第一章 転校生③

 ここ一週間程の事だ。昼を不在にしがちな岡辺と入れ替わるように、俺は日司とよく昼食を一緒にとるようになっていた。話すのは他愛のない話で、最近見たアニメ映画の映像が綺麗だったとか、市内にある洋館の前でジャズのイベントがあって興奮したなど、そんな取り留めのない事ばかり。俺は誰とでも気軽に話せる程に社交的ではないのだが、不思議と日司とは話が合い会話が途切れる事はなかったし、話していて退屈する事はなかった。

「なあ」

 そんなある日のホームルーム前、岡辺が唐突に振り返って俺に声をかけてきた。

「最近お前、ミツクニさんと仲良いんだな」

 ミツクニさんとは、岡辺が付けた日司のあだ名だ。ミトという名前が水戸黄門を連想させるから、そのモデルである水戸光圀の名から取ってきたらしい。何故黄門様じゃないのか最初は分からなかったが、何度かその名を口にして彼がその名で呼ぼうとしない理由が分かった。

「お昼に一緒にご飯行ってる位だよ、そんなに変か?」

 それは仲が良い事の証拠に思えなくもないが、つい反射的にそんな事を言ってしまった。

「普通、ちょっとやそっとの関係じゃ昼食を一緒に食べるなんて無いと思うが」

「まあ、そうかもしれん。でもそれがどうした?」

「いや、折角だから俺も彼女と話がしてみたいと思ってな。だが、そういう事なら止めとくよ」

「なんだよ、好きなのか?」

 俺が冗談交じりで尋ねると、岡辺は「いや」と微笑を湛えながら答える。

「単純に話をしてみたいな、って思ったんだよ。駄目か?」

「駄目も何も、俺が決める事じゃない。本人に聞いてみろ」

「そうか。じゃあそうしてみるよ」

 岡辺は言った。


       〇


 岡辺は良く出来た男である。俺は彼とは中学時代に知り合ったが、学業は優秀で運動神経も良い、おまけに背は高くてルックスもいいもんだから、女子からはさぞかしモテるに違いない。そんな事を岡辺はおくびにも出さないが、裏では告白の一つや二つもされているだろう。嫉妬は自分が近いと感じる人間に対して起こるものだと聞いた事があるが、こうまで出来の違いを思い知らされた以上、俺は彼に対して嫉妬のし位しかジェラシーが湧かなかった。

 で、そんな岡辺だから当然容量も良く行動も早いのである。彼はあっという間もない位の速さで日司と話し合う仲になっており、結果、俺達は三人でいる事が多くなった。そして、それは帰る時も同様だ。

 俺と日司は電車、岡辺は駅前のバスから帰宅なため、誰が示し合わせたわけでもなく自然と帰りも三人一緒になっていたのだ。ちなみに俺は美術部に入っていたが、美術部は来たい時に来ればいいというスタンスだったので今日は行っていない。作品制作もCG作品のため美術部にいる必要もなく、帰って作成するつもりだった。岡辺は生徒会には入っているが、部活には入っていない。以前、サッカー部とかに入ればいいじゃないかと尋ねたら、「学業を優先したいんだ。サッカーの才能があるなら吝かではないが、やっても芽が出ない確信がある」という事だった。天才が言うのだからそうなのだろうと取り敢えず俺は納得した。日司はというと、「天文部」などと言っていた。しかし、うちの高校に天文部は無い。以前そう指摘すると彼女は「じゃあ一人天文部で」などと返してきた。じゃあ、ってなんなんだ。

「ねえねえ。マコトってさ」

 とある放課後の帰り道、唐突に日司は振り返ってそう切り出した。沈みかけの太陽に照らされる彼女はとても幻想的で、一瞬、神々しく見えてしまった。

「なんだ、日司」

「マコトって好きな人はいるの?」

 一瞬、頭が真っ白になってしまった。しかし少しの間の後、その意味を俺が理解すると、俺は多分ほんのりと頬を染めてこう答えたのだ。

「いや、今は別に」

「ふーん、そうなんだ」

 そう言ってしげしげと俺を見つめる日司。一体俺の顔の何が面白いのか分からないが、俺は今にも手で顔を覆いたい気分だ。そして岡辺をちらりと見ると、彼は俺達を見ながらニヤニヤとニヤついていた。

「今はって事は、昔はいた?」

「それは」

 俺は言いよどむ。いた。確かにいたんだ。だが、出来ればその会話は避けたい。胸がもやもやする。それに、微妙に冷や汗が滲んできた気がする。

 なんとかして俺は会話を逸らそうと別の話題を考える。

「よかったら聞かせてーー」

「ああ、そうだミツクニさん」

 唐突に岡辺が遮ったためか、日司は目を丸くする。

「お、おお、岡辺君、いきなりどしたんよ?」

「ずっと言おうと思ってたんだけど、中々言うタイミングがなくて」

「ほお。そりゃまた重大な事ですか、旦那」

「ああ重大だ。何せ食に関わる事だからね」

 大仰に両手を広げる岡辺。日司はそれを見てまるで悪代官の如く意地の悪そうな笑みを浮かべてこう言った。

「成程成程。それは一大事ですな」

 それはなんといえばいいのか、ノリがいいのか天然なのかがよく分からない反応であった。

「して、それは如何なものか」

 日司が尋ねると、岡辺はわざとらしい咳払いをして言った。

「実はだな、駅近くにパン屋があるのだが、そこのクリームパンが絶品なんだ。無論、コンビニのクリームパンとは一線を画した逸品だ。ミツクニさんはまだ知らないかと思ってな」

「そいつはマジですかい」

 大きな瞳を輝かせながら日司は言うと、「本当だとも」と岡辺は答えた。

「善は急げと言うし、じゃあ帰りに早速寄ろうかな」

「ああ、是非ともそうしてくれ」

「それはそうと」

 日司が急に前に躍り出る。それから俺と岡辺の二人の方を振り返り、ふわふわした雪を思わせる微笑を湛えながら言った。

「ねえ二人とも。今日の夜、時間あるかな?」

「僕はあるよ」

 岡辺は間を挟まずに答えた。

「夜って、何をしに行くんだ」

「星を見に行きたいの」

 そう日司は上を見上げながら言った。

「星、か?」

「うん、星君の事じゃないよ」

 星君とはうちのクラスメイトの事だ。星、というのは苗字だが、苗字の由来は分からない。

「まあそれは分かるけど。明日や明後日ではなく、か?」

 俺がそう言ったのは、明日、明後日が丁度休日だからだ。何故、金曜日の学校帰りである今日なのか。

 日司は俺の問いかけに首を振る。

「うん。今日がいいんだ。だって休日だと下校中ってシチュエーションにならないでしょ?」

 俺は首を傾げる。何故下校中がいいんだ。その意図を図りかねていると、岡辺が横から俺に絡んできた。

「青春って奴だ」

「意味が分からん」

「まあそう言わずにお前も付き合えよ。後悔しないぜ」

「なんかやばい薬勧める奴みたいな台詞だぞ、それ」

 はは、と何が可笑しいのか岡辺は快活に笑う。

「折角女の子が誘ってくれてるんだ。お前の用事というと絵だろうが、何も今日描かなきゃならんわけじゃないだろう?」

「まあな」

 なるべく一日でも早く上達したいと言う気持ちはあるが、確かに今日描かなければ何もかもお終いというわけでもない。

「じゃあ、行きましょうや」

「別に行かないとは言ってないだろ。最初からそのつもりだ」

「ん、そうだったか」

 目を丸くする岡辺。

「日司、俺も行く」

 俺がそう言うと、日司の表情はパッと満面の笑みになった。

「じゃあ、パン屋さんに寄ってから電車で!」

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