第一章 転校生②

 俺は別に好きな女子のリコーダーを舐めたいと思うような性癖は持ち合わせていないし、仮に好きな女の子が出来たからといって、殊更その女の子の後を尾行して回るような変質者でもない。

 だが、日司ミトはどうにも俺の頭から離れてはくれなかった。気を緩めれば彼女の事が自然と頭に思い浮かんできてしまう。俺は別に日司ミトに一目惚れしたわけではない。確かに可愛いとは思うが、それとこれとは別問題だ。宝塚出身の女優を綺麗だとは思うが、「付き合えるなら付き合う?」などと聞かれたら一体何人が首を縦に降るだろう。綺麗と思う事と恋をする事は必ずしも一致するわけではあるまい。同様に、可愛いと思う事と恋をする事は必ずしも一致するわけでもあるまい。

 兎に角、俺は日司ミトの事が気になってしょうがなかった。恋心ではないならなんなのか? それは、好奇心と呼ぶのが適切だったであろう。

 なんといっても、日司ミトが俺の前に現れてからまともだった事はない。別に彼女の人格や振舞いがどうのこうのというわけではない。むしろ、今まで出会った中でも中々の人格者であるとさえ思う。だが、日司ミトを取り巻く周囲の環境、反応、そして何より彼女の存在が彼女を異質なものだと訴えて憚らなかったのだ。

 実際、俺は彼女と出会ってから何度も奇々怪界としか言いようがない出来事が起きていた。

 先ず一つ目。転校当初に既に起き続けていた事だが、彼女の姿に誰も違和感を持つ人がいないのだ。成程、面と向かって「髪染めて不良かよ」などと言う人はいないかもしれない。悲しい哉、人間とは本人の居ない所でその人の欠点や気に入らない点をののしる生き物なのだが、日司ミトに対して誰もそんな素振りを見せた事はないし、悪口でなくとも、彼女の容姿について話題になった事すらなかった。

 次に二つ目だ。日司ミトは美少女だ。これについては友人の何人かに尋ねたが、誰もが首を縦に振った。だが、首を縦には降るものの誰もが彼女について発情、いや、恋心を抱く様子は微塵みじんも見られなかった。芸能人でも一、二を争う美少女になれる可憐さと佇まいだというのに、何故なのだろうか。髪の毛の事は誰も気にしてはいないようだし、ならば単なる同級生以上の関係になりたいと目論む人間の一人や二人いる筈。だが、誰もそんな素振りは見せなかった。

 三つ目だ。普通鳥というのは人に懐かないものである。烏などはその最たるものであろう。だが、日司ミトはそんな当たり前を容易く打ち破った。当校をよくうろついている烏に日司ミトが近付いても、何故か烏は逃げず、むしろあちらの方から近寄ってくるのだ。日司ミトは餌を持っていたわけでもない。が、何故かペットのように近付いてきて、大人しく日司ミトに頭を撫でられるのだ。ある日突然焼き鳥にされても知らんぞとも思いながらも、日司ミトのこの異常な懐かれっぷりに俺は舌を巻く他無かった。

 他にもいくつかエピソードがあるが、兎も角日司ミトが明らかに一線を越えた、陳腐な表現をするなら普通でない人間だと示すエピソードとしてはこれで十分だろう。別に七つではないが、語呂が良いので俺はそれらを総称して「日司ミトの七不思議」と呼ぶ事にした。

 俺はこの不可思議な少女についてもっと知りたいと思ったのだが、生憎と遠くから眺めるだけでは何も掴む事が出来ない。なら取るべき方法は一つだ。日司ミトについて知るには、遠くから眺めているよりやはり近くにいたり実際に話したりする方がいいだろう。だが一体どうやってお近付きになればいいのか。俺には検討もつかなかった。そうやって一日と立たず途方に暮れていたある日の昼休みの事だった。いつも昼を一緒に食べている岡辺が生徒会の緊急会議だかで居なかったので、昼をどうしようかと考えあぐねていた俺の前に日司は現れ、

「ねえ吉屋君。一緒にお昼ご飯食べない?」

 とこう言ったのだ。

 生まれてこの方、俺は女子と二人きりでお弁当を食べた事などない。幼馴染の女の子とご飯を食べる時だって大抵誰かが一緒にいたし、他の女子とそれ程までに親密になった事もない。

 しかしそんな事は御構いなしとでも言わんばかりに、あっさりと日司ミトは俺を昼食へと誘ったのだ。

「ここじゃあれだし、中庭に移動しよっか」


       〇


 昼の中庭というのは案外人は多くないものだ。だがそれもそうだろう。一時間にも満たない貴重な昼休みの一部を移動に費やしてまで中庭に赴くのはあまり賢い方法とは言い難いからだ。

「な、何」

 ベンチに座っていた俺は戸惑いつつ言った。だが仕方あるまい。俺が購買で買ったかしわ飯の弁当を食べていると、日司はそれをじっと見つめてくるのだから。

「ううん、別に。観察してるだけ」

 そう言って愛嬌のある笑顔を顔に浮かべる。

「一体、なんで一緒に昼食を?」

 特に彼女が孤立していた様子はない。それに、自分と彼女とはさほど仲良くはなかった筈だ。

「なんでって言われても。誰かとご飯食べるのに理由がいるの?」

「いや、そういうわけではないけど」

「あえて言うなら、ずっと気になってたから?」

「なんで疑問形なんだ」

「あはは」

 日司は笑って誤魔化す。分からなかった。誘われるという事はひょっとするとそういう事なのかと思いもしたが、彼女の態度はそんな感じには見えない。

 俺は会話の切れ目になんとなく上を見上げた。空は至って晴れ模様だったが、ほぼ快晴の青空の中に一つ、ぽつんと取り残された雲の塊が浮かんでいた。その雲は流される方向とは逆の方向に手を伸ばすような形をしており、まるで落としてしまった宝物をいつまでも惜しんでいる子供のようであった。

「ねえ、吉屋君。名前で呼んでいい?」

「別に構わんが」

「やった。じゃあ、マコト。うんうん、いい感じ。この響き、君にぴったりだね」

 そう言って日司はうなずく。さりげなく呼び捨てになっていたが、まあそれは別に良しとしよう。

「なあ、日司」

「うん?」

「変な事聞くかもしれんが、その髪の色は地毛なのか」

 迂遠に聞いていくのももどかしいので、直球を投げてみた。すると、日司はくすくすと笑って、

「ああ、いつ聞くかなってずっと思ってたけど、やっと聞いてくれたね」

と返してきた。

「え?」

「髪、白色っぽくみえるよね」

「ああ。俺の色彩感覚がおかしくなってなければ」

「おかしくなってないと思うよ。白色だよ。私の髪の色は」

「やっぱりそうなのか。じゃあ聞いていいか」

「いいよ」

「なんで皆は君の事を自然に受け入れてるんだ」

「自然に?」

「ああ、だっておかしいじゃないか。そんな髪の色してたら、直接口には出さずとも誰か話題にはするだろ。なのに誰もそれを口に出さない。どう考えてもおかしい」

「そうだね、確かにおかしいね。奇々怪々。じゃあマコト、君はどう考えてるのかな?」

「ひょっとしてその、妖怪……?」

「あー、ある意味近いね」

「え、マジで。でも、近いってどういう事さ」

「えっへん、聞いて驚きなさんなよ。私はね、何を隠そう神様なんだ」

「え? かみさま? えーと、なんだっけ、かみさまって」

「ま、マコト。貴方頭大丈夫? 疲れてない?」

「だ、大丈夫だって、心配しなくても頭は冴えてるよ。ほら、かみさまだろ、かみ、さ、ま……」

 何度かその単語を口にしてようやく俺はその意味に気付いた。なんだって? 神様?

「え、マジで?」

「マジマジ。大マジ」

「マジで?」

「くどい。真性のマジだ」

「じゃあ全知全能?」

「いや、全知全能系ではないけど。日本的なやつ」

「マジか、信じられん」

「でも信じてもいいなって所を何回も見てきたでしょ、マコトは。じゃないと、私を妖怪呼ばわりしないよね」

「まあ、そうなんだけどー」

「だけどー?」

「どうも威厳が感じられんな」

 俺が言うと、日司はむっとふくれっ面をして俺を睨み付けた。

「じゃあ祟ってやるわ」

「え、いやいやいやちょっと。それは困る」

「いーだ。せいぜい道端のバナナに気を付けなさい」

 なんだ、そんな事か。それはなんとも可愛らしい祟りだと思ったが、しかし転ぶ状況によっては命に関わりかねないから、あながち馬鹿に出来ないのかもしれない。

「マコトが赤っ恥かいてる無様な姿を側で腹を抱えて笑ってやるから」

 しかし、そんな事を日司は考えてもいないだろう。それにしても随分と小市民的な神様だ。

「なあ日司」

「ん、何」

「お前が神様なのはわかった。でも、こんな高校になんの用があるんだ?」

 そうだ。神様ならこんな地方の公立高校に来る必要などないだろう。神様が青春にでも恋い焦がれたとでも言うのか?

「あー、青春したいなーって思って」

 日司は俺が適当に思い付いた事と同じ内容を、なんの躊躇もなく口にした。

「神様が? なんで」

うらやましいからだよ。青春コンプレックス抱えてんの、私は」

「よく分からん。別に学生は青春するために学校に来るわけじゃないんだぞ。将来のためだ」

「そだね。でもその割には将来定まってる人少ないよね。どっちかっていうと将来はなんとなくーって人の方が沢山」

 俺は面食らった。確かにこの時期に将来が決まっている、あるいは決めている人間など少ないが、だからといって青春するために学校に通っているわけではない筈だ。なんというか、そもそも青春というのは意識的にやるものではなくて、後から振り返った時に「ああ、あの頃はなんだかんだで楽しかったな」などと使われるものではないのか。確かそんな事を近所に棲む一回り以上年上のおじさんが言っていた覚えがある。つまりその理論からいくと、当の高校生が青春を自覚して過ごすのはおかしい事になる。

「あ、なんかしゃらくさい事考えてるでしょ」

「いやいや別に」

「青春とは本来暗いものだー、とかその歳で通ぶったら駄目だよ。十代なんだからもっと馬鹿になんないと」

「そうは言っても、馬鹿になりすぎて将来を見失ったら不味いんじゃないか」

「まあ、それはそうですが。うーん、ちょっと真面目過ぎだぞ青少年」

「日司の方はちょっといい加減すぎないか? 神様なのに」

「いいのいいの、だって神様っていい加減なものだから」

 神様ってそんなものなのか。俺は疑問に思ったが、そもそも神様とはどうあるべきものなのかなんて、てんで想像が及ばないので、取り敢えずそういう事にした。

「あ、そうだ」

 唐突に、日司は何か思い付いたように言った。

「願いを一つ叶えてあげようか」

「はあ?」

「だ、か、ら。願い事を一つ叶えてあげようかーって言ったの」

 日司はそう言ってにこにこと天真爛漫に笑う。

「そういうの、対価とか要求するんじゃないのか」

「のんのん。マコト君さー、ちょっと本の読み過ぎだよ? 私はね、そんなホラーな事はしないの」

「ふーん。じゃ、どんなのが出来るんだ」

「そりゃもう、迷い猫探しとかから雨乞いまで色々と」

「へえ。じゃあ、時間を遡ったりも出来るのかね」

 俺が冗談交じりにそう言うと、日司の表情から急に笑顔が消えた。

「あー、そうだね。とても大変な事だけど、出来ない事はないかな」

「……ほんとか?」

「うん、可能ではあるよ。でもなんで時間旅行?」

「それは」

「人生やり直したいとか?」

「いや、そういう訳じゃ」

 言葉に詰まる。俺は何故、いの一番に過去に戻れるのかと聞いたのだろうか。別に、自分の人生に不満があるわけではない筈なのに。

「まあ夢はあるよね。歴史を変えてみたいとか、違う選択肢を選んでみたいとか、単純に過去を見てみたいとか」

「さっきから思ってたんだけど、タイムトラベルは嫌なのか?」

「さあ? 場合によりけり、かな。あ、その内タイムリープについて話してあげようか。私、SF詳しいんだよ」

「神様なのに?」

「そういう事言わない」

 また彼女はぷくーっと頬を膨らませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る