犯人が内部犯らしいってのは分かったが、それ以降がさっぱりなんだ。ぼちぼち無駄を通り越して不毛な会議になりつつある」

 無駄も不毛も同じと思うが。

「そんな事に時間を取られるなんて、生徒会ってのも中々暇なもんだな」

「言ってくれるな。まあそんな事は今はどうでもいい。それより、俺にとってはお前の方が気がかりだ」

「俺が気がかり?」

「ああ。星を見に行った日の時にちょっと気になったんだがな、お前、ひょっとしてまだ引きずってるのか」

「え」

 それは唐突な問いかけだった。規則正しく鼓動していた心臓は突然現れたノイズに激しくリズムを乱され、一瞬俺は目眩めまいがした程だった。

 岡辺の言葉の意味は分かってる。彼が、俺に気を遣ってくれている事も。

「岡辺、お前からはそう見えるのか?」

「五分五分といったところだ。確信があって言ったわけじゃない」

「引きずってないといえば嘘になるかもな」

「お前」

「心配してくれてあんがと。でもあんま気にしなくてもいい。なんたって、俺達が住んでるのは現実だ。ドラマやアニメの登場人物みたいに変にこじらせたりしないって」

「そうか。それならいいが」

「ま、時間が経てば思い出話になるだろう。あいつには申し訳無いけどな」

 嘘だ。多分、俺は嘘を言っている。風化出来るんなら、もうとっくに風化してるだろうに。

「分かった。じゃあ何も言わん」岡辺はポケットから携帯を取り出しながら言った。

「悪いな」

「構わん。俺が勝手に気にかけてるだけだ。っと、済まん」

 岡辺は食べ終わったパンの袋や飲み物をビニール袋に入れ、徐に立ち上がる。

「え、おい何処に」

「生徒会だ。また何かあったらしい」

「忙しいな」

「無駄な忙しさだが、楽しいからいいよ。じゃあ、辛い時は相談しろよ」

 岡辺は呑気そうに言って、校庭から去っていった。

 俺はまだ残っている唐揚げをつまみ上げて口に運びながら、すっかり朽ち果ててしまい忘れられてしまったかのような校庭の隅っこの木に目をやった。

 かつて、橘瑞葉という幼馴染がいた。明るめの黒髪がよく似合う朗らかな女の子で、小さい頃はよく一緒に遊んだものだ。俺も他の無神経な男子小学生と変わらなかったから、女の子と遊ぼうなんて思いもしなかったけれど、瑞葉は溌剌はつらつな子なもんだからそんな事はお構いなしに一緒に遊んでいたのだ。どちらかというと、当時は男と遊んでいるような感覚だったのかもしれない。中学生になってからも自宅が近いからとよく一緒に帰る事も多かったが、思春期の芽生えというかなんというか、流石にその頃になると一緒に遊ぶなんて事はなくなっていた。只、それでも瑞葉と俺の腐れ縁は続くのかと呑気に思ってた。何故なら、示し合わせたわけでもなく志望校も一緒だったからだ。

 だけど、瑞葉が高校の制服を着る事はなかった。何故なら瑞葉は一年前、とある山間の町で起きた火災に巻き込まれ、帰らぬ人となったからだ。

 火災は町近くの山の頂上付近で起きた。火災の原因は詳しくは分かっていない。調査機関等の発表によると、落雷によって草木に火が付いた事が火災の原因ではないかと有力視されている。実際、落雷の痕跡が発見されているのだ。幸いな事に火は間もなく自然鎮火したようで、町の方にまで被害が及ぶ事はなかった。被害者も一名、瑞葉のみだった。

 瑞葉の遺体は見つからなかった。捜索隊が賢明に探したが、何処にも彼女のものと思われる遺留物も痕跡もなかったらしい。結局、捜索隊による捜査は一週間と数日続けられて打ち切られた。しかし聞くところによると、今でも町の人間による捜索が定期的に続けられているという。

 俺は一年前に瑞葉に告白をした。平々凡々な人生を歩んできた俺にとっては、それは一世一代の大勝負だったが、嬉しい事に彼女は俺を受け入れてくれた。

 だが、ようやく瑞葉との新しい関係が始まろうとした矢先の事だった。彼女は、告白の数日後に災害に巻き込まれてしまったのだ。

 あんな別れ方をしたからなんだっていうんだ、そう思わないわけではない。あいつ、瑞葉だってそんなみみっちい事を気にするような奴じゃなかった。多分、あいつがいたら簡単に叱咤激励、というかはたいてくるだろう。一体何時まで私の事を女々しく引きずってるんだ、傍迷惑だって。

 でも、駄目なんだ。

 多分、こればっかりは俺の問題なんだろう。そんな簡単にお前に言った事を反古ほごに出来ない。そんな事をすれば、俺が俺を一生許しはしないだろう。

 出来る事なら、もう一度お前に会いたい。

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