第2話

「私は、もう老いた。君の生はまだまだこれからだけど、先に旅立つことをどうか許してください」

 時は流れ、僕の相棒は老いた。繊細さが求められる仕事を続けることが困難になり、彼は引退した。エリジアを扱う工房は長く閉じられることがない。僕らは常に生まれ続け、人の手を求める。だから、最初の相棒がいなくなって一週間もしないうちに新たな職人が僕の元へやってきた。女の人だった。彼女とは、思えば短い付き合いになってしまったけれど、良い関係が築けていたと思う。

 ビャクとは、自然と疎遠になった。近くに住んではいたけれど、幼い頃のように僕の石を見つけて駆け寄ってくるようなことはなくなった。ちらりちらりと窺い見る彼女は、僕らを見ることができないまま、たおやかに成長していった。


 ビャクと再会したのは、彼女の祖父が死んだときだった。工房を閉じる許可を現在の職人に貰い、その手で別れの為に催された小さな会に連れてきてもらった。高名ではなかったけれど、堅実な仕事を続けていた彼を弔う人は数多く。そして、連れられてやってきたエリジアも多かった。

「来てくれたんですね。……工房は?」

「今日だけはお休みを。琥珀も、お別れをしたいと言うので」

 あ、と思う。僕の名前を聞いて、ビャクの瞳が揺れたから。慕っていた祖父との最後の別れでも、きっと気丈に耐えていたそれを、僕のせいで決壊させたくはなかった。

「…………琥珀さんは、そこにいるんですか」

 僕の顔を見て、まずい、と言いたそうな表情になる。そんな顔をしたら、余計傷付けてしまう。この人は素直に過ぎるな。

「……僕の言葉を、彼女に伝えてくれる?」

 僕の石を軽く握り、首肯したのを確かめて、頭の中に浮かぶ言葉を選り分ける。

「僕はいつだって、この石と共に在る」

「琥珀はいつだって、この石と共に在ります」

「彼に、お別れを言いにきたんだ。棺のところまで、僕を連れて行ってくれないか」

「貴女のお祖父さまに、お別れを言いにきたんです。どうか、彼を連れて行ってくれませんか」

 その言葉と共に、石はビャクに差し出される。彼女の目に映らないことはちゃんとわかっている。それでも、何かを伝えたくって、そっとその手に触れる。

 こはくさん、と震える唇で何度も呟きながら痛いほどにを胸に抱き締めるから。僕は、彼女の手の平に乗ってしまえるほどに小さくて、言葉も表情も届きはしないから、抱き締め返して慰めることだってできやしない。祈りを込めて、認識されずとも触れ合ったこの温もりがどこかで君を慰んでくれるようにと。

 僕の最初の相棒が眠る棺には、いくつかエリジアが入っていた。彼と一緒に眠ることを選んだ同胞たちだ。粉々に砕け散った彼らの中には、僕と彼が作りだした子も含まれていた。

「本当に、羨ましいほどに愛されていたね。君は」

 一度誰かに託されたエリジアが、また職人のもとに戻ってくるだけでも珍しいというのに。共に永久の眠りに行きたいと請われるなんて。

「僕は一緒に逝くことはできないよ。まだ、君から継いだ仕事があるからね。良い旅を、また会う日を楽しみにしている」

 ぽとりと、住処が濡れる。見上げればビャクの瞳からは大粒の涙が落ちていた。彼女の目から落ちて、僕を伝って、棺に垂れる。

「おじいちゃん……、わたし、わたしね、おじいちゃんみたいな職人さんになりたかった。こんな風に、たくさんのエリジアと、その持ち主に見送られて、向こうの世界まで付いていてくれる子たちに、恵まれる、そんな、そん、な」

 言葉が詰まる。ひっ、と引き攣った声が喉から漏れる。強く唇を噛み締めて、ぎゅっと目を閉じて、涙を無理やり抑える。次に開いた時には、その眼球には揺るがない光が差していた。

「違うよね。なりたかった、じゃない。なるよ。おじいちゃん、私、職人になってみせる。どんなに厳しい道だっていいの、私は、生まれた時からお祖父ちゃんと同じ宝石馬鹿で、エリジアの虜だったんだから」

 彼女の鼻先に触れそうなところまで持ち上げられる。どぎまぎとする僕に構わずに、まだ涙で光るその瞳を細くして、ビャクはとっても魅力的に笑った。

「ねえ、琥珀さん。そのときは、私の相棒になってくれる?」

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