第一章 転校生④
深山町は市内から電車で約五駅行った所にある町だ。
俺は来た事はなかったが、日司によるとその町の一角にある丘から星が良く見えるという事であった。
町に降り立った俺は今更だが、夜になろうというのに学生だけで外を出歩くというのは大丈夫だろうか、警察に補導されないだろうかと俺は急に不安になった。しかし先導して歩道を歩いていた日司はそんな俺の様子を察したのか、振り返るなり、
「大丈夫ですぜ旦那。サツや岡っ引きには絶対見つけられんでさ」
などと言った。ひょっとすると、それは冗談などではなく、本当なのかもしれない。何せ言ったのが日司なのだから。
そして俺と一緒に歩いていた岡辺までもがこう言った。
「安心しろ、吉屋。俺がついている」
「その自信はどっから湧いてくるんだ。優等生」
岡辺が万事そつなくこなす男である事は知っている。その才能の一片鱗でもいいから俺に譲渡してほしいくらいだ。だが、それでも彼はまだ俺と同じ高校生だ。体格はいいが、腕に覚えのあるチンピラ連中に囲まれたりしたら流石に一たまりもないだろう。
「吉屋、ドラマの見過ぎだ。なんだか変な連中に絡まれる事を心配しているんだろうが、そんなチンピラ連中が星を見に丘の上までは来ないよ。それにな、もし仮にいたとしても見つからずにそっと逃げればいいんだ」
「まあそうだが」
「それにな、少しは冒険というものをしないと駄目だぜ。無謀な事はするべきじゃないが、冒険は是非ともしておくといい」
「ちょっと男子。こんな所でいちゃ付き合わないの」
ニヤニヤしながら日司は言うと、岡辺は肩を
「だそうだ。何はともあれ、足を動かそう」
〇
「着いたよ」
背の低い草が茂った斜面を登り切ると、日司は微笑しながら言った。
そこは見晴らしの良い場所で、遠くの方を見やれば街の明かりが煌々としているが、近くを見下ろせばぽつぽつと明かりが灯っている程度で、そのコントラストが印象的であった。
空を見上げてみる。
天の川銀河とはいかないが、空一面に所狭しと光の粒が散りばめられている。光の種類も様々で、真っ白に光るものもいれば、青く光っているものもいる。とても綺羅びやかな星々だが、その中で月だけが一際異彩を放っている。まるで夜空に浮かぶ星々を束ねている王様みたいだ、柄にもなくそんな事を俺は思った。実際には月なんてそこらに浮かんでいる極彩色の星々の点に遠く及ばない程の大きさだという。だが、ここから見える夜空では、ちっぽけなその衛星こそがどんな星よりも偉大なのだ。
「へえ。人もいない割にこんな綺麗だなんて、これは穴場だな」
俺は感心して思わずそう漏らした。
「でしょでしょ。ここって誰にも知られてない秘密の場所なんよ。私のとっておきの場所の一つだから、ゼーッタイにSNSとかには載せちゃあきまへんで」
そう言って、彼女は天真爛漫に笑う。
俺はSNSを付き合い程度にしかやってないから上げた所で流石に注目される事はないとは思うが、しかしプロの写真家がプロの技術でこの星空を撮ってネットに上げようものなら、すぐさまここは人で溢れてしまうのだろうな、と俺はこの夜景を見ながら思った。それはちょっと嫌だ。捻くれているのかもしれないが、やはり俺もこういうとっておきの場所は自分達だけのものにしたい。
「しかし、周りが暗いだけでよくもまあこんなに星が見えるもんだな」
俺が感心したように呟くと、岡辺は答えた。
「都市の灯火がそれだけ明るいって事だ。文明の光は僕達が思ってるより強いんだ」
「成程な」
「二人とも。一ついい事教えてあげよっか」
日司は言った。
「いい事?」
「うん、いい事。実はね、後十分位で流星群が見られる」
「流星群? そんなのはニュースには無かったが」
岡辺は首を傾げる。
「ニュースにはなってないよ。だって、こっちの世界じゃ何も起こらないからねー」
「こっちの世界?」
岡辺に指摘されて、日司は慌てて手を振る。
「ああ言い間違いだよ言い間違い。言葉の綾ってやつ。兎に角、天文学者が言ってなくても起きるものは起きるの」
「ちょっと信じられないけど」
「まあまあ騙されたと思って信じてくだせえよ。実際、騙されても減るもんじゃないんだし」
「まあ、それもそうだな」
「へへ、話が分かる旦那は嫌いじゃありませんぜ」
いつになくハイテンションだなと俺は思いながらも、日司の、彼女の言葉を信じる事にした。直接に神通力を見たわけでもないが、彼女が只者ではない事は間接的な証拠がいくつも示していたからだ。だから、今回も何かあるのだろうと俺は踏んでいた。
花見というのを俺はした事がない。だが、花見に来た客の目的が桜を愛でる事ではない事は知っている。要するに彼らは、桜の咲き乱れているという特別な空間で飲んだり食べたりする事が目的なのだ。星見もそれに似ているだろうと、俺は星を見ながら思った。星は確かに綺麗だが、流石にずっと見ていると飽きる。そんなこんなで、俺は気が付くと携帯を弄ったり二人と雑談したりで時間を潰していた。
というか、日司も飽きてきていないだろうか。彼女も既に星を見ないで俺や岡辺と他愛もない話に夢中だったのだから。
そう思っていたが、数分経過した後、日司は突然会話を区切り
「どうした?」
俺が尋ねると、彼女は俺達を振り返って言った。
「二人とも、もう少しだよ」
言われて、俺と岡辺は空を見上げた。談笑している内にうっかり忘れかけてしまっていたが、流星群が来るらしいのだから、これは是非とも目に焼き付けておかなければならないだろう。
無論、ここで「ドッキリでした!」と言われても俺は一向に構わないが、出来る事ならば星の流れ行く様を見たい。
「来た」
少し喜色を含んだ声音で日司は言った。
何処に流れているんだと俺は視線を右に左に転じてみるが、そんな事をする必要がないのだと間もなく思い知らされた。
流れ星が、浮き上がるようにして星空に現れたのだ。
「ね? 言ったでしょ」
日司は勝ち誇ったように言った。
それは、俺の貧相な語彙ではとても言い表せない程の美しさだった。こういうのを文豪や詩人ならどんな風に表現するのであろう。いや、そもそもこれを言葉で言い表す事など出来るのであろうか。
どれだけ贅を尽くしたって、こんなものにはお目にかかれない。
どんな宝石だってこれの目の前には石ころ同然だ。
駄目だ、上手く言えない。兎に角それは綺麗で、本当に美しく、只々見惚れるしかなかった。
多分、五分位が経過しただろうか。だというのに、俺はこの空に全く飽きなかった。文字通り虜というやつだ。目を離そうとしても、星空の放つ強力な魔力がそれを許してはくれない。
「なあ、日司」
「なに、告白かな〜?」
「これって何時まで続くんだ」
「そうだね、後十分位かな。丁度いいでしょ」
「いや、少ないな」
「過ぎたる美しさは毒だよ、マコト。自分が連れて来といてなんだけど、そういうものにどっぷり浸かるのは良くない。帰れなくなっちゃうから」
「ああ、そうだな」
岡辺はどんな顔をしてこれを見ているだろうか。一言も彼の声が聞こえないのは、やはり俺と同じく見とれているからなのだろう。
最早他の事などどうでもいい。この星空がいつまでも続くというのであれば、死ぬまで眺めるのも悪くはない。そんな気分で俺の心は満たされている事に気付き、確かにこれは甘美な毒だと、俺は思った。
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