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約束した翌日。
薔薇園で考えていたダイエットメニューも含めたものの中からいくつか厳選し、紙にまとめたものを持って私は王宮を訪れていた。
顔馴染みの女官に案内された一室でベルナールを待つことになる。家から連れてきた侍女は続き部屋に通され、今この部屋にいるのは私一人きり。
部屋の窓際にある毛足の長い長椅子に腰かけて背を預け、少しの間、目を閉じることにした。
「……ふぅ」
二人とも痩せたらこの婚約は破棄する。
昨日、夕食を食べ終わってから談話室に移り、家族だけの時間を過ごしていた時。ふとお父様とお母様には先に話しておかなければと思い立ち、淡々と事実のみを説明した。お母様は驚きのあまり身体をよろめかせ、お父様の腕に支えられてやっと身体を起こしていた。一方のお父様はというと、じっと目を見つめてきた。
『後悔はしないんだね?』
『……えぇ。元々ベルナールは弟みたいなものだったし。お互いに運命の相手は別にいるのよ、きっと』
お父様とお母様はこの貴族社会において珍しい恋愛結婚だった。だから多少は理解してくれるのか、私の言葉にお父様は溜息をついて肩を竦ませ、好きにしなさいと言ってくれた。
まだ十二歳だし、ここで婚約破棄したとしても結婚適齢期はもう少し先だ。お互いが求めた上での破棄なので、今後の婚約にも影響がないと判断してくれたんだろう。後は娘可愛さであって欲しいけど、それならベルナールと婚約を結ぶときにその可愛がりっぷりで娘は誰にもやりません的なものを発揮してほしかったと思うのは今さらか。
確かにベルナールに対して愛情はあるけれど、それは家族愛に近いもので、間違ってもそれは男女間のソレではない。ヴィー、待って、と後ろをついてくるだけの天使はもうどこにもいないのだ。
たとえベルナールが健康的な体型になったとしても、もうあの頃の天使はいないし、何よりもう傍にはいられない。婚約破棄をするのだから、いつまでもこうやって王宮を訪れるわけにはいかないのだ。次の婚約者となる令嬢に失礼だし、なによりよく知る存在が誰かに愛を囁くのを聞くことになるかもしれないのは非常に気まずくて私も嫌だ。
私は目を開け、持ってきた紙の束の一番上の紙面をぼうっと流し見た。
一か月後に控えた伯爵家主催のお茶会。それには私もベルナールも招待されている。社交界の仲間入りができるデビュタントの平均年齢は十五、六と言われているけれど、昨今その年齢は徐々に引き下げられている。今は十三、四。周りの子供達より一足早くデビュタントを迎えたベルナールと私は一人での参加も認められていたため、ぜひにと送られてきた招待状も紛れて持ってきてしまっていた。
その伯爵家のご令嬢は現在八歳で婚約者はおらず、招待されているという面子を考えてこれは婿候補の選別の意味を多分に兼ねているのだと思う。一応まだ対外的には婚約者同士である私とベルナールが招待されたのは、ベルナールの側近候補となる歳上の男の子達が多く招待されているため、ベルナールと男の子達との相性も同時に知っておきたいという目論見が少なからずあるからだろう。私は最近公務以外では出不精になってきたベルナールを外に出すためのおまけだ。
「……ダメだ。体型だけじゃなくって、出不精なところもなおさなきゃ」
一緒に持ってきていたインクに羽ペンをひたし、紙の余白に忘れないように書いておく。その部分だけ破り取り、そっとポケットに押し込んだ。
ポケットから手を出し、再び紙に目を通していると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「待たせたな」
「いいえ、大丈夫よ」
侍従に扉を開けさせたベルナールが部屋の中に入ってきた。腰を上げ、挨拶のお辞儀をしようとすると手で制された。ベルナールは体型に似合わずスタスタと歩いてきて、長椅子の隣に腰を下ろした。
王宮の一室なのだから当然椅子がこれだけしかないということはない。現に私達の目の前にもテーブルを挟んで一人掛け用の椅子があるし、その向かいには二人用の長椅子もある。その椅子に座ればいいのに、わざわざ隣に来るのはやはり小さい頃からの刷り込みだろうか。
なにより……狭い。これでどちらかが細身だというならまだ我慢できるかもしれないが、現状私達二人はそんなことはない。普通ならもう一人入るだろうところが、もう少しすると触れてしまいそうになる。
仕方ないからここは私が移動しよう。
向かいの長椅子に行こうと立ち上がると、ドレスの裾をついっと引かれた。
「おい。どこへ行くんだ?」
「どこにも行かないわ。そっちに移動するだけ」
二人掛け用の長椅子を指さし、ドレスの裾を引っ張り返した。
「別に、ここでもいいだろ?」
「狭いのよ。いいじゃない、あっちでも。別に声が聞こえなくなるわけじゃないんだから」
「……ふん」
ツンと顔をそむけるベルナールは目に見えて機嫌を損ねている。
何をいじけてるんだか。
……それにしても。
「ベルナール。貴方、まさかまた太った?」
横に座った時、この間以上に圧を感じた。昨日はそれどころじゃなかったから分からなかったけれど、これは絶対に体重がまた増えている。間違いない。
「そんなわけない。昨日だって、夜食を二回減らしたんだぞ」
「減らしたってことは食べなかったってことじゃないわよね。結局何回食べたの?」
「……五、いや、六回?」
おい、こら。なんでこれからダイエットしようというヤツがそんな暴食してるんだ。むしろ駆け込みか。明日からそうそう食べられなくなるからと駆け込みで食べたのか。
酷いのはベルナールが全く悪びれてないところだ。今も頭を抱える私に対してきょとんとしている。太ろうがなにしようが瞳の色だけは昔と変わらず澄んだ湖を思わせる深青色で、私はこの瞳の色が好き……じゃなくって!
「ベルナール」
「な、なんだ?」
「今日からの行動予定表よ」
その場に立ったままベルナールに持っていた紙を渡す。それを恐る恐る受け取ったベルナールは上から下までさっと目を通し始めた。
「……そんな」
「まず。私の家からの手土産はなし」
「俺から楽しみを奪うのか!?」
悲壮な声と共に目が見開かれ、私の顔を凝視してくる。
そんな顔で見てもダメだ。もう貴方に甘い私はいない。
それから、と無視をして話を続けた。
「……以上よ。まずは食事の見直しから減量を図るわよ」
「そ、そんな。ひどい。これは拷問だ。虐待だ」
「バカなことを言うんじゃないわよ。この国は農業が他国に比べて盛んだし、国民に最低限の衣食住が保証されているから暴動が起きないけれど、下手したら革命が起きてそれどころじゃなくなるんだからね」
「それは……そうだが……あまりにも。俺だってこんな体型に好きでなったわけじゃない」
最後は小さな声で呟いて上目遣いで見てくるけど、そんな目で見ても決定事項は覆らない。
「ベルナール。昨日私に言ったこと、覚えてるわよね?」
「あ、あぁ。それがどうした?」
「あんな風に結婚相手を求めるなら、貴方もそれに見合うべく努力をするべきだわ。そんなんじゃ、よほどの好き者じゃない限りお金目当てで外に愛人作られて仮面夫婦になるわよ」
「い、いやだ!」
「そうでしょう。私もあなたがそんな目に合うのはさすがに忍びないわ」
だから頑張りなさい。そう続けようとした言葉はベルナールの真剣な瞳によって遮られた。
な、なに? どうしたの? 脅し過ぎた?
「ヴィーは?」
「は?」
「ヴィーは……こんな俺は嫌か?」
「嫌か嫌じゃないかを私に聞かれてもあれなんだけど」
「いいから!」
「そうねぇ」
そういう気づかいはこれから現れるだろうご令嬢に向けてほしい。まぁ、他に聞けないからって参考程度に考えるならいいんだけど。
「私も標準体型の方がいいことは確かよね。私が考えたご飯を美味しそうに食べてくれる人も好きだけど、物事には限度ってものがあるし」
「……騙された! この詐欺師!」
「え? 誰が詐欺師よ」
「もう公務に戻る! じゃあな!」
「え、えぇ」
最後キッと睨みつけられ、ベルナールは足音荒く部屋から出て行ってしまった。
なんだったんだろう? 最近公務が忙しくて情緒不安定気味なんだろうか。減量のストレスもあるし……ふむ。精神的なものからの減量も見込めるかもしれない。
伯爵家のお茶会までの予定を考えながら計画を練り直す私に、隣室で私達の声が漏れ聞こえていた侍女が深くため息をつく声は聞こえなかった。
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