第一章

1

 




 決意はしたものの、一体どうしようか。ダイエットをさせるといっても眉唾ものの方法から確実に効果がある方法までピンキリだ。相手がこの国で二番目に権力を握っているとなればそうそう下手な手は打てない。


 他家からも称賛される庭園の一角にあるお気に入りの薔薇園に足を運び、あれやこれやと考えて思いついたものから順に紙に書き留めていく。


 一枚半書き終え、そろそろ一度休憩しようかと呼び鈴に手を伸ばした時だった。



「ヴィオレットお嬢様」



 薔薇の生垣の向こうから老執事のブノアが姿を見せた。ロマンスグレーの髪を後ろに撫でつけ、糊のきいた執事服を着た彼はお父様やお母様の信用も厚い。今も本当なら明日お母様がお友達を招くための準備を指揮していたはずだ。



「どうしたの?」

「おくつろぎ中に申し訳ございません。王太子殿下がお見えです」

「ベルナールが?」

「ベルナール殿下、です」

「ベルナール殿下、ね。分かってるわ。そのベルナール殿下が一体なんで我が家に?」



 婚約者の家を訪れるのは別に珍しい話ではないけれど、それは一般的な貴族の家同士の婚約の場合。私達の場合、向こうは王族。こちらから出向くのは当たり前だ。それに加え、王族は外出するにも数人から数十人の護衛がつく。お父様が近衛師団長という責務を担っている以上、連なる私が彼が遭うかもしれない危険を増やすわけにはいかない。だから専ら私が王宮まで足を運んでいた。


 数はかなり少ないながら訪問されるとなった時も十二、三人の護衛を連れ、これから訪問するという伝達もあった。

 けれど、今回はその伝達は一切ない。突然の訪問に、いつもは冷静に事を進めるブノアも少々焦りの色が顔に浮かんでいた。それでも私の言葉使いを訂正するところはブノアらしといえばブノアらしいけれど。



「お嬢様に大至急会いたいのだと、その一点張りで」

「……そう。分かったわ」



 大至急というのが気になるけれど、私も丁度会いたいと思っていたところだ。なんの問題もない。


 こちらですと先に立って案内するブノアの後ろをついて歩く。


 どう告げたらベルナールは傷つかないだろう? 泣いたり怒ったりしてしまったら、なんて声をかければいい? 


 くるくるとよく変わる彼の表情を思い浮かべていると、いつの間にかブノアが立ち止まり、こちらを心配気に見ていた。何度か声もかけたらしい。考え事に夢中になってまったく気づかなかった。



「大丈夫ですか? お嬢様」

「えぇ、心配ないわ。ちょっと考え事をしていただけだから」

「それならばよろしいのですが」



 気を取り直したブノアが中に声をかけると、すぐに入室を求める声が聞こえてきた。



「お待たせしてごめんなさい」



 部屋の中に入ると、座って待っているかと思っていたベルナールが火を入れていない暖炉の前で腕を組んで立って待っていた。



「急に訪問してきてどうしたの?」

「ヴィー……いや、ヴィオレット」

「なに?」



 ベルナールは薦めた椅子にも腰かけず、そのまま改めて名を呼び直してきた。その顔はとても真剣で、ともすれば怒っているようにも見える。けれど、私にはその理由が皆目見当もつかない。


 二の句を継ごうと口を開けては閉めるベルナールを黙って見つめる私に、とうとう意を決した彼が放った一言は衝撃的なものだった。



「僕と君の婚約は今をもって破棄したい」

「……理由を聞いても?」

「結婚は義務だ。だけど、どうせ必ずしなければいけないのなら、僕は僕の希望も通したい」

「どんな?」

「君は確かに可愛い。だけど、もっと他にも……その、身体が細い子がいる。僕はそっちの方がいい」

「つまり、私との婚約を破棄して、他の線が細い子と婚約を結びたい、と」

「そ、そう」



 ぷつり、と。


 私の頭のどこかで何かが切れた音がした。



 えぇえぇ、そうでしょうとも。神様は前世の記憶は与えてくれても、それを実行した上でのチート、“何を食べても太らない”は与えてくれませんでしたよ? だからこそ美味しいものをたーくさん食べれるようになった上に幼馴染が相撲取り並みに食事をとるなんてなったら、体型が他の令嬢よりも多少ふくよかなのも無理ないでしょ。

 だいたい、私は私だけで食べてる分にはある程度コントロールできてたわ。貴方が自分だけ食べているのは嫌だからと私にも寄越してきたんでしょうが。それに、確かに私もぽっちゃりだけど、標準より少し大きめかなってくらいですんでるのよ! むしろふくよかな女性の方が家の財力があったり、元気な子供を産めそうっていうのがこの世界の美意識よ。言っときますけど、男性はそんなことないからね!


 しかも、言うに事欠いて、貴方、自分の体型を完全に棚に上げて……。



「……分かったわ。婚約破棄、しましょう」

「……本当に? 破棄、するのか? できるのか?」

「えぇ。さすがにこの場でとはいかないけど、陛下とお父様のお許しがでるまで二人でお願いしましょう」

「……あぁ」



 ……ちょっと。こちらがいいと言っているにも関わらず不満そうにするのはどうしてか理解に苦しむのだけど。


 ベルナールは苦虫をすりつぶしたような顔をして、そのまま部屋を去っていこうとした。



「ちょっと待って」



 すれ違い様に手を取り、足を止めさせた。



「なんだ?」

「私の話はまだ終わってないわ」

「……やっぱりやめたいのか?」

「何を?」

「何をって……婚約破棄の件しかないだろう」

「それはもう話がついたでしょう? 私が言いたいのは別よ」



 話がついたと私が断じた瞬間、ベルナールの肩が僅かに震えた。今度は今にも泣きだしそうな顔をし始めた。駄目だ。私はこの顔に笑顔の次に弱い。自分の弱点をよく理解しているので、あえて目をそらし、背を向けた。



「明日から私と貴方で痩せるために色々やるわよ。陛下への婚約破棄のお願いはその後、無事に二人とも痩せられたら、よ!」



 この時、私は背を向けていたからベルナールがどんな表情をしていたか知ることはできなかった。



「……いいだろう。また明日、王宮で話し合おう」

「えぇ、また明日」

「見送りはここでいい。外に護衛も待たせてある。ヴィーは早速だが明日からどんな方法でやるか考えてくれ」

「そう。分かったわ。……じゃあ、ごきげんよう」

「あぁ」



 口元を隠して足早に去るベルナールに軽くお辞儀をして部屋から見送った。


 まさか婚約破棄を言ってくるとは思わなかったけれど、その理由にはもっと驚かされた。完全にお前が言うかってやつだ。


 でも、何だろう。何かに胸のあたりを軽く刺されたような。そんな痛みがしばらくの間続いた。



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