エピローグ「Happily ever after」
ここ数日降り続いていた雨は嘘のようにぴたりと止み、見渡す限りの青空が広がっていた。木の葉に残った水滴は、日の光を反射して美しく輝いている。
今日、モルリッツの大聖堂で一組の男女が永遠の愛を誓い、挙式する。
「ゆりさん……。本当に本当に、綺麗だわ」
ララミアは純白のドレスを纏う花嫁の前にしゃがみ込むと、今にも泣き出しそうな顔でベールの中を覗き込んだ。
本日の花嫁――ゆりは、繊細な刺繍の入ったマリアベールをふわりと被せられ、はにかみながら椅子に座り、その時を待っている。
「ララミアさん。こちらこそ、こんなに素敵なベールを貸してくれてありがとう」
その言葉に、ララミアは顔を左右に振った。
「いいえ、いいえ。本当なら、私はもう二度と貴女にお会いする資格のない立場でした。弟のテオドールが、取り返しのつかない過ちを……。それなのに貴女は、リンツの家の者を赦して下さって……。我が家の伝統のベールを、こうして被って下さるだなんて」
「もう。ララミアさん、その話は言いっこなしにしましょうって約束したでしょ?私とララミアさんは、これからもお友達なんだから」
「ええ。ええ……」
ララミアは堪えられず、涙を零すと上品なレースのハンカチで拭った。
「テオドールもきっと……東の空からお祝いしていますわ」
「テオくんは、元気なの?」
「彼が
「そっか……」
ゆりはララミアの手を取りながら、窓の外を見る。
誰よりも繊細で賢い少年テオドール。今は遠く離れてしまったけれど、この空は繋がっている。きっといつか、また会えるだろう。
「ううぅ、奥様ぁ……。お式が始まる前からそんなに泣かれたら……本番はどうなさるおつもりですの」
「うぅっ、ぐす。そうですわ。今花嫁まで泣いてしまわれたら、ゆりさんのせっかくの美しいお化粧が……台無しになってしまいますぅう」
二人の後方で、本日着付けやメイクを担ってくれたトゥエッテ家の二人の侍女――ノーラとベスが、泣いているララミアに声をかける。だが、主人を嗜める二人の方が余程号泣と言うに相応しかった。
「ええ、そうね。私はそろそろ大聖堂の方で参列しなければ。主人とルルークもそちらにおりますし」
ララミアが漸く立ち上がると、ゆり達のいる支度室のドアが控え目に四度叩かれた。
「あら、お迎えがいらしたようですよ」
ノーラが慌てて扉を開く。
するとそこに立っていたのは、波打つ金髪を一本に束ね、紫の瞳を眩しそうに細めたシオンだった。
「ユリ……。そろそろ、時間」
「シオン!」
ゆりがベールの奥でにっこり笑うと、シオンはゆっくりと音のしない歩みでゆりの椅子の前までやって来る。そしていつものように、そっと白い手を差し出した。ゆりはその手を握ってふわりと立ち上がる。純白のドレスがしゃなりと衣擦れの音を響かせて、鈴のように鳴った。
「ユリ。――キレイ。すごく」
「ふふふ、ありがとう。シオンもかっこいいよ」
シオンはシンプルな白いシャツとトラウザーズの上に、生成のローブを纏っていた。神官用のものではないが、この地方の伝統的な正装らしい。
そのままノーラとベスにドレスのトレーンを調えてもらうと、二人は支度部屋を出て大聖堂の正面扉の前までゆっくりと歩いてゆく。
シルクのグローブごしに伝わる彼の体温は相変わらず少しひんやりしていて、出会った頃と変わらぬ安心感をゆりにもたらした。
「シオンのおかげで、緊張せずにバージンロードを歩けそう」
「……転ぶなよ」
「ふふふ、その時は引っ張り上げてね。――ねえシオン……」
ゆりは真っ直ぐ前を向いたまま、隣のシオンに語りかけた。
「いつか子供が生まれたら、シオンに名前を付けてもらいたいな」
その提案にシオンは少し驚いたように紫の瞳を見開き――やがて優しく微笑んだ。
「……そうか。名付けは、得意だ」
シオンがぎゅ、とゆりの手を握り返すと、目の前の大きな扉が重々しく開かれた。
荘厳なパイプオルガンの音が堂内を支配し、ステンドグラスが反響して震えるようにきらきらと天からの光を取り込む。その中央の赤い
左右に連なる長椅子の列の前方には、参列者達の姿が見える。その一番後ろ、一際目立つスキンヘッドの巨漢は……既に全身を震わせて号泣していた。
遥かに続くと思われた赤い道の終着点、正面の祭壇上には、本日の見届け人である白髭の教導エイブラハムと、
「ゆり!!」
白絹のスーツに
段取りと違う……とゆりが焦っていると、ナオトはあっという間にゆりを横抱きにして、自ら祭壇の前まで運んで行ってしまう。バージンロードの中央にぽつんと取り残されたシオンは、一人盛大に舌打ちした。
「うぉほん、えー……。それでは本日ここに二人の男女が、女神サーイーの教えに従い、互いをかけがえのない伴侶とすべくその御前に参りましたことを報告します。エレキシュの書十一章、三十五節にて女神はこのように我々に述べています――」
「はやく」
「私はあなたの家。あなたの安息を守護し、」
「はやく!」
「平穏の内に憩うだろう――。この言葉の意味するところは、」
「はーやーくー」
「…………。……誓う?」
「誓う!」
「……よろしい。では指輪の交換を」
教導自らが説教し、見届け人を務める結婚式はそうそうない。参列者は皆その有難い話に静かに耳を傾けていたのだが――。堪え性のない新郎により、それは一瞬で終わった。
教導の気まずい咳払いが聖堂内で反響する。それと同時に、長椅子の端で今か今かと出番を待っていた二人の子供がバージンロードに飛び出して来た。エンゲージリングの運搬役を務める、フィオルムとフィアナである。
二人は指輪の入った白い籠を持ったまま、全力でバージンロードを走り出す。参列者が心配そうに見守っていると、案の定妹のフィアナが途中で足を
「ゆりせんせえ……」
二人の前に跪いたゆりは、今にも泣き出しそうなフィアナを立ち上がらせ、白いグローブで可愛らしいワンピースの裾を払ってやる。そうして指輪の入った白い籠をフィアナに持たせ直すと、ベールの奥でにっこり笑った。
「ゆりせんせい、天使さまみたい!」
フィオルムがウェディングドレスに抱き付くと、ゆりは彼の栗色の頭を撫でながらゆっくりと立ち上がった。そして二人と左右に手を繋ぎ、祭壇へ向かってバージンロードを再び歩き出す。
その姿に、参列者である孤児院の職員達は嗚咽を漏らした。
無事に指輪が祭壇に届けられると、ゆりのシルクのロンググローブが外され、白い薬指に指輪が填まる。そしてナオトの節立った指にも同じものが収められると、いよいよ御待ちかねの――。
「新郎新婦は、女神サーイーの御前にて誓いのキスを」
その瞬間、待ってました!とばかりにナオトの斑の尾が全力で振られた。
繊細なレースのベールを、ナオトがそっと持ち上げる。白い薄絹の向こうから紅色のゆりの唇が覗くと、ナオトはゆりの腰を抱き、全力でかぶり付いた。
「っっ!」
女神も恥じらう濃厚なキス。参列者ははじめ、微笑ましい気持ちでそれを見守っていたのだが……。
「~っ! ~~っ!!」
終わらない。角度を変え、舌を差し込み、いつまでもいつまでも続くその口付けに、次第に新婦は崩れ落ち、完全に押し掛かられて逃げ場を失ってしまった。
ゆりは恥ずかしさと息苦しさに気を失いかけ、バシバシと必死にナオトの胸を叩く。
「め、女神はお認めになられました! 今ここに一組の新しい夫婦が誕生したことを!!」
教導は強引に式の成立を宣言し、参列者から全力の――新郎から新婦を救い出すための全力の拍手が捧げられる。
するとその祝福に気を良くしたのか、漸くナオトはゆりの唇を離す。ゆりが真っ赤になって肩で息をしていると、ナオトはぺろりと舌を出し、黄金の瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「ゆり、ゆり! オレの花嫁……! オレの、家族!」
そう言うと、純白のウェディングドレスごとゆりを下から抱えあげる。ゆりが慌てて首根っこに腕を回すと、参列者からもう一度拍手が起こった。
ナオトはゆりの頬にちゅ、と軽くキスを落とすと、バージンロードを勢い良く駆け出す。待機していた神官見習いの少年達が、慌てて大聖堂の重い扉を押し開けた。
途端にわあっという歓声と、眩しい日の光が二人に降り注いだ。
「ゆりせんせー! おめでとー!!」
孤児院の子供達が声を合わせて叫び、色とりどりの花弁を振り撒く。
「今だ。祝砲、打て!」
アラスターが凛々しい声で号令をかけると、後ろに整列していた黒狼騎士団の団員達が、一斉に砲筒を天に向けて発射した。
ドゴォォオオオオオオオオン!!!!!
地が揺れる程の轟音と共に、光の粒子がきらきらと輝いて周囲に撒き散らされた。そのあまりの大音量に、子供達はきゃー!と叫びながら耳を塞ぐ。
「おい、フラハティ! こんなに凄まじい音がするとは聞いてないぞ!?」
「あれ、おっかしいな……火薬の量間違えたかな?」
「貴様……!」
アラスターとユークレースが揉めている目の前を、ゆりを抱えたナオトが通りすぎてゆく。ゆりは慌てて、持っていた
ブーケは二人の独身男のすぐ近くを舞い――ひとりの騎士団員の手元にぽすんと吸い込まれるように収まった。
「え……。――俺?」
スコットは困惑したように手の中のブーケを眺める。そして今日、帰りに最愛の彼女にプロポーズしようと決意し、犬耳を奮起に震わせた。
「おいナオト!! この後酒場でギルドの野郎共と御披露目のパーティーがあんだろうが! どこ行くつもりだよ!!?」
大聖堂の入り口、ナオトの遥か後方からドーミオが叫ぶ。するとナオトは振り返りもせずにご機嫌に尻尾を振った。
「そりゃもー、愛する二人が結ばれたらヤることはひとつっしょ! 初夜だよ初・夜・!!」
「バカヤロー! まだ真っ昼間だ!!」
「パーティーは夕方からでしょ~、それまでには一発……いや何発か済ませてくるから!!」
「もう! ナオト!! みんなの前でやめて!!」
真っ赤になってポカポカと頭を叩くゆりを満面の笑顔で抱えながら、ナオトはひたすら駆けてゆく。漸く手に入れた安寧の地、二人の家へと。
空には虹が架かり、その道行きに光が満ちる未来を示していた。
むかしむかし。
この世界はきまぐれな創造神に打ち捨てられ、今にもその生命の火を絶やそうとしていました。世界には闇が溢れ、混迷を極めていました。
そこにひとりの女神が現れて、この世で最も強く美しい一匹の獣に、自らの力を分けた一本の剣を与えました。獣は剣の力を奮うため人の姿となり、この世界に
世界が平和になって後。獣の勇者オスティウスに恋をした女神サーイーは、人の子となって彼と結ばれました。世界は安寧に包まれ、女神の愛は魔力となって世界と人々の心に満ちました。
しかし愚かな人の子達は、自ら安寧の暮らしを捨て、人間同士で争うようになりました。女神の愛の証である魔力は、人を殺し、町を焼くために使われるようになりました。
愛する子らの愚かさに、女神は嘆き悲しみ、煩悶の末――その魂はバラバラに砕け、この世界から消えてしまいました。
こうして、女神の消えたこの世界からは徐々に魔力が失われ、やがて人の子の身からは完全に魔力が消え失せてしまったのです。
しかしそれでも、人の子は今も変わらず女神の愛を信じ、その慈悲にすがり祈りを捧げて生きているのです。己の過ちが、優しすぎる女神の心を砕いてしまったことも知らぬまま。
愛する半身を失った勇者オスティウスは、バラバラに砕けた女神サーイーの魂の欠片を求め、長い長い旅に出ました。
そして今日。
永遠とも思える旅路の果て、ついに勇者は女神の魂の欠片をその手に取り戻したのです。
「ゆり、もう絶対、絶対離さないから」
「うん。大丈夫。ずっとずっと……ナオトの側にいるよ」
これは、後に“紅い勇者”と謳われる、勇者オスティウスの魂を受け継ぐ青年と、女神サーイーの魂の欠片をその身に宿した、ひとりの女のおはなし。
【ゆりせんせいは猫耳サイテー勇者を教育します! 完】
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