第一部 「ここにいていいの?」

 その夜二人は、昨日と同じ酒屋に足を運んだ。

 もっとも、この時期にやっている酒屋は村に一軒しかなく、それはつまり、宿を取っているところでもあるのだが。


「おじさん、ここにももう一杯」

「あ、俺も」


 つまみだけでなく、しっかりと食事をとりながら酒を飲む。

 二人ともコップの中身が水かのように飲むが、居合わせているほとんどが既に昨夜の呑みっぷりを目撃しているため、誉めはしてもそう驚いてはいない。

 なにしろ昨夜は、店中の酒の半分ほどが二人の胃袋に消えたらしい。

 ついでに言えば、ほとんどなくなった酒の補充を手配したのも飲んだ本人だ。知り合いがいるからと、近くの酒蔵への紹介を書いたのだが補充は間に合ったようだ。

 そんなわけで、ここではちょっとした英雄、もしくは化物視されている感がある。


「ところで今更だけどさ。ここにいていいの? 仕事は?」


 豆と臓物の煮込みをつつきながら、黒眼鏡をかけたカイを見やる。


「ああ、大丈夫だ。この間大きいのが終わったばかりだから、ヒマだった。じゃなかったら来ないって」


 具だくさんのシチューをすすって、軽く笑う。


「それならいいんだけどね。この間、食べてなくって倒れたでしょ。びっくりするんだから、あれはもう無しにして欲しいね」


 瓶を二本まとめて運んできた、そろそろ頭の寂しくなってきている男に明るくお礼を言って、一つを自分の前に、一つをカイの前にえる。


「いや、さすがにあれはないから。二度と」


 干し肉のサラダを口に運ぶ。


「二度とねえ?」


 きのこのスープを飲んで、シュムは疑わしそうに首を傾げた。

 今、二人はごく普通に話をしている。しかし実は、省略したり代用したりしている言葉がいくつもあった。 

 例えば、「契約」。「命」。

 そんなことを話していたら、誰が聞いてカイの正体を知るともわからない。

 「契約の獣」、俗に言う「魔獣」あるいは「魔物」だと知られると、この場合はいいことなど一つもない。人にはまずいない、赤い瞳を色付きの眼鏡で隠しているのもそのためだ。

 通常、「契約の獣」もその契約者も、まれるものだ。特に、こんな田舎では。

 シュムも出身は随分と奥まったところだったが、他の村人はともかく、自身にはそういった意識はなかった。

 むしろ、他者よりも長生きして年を取らないという体質から、仲間意識のようなものを持っているとも言える。もっともこれは、育った場所の問題ではないのだろうが。

 体の成長が止まるという、呪いのような特異体質のシュムが、まだ年齢と外見が相応だった頃にび出した最初の「魔物」が、カイだった。

 気まぐれを起こしたカイと契約を結ばないまま、それでいて時々会うような関係が、今までずっと続いている。シュムにとって最大の友達だ。

 えがき出す魔法陣と同じように、こんな関係も常識外れだった。


「ああ、そうそう。セレンが。本当に淋しがってたよ?」


 共通の知人――人、ではないのだが――の名を昼に続いて出すと、眼を隠していてもわかるほどにあからさまに、カイは厭そうなかおをした。


「あいつ苦手なんだよ。やたらおどおどしてて」


 そのくせ、俺より強いし。

 口の中でだけ呟いただろう言葉がシュムの耳に届いてしまったが、触れずにサラダに手を伸ばす。

 魔物と呼ばれるカイたちは、基本的には生命そのものを動力源にしているため、生きた兎や魚ならまだしも、料理されたものでは力は得られない。だが、味覚は存在する。一種、趣味のようなものらしい。

 カイが、薄焼きのパンをかじった。


「そんなこと言ってるから、彼女いない暦三百十二年にもなるんだよ」

「…お前、それを蒸し返すか」

「え? 蒸し返すって何のこと? あたしはただ、事実を述べただけだよ?」


 酒場には不似合いなほど、無邪気な幼い笑顔を見せる。カイはげんなりと、パンを持ったまま肩を落とした。


「と、まあ、冗談はこのくらいにしといて」

「冗談か…?」

「セレン、この頃厄介な奴に追い回されてるらしくてさ。苦手だって言うなら会いに行けとは言わないけど、ちょっと気にはしておいてよ」

「いや、それって意味あるのか?」

「だから、気に掛けといて、少しでも異常があれば駆け付けるんだよ」


 カイの皿からパンを一枚掠め取り、そのままぱくりとかじりつく。

 カイは、それを恨めしげに見つめた。


「なんで俺が」

「やっぱり、助けてもらうなら好きな人でしょ」


 にこりと、今度は掛け値無しに無邪気に微笑むと、シュムは飲み干した酒の追加を頼んだ。

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