第一部 「三日って、久々なのかあ」

 昼食を、宿の一階――宿代とは別料金で食事を作ってくれる――ですませると、

シュムはカイをともなって宿を出た。

 服は寝起きに慌ただしく着込んだものから変わらないが、髪はまとめてたばね、少ない荷もかばんに詰め込んで肩から掛けている。

 いつもであれば宿の主人にでも預けるところだが、今は大金が詰めこんであるため、そうもいかない。そもそも、それでは意味がない。


 しかし、本当に何もないところだ。


 まだこれが、真冬の閑農期であれば保養地として名高いだけに客も多く、それを見込んだ商売人もいるのだが、今はそれには早すぎる。

 貴族の中にはむしろそういう時期に来る者もいるらしいが、そんな人々は各自の別荘地を作っており、専用の温泉も引いている。旅人にすぎないシュムが、顔を合わせることはまずないだろう。

 そうなると、ただの狭い田舎村。一周するのはすぐだし、回ってしまえば他に見るものもない。


「…長閑のどかだねえ、カイ」


 わかってはいたけど、と退屈そうに呟く。

 ひまなのは嫌いではないが、物足りない思いがするのも確かだ。

 小高い丘で若木に背を預けて膝の上に乗せたカイをなんとなくでながら、シュムは溜息をついた。

 そして不意に思い出して、カイの頭をつついて注意を引く。


「あのさ、セレンと会った? この間会ったとき、カイと連絡取れないって淋しがってたよ」

「お嬢さん、動物と喋る癖があるのかい?」


 背後からの声に、シュムは外には表さずに臨戦体勢をとっていた。張り詰めない程度に緊張し、警戒する。

 後ろは森だ。夏という季節柄、虫も多い。例え野生の獣といえど、シュムに気配を悟られずに近付くのは困難なはずだった。それを易々やすやすと。

 カイは、毛を逆立てて声のした方を睨みつけているようだった。


 まだ若い。せいぜい、二十半ばの男だ。

 声からそう判断して、シュムはゆっくりと振り返った。


「…なんだ」


 呟いて、体を戻す。男は、断りもなくシュムの隣に腰を下ろした。

 仕立てのいい、ふんだんに布を使った服が、ふわりと風をはらんですぐに、戻る。長い金髪をゆるく編んでいるさまからも、どこかの裕福な貴族のぼんくら息子だろうと予想がつく。

 見覚えはないが、確実に知っている相手だ。姿を変えたところで、判るものは判る。

 シュムよりも先に誰なのかに気付いていたカイは、まだ毛を逆立てて男を睨みつけていた。

 しかし、男は冷たい二通りの反応にも一向にひるむことなく、にこりと笑いかけた。

 普通に見れば、羨望と嫉妬を浴びそうなくらいには魅力的な笑顔だ。社交界では、さぞもてはやされることだろう。

 もっとも、シュムには効かず、顔をそむけてしまった。


「ひどいなあ。久々の再会だっていうのに」

「久々ねえ。ふうん、三日って、久々なのかあ」

「君に会えなければ、一日でも永遠のようだよ」

「それじゃあ、あたしに恋してるみたいだよ。薬飲ませて何かしようとした相手に言うことじゃないと思う」

「何?!」


 嫌味たっぷりのシュムの言葉に、男よりも先にカイが反応する。

 可愛らしいオレンジの小動物は、シュムの膝から跳ね上がると、空中で一回転して草地に着地した。ただし、人形の、長身でオレンジの髪を刈り上げた体で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る