第30話 保証人。
開店の前祝いのパーティに行った。夜蝶の皆も集め望海の彼氏の友人関係も集めての豪勢なパーティだった。出された料理はどれも素晴らしい見た目で大変美味、これなら大丈夫だろうと皆口々に言った。
一等地への出店。立地条件もかなりいいし、これなら客もすぐつく。悦子は安心してワインを飲んだ。望海は幸せそうだった。彼の隣にいるのがすごく似合っていて二人はいずれ結婚して家庭をもうけるのだな、と思った。その辺のことを聞くと望海は嬉しそうに話をした。
「今度ね、彼の実家に行くのよ。店の開店資金なんか援助してもらってるから、そのお礼も込めて。ご両親はサクランボ農家なの」
いつかサクランボ送るわ、と悦子に小さく耳打ちする。望海の顔を見ているとつられて笑顔がこぼれる。これが幸せの始まりなのだな、と悦子は思った。
開店して二、三カ月は店に通った。オムライスが絶品だった。店内は混んでいる時もあったし暇な時もあった。軌道になるまでが大変だから頑張らないといけない。必死に給仕する望海を見てただ上手くいって欲しいと願った。
それから後は通うのに飽きて疎遠になり、時々、上手くいっているだろうかと思案する程度だった。一度望海の予告通り自宅にサクランボが届いた。とてもおいしかった。
望海が店を辞めて一年が経った頃、突然悦子の所に請求書が来た。上手くいっているかと思っていたので大変驚いた。書面を見ておどろく。数カ月滞納した家賃、四百二十万円。とてもじゃないが払える額ではなかった。すぐに電話するが望海には繋がらない。店に向かうと店はたたまれていた。心の中を不安という渦が渦巻く。すぐに警察に向かった。
友人を探して欲しいと言ったが借金云々を話すと相手にしてもらえず肩を落として家に帰った。
店で由香利に相談するとほら見たことかと言われてしまった。泣きそうになると十万くらいは貸せるけど、と言ってくれた。しかし、焼け石に水。由香利が他の従業員にも声掛けてくれて百万円ほどはかき集められた。悦子の貯金は二百万円ほど。足りなかった。
足りない百二十万円をどうするか必死に考えて悦子は掛井を頼った。元ヤクザのコカインの売人の男だ。
「久しぶり。随分ふけたな」
「お金が要るの。少し貸して下さらない」
「いくら」
「百二十万」
「少しじゃねえな」
掛井はふっと笑う。
「金ならすぐ貸してくれるところ知ってるぜ」
「本当?」
掛井に連れてこられたのはヤクザの事務所だった。悦子は身を縮こまらせやっぱり帰りたいと言った。するとヤクザが朗らかに笑った。
「奥さんキャバクラで働いているんでしょう。毎日給料で払えるだけ返してくれたらいいんですよ。毎月十二万と利息だけ返してくれればウチは何も言わない。十カ月あれば全額返済できますよ、奥さん」
そう言って百二十万円を机に積んだ。悦子は喉を鳴らした。百二十円万が目の前にある。手の届くところにある。
「利息に付いてお伺いしたいんですけど」
「いいですよ」
ヤクザは眼鏡を拭いている。
「百二十万借りたならいくらくらい上乗せされるものなんですか」
「それは個人差がありますよ」
「個人差」
「返すのが遅くなればなるほど勿論金額は高くなります。延滞金というやつですね。延滞金は百万円ごとに一万円の計算です」
悦子は頭の中で百二十万円なら一万二千円と計算する。最初の月は返済の十二万円と利息の一万二千円。利息はほぼ無いに等しい。しかも利息は返すごとに減っていく。
「分かりました、それならお借りします」
悦子は一世一代の決意で百二十万円を借りた。契約書にサインして母印を押した。
借りた百二十万円を合わせて四百二十万円、家主に払いに行った。家主は気のいい上品な人で払ってくださって助かりましたと安堵していた。
由香利にお金はすぐ返すからと言って借金した顛末を報告すると訝しんでいた。ホントにそれ大丈夫なのと。不振がっているので書類を見せて大丈夫でしょと問うが。由香利が固まって真っ青な顔をしていた。
「サクラ、あんたこれ月一万二千円じゃなくて一日一万二千円よ」
悦子は血の気が引いた。確認すると確かにそう書いてあった。紙を持つ手が震える。ひと月目十二万円返すと延滞金は百八万円と一万二千円三十日分で全部で百四十四万円、ふた月目十二万円返すと百三十二万円と一万四千四百円三十日分で百七十五万二千円……、返しても返してもこのままでは借金が雪だるま式に膨らむ計算だ。
「どう、……しよう」
「今から行って契約取り消してきなさい」
由香利が目を覗き込んで言う。悦子は視線を泳がせた。
「そんなこと出来るかしら」
声が震え涙声になる。
「しっかりなさい、貴方のことなのよ」
由香利が悦子の肩を叩く。結局悦子は翌日の朝ヤクザの事務所へと向かった。
「私はちゃんとご説明いたしましたよ」
ヤクザの入れ墨の入った手首が覗く。負けずに悦子は返す。
「月に、と仰ったような気がするわ」
するとナイフをドンッと机に突き立て、言ってねえよと怒鳴った。
「書類に書いてんだろが。読まなかったあんたの落ち度だぜ」
凄まれ結局悦子はそれ以上何も言えなった。
夜蝶のマネージャーに相談したが金は貸せないと言われた。給料の前借でもダメかと問うと少し口ぶりが和らいだ気がしたが、それでも貸した金分ちゃんと働く保証はないと言われた。以前似たケースがあり、その女性スタッフに前借をさせたところ彼女は給料分働かず姿を消したという。そんなこともあってか金銭の面ではスタッフを信用しないようにしているのだと告げられた。悦子が良い人間だという事は分かっているがそれでも貸せないと重ねて言われた。
借金をしたまま働き続け毎月返したがとてもじゃないが足りなかった。十二万円より多く返したこともあったが借金はどんどん膨れ上がり、手に負えない物になっていった。毎月取り立てに来るので大人しく二十万円ずつ渡した。公共料金の支払いなどもあるし、それが生活を送れるぎりぎりの金額だった。金を渡しているのでヤクザが取り立てで怒鳴ることはなかったが悦子は心身ともに参っていた。贅沢は出来なくなり朝は喫茶店で、夜は夜蝶で身を粉にして働いた。
借金生活が一年程続き、金額は一千万円を優に超えた。身震いするほどの金額だ。始めに借りた百二十万円などとうに超えていた。時々家を手放すことも考えたがそれだけは思いとどまった。家は悦子に唯一残されている心の拠り所だった。
ある日、掛井が初めて店を訪れた。思ってもいなかった来訪に悦子は視線をきつくする。ヤクザに金を借りるよう紹介したのは掛井だ。彼はもしかしたらマージンを貰っているのかもしれないとさえ疑っていた。
「随分いいとこで働いているんだな」
それは嫌味に聞こえた。
「おい、悦子さん。ここは飲み物も出ないのか?」
「あなたに出す物はないわ、帰って頂戴」
「随分だな。金に困ってると思って仕事の話を持ってきてやったのに」
「誰のせいで困ってると思ってるの」
「俺はあんたが金に困ってると思って助けてやっただけだぜ。感謝されても恨まれるようなことはないはずだけどな」
「金利のこと知ってたのでしょう」
掛井が大笑いする。
「ヤクザはボランティアじゃないんだ。それなりにとられることは想定済みでないと」
「帰って頂戴」
もう一度繰り返すと悦子は立ち上がる。
「おいおい、いいのかい。こっちはせっかくあんたのために一気に金が返せる解決策を持ってきてやったんだ」
「解決策?」
「まあ、座りな」
悦子は掛井の話に耳を傾けた。
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