第二部 「飯の種だから」

 翌朝。

 今日はちゃんと朝に目覚めたシュムは、簡単に身支度を整えると、カイの泊まる隣室をノックした。そのくせ、返事を待たずに開ける。朝に弱いと知ってのことだ。


「おはよ。少し荷物、預かっといてくれる?」

「んー」


 布団から顔だけ出して、眠そうに、首をこくりと縦に振る――落とす、と言った方が正確かもしれない。カイは大体、太陽の時間よりも月の時間の方が得意なのだ。

 そんな状態にはお構いなしに、「じゃあよろしく」と言って、リュックを置いて部屋を後にする。

 これで持ち物は、腰にいている剣と、大きな布のたった二つになった。


「おはよう、嬢ちゃん。ご飯食べるかい?」

「おはようございます。後で食べに来ます。温泉って、あっちでよかったんでした?」 


 夫婦経営で、日のあるうちは女主人が、日が沈むと男主人が基盤のこの店で、声をかけてきた女主人に言葉を返すと、その表情がわずかにくもった。


「温泉…行くのかい?」

「そうだけど…え、今掃除中?」


 この時期、開放されているのは天然の岩風呂だけだ。基本的には、掃除も何もらないのではないかと、シュムは不思議そうに首を傾げた。

 まだ働き盛りの女主人は、そうじゃないけどねえ、と言葉をにごした。そうして、シュムの腰の剣にちらりと視線を向ける。


「嬢ちゃん、それは…飾り剣かい?」


 旅は物騒で、かといって下手に武器を持たせても危ないからと、子女では、見掛けだけは立派な剣を持ち歩く者もいる。

 実際のところ、そんなものはほとんど意味をさず、その名のごとく飾りでしかない。

 そういった小細工に金を使える、生活の裕福な者の間では、飾り剣を装飾品として身につけることが流行はやり、今では主流にすらなっている。

 シュムの質素にすぎる格好では飾りも何もあったものではないが、呼び名として定着してしまっているのだから仕方がない。せいぜい十ちょっとにしか見えない少女が剣を使いこなすとは、思えなかったのだろう。

 シュムは、苦笑した。言われ方は違うが、慣れた反応ではある。


「使えるよ。剣自体もだし、あたしもそれなりには。飯の種だから」

「そうかい…。じゃあ、話してもいいかねえ。…のぞきが、出るんだよ」

「はあ…」

「一月くらい前からになるかねえ。何度も捕まえようとしたんだけど、いやにすばしっこくて…」


 声をひそめ、深刻そうではあるが、なんだそんなことかと拍子抜けする。

 客商売だけに、閑散期の今のうちに片を付けたいのだろうが、よく知りもしない子どもに話してしまうあたり、かなり嫌気がさしているのだろう。

 そういえば、昨日カイがそんなことを言っていたなと、思い返す。

 あれだけ悲鳴を響き渡らせておいて今更、とも思うが、カイの聴力が優れていることを考えると、悲鳴の理由を訊きにも行かなかったのだから、何も知らないと思っているのだろう。

 普通、よほどの大声でもない限り、いくつもの壁と空間を隔てた場所の声は聞こえないものだ。


 それなら、と、シュムは無邪気に、かつのんびりとした言葉を選ぶ。反感は買わないように、少々の無知をよそおって。

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