第5話 まだまだ若い物には

 九月の残暑の力もあってグローブはすぐに乾いた。僕らはきれいになったグローブを持って再びグラウンドに戻ってきた。けど、なんだか稲垣たちに元気がない。

 スコアボードを見ると、第一試合目の試合結果が六対五の接戦で稲垣のチームが負けていた。

 第二試合目はまだ始まったばかりで点数は入ってない。

 キンッと相手チームが打ったボールが稲垣が守っているレフトに上がった。そのままキャッチする――と思ったら落球!?

 アウトになるはずが、エラーのおかげで相手に一点入ってしまった。稲垣ならあんなボールなんともなく取れるはずなのに。


「だめだよあの新しいグローブ、まだ体が固いんだ」

「道具にも固い柔らかいがあるの?」

「あるさ、おれっちたちグローブはボールをつかむためには柔らかいのが一番だ。鶴弥もおれっちを買った時も柔らかくするのに苦労したのに、忘れてやがる」


 稲垣を見ると、まだ守備中にもかかわらず必死にグローブをギュギュっと押しつぶしている。グローブを柔らかくしているんだ。でもそんなすぐに柔らかくならないのは稲垣が一番わかっているはずだろうに。

 ようやく攻守交代で稲垣たちがベンチに戻るタイミングで、僕たちもグラウンドに入る。すると、ベンチでチームメイトが稲垣の周りに集まり始めた。


「どうしたんだよ稲垣、今日エラーばっかりだぞ」

「うるさいな。学校始まったばかりだから動きが馴れていないんだ」


 稲垣は言いつくろっているけど、嘘だ。この間の試合から一週間も経っていないのに、そんなすぐに動きが鈍るはずはない。

 原因はグローブにあるはずのを知っているのに認めたくないのかな。みんなの目の前で古いグローブはいらないといった手前で、新しいグローブのせいで負けそうになっていることに。


「さっきの試合、レフトのエラーがなければサヨナラ負けせずにすんだのに」

「あぁ!?」


 低い声で脅かすと、悪口を言った選手は逃げるようにバッターボックスへと入っていった。稲垣はベンチから抜け出してバックネット裏に回り込み、僕たちも追いかけていく。


「このクソグローブめ!」

「待ってよ!」


 稲垣が怒声を上げて、新品の青のグローブを地面に叩きつけようとする寸前で声を上げた。


「グローブは悪くないよ。こっちのグローブを使ってよ。その新しいのまだ固いからうまく捕れないんだ」

「なんだよ、野球素人のくせに。いまさらそんな古いグローブはめても、今更かっこ悪いじゃん」


 差し出したきれいになったグローブを見せつけても、稲垣は受け取ろうとはしない。やっぱり僕じゃ使わせることができない。

 と、御子神が持っていたグローブを取り上げると稲垣の前に突き出した。


「格下のチーム相手にエラー連発して負けて、道具に当たり散らす方がかっこ悪いと思うよ。このグローブまだ使えるし、深谷君がきれいにしたから見栄えもよくなったし、とても軽い」


 挑発しつつも、どこが違うかを伝えながらくるっと一周回して前のグローブがどこが変わっているのか見させた。

 すると稲垣が前のグローブを奪い取り、新しいのに代わって手にはめた!


「これで負けたら、ホラ吹きやろうってみんなに言いふらすからな」


 バックネットで審判が攻守交代を宣言すると、稲垣は新品のをベンチに置いてグラウンドに入っていく。


「ありがとよ!! バッチリ鶴弥を勝たせてやるかな!!」


 元気を取り戻したグローブがレフトにいるはずなのにバックネット裏にまで届くほどの大声で返事をしてくれた。けど大声は僕たち二人しか聞こえていない。


***



「うっしゃ勝った!!」


 稲垣が跳び上がって勝利に喜んだ。試合はあのエラーによる失点だけで抑え込み、すぐに逆転した。グローブを替えてから稲垣にエラーは出なかった。

 チームの人たちと別れた後、稲垣はバックネット裏で試合を見ていた僕たちに駆け寄った。


「深谷。お前がきれいにしてくれたこのグローブ、今まで重りをつけていたみたいだったのにすっげー軽かったぜ」

「稲垣君、他に言うことはあるんじゃないの」


 御子神がピシッとけど表情は穏やかに稲垣にさとすと、稲垣は頭をかきながら切り出した。


「その、掃除大臣とか馬鹿にしていたけど、グローブきれいにしてくれてあんがとな。きれいにするとここまで違うんだな」

「うん。それと、その新しいグローブも徐々に馴れさせておけば前のグローブと同じぐらいに使えるから。もうしばらくそのグローブで試合に出たほうがいいよ。あと定期的にぬらしたぞうきんで汚れを落として、オイルを塗れば長持ちするよ」

「まだこっちは使えないのか。教えてくれてありがとうな深谷、もうちょっとたぶん中学に上がるまでは使ってやるぜ」


 チームの所に帰り際に稲垣の左手を見ると、グローブには目も口もついていなかった。これは……効力が切れたってことかな?


「本当にあのグローブを使えるようにしちゃった。すごいね」

「いや。僕、掃除しただけだし。結局使わせるようにしたのは御子神のおかげだよ」

謙遜けんそんしなくても、道具を掃除したのは事実だし。深谷君が元の持ち主の所に返そうって提案しなきゃ、本当に捨てられるところを助けたんだよ」


 にこっとほほ笑む御子神にほめられて、顔を隠したくなる。だって御子神は本当にかわいいし、そこににこっとした表情も加わったら、顔が真っ赤になって恥ずかしいもの。


 でもあのグローブ、あと二年は使ってもらえて本当によかった。つくも神が見えることってそんなに悪いことじゃないかもしれない。


 ちょっとだけね。ちょっと。

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