第三十六話 どうかお願い

 し……ん。



 気味が悪いほど静まり返った体育館の中に、あたしの声だけが響いた。


「――皆さん、改めてこんにちは。あたしは真野銀次郎の孫の麻央と言います。まずは、皆さんが無事だったことをとても嬉しく思っている、その正直な気持ちを伝えさせてください」


 静かで、マイクなしでも隅々まで良く響いた。


「そして皆さんに聞いてもらいたいことがあります。謝らなければならないことがあります」


 ごくり、とあたしは唾を呑み込み、息を吐く。


「あたしは今……悪の組織《悪の掟ヴィラン・ルールズ》の二代目首領をやらせてもらっています。皆さんもご存じの銀じいが、先代の首領でした……」


 ざわ……というささやきがそこかしこから生まれたが、有難いことにすぐさま、しっ、と合いの手が入って体育館内は元の静けさを取り戻した。


「皆さんの仰りたいことは分かります。最近、ニュースで世間をにぎあわせている名前と同じですもんね。でも……それは誤解なんです。確かにあの人たちもかつての仲間たちでしたが、今は違います。ここにいる私たちは彼らを止めて説得しようと思っている側で、争いや揉め事は一切望んでいません」


 どうだか、という呟きが聴こえた気がして、思わずひるみそうになる自分を何とか奮い立たせて続けた。


「信じて欲しい、とは言いません。けど、ここにいる私たちは悪を名乗っても、誰かを傷つけたり、盗んだり、騙したりすることを誰一人望んでいないんです。本当に……本当に良い人たちなんです」


 思わず自分の科白に感情が込み上げ、言葉に詰まった一瞬の隙をついて誰かが声を上げた。


「つったって、信じられるかい! んな事言っても、正体隠してうちでアルバイトしてたじゃねえか!」


 すると、体育館の中はたちまち同意の声で塗り潰されてしまった。あたしはおろおろとするばかりで、必死に弁明の言葉を探したけれど、何も出てこない。




 でも――。




「……ちょっと良いかい?」


 か細い声。


 本当に小さな掠れた声だったけれど、そのおばあちゃんが、ぽつり、と言った途端、不思議なことに辺りは静まり返った。




 あれって――。


「……本当に騙してたのかねぇ?」


 ――山辺のおばあちゃんだ。




「うん。そうだとも。少なくとも、うちの一郎ちゃんは違ったねぇ。必死になって、こんな婆さんのために身体を張ってくれたよ? 怪人だ、化物なんだ、ってバレちまうってのに、元の姿になってまで、こんな老い先短いあたしのことを大事そうに抱きかかえたまま、固い甲羅で降りかかってきた瓦礫から痛い顔一つ見せずに守ってくれたよ? それもこれも、全部丸ごと嘘だったってのかねぇ?」

「そ、そりゃあ……だってよ……」


 最初に口火を切ったおじいさんもそれを聞くと自分にも思い当たるフシがあったのだろう。徐々に言葉の勢いがなくなっていく。


「ね? 一郎ちゃん。あたしゃ嬉しかったよ?」


 それまで体育館の壁の隅っこで俯いていていた田中一郎(仮名)――いや、デス・トータスさんは肩を震わせて声を絞り出した。


「この人は絶対に守らなきゃ、それだけ……それだけで、本当に、ただただ必死で……」

「いいよいいよ。どんな姿をしてようが、あたしにとって一郎ちゃんは一郎ちゃんなんだからねぇ」

「おばあ……ちゃん……」


 とうとうデス・トータスさんはぽたりぽたりと涙を流し始めた。

 それを隣にいた別の怪人が何度も肩を叩いてなだめてあげる。


「あ、あたしらは、埋まっちまった家の中から助けてもらいました! お陰で夫婦揃ってこうして無事でいられる! あたしたちは信じるよ!」


 また別の声が挙がった。


 その輪が徐々に広がっていき、最初は小さく、次第に大きく、拍手と喝采に包まれていく。


「ああ、畜生め!」


 例のおじいちゃんが、むっつり、と叫んだ。


「うちの奴だってな? そりゃ真面目で口数は少ねえが、気立ての良い奴だ! んなこたぁ知ってるさ! ……ええい、俺らの負けだ! 煮るなり喰うなり、好きにしてくんねい!」

「あはは。何もしないってば、今までどおりだよ」


 観念した大泥棒よろしく両腕を組んで、どっか、と胡坐をかいたおじいちゃん――魚政の宮下さんにあたしは笑いながら言った。


「どうかこれからも、この町で生きていく皆さんの仲間として、あたしたちをよろしくお願いします。あたしが言いたかったのは……お願いしたいのはそれだけなんです。ありがとうございました!」


 そして――体育館は大歓声に包まれたのだった。




 ◆◆◆




「ね、ねえ。さっきは――」

「あ? 何?」


 ああ、もう。

 やりにくいなあ。


 それでも妙ににこにこ笑っている美孝に告げる。


「あの………………ありがと」

「な、何だよ……気味悪ぃ」


 ひ・ど・い・!

 せっかく頑張って言ってあげてるのに。馬鹿。


「でも、あれだよな。凄え納得した」

「何の話よ?」


 にやり、と笑った美孝は冷やかすように言った。


「やっぱ《真の魔王》だった、ってことじゃん?」

「ち――違うから! もうっ!」


 恥ずかしいやら気まずいやらで頬が熱い。誤魔化すように詰め寄りながら慌てて囁く。


「あ、あれだよ? 麗にはまだ内緒にしててよ?」

「はいはい。分かってるって」


 適当に手をひらひら振ってるけど、美孝は口が堅いので通っているから信用してもいいだろう。


 幸いなことに、この体育館に麗の姿は見当たらなかった。盲目的に正義を信じて貫く、清く正しい生徒会長を務める麗には、まだこのことを打ち明ける勇気がなかった。凄くショックを受けてしまうだろうし、例の《正義の刃ジャスティス・エッジ》の件もある。よくよくタイミングを考えないと大変なことになりそうだ。

 ただ、和子おばさんには正直に伝えないと。美孝もおばさんには嘘が吐けない。あたしにとってもう一人のお母さんみたいなものだし。


 うーん……と頭を悩ませているあたしに向かって、意外なことに美孝はこんなことを言い出した。


「じゃ、交換条件。俺も手伝わせてもらうからな?」

「………………はい?」


 こいつ、何言ってんの?


「だってあんた、《正義の味方》でしょ?」

「やり返すなって。それ、本当に嫌なんだから」

「そうなの? 何でよ?」

「な、何だっていいだろ!」


 美孝の日焼けした頬は赤黒く染まっていた。


「もう決めた。決定だからな。ノーは無し」

「言ってること無茶苦茶だよ……分かってんの?」

「でも、相談相手くらいにはなれるだろ?」




 そうかも。




 ……多分だけど。




「じゃ、決まりな? な?」


 あたしは仕方なく、渋々頷くしかなかった。



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