こはくいろの人

詠弥つく

第1話

 古今東西、エリジア(石霊)と人の恋を描いた物語なんてものは珍しくもなんともない。長命のものと短命のものが愛し合った悲劇として、すれ違う二人の喜劇として。現実ではとんでもない禁忌だと言うのに、人は物語上にそれを託すのを好むらしい。

 けれど、僕の恋だけは物語の中でも成就し得ない。なぜならば、彼女は僕を認識することができないのだから。だからこそ、僕はこうして安心して愛を綴ることができる。

 君に、この言葉が伝わることはない。僕は、君を愛している。


 僕の恋する人、ビャクはエリジアの住まう石を磨き、加工する職人の家に生まれた。

 僕がこの家に来たのは彼女よりずっとずっと前になる。彼女の祖父にあたる人(僕にとっては原初の相棒)が資格を得て店を継いだ時のことだ。沈みかけの太陽のような、くつくつと煮詰めた砂糖のような、そんな色をした僕の住処。同じ時期に剥がれた兄弟らと共に「琥珀」と名付けられた僕を彼は家に持ち帰った。商品としてではなく、彼の仕事を手伝うパートナーとして。

 彼の手で大切に大切に磨かれて、剥がれたてで何も知らない幼子だった僕はやがて、立派に仕事を手伝えるようになった。その頃には、彼は妻を得て、子を得、その子すらも育って娘を抱いていた。だから、僕が恋した彼女は、僕の相棒の孫ということになる。

 歳の差を気にするのは人だけだ。僕らは望めば何百の時を得ることができるし、朽ちることだって自由だから。赤ん坊のビャクを相棒が連れてきて、「私にも孫ができましたよ」と嬉しそうに笑った時から、僕は彼女に惹かれていた。だうだう、と言葉未満を紡ぎながら僕の石に手を伸ばす彼女は、本当に愛らしくて、愛おしかった。

 ビャクは祖父に似て、石が好きだった。当然ながら売り物に触れることは許してもらえなかった彼女は、僕の住む石を一番の友として育っていった。相棒の仕事を手伝うことを忘れた日はなかったけれど、昼休憩や仕事後に彼女と会うことは僕の生活の最大の幸福だった。


 禁忌に触れようとした僕に対する、母神からの罰だったのだろうか。

 こんなにもぼくに触れ、宝石ぼくらに囲まれて育った彼女が、まさか才能を持たないとは考えもしなかった。彼女の十歳の誕生日、この日ばかりは仕事に集中することはできなかった。そんな僕の気持ちを察してか、彼自身も浮かれていたのか、相棒も最低限の依頼だけを片付けて僕を連れて孫の元へ向かった。

「おじいちゃん! こはくさん!」

「誕生日おめでとう、ビャク。ほら、琥珀からもお祝いだよ」

「ビャク、誕生日おめでとう。こうして君と言葉を交わせるのを、楽しみにしていたよ」

 ぱあっと明るくなった表情と、こちらに伸ばされた手。ああ、今日僕らは初めて、石を通さずに触れ合うのだ。と僕も小さな手を伸ばした。

 けれど、その手は掴まれることはなかった。

「ッ…………」

 それを見て、一番驚いたのは、僕でも彼女自身でもなかった。僕の相棒、ビャクの祖父だ。

「琥珀……」

 おじいちゃん? と不思議そうに自分を見上げる孫よりも、呆然と手を見つめて固まる僕を案じて、彼は僕を呼んだ。

「……その可能性は、けっして少なくはないんだったね。期待をした、僕らが悪かった。ビャクは、エリジアが見えない子だ」

 ビャクの祖父である相棒は勿論のこと、彼の妻子も、そして子が選んだ配偶者も、皆が僕らを見ることのできる人だった。その体質は血で継がれていくものだというわけではないらしいが、誰もがビャクもエリジアを見ることができるのだと信じていたように思う。

 ……自分がエリジアを見ることができないのだと知って、ビャクは誕生日の晩、酷く泣いた。誰よりも何時よりも幸せであるべきその時間に、美しい瞳を腫らし、枕を濡らし。

 ビャクが悪いわけではない、あたりまえだけど。ただ、運が悪かった。

 そして彼女は、僕らを見ることができないまま、成長していくことになる。

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